『啓示』


朝起きたら、隣に寝ているのはシリウスではなく、赤毛でそばかすの知らない男の子だった。
「てゆーか、誰?」
呟くと、相手は眠そうに目をこすりながら僕を見る。
「ハリー、朝からうるさいよ」
「はりー?」
思わず自分を指さす。
「ハリー、寝ぼけてんの?」
「いや…僕はジェームズだけど」
むしろ彼は誰だ。グリフィンドールで僕の知らない人間はいないと思うんだけどな。
「ハリー? 君がお父さんを尊敬してるのはわかるけど、本人の真似をすることもないんじゃない?」
「お父さん!?」
思わず自分を指さしてしまう。
「は、ハリー…本格的にどうしちゃったの?」
「いや、僕冗談は好きだけど、そういうドッキリは好きじゃないな〜。で、シリウスはどこ?」
「シリウスって…シリウス・ブラックのことかい!?」
「うん。そのシリウス・ブラック。猪突猛進のお調子者」
「は…ねぇ、誰か。ハリーを早く保健室に連れて行かなくちゃ!」
「だから僕は〜違うって」
と、言いかけてふと壁に掛かった鏡が目に入った。
確かに自分なのに、どこか違和感のある姿。
「緑…?」
目の色が僕じゃないのだ。
「え!? 僕ってハリーってやつなの?」
「奴じゃないよ。どう見たってハリーだよ」
「君は?」
「ロンだけど…ねぇ、ハリー、僕保健室に送ってくよ。支度しよう」
「あ…ロン君ね」
どうやらこの場にいるべきでないのは僕の方らしい。
あーでも、こーゆー時でも授業はあるんだな〜。容赦ないなぁ。
ロンという少年に引きずられながら、僕はグリフィンドール寮を後にした。


「保健室はわかるよね?」
「そりゃ、当然だよ。ホグワーツは僕の母校だぞ」
「その強気な発言…ハリーっぽくないよ」
だからそれも当然で、僕はジェームズなんだからさ。
でも、今の僕に必要なのはマダム・ポンフリーよりもダンブルドアだよな。この状況じゃ。
「じゃあ、僕は一時限目に行くから。ルーピン先生は、話せば分かってくれる人だしね」
「ルーピン? ルーピンってリーマスのこと!?」
「う。うん…」
うお、押され気味だね、ロン君。
しかし、この程度で押されてちゃ弱肉強食のホグワーツで生き残れないよ(とりあえず僕の世代なら)。
「行く。僕でるよ。えーと一時限目は〜」
「闇の魔法に対する防衛術だけど…」
「ははぁ。なるほど。リーマス向きの科目だね。そっか〜、リーマスってボグワーツで先生になったんだ〜」
「ハリー…」
う…涙目だよ彼…。
「ごめん、ロン。ちょっとふざけてみただけなんだ。さ、行こう!」
とりあえず、状況はさておき、面白そうなのでハリーとして振る舞ってみるのも悪くないな、と僕は思ったわけだ。


「ハリー? なんだか今日はご機嫌だね」
闇の魔術に対する防衛術の授業を無事(なんとか)受けきったジェームズに対して、ルーピンはにこやかに話しかけた。
「うん、なんだかさー。嬉しくて」
「へぇ? 何かいいことがあったのかい?」
「君の教師姿が見られたよ、リーマス。なかなか似合ってる」
「え…?」
「ちょ…ハリー!」
ロンが慌てて僕の腕を引っ張る。
「まずいよ。いくらルーピン先生だってあんまりふざけると怒るよ」
「いや、リーマスは……怒ると怖い、か…」
溜息をついて、ジェームズは教室を後にする。
「ちょっとロン、ハリーってばどうしちゃったの?」
「ハーマイオニー…僕に聞かないでよ…」
友人二人も同時に、深く溜息をついた。


その後、友人であるハリーの様々な奇行(片っ端から教室を覗いたり、マルフォイに「ルシウスそっくり〜。でもあっちの方が陰険だ」と話しかけ大いに毒舌を振る舞ったり、そのついでにグラップとゴイルをのしちゃったり、歴代のクィディッチ優勝杯の棚から離れなかったり)に、ロンは盛大にストレスをため込んだのだった。


