ブダペスト(ハンガリー)〜クルージナポカ(ルーマニア)へ

これは1999年時の話です。 自伝風っていうか自伝だけど


冬のある日、ブタペスト東駅前のホテルにいた。これから列車でルーマニアに向かうのだ。

ルーマニアって結構最近まで独裁国家で1989年に革命が起きて、事実上の独裁者チャウシェスク大統領夫妻が公開処刑され自由化したあの国だ。 

今日は、朝9時の列車に、乗るため少し急がなくては、ならない。しかし駅は、目の前だから気楽なものだ。さっさと朝食を済ませ 8:20頃、ホームに付いたが、予定の番線にまだ、列車は、入って無いようだった・・・・と思ったら全然違う所に停まってた・・・予定通りやらんかい! そしてその列車を見て思った事。「これ本当に国際急行列車?」

 ブダペスト東駅(これは前の日の夕方)

 

その車両は 他の国際列車と比べて何か見窄らしい。どうやらルーマニア側の車両のようだった。しかも客車は、5両しかないが、行き先が、ルーマニアの地方都市じゃこんなものかと、納得してしまう。ちなみにドアは、手動なので油断すると落ちます!  

車内は(外観もそうだけど)いかにも東側の国っていう雰囲気だ(偏見?)。 先頭に、電気機関車が、連結されて発車の時刻となり2,3分遅れて静かに発車したのであった。 今日の目的地クルージナポカへは、16:38の到着予定で6時間38分の乗車となる。ここで 時間の計算が合わないじゃないか!と思うかもしれないが、ルーマニアは、標準時が1時間早い為、国境で1時間進むのだ(つまり1時間の時差)。なんだか1時間損した様な気分。

 列車は、15分程で田園地帯に入る。今日は、良く晴れ、積もった雪がまぶしい。列車もすいていてのどかな雰囲気だ(世界の車窓からそのままって感じだ)。 首都の駅からすぐに田園地帯になってしまうのは、日本以外では、結構普通の事である。日本は、人口が集中し過ぎているのだ。ハンガリー側最後の停車する都市になるデブレツェンで少し人が増え、半分位の乗車率で、国境の駅に向けて、走り出す。 ここでの国境駅は、ハンガリー側とルーマニア側の二つある。 そして列車をそれぞれに止めて、れぞれ出国と入国をしっかり確認するのだ。 この辺が、実に東側と言う感じはする。 西側では、国境駅は当然一つで、走っている列車の中でパスポートを見るだけと言うのがほとんどだ。北欧同士の場合など、国境なのに誰も現れなかった事もある。  列車がハンガリー側の駅に滑り込むとまずは、ハンガリー側の出国審査が始まる・・・と言ってもパスポートを見るだけで、特になにも質問もなくあっけなく終わり、しばらくすると列車は、ルーマニアの国境駅に向かって動きだした。 この二つ の駅の間に国境があるわけだが、ずっと平坦でとてもその様な雰囲気はなく、気づかない内に国境を越え、ルーマニア側の駅に到着した。

 さて、ここは本来ビザが必要なのだが、国境で 取れると言う事で持っていない。しかしこの国の情勢は未だ不安定で流動的なため不安もある。 ほんの10年前まで、独裁国家であり外国人と話しただけで警察に取り調べを受ける位当たり前の国だったのだ。 そこで革命が起こり事実上の独裁者チャウシェスク大統領夫妻が、処刑され、それは終結した。 民衆は、貧しくても権力者は、贅沢三昧という独裁国家定番の行為を現代の世で行っていたのだから、怒りはもっともだろう。 繰り返すようだが、それからたったの10年だ。今でも状況は良くはなく、国民は日々続くインフレによる物価高に苦しんでいる。 チャウシェスク独裁が落とした負の遺産は、未だ巨大なものなのだ。 インフレのため町に出て見ないと物価は、分からないし まだルーマニアの通貨を持っていない。本来国外持ち出し禁止なので外では、なかなか手に入らないのだ(現実は、ちょっと違う 、法律通り全て事が進むことはない!) 

