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捜神記 | 〜紀伊半島ソロツーリング〜 第3回 |
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3月23日、目が覚めた。顔が寒い。シェラフから出ている、顔だけが寒かった。夜半過ぎに外へ出た時、
温度の低下は十分感じていた。煙草を吸いながら星空を見上げたら、息が煙草の煙と同じになっていた。でも、ダウンシェラフの威力は覿面で、必要十分に寒さを凌いでくれた。
そんな気温の中でも時鳥は鳴いていて、朝が来たことを告げている。かなりの気持ちを振り絞ってテントの外に出ると、バイクには霜が降りていた。黒いシートに白い霜が鮮やかに映える。朝がきても、空の色は相変わらず冴えない。今日は何度となく、空を仰ぎそうだ。
朝食は昨日と同じだが、寒さがこれ程までにインスタントコーヒーを旨くするのかと久しぶりに感じて、少し懐かしい気分にもなった。そんな風に感じてしまうのは「100円玉で買える温もり」の世代だから、仕方がないかも知れない。
食後の一服を済ませて、ビックインパクト。さすがに御宮擬きの正面では気が引けた。
テントの撤収をしていたら、朝早い時間にも拘わらず数台の軽トラが通過した。やはり、成る可くして舗装されていく林道のようである。季節が彷徨った場所に別れを告げ、ダートがあることを期待してアスファルトに戻った。
峠を越え、昨日来た地点を過ぎてもダートは現れなかった。川も広がりを見せ、林道も開けた谷間を覗ける高さで続いている。やはり、あの場所での野宿は正解だったようだ。未だにあれだけの空間を見つけることが出来ない。アスファルトが食べ残したダートが現れたのは、もう林道の終端間近だった。踏み固められたダートはあっという間に過ぎ去り、古い色褪せたアスファルトが顔を見せた。
予想以上の切なさを感じて、右手に力が籠もる。林道の終端付近でも、道が穿り返されている。朝から飛ばしすぎかな、とアクセルを戻した瞬間、コーナーの出口で、ダンプと間一髪。ダンプは道幅一杯で、逃げ込む場所はアスファルトがのっていない道の端。左側のミラーは山肌に擦っている。こちらが下りで、左が山側だったことが幸いした。右側のミラーはダンプと数mmの隙間になりながらも、何とか躱すことができた。ダンプが下りで、こちらが谷側だったら、こう上手くはいかない。道幅の狭い林道ではキープレフトに越したことはない、と改めて実感する。状況の割には、気持ちも意外な程落ち着いていたのは、そのせいだ。
やがて、県道38号に出た。どちらに行くべきか迷っていると、近くの家の犬が懐かしそうに吠える。
きっと、同じ様な格好をしたバイクが何度となく、同じ様に立ち止まって地図を確認するのだろう。地図を見ていると、朝一番の町営バスが走って行く。どうやらそちらが進むべき方向らしい。行く手を阻まれた気がしたが、さすがに直ぐさま追い越す気分にはならなかった。道幅は一車線と二車線を繰り返し、コーナーもブラインドが続く。おまけに、所々で工事もやっている。なによりも、この次に目指す林道も簡単な道筋ではないので、地図を見ながら進まなければならない。追い越しても、再び追い越されてしまう。だが、結局、町営バスは道を譲ってくれた。
県道38号線がコカシ峠に差し掛かる所で左折して、「大鎌・椎平林道」に入る。わざと海が見える方向から、林道に入った。この林道は絶景が眺められる道だと、ツーリングマップにも雑誌の紹介にも書いてあった。だから、太陽と海が離れない、朝が残っているうちに訪れたいと思っていた。思惑通り、下り始めた乾いた道はあっという間に大展望を見せた。これだけ広がれば、路面は湿っていられない。乾いた土は、やはり気持ちが良くなって、何となく雲が少なくなったように錯覚さえしてしまう。絶景のあまり、ブレーキは掛かりっぱなしで、目に入る物全てを留めたくなる。空があって、海があって、岬があって、桜があって、町並みと鉄道がある。そのどれもが絶妙な位置関係で景色を作る。カメラを持たないことが幸せにさえ思えた。下手にカメラなど持っていたら、なかなか前に進めなかっただろう。