「な、なんとか五時限目…」
「いやぁ、学校って楽しいね〜」
「ハリー、約束だよ!? 授業が全部終わったら、保健室に行くって」
「あー、わかってるわかってる」
ポン、と肩を叩く友人に、ロンは「やっぱハリーじゃない…」と呟いたとか。
「それにしても、次の授業は気を付けてよ。ただでさえ今日の君は減点三昧なのに」
「え、この程度で減点多いって言えるわけ? ハリーって優秀なんだねえ」
「……頼むから。次はスネイプの授業なんだよ!?」
「スネイプ!!」
ジェームズは叫んだ。
「スネイプって、セブルス・スネイプ? 根暗で口の悪い、スリザリンの!?」
「そうだよ…。スリザリン寮監の」
「じゃあ次の授業は…魔法薬学だね」
うっわー。
物凄く変な事実を聞いてしまった。
「セブルスが教師!? よりによって!? 似合わね〜! 爆笑もの! シリウスに言いてぇ!」
盛大に笑う。
「……僕、もう何も考えないから」
「すっごく楽しみ。わ〜、吹き出さずにいられるかな?」
にこにこと笑いながら席に着くハリーに、ロンは諦観の表情で首を振った。


 * * *


スネイプは、今日も張り切って教室のドアを蹴り開けた。
三年生の魔法薬学は、スリザリンとグリフィンドールの合同授業。
前者に加点し、後者を減点するという行為が同時に出来る素晴らしい組み合わせだ。

「では、先日の復習を行う」
まだ教壇にも着かないうちに喋り始め、まずマルフォイを指名した。
「『眠り薬』から目を覚ますために必要な薬の成分は?」
もっとも簡単な問題を答えさせ、次々とスリザリンを指名する。
適度に加点した後、やや難しい応用の確認に入り、グリフィンドール生の指名を始める。
まずはハーマイオニー・グレンジャーに最も簡単な問題を(どちらにしろ正解されるから)。
そしてトリとして、ハリー・ポッターにもっとも難しい問題を。

「それでは最後に、ポッター。現在開発されている『覚醒薬』の種類と、その使用上の注意、またこれから研究されるべき効果について論じよ」
長い質問に生徒達がざわめく。
「うぇ、むりだよ」とか「先週そんな話してないじゃん」とか「これでグリフィンドールは減点確実だな」とか。
いつも通り一人の女生徒だけが勢いよく手を挙げる。
「ミス・グレンジャー。我輩はポッターを指名したのだがね。それとも、君には我輩の声は届かなかったのかね?」
スリザリンの生徒がどっと湧き、彼女は真っ赤になって手を引っ込める。
さて、
「ポッター。答えを考える時間は十分にあったな?」
首を動かし、指名した生徒を見る。
向こうはこちらを見上げていて、視線が衝突した。
とたん、背筋に寒いものが走る。
普段の押し黙った怒りを溜めている様子とは違い、ニヤニヤと笑いながら座っているハリーは、どっかの誰かそのもので。
強烈に脳裏に何かがフラッシュバックして、パチンと弾けた。
そして、その悪寒を裏付けるように、ハリーが笑った。

「いっやぁ。もうなんつーか、素敵? 最高っすよ。スネイプせ・ん・せ・い」
あーだめだ、笑っちゃう。
などと洩らしながら、彼は立ち上がった。
まるで上級生が下級生に講釈をたれるような態度で、あたり一同の生徒達を見回しながら彼は朗々と喋り始める。

「現在一般的に発売されている『覚醒薬』の種類は大別して二種類。一つは自然の眠りから意識を回復させるもの。もう一つは魔法、もしくは魔法薬によって引き起こされた意識の沈殿(眠り、気絶、全て含む)から意識を覚醒させるもの。前者は比較的効果の弱いクスリが多い。かといって、多用するのは人体に有害。使用上の注意をよく読んで、他の薬と併用することなく使いましょう。それから、後者はもっと劇薬だ。薬物に関する知識がない人間は取り扱ってはイケマセン。薬屋さんに行っても、ライセンスがない相手には売ってくれません。ホグワーツでも危険物に指定されていて、先生方以外は、特別許可の下りた生徒が教師の見守っているところでしか使っちゃダメってことになってます。でも、そこにいる魔法薬学の先生は、昔こっそり恩師の棚からその薬盗んでたけどね。えーと、これから開発されるべきは、いろいろあるけど、一番は副作用かな。結構強力な薬なんで、体の弱い人には無理に使っちゃいけないことになってる、けどむしろこの薬が使われるのって元気な人少ないんだよね。確か心臓が弱い人が発作を起こしたって症例があって―――」

