『恒常』
「煮詰まってんなぁ、ジェームズ」
「呪文学」のレポートを肘の下に敷きながら、眉間に皺を三つも四つも作ってうんうん唸っている親友に、シリウスは話しかけた。
彼は今、羊皮紙三枚の提出課題のうち半分――つまり1.5枚分まで書き終えて一段落付いたところだった。
「う”〜」
しかしジェームズは、頭を抱えたまま唸り声を出しただけ。
はっきり言って、彼にしては尋常ではないほどの悩み具合だ。
「おい…そんなに難しいかよ、このレポート。オレなんて、かなり適当に話進めてるぜ」
「いや、レポートはもう終わった」
渋い顔のままあっさりと告げるジェームズ。
「はぁ!?」
驚いて彼の手元を見れば、なるほど既に「参考文献」まできちんと明記してある(どうせ読んでない本の二、三冊は混じっているのだろうが)。
「終わったんなら早く言え。そして見せろ」
「いいけどー。それ、僕独自の理論展開だから、見ても参考にはならんよ」
「気分の問題だ。気分の」
毒づきながらシリウスは、ジェームズの下から羊皮紙を引っ張り出す。
びっしり書き込まれたレポートを眺め、シリウスは頭を掻いた。
「よく書けてるなー、いつもながら。…で、何をそんなに悩んでんだ?」
「レポートとは無関係」
ジェームズはひらひらと片手を振る。
「言えないような話?」
「…いや、むしろ聞いてほしいんだけど」
「ほーお、言ってみろよ」
「でもねぇ」
「いいからさ。目の前でずっと唸られてたらオレの課題も進まないっての」
「んじゃ、聞いて貰うけど―――」
ジェームズは、がばっと顔を上げると両手でひょいと机上に物を置く仕草をした。
「仮に、ここに一人の人間がいるとする」
随分大雑把な仮定である。
「そいつはかなり性格が悪い。むかつく。むしろ張り倒してやりたい」
「………それってス」
「張り倒したいほど! 僕は嫌いなんだよ。………………と仮定する」
ジェームズの剣幕に押されて、彼は言いかけた単語を引っ込める。
「なのにさ、時に『それでこそ!』と思っちゃうんだ」
「…はぁ」
よく分からないが、とりあえず頷いてみたり。
「だからさー。なんつーか、あの顔そのものがイヤなんだよね。顔合わすだけで今までの諸々の恨み辛みがこんこんともう湧水のように〜」
「わかるわかる。スネ」
「出て来やがるんだよ! そのとある人物を見ると! ………と仮定してだね」
あくまで仮名で行く気か…?
バレバレなんだって、とシリウスは呟く。
「…でも、その顔が時に懐かしいというか、安心するというか」
「うん?」
「うまく言えないけど、なんかねー、時に「悪くないんじゃない?」とか思ってるわけ」
「………そりゃあ、人間欠点だけで出来てるわけじゃないし。たまにはいい奴とか思わせることもするんじゃあ?」
「違うって」
ジェームズは首を振る。
「同じなんだ。いつもと同じむかつく仕草。――フンと鼻を鳴らして冷笑」
「蹴りを入れたくなるな」
「そう―――だけど。そこに微少にして最大の差がある。ス…そいつの鼻先を掠めて足を振り上げ、踵落としを喰らわせるとき、不快な気分でやるか、うきうきしながらやるかという…」
「………ちょい待ち、全然わかんねえ」
シリウスはあまりにも真剣に解説するジェームズにやや面食らっていた。
「だから〜」
ジェスチャーを交えて、さらに彼は言葉を加える。
「むこうの反応はいつもと同じなのに、僕の反応が違ってくるの! おなじ「むかつく」動作なのに、「消す!」って思うときと「よっしゃ、来い!」って思うときと……いまは半々くらいかな」
「なにそれ」
「だから、悩んでるんだって。これって一体何〜?」
リーマスがこの場にいれば即断即決してくれただろう悩みだが、あいにくとシリウスはこの方面に関しては全くと言っていいほど才能がなかった。
即ち、人間心理に関する諸々の。
「もーダメ。課題の出来も悪い。これじゃ200点狙えん」
「お前、いっぺん死んでこい」
机に突っ伏して嘆くジェームズの頭に辞書を落とす。
あう、と短い悲鳴。
そして地を這うような絶望を込めた呟き。
「死んで生まれ変わりたい……なんでこう、日がな一日奴のことばっか考えてるんだか、僕は僕の気が知れないよ…」
うわ、かなりヤバイ。踏み外す一歩手前って感じ。
かつて今までにこれほど鬱屈したジェームズを見たことがあっただろうか…? (結構ある。その九割九分九厘がスネイプ関連)
危機感を感じて(=壊れたジェームズほど手に負えないものはない)、シリウスは敢えて笑い飛ばす方を選んだ。
彼にしては最良の選択である。
「んなことで悩んでないで、その「むかつく奴」とやらを吹っ飛ばす計画でも立てたらどうだ。ほら、元凶が消えれば世界は万事平和だぞ」
悩みを解決するより、端から無かったことにするというこの上なくシリウスらしい提案。
そしてジェームズはそれに乗った。
彼としても、これ以上原因も結果もよく分からない悩みに時間をとられたくなかったのだ。
急に表情を改め、それこそ本当に地獄の底から舞い戻ったかのように笑う。
「そっか。…そうだねー。やっぱ、へこんだ気分でいると健康にも良くないしね! よっし、あいつに仕掛ける悪戯の計画でも立てようか―――って、まだレポートなんてやってんの、シリウス。そんなのちゃっちゃと終わらせちゃいなよ〜」
「オメーの話に付き合ってたんだろうがっ!」
このように、ホグワーツの一日は過ぎていくのだった。