地球の重力だけがバイクを静かに前に進める。あとは止まる勇気だけだった。
今止まれ、とか、10秒前に止まった方が良かった、とか、まだ我慢しろ、と頭の中が葛藤する。路面を気にして走ることが煩わしくなって、ついに止まる決心をした。決心をしても、止まって見るより、動きながら見た方がいいかもしれない、と再び余計な思いが過ったが、丁度その時、こちらに向かって電車が走って来るので、バイクを止めた。空の色が伴わないことがとても残念に思えた。
「絶景など絵にならん。何気ない自然こそが、絵になるのだ。」
満開か五分咲か分からない距離に、桜が咲いている。桜は、その花を開く瞬間、意思を持つのだろうか。一年に一度の一瞬をどうやって決めるのだろう。咲こうと決めたその瞬間、雨が降っていれば、やはり躊躇するのだろうか。桜にとって、温度や湿度なんかよりも、人々の期待の方が本当は重要かもしれない。
林道の脇に立つ木々に視界を遮られながらも、余韻を楽しんで、ゆっくりと道を下った。
体に触れる風が潮の匂いを運んできた。林道を下って突き当たり、左折して国道42号にのる。通勤ラッシュの時間にも拘わらず車の流れは順調だ。先行する古びたトラックの吐く黒煙が気になったが、この道は俺の道だ、みたいな運転だったので、車間を多めに取って後を走った。次の目的地は、本州最南端の潮岬である。山に囲まれた空間で生活している人間にとって、「端」という言葉は非常に魅力がある。囲まれた向こうに何がある?という思いを納得させる為に峠を目指し、そして岬を目指す。峠や頂上は垂直の端で、岬は水平の端だ。
国道42号から潮岬周遊線である県道41号線に入る。当然のことながら、平日の早朝なので、道はガラガラである。思わずペースが上がる。気持ちの良いブラインドコーナーに入り、再び加速しようと出口に視線を流した。その瞬間、道に直角に横たわる木の角材が視界に入ってきた。車体が傾いている為フルブレーキングは出来ない。角材を避けるには対向車線か路側帯を走るしかなく、今からそれだけの進路変更はできない。これはもう、そのまま当てるしかない。アクセルを開けてバイクを起こし、フロントタイヤが角材へ直角に当たる方向にする。アクセルを一旦戻し、フロントタイヤが角材に当たる手前で再びアクセルを開けた。本来ならこの動作と一緒に腰を引いてフロントの荷重を抜いてやりたかったが、今はアクセル操作で精一杯。それでも幾分荷重の抜けたフロントタイヤは角材を穏やかに乗り越え、リヤタイヤはその衝撃を吸収した。まさにトレールバイクの懐の深さを知る瞬間だった。
潮岬灯台に到着した。駐車場には、車が数台止まっているだけだったが、駐車料金は取らないらしい。駐輪場はどこにあるのだろうと辺りを探したが、それらしい場所は見つけだせなかった。結局灯台に続く道の脇にでも止めようとバイクを動かした。灯台への道は歩行者専用道路のようだ。しかし、道の端に近付くと、次の文字が飛び込んできた。“バイクは、灯台入り口まで行けます”バイクが優遇されているなんて、滅多にあることじゃない。少し得をした気分になった。
いくらバイクで行けると書いてあっても、やはり歩行者専用道路なのだから、本当はエンジンを止めて押すべきなのだろうが、他に灯台に向かう人もいないし、お土産屋は開店準備の真っ最中で、こちらに注意する余裕もない。ここはバイクの速度を極力落として、通過させて貰うことにした。
灯台入り口まで道を進んだが駐輪場は無く、結局、入場券売場の脇にバイクを止めた。灯台も、やはりガラガラで、かろうじて老夫婦の一組がいるだけだった。一人のおばさんがまだ清掃中で、慌ただしく働いている。朝の清掃なんて、何年振りの光景だろう。朝の掃除という忘れかけていた日常を思い出させた。
切り離されなかった入場券の裏を読む。初点灯、明治6年9月15日。今から130年以上も前の事だ。最南端の灯台の割には小さい建物だなと思ったが、その時代であれば、やはり最先端の技術で作り上げられたのだろう。白々しい白色に何度も塗られた壁が、その年月を更に感じさせた。
