職員室事情2.6 『決闘クラブ』


「あら。クラブ活動ですか?」
「そうなのです。ミス・マクゴナガル」
職員室のボスことミネルバ・マクゴナガルは、机の前に立って腕を広げる自己主張の激しい男を胡乱な目つきで見上げていた。


朝の職員室には、日課の打ち合わせのためにほぼ全ての教師が出揃うことになっている。
超マイペースの占い学教師ミス・トレローニーなどは大概不在だったが、彼女は不在でしかるべき、というのがほぼ全職員に共通する意見だった。
もう一人、不在であって欲しいと皆が考えてる教師が、現在ミス・マクゴナガルと向かい合っている彼、ギルデロイ・ロックハートである。
このホグワーツで教師がやれるくらいだから、職員室にいるそれぞれもかなり癖がある人々だった。
その彼らをして「あいつはいらない」という意見の一致を引き出させたのは、彼が初めてだろう。
ある意味、ホグワーツの歴史に残る教師である。


「わたくしが考えますに、やはりこの学校には決闘クラブが不可欠なのですよ。小さなもので結構ですがね。
これから優秀は魔法使いになるみなさんは、早いうちから本物を見ておく必要があるでしょう。そう、例えば私のような優秀な魔法使いの――」
「お待ちくださいロックハート。あなたの提案を実行するには校長の許可が要りますわ」
「ご心配なく!」
ロックハートは高々と手を挙げると、大袈裟に感動の意を表した。
「ダンブルドア校長からは昨日のうちに許可を頂きました。校長は私の崇高な理念を理解してくださいまして、励ましのお言葉まで頂きましたとも。
「結果を期待している」とですね、私の肩を叩かれたのです。素晴らしいことです、素晴らしい――」

その時、座っているミス・マクゴナガルの額に一本青筋が浮かんだのを近くの席に座る教師は見てしまった。
「またあの校長は」とか「どうせ面白がっているのでしょうねアルバス」とか、声に出さずとも口が動くのが見え、彼は思わず目をつぶる。
何かと忙しい校長に代わって、職員の間で絶対権力を打ち立てているのが彼女であった。
ちなみに校長については、『命に関わること以外には結構杜撰』というところに一同の評価は落ち着いている。

「それでは、今晩開催するのですね?」
「えぇ、今夜八時と決めたいと思います。この八時という時間はですね、私にとってはとても意味のあるものでして。詳しくは「鬼婆とのオツな休暇」に書いたのですが〜」
教師達は、うんざりしながら長話が終わるのを待つ。
「そうそう、早速素晴らしいこのクラブのことを生徒達に知らせなくてはね。あぁスプラウト先生、告知のポスターは写真入りでなくても結構ですからね」
にかっと笑いかけられたミス・スプラウトは「どうしてわたしが?」と問い返した。
その表情には「冗談じゃない」という意志が明確に宿っていたのだが、ロックハートは気が付かない。

「あー、ロックハート先生。少しよろしいかしら?」
副校長が口を挟んだ。
「決闘クラブを行うのは、まぁ、よろしいでしょう。あなたが模範を見せてくださるというのなら、それも生徒達の糧になりますしね。しかし、決闘というものは一人では出来ませんわ」
にっこりと彼女は笑った。
「おぉ。私としたことが、失念しておりました!」
目眩を押さえるようにロックハートは額に手を当てた。
「では、この話は後日ということで」
「いえ――いえ、ミス・マクゴナガル。問題はございません。模範演技といっても短いものです。危険はありません――であるからして、ここにいる皆様がご協力くださるはずです」
言って、ロックハートは勢いよく振り返った。
彼の視界にホグワーツの全職員が映る。
そしてそのほぼ全てが引きつった顔で彼を睨み付けていた。
「ふざけるな」とか「気は確かか、あの若者は」といった囁きが皆の間を飛び交う。

「いえいえ皆様。遠慮なさることはありません。私は勿論、加減というものを心得ております。決して明日の授業に出られないなどということはありませんよ?」
ロックハートがにこにこと、(皆が自分に遠慮していると思って)笑っているその後ろで、副校長が大きく溜息を付くのを一同は見た。
あれは、諦めの溜息だ。
ということは、この中の誰かが犠牲にならなければならないのだ。
その時の皆の心境といったら、「猫の首に鈴を付けに行く役は?」というよりも、「人身御供は誰だ!?」というレベルに到達していた。

かなり長い沈黙。
このままでは一時限目に全ての教師が遅刻することになる。
それを恐れてか、誰かがおずおずとか細い声を上げた。
「確か――フリットウィック先生は、若い頃決闘チャンピオンだったとか――」
ロックハートが「おぉ」と言い、ミスター・フリットウィックが「しかし!」と言う声が同時に重なった。
「やっていただけますか。決闘チャンピオンが私の模範演技に出演! 大変光栄ですとも」
「いや――いや、待ってください。ギルデロイ殿」
彼は慌てて首を振る。
「それは昔の話です、昔の。それに――うむ、決闘というのは若い者がすることですよ。同性同士が基本ですな。できれば実力の拮抗した――」
男性…同年代…若者…。
その声に、何人かの視線が宙を泳いで一人の人物に集中した。
彼は先刻からロックハートの話など全く耳に入れずに、手元の資料を読んでいたのだが。
一人二人と、やがて職員室中の視線が注がれるにいたって、その異様な雰囲気にハッと顔を上げた。

