『自己完結』


「やっとこれで見納めか」
荷作りをしているルーピンの部屋に珍しくもスネイプが訪れたのは、シリウス・ブラック逃走事件の興奮冷めやらぬ朝のことだった。
「寂しいことを言うね」
荷造りといっても、ほとんど私物を持たないルーピンにとってはたいした労働ではない。
適当にものを詰め込んだトランクに寄りかかり、部屋の入り口からそれ以上足を踏み入れようとしないスネイプを見つめ返した。

「僕はもっとこの学校にいたかった」
「自分にその資格があるとでも?」
「あぁ…ないね。それはわかってる。それでもここにいたいと思う気持ちは変わらない。君だってそうなんだろう? このホグワーツを愛しているから似合わない教師なんてこと、やってるんだ」
「おかしな表現を使うな。そもそもスパイが追い出されるのは当然の措置だ。何故もっと早くこうしなかったのか。あの爺さんの意見を尊重してみればこのザマだ」
「シリウスは無実だよ。僕もね。そしてピーターが有罪だった」
「誰がそれを信じる?」
「少なくとも、僕たちはそれが真実だと知っている」
「だからお前たちは馬鹿だというんだ」
スネイプは怒ったように一度舌打ちした。
「自分だけは知っている。自分だけの真実がある。…そんなものがなんの役に立つという? 必要なのは、公衆を納得させるだけの証拠であり、信じさせるだけ説得力のある事実だ。自分だけが抱えた真実など、真実といえるのか?」
「…セブルス。怒ってくれるの? 僕らのために」
「違う。お前たちのせいで怒っているんだ」


「―――僕は、この一年君を見てきて、気づいたことがある」
ルーピンは唐突に話題を変えた。腕を組み、やさしく微笑む。
「君、ジェームズとリリーが死んだこと、信じてないでしょ」
すっと、組んだ腕の指の先でセブルスを指差す。
「13年前、あの二人は死んだ。それは変わらない事実だ」
「そうなんだけどさ。君が事実を間違って認識してるなんて言わないよ。でも、君はどこかで別の事実も信じてる」
「何の話だ」
「たとえば―――もし今この部屋に、ジェームズとリリーとシリウスとピーターが飛び込んできても、君はうるさいと顔をしかめるだけ。違う?」
「………」
「君の中でジェームズは死んでない。どこかにいて、今会えないだけなんだ」
「そんなことはありえない」
「そう。ありえない。君はそうわかっているくせに、それでもジェームズとリリーは生きているはずだと思ってる。…理屈じゃないんだ」


「……」
しばらく眉間のしわを深くしていたスネイプは、やがて呆れたようにため息をついた。
「お前の勝ちだな、ルーピン。相も変わらず食えない奴だ」
「光栄だよ」
「確かに、我輩はどこかで、この現実とは別に真実があると思う。が、それは我輩だけの世界だ。そこでは、あの騒がしい馬鹿はいつもどおり騒がしいままなんだ。だが、」
緩やかに、首が横に振られる。
「自己完結などなんの意味もない。自分の世界などなんの足しにもなりはしない。現実は空想とは別のものだ。事実、ポッターは死んでブラックはアズカバン送り。番狂わせもいいところだな」
「―――けれど君はそれでも、自分の中に真実を抱えているだろう?」
「そうだ。そしてそれが何の毒にも薬にもならない無駄なものだとわかっている」
「わかっていても、それでも捨てない」
「捨てられないさ。とても」


二人はただ、互いの目を見つめたままに沈黙した。


「僕、ヒマになったし。これからジェームズ達に会ってくるよ。なにか伝言ある?」
「…息災で、と」
「うん、必ず伝えるから」



部屋を出ようとした矢先、ルーピンはスネイプを呼び止めた。

「セブルス。君の世界で僕はどうなってる?」
「……」
スネイプは億劫そうに振り返ると、重い口を開いた。
「お前は友人を裏切ったり闇の手先になったりしない奴だ。…現実はどうだか知らないが」

挨拶もなしに、そのまま彼は扉の外に消えた。


「ありがとう」


その呟きは誰にも拾われなかった。