開けられたままの、小さなドアを潜って灯台の中に入る。入り口の部分はそこそこの広さがあり、上へ続く螺旋階段も、人がすれ違える位の幅はあった。しかし階段を上って行くにつれその幅は狭ばり、回転の半径が小さくなる。踏面が少なくなって、蹴丈が増す。ゴテゴテのモトクロスブーツではかなりきつくなってきた。
投光器が備えられている最上階へは、縦穴の中の梯子を登らなければならない。ザックを背負ってメットを手に持つ出で立ちでは一苦労である。先に上った老夫婦が怪訝な視線を浴びせる。ザックに付けたカップのぶつかる音を聞きながら、やっとの思いで最上階に出た。
最南端の海は、意外なほどに呆気なかった。閉塞された空間の先に見える解放の風景は、自分の息苦しさを改めて実感させた。やはり、海は背中が広い場所で眺めたい。目の前と変わらないくらいの大きな背景がないと、気持ちが釣り合わない。風景にフレームがあるだけで、その風景は現実を失う。バイクに乗りながら眺める風景が素晴らしいのは、いつもそこに溶け込んでいる気分になれるからだ。これだけ囲まれていれば、溶け出す感覚も無くなる。
潮岬のうたい文句である、水平線の丸みを実感できたのは、灯台の敷地を形作る柵に凭れて見た海だった。
窮屈な最上階から、足を踏み外さないように細心の注意を払って下に降りる。再び殆ど足首の動かないモトクロスブーツの堅さに呆れる。専用化しすぎた装備は、大抵の場合、融通を無くしてしまう。やっとの思いで、入り口に戻った。
灯台の側面にくっついている建物は、展示室になっていて、この灯台や投光器、気象情報の歴史が並べられていた。その中で興味を引いたのは、この灯台の壁である。高さによってその修復の厚さと仕上げが違うらしい。表面を覆っているのは、ポリアミド系の樹脂のようで、百三十年の地肌は最近の技術でその色を保っている。年月との戦いと岬に置かれる厳しさを想像して、潮岬灯台を後にした。
再び県道41号線へ戻る。白々とした潮岬観光タワーが現れた。丸く見える水平線を卑しくしている気がしてならない。県道を挟んで反対側に広がる望楼の芝生。ここには、二輪車進入禁止の看板が立っている。しかし、何も書いてなくても、ここは入るべき場所ではない。
望楼の芝生を過ぎて暫く走ると、真新しい標識が目に入った。標識の青は、何故こうも風景に馴染まないのだろう、と思いつつ内容を読みとった。紀伊大島という島へ渡る道が開通したばかりの様で、アスファルトの色も鮮やかである。右手に見える島は名前ほど大きくなく一周してみたい気もしたが、取り敢えずこの旅唯一の土産を買って安心したい気持ちが逸り、残り僅かな潮岬周遊線を直進した。
道は再び国道42号へ合流し、串本町の中心部に出た。ここ串本で旅の計画段階から決めていた、儀平菓舗本店の薄皮饅頭を買う。下調べの地図によれば、国道42号沿いにあるらしい。日石のガソリンスタンドで給油のついでに道を尋ねようとしたら、防火壁の向こうにその饅頭屋の看板が見えた。
まだそれ程汚れていない、髭もそんなに酷くない、と自分で自覚して店の中に入る。気持ちのいいおばさんでホッとした。
「薄皮饅頭の12個入りを一箱、宅急便でお願いしたいのですが、いつ着きますか」
「山梨なら、明後日になります」
バイクでの旅は、お土産も荷物になりかねないし、雨に濡れても耐えられるものならとにかく、こういう食品はどうしようもないから、その場で送ることにしている。場合によっては自分より早く着いてしまうことがあるかもしれないが、たいていは少し遅れて土産が届く。疲れが押し寄せ、旅の後かたづけが終わったころ届く土産には、何もいえない感慨がある。
「蒸し立てがおいしいですよ」
というおばさんの言葉に従い、腹の足しにと蒸し立ての薄皮饅頭を四つ買った。冷めない内に林道に入り、素晴らしい眺めの場所でこれを食べることにしよう。予定していた唯一の土産を買うことができて、一安心した。
国道から分岐する標識を見落とさずに細い県道227号へ。路地の様な道でも、県道は県道である。しかし、町の中はまだいい。民家が少なくなってくると、またいつものように地図にない道によって、行き手を惑わされてしまう。川の位置と道の位置をもう一度確認しながら先に進む。県道から分岐して、この旅5本目の「樫山林道」を目指すには、川を渡ってはいけないし、何よりもグランドマークである「虫喰岩」と巡り会ってはいけない。
