『憧憬』


「あれはやりすぎだったな」

スリザリンの監督生、名門出身、一つ一つの動作にまで持ち前の気品が滲み出る、完璧な上級生。
――であるところの、ルシウス・マルフォイに呼び止められたセブルスは、思わず呼吸が止まった。

誰にも言ったことはないし、本人とも直接話をしたことはない。
他のスリザリン生のように積極的に側に行こうとしたこともない。
けれど、憧れの人だったのだ。
スリザリンの寮歌はまるでこの人のためにあるようで。
…そのルシウスに話しかけられて、感動で息が止まったかというとそうではない。

第一、告げられた台詞が既にまずいではないか。
「やりすぎだったな」と。
明らかに、褒められてはいない。

けれども物も言えず硬直したのは、「あれってどれのことですか?」と瞬時に思い詰まった自分がいたからだ。
恥ずかしいことに、思い当たる節がありすぎた。

セブルスとポッター一味との諍いでスリザリン寮全体に被害が及んだことは少なくない。(逆もまた然り)
勿論それは「グリフィンドールの仕業」ということで皆の反獅子感情を刺激する材料にされていたのだが、やはり突き詰めた原因は自分にあるわけで。
あまりにも二寮間の関係が悪化すると、監督生同士の話し合いで手打ちが行われることもある。
ということは、自分はこの先輩に、知らず知らずかなり迷惑を掛けてきたのではないだろうか…。

怒られることよりも、不快に思われているということそのものにセブルスは怯えた。

「…すみません」
「謝るということは、己の非を認めるという事かな」
「原因の一つではあると思っています」
断じて開き直ったのではない。
けれど、ここできっぱりと自分を主張できないようでは、セブルス・スネイプの名に恥じる。
決して間違ったことをしてきたと思っているわけではないのだから。

ルシウスはスリザリン寮の入り口近くの壁に寄りかかっていた。
彼は、熱のない瞳の中央に中背の下級生を見据えて問う。

「君は、スリザリンであることに誇りを持っているかね?」
「当然です」
即答するセブルス。
「ふむ」
ルシウスは一度瞬きし、いくらか質問の傾向を変えた。
「君は、スリザリンが好きかね?」

好き?
好きということはどういうことだろう?
質問の意図を考えながらも、思ったままを口にした。

「…私はこの学校が好きです。学びたいという気持ちを満たしてくれる。そして嫌いです。ここには子供が子供であることを良しとする空気がある。彼らには、覚悟が足りない」
だから、それがあるスリザリンが好きです、と。

彼らというのがどの種の人々を差しているのかは告げなかった。
だがおそらく伝わったのだろう。
ルシウスは深く頷いたのだから。

「なるほど」

………わ。
セブルスは初めて、この上級生が笑うのを見た。
冷たい目元と端正な口元を緩めて微笑する様に、知らず顔が赤くなる。

「我々は大人ではないが、子供であるということに甘えてはいけない。――すると、君の言うスリザリンの誇りとは、孤立を恐れない強さであり、対立を怯まない覚悟、ということかな?」

そこまでは、考えていなかったかもしれないけれど。
まるでルシウスは、はっきり見えなかった自分の気持ちを代弁してくれたようだった。
…それとも、それは彼自身の思っていることだったのだろうか?


「合格」
と一言言われて、セブルスははっと我に返る。
「え?」
合格、というのは?

一体なんですか? と顔に書いてあるだろうセブルスを見て、ルシウスはすっとその手を伸ばした。
ぽん、と頭に手を落とされる。
……身長差、かなりあるからな…。

「ポッター達とはほどほどにやり合うことだ。あれらは毒でもあり薬でもある」
そう言って通り過ぎようとする相手に、セブルスは慌てて振り返った。

「あの。先輩は、もしかして」
空気の固まりを飲み込む。
「もしかして、グリフィンドールを評価しているのですか…?」

いや、そんなことは一言も言っていない。
けれど、そう聞こえたのだ。

「違うな」
あくまで淡泊に、よどみのない流れるような声で彼は告げる。

「あの場違いなまでの正義感を振りかざす様は大変不快だ、いざとなれば保身に走るくせにな。…だが、稀にそれを貫き通そうとする輩がいるだろう?」

君なら思い当たる名もあるはずだ、と目で語る。

「すると、見てみたくなる。どこまで意地を通せるか。世界は甘くない。それでも我を張り撤回しない姿には、いっそ興味が湧く。――そう、私はグリフィンドールに興味があるのだな」


ああやはり憧れる。
こんな風に、一段高い位置から自分を見下ろせる人に。
まるで眩しい銀色の月を見上げるように、セブルスは自嘲気味に笑うその人を見つめた。



「何かあったら私を頼るように」

そう言い残して、ルシウスは背を向けた。
グリフィンドールの誰かが聞けば「何それ。命令?」という風に顔をしかめたことだろう。
けれども、セブルスにはそうは聞こえなかった。

「お言葉謹んで」

深々と頭を下げている間に、相手はもういなくなっていた。
何て人だ、と思う。

釘を差された、と同時に自分を評価してくれた。
「頼るように」という言葉は「私の責任に於いて君の行動の結果を引き受けよう」という意味に相違なく。
だからこそ、迂闊な真似は出来なくなった。
スリザリンの名に恥じぬ行動を、と言外に宣告していった。


――だからあの人がスリザリンの監督生なのだ。


奇妙な満足感と誇らしさを感じながら、セブルスは寮の入り口で合い言葉を唱えた。