 入国審査で、軍人が乗って来て車内を調べ始める、座席の下に誰か潜りこんでいないか持ち上げてみる。 しかしそれも形式的にやっ てると言う様な雰囲気で、パスポートを見せると滞在日数だけ聞いて、走って持っていったが、しばらくして帰ってきた。 どうやら無事ビザは、発行されたようだ。 小さい紙切れ一枚の簡単なものだったが・・・  やがてそこの国境のチーフらしき人が、 わざわざやって来て2,3簡単な質問をして、最後に「日本では、さよならはなんて言うんだい?」と聞いて来るから、それを答えると握手を求めてきて「さよなら」と言って帰って行った。結構いい奴じゃないか!  と言う事でこの国の第一印象は、結構良かった。 でも日本人は珍しかったんだろうなー。 そこの長らしき人がわざわざ出て来るんだから・・・。 元々、ルーマニアの民族はバルカン半島で唯一のラテン系のため、本来は陽気なのだ、その反面、ルーズ でいいかげんと言う欠点もある。  

 結局何事もなく少し遅れて列車は、発車した(何事かあったら困る)。車窓は、さっきまでとは変わり、山の中をゆっくり縫うように走る様になった。最初の都市、オラデアを発車すると次は、終点のクルージナポカだが、この間が長く、列車も遅れている様だ。 空は、大分暗くなってきた。金は両替してないし、 泊まる所だって当然決めてない。 そしてまだ、よくわからない国だから、明るい内に着きたい。しかしそんな事は、おかまいなしに、更に列車は遅れ、日は暮れてくる。 着いたのは、1時間以上遅れた18時頃(ちゃんと現地時間)でもう外は真っ暗だ。 まぁ 外国では、列車が時間通りに動くと思っては、いけないのだ。日本の鉄道は、世界一時間に正確であり、そのほうが世界では、異常なのである。 列車が時間通りに動かない事は、ルーマニアでは尚更であろうし、ある意味それが予定通りでもある。

 駅を出ると早速タクシーの運チャンが話し掛けてくるが、断るしかないだろう。  まずは、1.5q程ある町の中心まで歩かなくてならない。食事をしたいが通貨を持っていないからできない、物価はどの位なんだろう。とにかくなにも出来なく、歩いて両替屋を捜すしかないし、暗くて分かりにくい。なんかみじめだな・・・。 でもなんとか営業中の両替屋を発見し早速100US$を、両替 する事にする(この頃約11500円分)。 (ルーマニアでは、日本円の認知度は低く、日本円のまま両替する事はできないか、出来たとしても凄くレートが悪いので、アメリカ$にして持って行かないと厳しいのだ。主要国では、当然日本円は強く、ドルにする必要はない。2重両替で目減り する分だけ損) インフレが日々進んでる為、これ以上まとめて両替するのは、損なのである。 ルーマニアの通貨の単位は、lei(レイ)であり、結局100ドルが1155000レイになった。 両替して100万と言う単位は、初めてで、インフレと言うものを実感する。(実は、出発前に最新情報を調べてたので、 それ程驚かなかった) ちなみにこの国の物価は、7年で100倍になっているのだ。今は1円=100レイで簡単に計算出来るので楽である。 しかし今度は、泊まる所を捜さなくてはならないがもうインフォメーションは、閉まっているから自力で 捜すしかない。 まずは、一番安いはずのホテルが、ダブルしかなく思ったより高いのでパス。 中央広場の所にある、3つ星の結構高そうなホテル、これが当たりだった。安い部屋だと朝食付きで165000レイ(1650円) 

泊まったホテル。 これで一泊2000円前後デス

でもまず食事が先だとばかりに、町にでるがもう夜9時近いので、多くの店は、閉まってたが、ファーストフード店があったので入る事にした。(ホテルにもレストランは、あるがまだ よく様子が分からない) 試しにピザ、飲み物、ケーキで180円であり確かに外国人にとっては物価は安い。 さっきまで、みじめな感じがしてたのに形成逆転した気分だ。 あとはちょっと分からない所を、周りの人が助けてくたりして、最初はこの国に良い印象を持ったのだった。  遅くなってから着いて、慌ただしかった感があるので、実際の町の様子等は、よくわからない。次の日に、じっくり見る事にしよう。


現在、ルーマニアのインフレはもっと凄い事になってます。 なんだかなぁ・・・