だが、出会ってしまった。県道からの分岐点を見落として奇妙な岩に出くわしてしまった。立ち寄らないつもりだったが、こうなってしまった以上、止まらざるを得ない。見ていても気持ちが落ち着かない岩で、初めてみる物なのに、頭のどこかで不気味さを感じている。不気味という感性は、自然と受け継がれてしまっているのだろうか。田圃の中にただ一つぽつんと佇むその岩は巨大な軽石で、その大きさは、体育館には及ばない格技場くらいの大きさか。無数にあく穴が仮にこの穴を虫が喰ったとすれば、その虫は、人間並の虫になってしまう。そして、その岩の前に建つ一軒の家。岩の所有者なのだろうか。この岩の間近に住むと言うことは、何かの罰の一種だったような気がしてならない。とても縁起物には見えない。今もこうして、全くの他人がその家をじろじろ眺め、つまらない憶測を考えているのだから。
分岐点まで引き返せば、そこは一瞬迷った場所だった。やはり、早目にツーリングマップから雑誌の林道ガイドに切り替えておけば良かった。バイクに乗りながら地図が読める範囲は、開いて折ったB5の大きさの範囲しかないから、その範囲を超えたり、林道ガイドに交換するには一端バイクを停めるなければならない。これが結構面倒だから、大まかな道筋は覚えようと努力する。幹線道路を走っている場合はいいのだけれど、林道の入り口付近では林道ガイドに換える必要があるから、本当は迷ってしまう前に切り替えたかった。林道ガイドによると、この先にも幾つかの分岐があるらしいが、現在位置に自信が持てたので、先を急いだ。
民家が道の両脇から消え、道だけが続く。林道ガイドの嫌なところは距離感が掴めないこと。目印となる大きな岩がなかなか現れない。早くしないと、折角の薄皮饅頭が冷めてしまう。この道は、海岸線から僅か数kmの距離なのに、地形の落差が激しいというか、谷が恐ろしい程深い。時折御宮擬きが見守る道の下はまたしても奈落の底で、底を形作っているものが何なのか樹木に覆われて分からない。谷の地面が一向に見つからないのである。何枚も重ねたフォークの先が海に向かって置かれていて、そのフォーク一枚がずれた厚さの側面を走っているような印象だ。丘の様な地形が期待出来ないことが分かったので、景色より、安心してバイクを停められる場所を見つけることにした。
幾つかの分岐を確認して通過し、道が下り始めた頃、木の色を失った丸太が並べられている空き地に辿り着いた。あの丸太に座るのが、丁度具合がよさそうだ。バイクを停め、エンジンを切った。微かに水の流れる音がする。その音源を探そうとしたが、まるで方向が分からない。ここは道からはみ出た瘤を平らに均したような場所で、端の方はいきなりストンと地面が落ちているから、小川の欠片さえない。もしかしたら、誰かが...と考えたが、音は止めどなく続いているし、人気など全くない。少しづつ谷間に近付き、崩れ落ちた土を見つめながら、視線を足下から下へ下へと深く深く落としていった。高さの距離感が掴み難いから何ともいえないが、500mはあると思われる谷の斜面に白く輝く筋をやっと見つけた。ここで落ちたら、誰にも見つからないだろう。この地面の信頼性を少し疑って、少し冷たい丸太の上に座った。
思っていた以上に、小振りの焼売みたいな薄皮饅頭は温かかった。あんまんとはまるで違う食べ物で、皮の薄さが何ともいえない。やはり、4個では満足できなかった。食後の一服をしながら、空を見た。雲は厚さを増して、不安定な灰色を一層濃くしていた。もう、爆弾を抱えたようなものである。今日はどこで見切りをつければいいのだろう。
道の瘤を後にして、斜面を一つ切り返すと、やっと大きな岩が現れた。林道ガイドに描かれた岩の隣の民家もあり、やっと林道入り口に到着したようだ。「大きな岩」と注意書きのあった岩は予想より大きな代物で、桃太郎の桃のように真ん中で二つに割れ、その間が林道の入り口になっていた。この岩も奇妙な岩で、辺りにはその存在を連想させる自然がない。今まで走ってきた舗装路の先にはさらに数件の家が見えるが、こちらも生気のない生活感を漂わせていた。
