冬の欧州旅日記(例)

 

 一月下旬、 東京→パリ

 これから旅が始まる。 どんなに旅慣れていても 出発のときには独特の寂しさがある。 遠く、旅が長く なるとき程そうである。旅先で会った人達もみんな同じ様なことを言う。そこまでして何故人は旅をするのか、それは分からない。 しかし何かが旅に駆り立てるのだ。   

 そんなことを考えている間に列車は、成田空港に近づいてきた。 そして空港到着の案内がはいる、いよいよである。 とりあえず搭乗手続きのためホールへ向かう。 今回は夜便である。

 そのことがよりいっそう寂しさを漂わせる。 しかしそんな気分とは裏腹に飛行機は満席であり三列席の真ん中しか取れなかった。丁度、料金の変わり目だからしかたがない、二日後の便から料金が上がるのである。

  さて出国審査だ ここからさきはもう戻れない、 その後は搭乗までしばらく待つことなったが、、いよいよ 搭乗の時間がやってきた 機内に入ればそこは日本であって 日本ではないのだ。 ジェットエンジンの音が旅の始まりを告げているようである。飛行機が飛び立つのは、あっけないものであり、 すぐに外は漆黒の闇に閉ざされてしまった。 

単調だ。

しかしパリまでの約1万キロを14時間とは考えて見れば凄いものである。

"文明の利器" 人々はこの言葉を忘れてどの位立つのだろう。 そんな事はおかまいなしに軽い乱気流を何度もくぐりながら目的地に向かって黙々と飛び続ける そして、いよいよ到着のアナウンスが入る、”期待と不安” そんな言葉を一体どれほどの人が言ったであろうか。

町の明かりが見えるとすぐに着陸してしまった。

入国審査は極めて簡素なものだった これが"EU"の統合をめざしたヨーロッパの国々の成果なのであろう 、 そして今回最初の訪問国フランスの土を踏むこととなった。

 


 とりあえずはパリのシャルル・ド・ゴール空港についたがまずは市街地にむかわなくてはならない 道路に出て右側通行であることで外国を実感する、外国では何もかも日本と逆なのである。 年月日もヨーロッパでは日月年の順番である 正確には日本の方が、全て逆なのである。 そのようなとこから日本の常識は世界の非常識と言うことをも実感するのだ。

 さて バスは凱旋門に到着する。 ここを中心にパリの町は広がるのだ。 まだ6時前なので空は暗いしかし完全に明るくなったのは9時頃であった。もともと北にある上に標準時の子午線よりかなり西にあるので当然と言えば当然だ。 世界的に有名な凱旋門も時間が早いのでだれもいない。

 この凱旋門はナポレオンの凱旋やナチスドイツの占領など数多くの歴史的事件を見つめてきた。 もっともヨーロッパの町の

殆どが歴史の生き証人ではあるが。

  この後は国鉄を使ってベルサイユ宮殿へ向かう。あまりただの観光地巡りの旅ではその国の本当の姿と言う物は分かるものではない。しかしここは見ておかなければならないだろう。  ここは朝一番に入ったので、じっくり見る事ができた。

 しかし、フランス革命の原因となったような建物なだけにかなりの豪華さである。 そしてヨーロッパの建物は皆そうだが、重厚さが日本でヨーロッパ風に作った建物とは違うのである。

 ベルサイユ宮殿の話に戻るが、この貴族の贅沢のし過ぎが民衆の不満をかい革命の原因にもなったものが、いまや観光地として経済の活性化に一役かっているのだから世の中とは皮肉なものだ。  

 このあとはすぐにパリの市街へ戻って宿探しである。 それにしてもパリの道は複雑で迷い易い ヨーロッパの町は外敵の侵入を防ぐための構造なのでどうしてもそうなってしまう。 目的の宿の住所は通りの名前しか分からなかったが、なんとか見つける事が出来た。これはいわゆる安宿である。一年で一番のシーズンオフに来たのだが結構混んでいた。 欧州の安宿と言うのは年中人が集まるものだ。

 そう、ヨーロッパの人はみんな豪華に暮らしている思うのはお子さまの発想である。 後進国の人々が盲目的に「日本人は金持ち」と思い込んでるのと同じ発想である。 実際のヨーロッパ人は実に合理的で質素である。 安宿に泊まって長い期間旅をする、というのはもともと欧州人の文化である。(一応説明)

 さて、なんとか自分のベッドは確保する事が出来た。 部屋に入ればあとは寝るだけである。考えてみれば飛行機から早朝に降り立ち荷物をもって夕方まで歩いていたわけで疲れるのは当然だ。 なによりも時差ボケも我慢していたのであるから・・・


 たまにはこういうの良いだろうけど、 こういう旅行記と単調な町案内だけのHPを作ってなんになるのだ?

つまらん! と言う内なる声からこのHPは今の形になりました。