「もういい、ポッター!」

呆気にとられていた生徒達は、その叫びで我に返った。
「あれ。まだまだ話は終わらないけど」
あっさりと、ハリーは肩をすくめる。
くそ、どこで勉強してきたんだこいつは。というか、
「今の回答に聞き捨てならない言葉も含まれていたのでね」
「あ。盗みの件? それに関しちゃお互い様だからね。それに、もう時効だろ? あれからもう十年以上経ってるんだろ? 君が教師やってるってことは」
その言葉を聞いたスネイプは、ぱくはくと口を空回りさせて、それからハリーを指さした。

「どこでそんな話を――」
「よくぞ聞いてくれました。実はー」
「ルーピン! あいつか!」
どん、と机に拳を打ち付ける。
「いや、セブルス…? 聞いてくれる?」
「教師の名を軽々しく呼ぶな!」
「でも教師だけど同期だし」
「何をわけのわからぬことを…」
思わず立ち上がりかけたスネイプに、慌ててロンが手を挙げる。

「先生! あの!」
「…………………なにかね、ウィーズリー」
「あ、ロン。別に邪魔しなくてもいいのに」
「あの…ハリーは朝から熱があるんです! そのせいでちょっと言動がおかしくて…その、自分でジェームズとか名乗ってみたり…」
「……………………」
その名前を耳が拒否するというように、スネイプは首を振った。
「ジェームズ?」
「そうだよ」
答えたハリーにスネイプはバン、と机上の日誌を投げつけた。
「グリフィンドール生の無礼な態度で20点減点!」
それをあっさり片手で受け取り、ハリーは逆の手で丸い眼鏡を押し上げる。
「乱暴だな〜もう」
言って、日誌を投げ返す。
それは綺麗に宙を舞って、教壇の上に着地した。
着席を命じられ、それに従う前、ハリーはぎりぎりに絞った音声で、呟いた。
「二年、夜の教室、ゴーストは誰?」
「………………な」
何か言いかけたスネイプだったが、大きく首を振り、教科書を開くことを命じる。
以降、彼は一度もハリーを指名しなかった。


 * * *


それは誰も知らない秘密のはずだった。
当のゴーストはもういないし、隣にいた男も死んだ。
だからそれは自分しか知らないはずなのに。
それともあの男は誰かに喋ったのだろうか。
学生時代のあの夜、自分たちが二人きりで、一人のゴーストと出会ったことを。
………いや、そんなはずはない。
確かに奴は信用できない相手ではあったが。
消えていくゴーストの最後の願い…彼女と交わした「誰にも言わない」という約束を破るような奴ではなかった。
だからそれは―――。



こんこん、とノックの音が聞こえたとき、自分らしくもなく体が震えた。
「入れ」
指示すると、生徒が一人ひょいと顔を出す。
「へへ、こんばんは〜」
物珍しそうにスネイプの私室を見回す少年に、スネイプは話しかけた。
「ゴーストの名は?」
「彼女の名は、言えない。言わない約束だから」
くそ。
スネイプは舌打ちする。
「貴様、ジェームズだな? 信じられんことに」
「だから、最初からそう言ってるじゃない」
「何故ここにいる。ハリーの体に入っているのか?」
「知らないよ〜。朝起きたらこの状況だったんだ。本当はすぐダンブルドアに相談しようと思ったんだけど、なんか面白くてさ。一日別世界を体験させてもらいました」
「……本物だな。ハリー・ポッターは間違ってもそのような話し方はしない。いったい何の魔法なんだか」
眉間に深く深く皺を刻んで、スネイプは吐息した。
「それよか、ハリー・ポッターって誰よ…って実は予想付いてるんだけどね」
「貴様の息子だよ。多少出来あがりは違っているが」
「だよねぇ。そっくりすぎ」
「それよりも――ジェームズ。お前は何歳のお前なんだ」
「あ、僕はホグワーツの五年生です。勿論君とのことだって全部覚えてるよ」
その言葉を、どこか遠い目でスネイプは受け取った。
「…でも正直僕が結婚してるって変な感じ。つーか、今の僕はどこで何してるの?」
「それは―――聞かない方がいいと思うぞ。将来何になるかなど、まだ知らない方がよかろう?」
「あ、そっか」
ジェームズは頭を掻く。
スネイプが知っている学生時代のジェームズそのままの仕草で。
それを見ている自分がどこか居たたまれない。