張りぼてではない岩の、車は無理と思わせる隙間を抜けると、そこは別世界だった。木と木の間を抜ける道は狭く、急激に落とされた。抜け降りた先は曇り空ながらも、さっきのアスファルトよりは明るい。
路面は土と落ち葉で覆われ、不快な湿気を含んでいた。下りた先に広がる光景は、不釣り合いなくらいラムネの瓶の色をした、幅5m位の川と、その川の人工的な護岸の道だった。土かと思ったその路面は、道の山側から流れた土砂が薄い層となり、その上に落ち葉と枯れた枝でコンクリートの肌を隠していた。所々石が転がりだしていて、平坦な道に厄介な起伏を作っていた。川の対岸は自然のままで、中途半端なやり方はかえって河原を歪めている。土の道が朽ちていくのは元の自然に調和していくように感じられるが、無機質な人工公物が朽ちていくのは自然に調和しきれない不気味さがある。果たして、この林道は通過できるのだろうか。
蛇行する川と斜面の間に作られた道は、軽トラ一台がやっとの道幅である。その上は、山側から張り出した木の枝によって覆われている。路面は、幅の狭いタイヤのパターンと軽トラの天井が擦れることによって落とされた赤い花で、つい最近軽トラが通過したことを告げていた。通過出来るとしても、おそらく後退でここまで来たのか。反対側から軽トラがくれば逃げ場がない。もちろん、袋小路のこちら側から軽トラが現れることはないと思うが。簡単に滑り出す路面、いつ現れるか分からない対向車、不快な湿気、二つに割れた岩、生気のない生活感の家、瓶の色の川、落ちた赤い花、蛇行する道、普段なら気にも止めない路面の凹凸さえ、不安を駆り立て現実感を無くす。林道を走りながらこんな気分になるなんて、初めてかもしれない。
上げられないスピードに苛つき、時間がなかなか経過しない。時折こぼれ落ちる土砂、川面を光らせる魚、心は落ち着かなかった。錆びて白を失ったガードレールが一層重苦しくさせた。
満たされない境遇に戸惑い始めた時、瓶の色の川を渡る橋が現れた。その橋の袂には、「この先崩落のため通行止め」の看板が立つ。予定では更にこの先の林道を走るつもりだったが、その先は日陰になっていて鬱蒼さが加わった更に気味悪く朽ちた道だった。人工の膿のような不気味な世界からから現実に戻るために、素早くその橋を渡った。二人なら、先に進めたかも知れないが。
橋を渡った後の道は、天井の抜けた砂利の残る林道だった。人工が朽ちた道の悲しさを背中で感じた。自分が本当に走りたい道はどんな道なのだろうと、少しだけ考えた。
砂利の残った林道は、そのままダムへ導いた。こんな所にダムが、なんて思いをしたことは初めてじゃないが、逃れたと思っていた矢先に中途半端なものがあると、煙草の一本や二本では胡麻菓子切れなかった。
中途半端なダムの道から県道45号線へ。県道45号線から迷うことなく左折して県道43号線へ入る。この辺りの道は幅も広く道路標識の案内もきちんと立っていたので、ぐっと走り易かった。現在向かっているところはあの「那智の滝」だから、道路標識以外にもその行く手を示す案内は多い。観光名所が近くにあると、これ程までに走り易くなるものか。県道43号線から県道46号線へ。再び山側へ上り始めた。蒲鉾、黒飴の看板を見送って道沿いが賑やかになったら、やばそうな空の近くに「那智の滝」が見えてきた。
滝の天辺を見ながら滝へと上る道を走らせる。まだ寒さの残る季節だからか、同じ方向に走る車は殆どいない。滝にこのまま道を進むより、適当な場所でゆっくり眺めた方がいいと思えてきた。それでも、目の前に道がある以上進んでしまう悲しい宿命。滝の落下地点付近の道路沿いは全て駐車場で、無料の場所はさすがに埋まっている。バイクだから路駐しようかと思ったが、有料駐車場の看板の多さに気が滅入る。肝心の料金は、「一時間 車500円、バイク250円」と書かれている。滝を見て帰ってくるだけなら15分もあれば足りてしまう。残りの時間をどうやって潰せばいいのだろう。
滝を通りすぎて、目の高さと滝の天辺がいい具合になる高さまで道を上り、バイクの向きを変えてヘルメットを取った。バイクに跨ったまま、一服した。近すぎて見えないより、離れて見た方が良いって事もあるから、この辺りで十分だろう。それにしても、あの高さから水が落ちるとは凄い。落方は他にもあるのに、なぜ一気に落ちることを選んでしまうのだろう。あの天辺から落ちる水達は、きっと、意志をもった水達に違いない。雲から落ちた瞬間が忘れられず、落ちる景色を再び見たくて落ちていくのだろう。それとも、余計な所に突っ掛かったとでも思っているのか。
