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■ 霧の間から見えた緑の集落 霧の間から見えた緑に囲まれたフィンデルン (Findeln) の集落に、かみさんが思わず 「わー素敵!」 と声を上げる。緑の谷間に見えるその景観は、霧に包まれ幻想的に見える。やがて爽やかな木立の間をゆく道に変って、周囲の雰囲気もガラリと変化してきた。道はこのあたりから傾斜が急になり、視界も狭くなって、ジグザグしながら下って行く。【写真1・2】 ■ レストラン 「シェス・ヴローニー」 こげたパン色の壁板が良く似合う、お洒落なシャレー風のレストラン 「シェス・ヴローニー」 (Chez Vrony) に入り、大好きなカプチーノを飲みながらマッターホルンを眺めていると、あの鋭利な岩山に初めて登頂した、若きイギリス人 「ウインパー」 の話を思い出した。英国山岳会の会報に掲載するアルプスのスケッチのため、当時まだ20才だったウインパーが初めてマッターホルを訪れ、やがてその魅力にすっかりとりつかれ、ついにその5年後初登頂に成功する話である。しかしそれには大変な悲劇が待っていたのだった。 ■ マッターホルン物語 マッターホルンの北東壁は、56度の絶壁で長い間登頂に挑戦するアルピニストはいなかった。しかし今から136年前の1865年7月14日の午後、イギリス人の若干25才エドワード・ウインパー (Edward Whymper/1840〜1911) が9回目の挑戦で北東壁からついに初登頂に成功したのだ。しかしメンバー7人の編成が即席のチームであったことが災いし、下山途中にダグラス・ハドウが足を滑らせ、ミッシェル・クロ、ハドソン牧師、フランシス・ダグラスの4人がともに引きずられ、あの絶壁から転落したのである。【写真3】 なんと結ばれていたザイルが、4人の位置で引きちぎれてしまったのだ。皮肉にもこの悲劇がマッターホルンやウインパーの定宿だったホテル・モンテローザの名を一躍世界に知らしめ、登山史上にその名を残すことになったのである。いまもメインストリートの中央付近にある歴史ある 「ホテル・モンテローザ」 の壁面には、ウインパーのレリーフが取り付けられ【写真4】、切れたザイルはツェルマットのアルパイン博物館に展示されている。また転落した4人は、教会の近くの綺麗な墓地で、いまも静かに眠っている。 そんな話をかみさんとしながら、マッターホルンを眺めていると何故か親しみさえ感じてくる。かみさんから 「もう今から136年前にもなるのね・・・」 と・・・言われてみれば、よくそんな時代に登頂できたものだと感心してしまう。発達した登山技術を使った現在でも、いまもって転落事故が絶えず、この山の険しさには並々ならぬものがある。 |
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■ 絶壁の岩の道 木立の中をジグザグしながら少し降りると、ヴィンケルマッテン (Winkelmatten) 方面とツェルマット (Zermatt) & リート (Ried) 方向に分かれる分岐点にさしかかった。ガイド・ブックでは、ヴィンケルマッテン (Winkelmatten) の集落方向に降り、登山電車の線路を越えるコースを紹介しているが、このハイキングが終わったらツェルマットを離れるため、駅に近い右手のリート (Ried) 方向へ進んで行く。やがて道は木立の中から抜けて岩山を荒削りした絶壁の道に出た。 【写真5】 ■ ツェルマットへの道 下の谷底を見るとツェルマットの奥にあるヴィンケルマッテンの集落が広がっている。やがて再び林の中に入って、下の方に木立の間からツェルマットの町が見え始めたが、中々降りる道が出てこない。やっと町外れになって分岐点になり下って行くと、以外に前方に教会の塔が見える、ツェルマットの中央付近であった。【写真6・7】 |
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