椅子を勧める前に彼は勝手に座り込み、部屋の内装を見回した。
「あいっかわらず陰気な部屋だねえ。君らしいや。あ、この部屋は茶菓子も出ないわけ?」
「……………変わらん…。ほんっとうに、変わっとらんよ、お前は」
複雑な表情で、スネイプは告げた。
ルーピンが勝手に置いていった菓子入りの缶を投げつける。
ジェームズは難なく受け取って、蓋を開けた。
「それにしても、君もリーマスも老けたねえ」
「当たり前だ。何年経ったと思っている」
「20年くらい? 想像も付かないな。みんな何してるんだろ」
「あまり考えない方がいいと思うが」
「なんでさ。興味あるよ」
「過去の人間が未来を知るのはよくない」
「ま、そりゃそうなんだけどさ。じゃあ何を話そっか」
「元に戻ることを考えろ。いつまでもそのままでは皆困るぞ。…大体、お前がそこにいるということはハリー・ポッターはどこに――ってまさか!?」
「まさか、昔の僕の体にいたりしないよねえ?」
「………一応記憶にはない、が」
「あはははは。だったらすごく面白い」
「笑い事ではない!」
「いや、むしろ笑い事だと思うけど」
口いっぱいに菓子をほおばりながらジェームズは言う。

「んでも、ハリーって僕とは随分違うんだね」
「誰かにばれたのか?」
「いや、むしろ誰も信じてくれなくて。あのロンって子、ハリーの友達?」
「ああ。それにミス・グレンジャーも」
「ははぁ。いじめがいあるでしょ、あの子達。あ、でも、あんまりやりすぎると、今の僕がホグワーツに乗り込むからね」
「あぁ」
「………上の空だね」
ジェームズはよく知っている同級生の老けた顔をのぞき込んだ。
彼はとても、疲れているように見えた。
「僕がいるから?」
「…正直、こんな悪夢はこれっきりであって欲しいな」
「ひどいなー。僕は楽しいのに」
「楽しいのはお前だけだ。私が保証する」
「―――わかったよ。明日、ダンブルドアに相談する。んで、元の時代に帰る。それでいいっしょ?」
「ああ」
返事も、やはりどこか上の空だった。



地下深くにある部屋を出て、ジェームズは薄明かりの帰り道に踏み出した。

「……………ジェームズ!」

遙か下から呼び止める声がする。
軽やかに階段を駆け上がる少年を。

「何?」

それはまるでホグワーツにしみこんだ過去の記憶が再現されているかのようで。
スネイプはその錯覚に目眩がした。

「お前は――…」

行くな、と。
言いたかった。
よっぽど言いたかったのに。

言えるわけがなかった。

「帰ったら真っ先に君に会いに行くよ! で、今とのギャップに大笑いするから!」

上空から声が降ってくる。
明るい、未来を信じる者の声だった。

「そうだな。そして過去の私に殴られるがいい」

だんだんと遠くなる声。足音。
もう願いは届かない。

「そうだな、ジェームズ」

スネイプは、一人ごちた。

今お前が現れたのは、私への啓示かもしれない。
ホグワーツに潜むシリウス・ブラック。そして奴と通じているリーマス・J・ルーピン。
お前を裏切った友人達にその償いをさせてやるよ。



必ず。


 * * *



朝起きたら、隣に寝ているのは赤毛でそばかすの知らない男の子ではなく、やぱりシリウスだった。
「え…夢オチ?」
それを確認するために、ジェームズは隣で爆睡しているシリウスを蹴り起こした。