滝を眺めながら考えるのはこれからのルート。出発前の計画では、この後もう一本林道を走って一気に奈良県まで向かう予定だった。時間的にはなんとかなるかもしれないが、無理をすると初日と同じ目に遭いかねない。しかし何よりも問題なのは空。いつ降っても仕方がない色の雲は、きっと滝から落ちる水達を後悔させるだろう。
道をUターンして県道43号に戻り、そのまま海の方向へ走る。国道42へ号ぶつかって、三重県方面に向かう。新宮市の市街地を抜け、新熊野大橋を渡って三重県に入る。橋の後の交差点は、蜷局を巻いた交差点で、県道740号へ曲がるはずが結果として国道42号から曲がりそびれてしまった。車の流れを見送ってUターンして県道740号に入った。本当は、ここから先が難しい。今度の林道は、ツーリングマップのみで見つけださなければならない。県道から分岐して林道に繋がる道がどれなのか。地図の中の一本にまたしても悩まされる。地図の示す地形で範囲を決めて、地図の情報と実際の情報を確認する。地図には小学校が載っている。道にも児童横断注意の看板が立っているし、路面にもペイントしてある。小学校は普通大きな建物のはずだから、簡単に見つかると思っていた。だが、見つからない。一車線の県道を何度となく往復する。仕方がないので、県道から分岐する脇道を片っ端から入る事にした。
やっと見つけた小学校は、見落としても仕方がない建物だった。これが小学校かよ、という思いはすぐ消え去った。それよりもこの先の林道が、またしても工事中らしい。看板の工事期間は一応終了しているようだが、看板が撤去されていないのだから、怪しい雰囲気だ。何度となく繰り返される工事による中断に、気持ちも諦め方を覚えてきた。引き返すつもりで道を進んだ。今この道は、熊野灘を背にして上っているから、引き返したとしてもその時の眺めは期待できるだろう。
アスファルトがなくなっても、堅く轍となっているダンプの跡が工事の進行中を感じさせた。道の所々に積み上げられた土砂がある。この林道を抜けられれば国道311号に繋いで、奈良県へ向かう事が出来る。もし通行止めならば、再び国道42号に戻って東に帰る。一人旅も三日目になって、疲れと寂しさが蓄積され、計画は少しづつ縮小されていく。身体が無理を嫌がっている。空が一層暗くなる。
堅い路面のお陰でペースが上がる。轍の残るコーナーを抜けると、通行止めの看板は無いものの、ブルドーザとシャベルカーが忙しく動きダンプが道一杯に塞いでいた。しばらく様子を伺ったが、交渉する気にもなれず、来た道を引き返した。このまま強引に先へ進んだら、考えなければならないことが急増しそうなので、ため息一つで片を付けた。見えると思っていた熊野灘は、輝くことはなかった。これで、奈良県に向かうことを諦めた。見つけることに手間取るのはいいが、せっかく見つけた林道がこんな状態であることが多過ぎて、気が滅入った。3月末は、やはり良くないのだろう。
蜷局の交差点から国道42号に戻った。紀伊本線を潜って、「ここは日本一小さな村鵜殿村」の看板が目に入る。一瞬、製紙工場の独特の臭いがした。日本一小さい意味を考えていたら、「またお越し下さい鵜殿村」の看板になった。なぜこんな形で村が残ったのか不思議な気がしたが、空腹を強く感じたので次の道の駅が現れたら、処構わず入ることにした。
さすがに薄皮饅頭だけでは腹持ちが悪い。紀宝町の「道の駅紀宝町ウミガメ公園」で何か食べられるのではないかと休憩することにした。バイクから下りて建物の中に入ったが、食べ物など売っている気配がない。唯一あったものは、冷凍食品の自動販売機だけだった。もう少しまともなものが食べたかったが、すぐ次へ向かう気持ちになれず、仕方なく、その自動販売機で焼きそばを買った。これで以外と旨い、と思えればまだ救われたが、そう上手くは行かなかった。ベンチに座ってボール紙で出来た箱から容器に入った焼きそばを取り出す。焼きそばがボール紙で囲まれているだけで味気ない食べ物になってしまった。