「決まりですわね」
そこに、マクゴナガル副校長の鶴の一声。
「我輩が!? 何故ですっ」
「ミスター・スネイプですか。魔法薬の先生は決闘の作法についてどの程度ご存じなのでしょう?」
余裕たっぷりに笑いかけるロックハートに、スネイプは冷ややかに視線を投げた。
「我輩は決闘については僅かに存じているのみですがね」
わずかに、という部分を彼は強調した。
「しかし、副校長。我輩が決闘クラブに参加? 馬鹿げたことです」
「セブルス。貴方ならやれますよ」
「そう言われましても――」
「貴方がやると、今、私が決めたのです」
にっこり笑って威圧されては、スネイプは黙るしかない。
何しろ相手は延々数十年も教師をやっている強者なのだ。
苦い顔で次の言葉を探すスネイプに、ロックハートが近付いてくる。
「そう恐れずともよいのですよ、スネイプ先生。私は正しい決闘を心得ております。正しい決闘とは、決して相手を再起不能にしたりはしないものなのですよ」
「貴様に決闘について講釈される覚えはない!」
「あぁ、ロックハート先生。スネイプ先生は快諾してくださるそうですわ」
「ミネルバ!」

叫んで立ち上がったスネイプを制止したのはミス・マクゴナガルでもロックハートでもなかった。
「私も賛成です」と口々に上がる教職員達の声。
「そう、ミスター・スネイプなら決闘についてはよくご存じだ」
「適任ですね」
「ええ、私もそう思っていました。彼が相応しいわ」

…てめぇら、他人事だと思って。

とスネイプが心の中で呪ったかはわからないが、ここに本日のギルデロイ・ロックハートの犠牲者は決定した。

セブルス・スネイプ33歳。
職員室での人望の無さが露呈した瞬間であった。




「では、私は準備がありますので。舞台のデザインを考えなければなりませんしね。無論質素なもので結構です。ああでも、ベースは金色がよいと思うのですよ。
何しろ生徒達が一生心に刻むことになる夜ですからね!」
と、浮かれ調子でロックハートが出て行くと、職員室は一斉に安堵の溜息に包まれた。
一人、スネイプだけが立ったまま唇を噛み締めている。

「…お恨み申し上げますぞ。ミネルバ」
苛つきを押さえきれず、彼は正面に向き直った。
「まぁまぁ、セブルス」
彼女はパンと両手を合わせる。
「私は貴方を信じていますよ。貴方なら彼にも引けを取らないと」
「心外ですな。引けを取るですと? 我輩が? アレに?」
「ですから、貴方なら大丈夫だと言っているのですわ。そもそも、貴方は学生時代に豊富に決闘を経験しています。複数相手にね」
「――なるほど」
スネイプはわざと大仰な仕草で腕を組んだ。
「決闘ならば合法的に相手を葬り去れるというわけですな。いや、流石グリフィンドールの寮監殿。言うことが過激だ」
「セブルス。私は何も抹殺しろなどとは言っていませんよ。…ただ、我々教職員一同は、教え子である貴方を応援しているというわけなのです」

彼がここを卒業したのはたった十数年前、教師になったのはもっと最近である。
見回すと、いまさらながら職員の半数以上がスネイプにとっては恩師であることを思い知る。
職員室は、彼にとっては分が悪すぎる場所だった。
いつから「我輩」と言い始めたかも知っている連中の中では落ち着くことも出来なくて、普段は職員室にはあまり居着かず、交流ももたなかったツケが回ってきたということか。

「残念ながら、ホグワーツは縦社会。こーゆーことは新米の貴方の担当です」
最後にぴしゃりとそう言われては、もはや反論の余地はなかった。
承知しました、と言い置いてスネイプは部屋を出ていく。
その背後には、不快とかストレスと形容するのだろう黒いオーラが漂っていた。




「それでは皆様。そういうことになりました」
副校長の締めの言葉で、朝会は終了した。

「保健室のベッドを一人分予約しておくべきでしょうなぁ」
「教育上よくないものを生徒が見ることになりはしないでしょうか?」
「彼は手加減というものをした試しがありませんからねえ」

雑談を交わしながらも、一時限目の準備へと動き出す教師陣。
その中で、それまで自分には無関係とだんまりを決め込んでいたゴーストの魔法史教師、ミスター・ビンズがぼそっと呟いた。
「そういえば、ロックハート先生はご存じないのですな」
ふぅむ、と透明な顎をなでる。

「ミスター・ジェムとミスター・スナイフ以下数名がホグワーツに残した輝かしい死闘の歴史。知っていましたら、彼を相手に決闘などとは考えますまいに」