『天秤』


「なんでだよ」


果たして一体誰に対しての問いなのか。

部屋に客が来ているというのに寝こけているこの男に言いたいのか。
それとも、わざわざ消灯後に他の寮まで忍んできた自分に問いかけたいのか。

言わずもがな、寮監に見つからぬよう他寮に侵入するのは大変なことだ。心労も多い。
…そこまでして、俺は何故ここにいるんだか。
溜息が出そうだ。
そりゃあ出るだろう。
なんたって、部屋の主は俺の膝の上でぐーすか寝ているんだから。(いや、ぐーすかという形容は似合わない。すぅすぅ、とか? …それじゃ可愛げがありすぎる)


ルシウス・マルフォイという線が細いスリザリン生。
運がいいのか悪いのか、彼は同級生だ。
見目麗しい美人である。
男にしておくのは勿体ないほどの。

顔が……顔がいいんだよ!
それに白い肌に銀の髪が映えるし。
灰色の瞳は冷淡な性格が浮き上がったかのような冷ややかさ。

あー…これで女だったなら…………好みじゃなかったな。
楚々とした美人ならともかく、奴は天性の支配者気質だから。
あの性格で女ってのはきつすぎる。
ほら、女の子ってのはもうちょっと母性ってものがなくちゃあな。

あ、やべぇ。俺ってこいつの男の顔が好きなわけ?
変人じゃーん(敢えて変態とは言わない)。


そんなことを考えながら、今日も手で髪を梳く。
掌の中でさらさらと落ちてゆく銀糸。
自分の固い赤毛とは大違いだ。
むしろ本当に同じ人類なのかいね? (この場合エイリアンは無論奴の方だ。俺は極めて標準的な英国民だからな)
と、そばかすの浮き出た鼻先をこすりながら、埒もない空想。


ベッドの上で胡座をかいていたアーサー・ウィーズリーは、膝の上に頭を載せて眠るルシウスをげんなりした様子で見下ろした。
五年になって、二人とも監督生で、一人部屋を手に入れたわけだが(もっともルシウスは以前から個室を持っていた。そこらへんはスリザリンの秘密v らしい)、時にこの個人空間が憎らしくなる。
ルシウスは、他に人がいるところでは絶対に眠ったりはしない。

なんで寝るんだよ、なんで!
俺が来ているのにさ!

と心の中で叫んでみても口には出せない小心者。
「だったら来るな」と言われるのがオチだ。
うん…本当に来る理由無いしな。
呼ばれたわけでもないし。
ただ今日の昼間、廊下で擦れ違ったとき、奴の目が「今夜は来てもいい」と言っていたから。

…来ちゃう俺も俺だけどさ〜。
なんつーか、折角特権を持っているのならば、使わなきゃ損なわけで。
その特権というのは「ルシウス・マルフォイに気に入られる」というスリザリン生なら喉から手が何本だって出てしまうような素晴らしい権利、らしい。
俺は別にそうは思わないけど。(特に「素晴らしい」という点に疑問を感じる)


なんでか俺、気に入られてるんだよな。
どうやら初対面のあの一言を、彼はいたくお気に召したらしい。
はっきりいって、校内の生徒の中では誰より気に入られている自信がある。
こうして部屋にも入れて貰っているし、寝顔まで見られるんだから。

でもその好意は気まぐれで、確かと言えるようなものじゃない。
子供が玩具で遊んでいるのと同じだ。
彼の好意なんて、掴もうとすればスカッと手が宙を掻く。
霞のような。
見えるけれど触れられない幻。

だからこそ、その好意を得るのに必死で足掻いてしまうスリザリンの連中がいるわけだが。(あれ絶対確信犯だよな。質悪ぃ)。

でも俺は―――。
そんなものを掴みたいとは思えない。
大体にして、これは暇つぶしなのだ。
マルフォイ家の御当主が、このホグワーツにいる間だけ示す戯れ。
本気になるなんてバカだ。


でも俺もそのバカの一人かもしれん。


のこのこ出て来ちゃあ、枕にされているわけだからな。
何考えてるんだか。俺もこいつも。
遊びに付き合う俺も俺だが、寝こけているこいつもこいつじゃないか。
そもそも俺は、スリザリンの下僕どもとは違うんだぞ?
むしろマルフォイ家の次期当主なんて、仮想敵に他ならない。
マルフォイ一族といえば、純血主義を提唱する著名な旧家の一つだし、俺ん家だって純血で有名だけどどっちかってゆーと敵対関係にあるわけで。