ウエストバックから携帯を取り出し、着信を確認する。間違い電話が一件入っていたが、残りの伝言は羨ましがる声と、今の状況を知らせてくれる声だった。携帯を持たない頃には感じ得ない郷愁だった。不意に風が強くなって、空の容器が舞った。ツーリングマップのページも捲られた。少し帰路を急ぎたくなった。明日のイメージが頭の中を横切った。
とにかく鳥羽に向かって国道42号をひたすら走ることにした。走りながら、雨を凌げる場所が見つけられたら、時間が早かろうが野宿の準備をしよう。
給油のついでに天気予報を確認した。いつ降り出してもおかしくないと告げられた。それを納得させる雲だった。紀伊長島町に入った辺りで覚悟を決めた。この先、公園の看板は見逃せない。
長島港の近くのサークルKに立ち寄る事にした。できたら、ここで水をもらってしまおう。ヘルメットを取って、自分の顔をミラーに写す。陽が傾き始めた光でも排気ガスで汚れた顔が目立つ。おまけに髪の毛はヘルメットの内装に形作られてしまっている。サークルKに入るには、少しばかりの勇気が必要だった。
ドアを開いた瞬間、刺さる視線は冷たかった。しかも、かわいい女の子二人の視線。湿ったダートは走っていないからウェアの汚れは最小限のはずだ、問題はこの面か?と自分に問いかける。つまみと朝のカロリーメイトと、即席のカレーうどん。格好が格好なら、買う物も買う物だ。突き刺さった二人の注目は、後から入った、お使いを頼まれた小学生に注がれていた。かわいい女の子と小学生の関西弁のやりとりを聞いていたら、自意識過剰の気持ちが和んだ。それでもレジに立った時には気が引けて、「水下さい」と言いそびれてしまった。まともな会話が無い生活は、他人の何気ない会話に耳を傾けてしまう。
仕方がないので、外に出て駐車場の水道を見つけた。蛇口はあったものの、栓が回せない形になっていて、何か専用のものがないと水は出てこない。まあ、まだ市街地にいるから、水の確保は他の場所でもできるだろう。
一服しながら現在位置をツーリングマップで確認した。初日に彷徨った「孫太郎オートキャンプ場」にあと僅かの距離にいた。せめてもう少し先に行きたいと思い、国道42号線上に視線を沿わせて「○○公園」という文字を探した。公園は見つからなかったものの、その代わりに「ダート11km、展望よし」の林道を見つけた。通過して県道を使えばまた国道に戻れる。たとえ雨が降ったとしても最後の夜である。濡れてしまったら、明日は真っ直ぐ帰るだけにすればいい。あと一日、何とかするくらいの体力は残っているだろう。
国道260号への分岐を気にせずに国道42号を進む。日が落ちた焦燥の中で走った光景が蘇った。そして、今は曇天模様との睨み合いである。国道沿いでビールの自動販売機を見つけてアルコールは確保した。一端離れた紀伊本線が隣に併走していることに気づいたら、国道からの分岐点である「大内山駅」が見えてきた。そして、そこに立つ簀の子を立てた様な看板に、「大内山山麓公園」の文字が書かれていた。
踏切を渡り、公園への道を進む。どうやら、目的の公園は行こうとしていた林道に接しているらしい。案内看板のある公園ではあるが、地図に載っていないので、水道、トイレは怪しいものである。とにかく水を民家が並ぶこのあたりでと思い、様子を伺った。すぐさま小学校が目に入ったが、今日は平日であることを思い出し、立ち寄るのを諦めた。小学校を過ぎて暫くすると、ゲートボール場が現れた。ゲートボール場の脇には、集会場らしき物が建っていて、水道が期待出来そうだ。直接バイクでは近づけないので、バイクから降りて、その建物の裏へ近づいた。案の定、建物の外側にも洗面台が付いていた。鳩の糞が辺りにあったが、それ程不潔な状況ではない。十年以上も使っている水ポリへ水を入れて、一安心した。後は、雨が凌げる塒を見つけるだけだ。