…今、ここで殺してしまえば。

時代認識が百年ほど古いが、そーゆーのは実際よくあったことなのだ。
要人の、留学先での暗殺。

殺してしまえば、如何に世界は安全だろう。

――なのに無防備な姿を晒して。





「あんた、俺が無害だとでも思ってんの?」




言って、上からそっと頬に触れる。低温の肌。
すうっとこする指に、あるはずのない手が重なった。

「…起きた?」

いや、この反応は。

「起きてた?」

手を繋いだまま彼は起きあがり、髪が流れる背中をアーサーは見つめた。
「なんで寝たふりなんか」
「ふりなどしていない。目を閉じていただけなのをお前が勝手に取り違えたんだろう?」
「うっ」

確かにそうだけど。
なんか腹が立つ―――でも反論できないのは俺が情けないからですか?

頭を掻きつつ、折っていた足を広げる。
ふと顔を上げると、ルシウスの背中は明らかに笑っていた。

「おい…」
「なんだ?」
「笑うことないだろ」
「笑い事だよ」

ルシウスはゆっくりと振り返って、気怠げに、口元をつり上げる。

「私を殺すか? アーサー」

ボーイソプラノから変声した、それでも澄んだ響き。

「…してほしい?」
「お前がそうしたいなら」
「なにそれ」


アーサーはシーツの上を移動し、ルシウスににじり寄る。
背後から肩を掴んで引き寄せると、彼は抗わずそのまま体を預けた。

「ちょ…この体勢苦しいんですけど」
「そうか?」

意に介されない。
くっそ。顎を掴んで振り向かせてやろうか。

思わず手を伸ばして、中指の先が耳に触れて。
ぴくっと動きが止まる。

「何を怯えている」
「いや、そーゆーんじゃなくて」
「ふむ? 本気かと思ったんだが」

ルシウスは瞬きすると、先刻の問いを繰り返した。


「私を殺すのかと」
「なんでそうなるよ。俺が無害じゃないって言ったから?」
「どうでもいいのだよアーサー。どちらでも」
「痛っ」

指で鼻先を弾かれ、アーサーは顔をしかめる。
「お前の意見など聞く気はない。ただ…ウィーズリーの長男となら、私は等価だろう?」
「相変わらずの純血主義だな。あんたを殺して俺がアズカバンへ行きゃそれで釣り合いがとれるってか? 生憎だが、ルシウス―――うちは多産系だ!」

叫んだアーサーに、一瞬ルシウスは呆けた顔を作り。
次の瞬間に、盛大に吹き出した。

「ははははははっ」
「な、なんだよ。本当のことだぞ? マルフォイの一人とうちの一人じゃ、相対価値がだなぁ」

「アーサー。私はな、私とお前が等価値だと言ったんだよ」
「んん?」
「わからんのならいい。ま、私の意志などお前には関係ないんだ。好きにしろ」

ひらひらと手を振って、目を閉じる。


なんだよそれ。
関係ないってか?


『お前の意見を私は聞かない』
『私の意志などお前には関係ない』


苛つきながらセリフを反芻して。
手はやっぱり銀の髪を撫で。


『好きにしろ』





アーサーは突然がばっと顔を上げると、両肩を掴んでルシウスの体を引き剥がした。
「痛い」
「あ…いやそのっ…」
狼狽しながら手を離す。
「その…」

声はみっともないほどに震えていた。

「さっきの、あれって」
「うん?」
「す、好きにしていいってこと?」

対してルシウスは冷ややかな視線を投げかけ、そっぽを向いた。
「まったく」


「情けない男だよ、お前は」



不機嫌は肯定を意味していて。
アーサーは、おそるおそる首筋に手を伸ばした。

「じゃあ」

キスしていい?

尋ねる前に、ジロッと眉間に皺を寄せたルシウスがこちらを睨んだ。
「一々許可を求めるな馬鹿」と、目が凄んでいる。

うわ、閣下がお怒りだよ。

アーサーは慌てて口を閉じ、早鐘のように鳴る心臓を確認しつつ、初めて口付けた。








やば。


唇を開かれながら、それでも抵抗はしないルシウス。
深く貪りながら、アーサーは堪らず、目を開いた。


がっついてるよ、俺。


夢中になりすぎてしまう前に、意識の拡散。
開いた目に、銀色の長い睫毛が映る。
内側にあるはずの瞳は、濡れているのだろうか?

















今この目が開いたら、きっと自分は死んでしまう。

そう思った。