乳製品の工場らしき建物の脇を通り過ぎて、周辺が寂しくなると、道の脇には既に山側と谷側を形成していた。しかし、路面はアスファルトの継ぎ接ぎだらけで、この村もまた、予算辻褄合わせに林道を利用しているのだろうか。幾つかのコーンを避けて、速度を緩めて工事現場に近づく。工事表示の看板には、「この先、宮川村には抜けられません。ただし、大内山山麓公園には行けます。」と書かれている。ここまでくると、もう、裏切られることに慣れてしまって、腹も立たない。工事作業者が不思議そうな表情でこちらを伺う。この空模様の下、行き止まりの道へこの時間から向かおうとしているのだから、その表情もわかる。あくまでも雨宿りの場所を探しているのだと、想像もつかないだろう。工事現場を抜けた先で、小学生とすれ違った。挨拶をしてくれる。学校で誰にでも挨拶しろと教えられた後なのかもしれないが、あの少年にこの風体はどのように映ったのだろう。
道は山の斜面を続いて行くのが下から眺めても分かった。下から見ると長く感じる道のりも、実際に走ってみると、意外な程短く感じることがある。この道もその類である。上下方向の感覚は、左右や前後の感覚ほど敏感では無いかもしれない。そんなことを考えていたら、大内山山麓公園の大きな看板が立ち、その手前に絵地図があった。
看板があるものの、公園らしき雰囲気は見あたらず、ここからやや離れたところにちょっとした空き地があるだけだった。取り敢えず絵地図を見ると、どうやら山の中に公園を形作る遊具、展望台、広場、ベンチが点在するらしい。さすがにバイクでは上れないし、まして歩いて登る気もない。こりゃ、やられたな、と独り言を呟きたくなった。しかし、先ほど見えた空き地は駐車場と記されており、何か建物がある。トイレじゃなきゃいいな、と思いつつ、その建物に近づいた。
救われた。東屋だった。木製の長椅子一つ中にあった。床に固定されていなくて、なによりだ。風情など全く無い物の、雨露は凌げる。少し小さい気もするが、中にテントを張ることが出来そうだ。僅かな軒下に、はみ出しながらもバイクを止めた。一服しながら駐車場を見回した。駐車場の先は深い谷になっていて、斜面に突き出した地形になっている。斜面の草は整い過ぎていたので、この駐車場はあえて造成された場所のようだ。視界を妨げる物のないこの先に、どんな光景が広がるのだろう。きっと曇天の向こうには、太平洋が舞って見えた筈である。駐車場を散歩して、長椅子を三個見つけた。全部で四つ、これを使わない手はない。
東屋の中に長椅子四個を並べて置いた。隙間を少し開け気味にして、高床を作った。東屋は四方の壁のうち一面が開いていて、残りの壁も床から直に立ち上げられていない。開いている面と、壁と床の隙間から雨が吹き込むことは今までの経験から十分分かっていた。とくにこのテントは上からの浸水は皆無だが、下からの浸水は多々あった。高床の上にテントを張ることで、下からの浸水は防ぐことができる。
狭いと思った東屋だったが、テントを張っても、バイク一台何とかなりそうである。夕食を作るスペースを犠牲にして、バイクを東屋の中に入れた。完璧な雨宿りが出来て、乾杯の気持ちが高まった。
雨が降り出す前にと、急いで夕食の準備をした。ナンバープレートが時折髪の毛に触れる。今夜もご飯のパックとナポリタンソースのレトルト。粗食だが最後の晩餐に変わりはなく、普段はやらない組み合わせでもそれなりに食べられることを確認した。そして、普段聞かないNHKは確実に雨が降ることを告げ、間もなくノイズに雨音が重なった。
「雨が降り出していた。なるべく邪魔にならないように降りますから、私がいたことだけは忘れないでくださいといった風情のすごく穏やかな雨だ」
灯りを落として、シェラフに潜り込む。雨音は穏やかだったが、明日のことを考えると落ち着いていられない。この雨雲が早く東に進むか、ここに停滞するか。朝雨が上がっていたとしても、下手をすれば、こちらが雨雲の追いついてしまう。最悪の事態を考えれば、フェリーの欠航さえ考えられる。ならば、なるべく朝は遅い方がいい。雨が降っていたら、止むまで待つ。上がっていたら、計画通り伊勢神宮に寄っていくことにしよう。
風が強くなったようだ。転がったビールの缶が一瞬心拍を上げた。ゴミ袋もカサついたので、少し落ち着いた。しかし、このままほっとけない。シェラフから這い出して、一旦空を仰いだ。最後の夜にさえ、星が見えない。転がったビール缶を見つけて潰し、ゴミ袋を長椅子の足にくくりつけた。風に感情を揺らされている。日常との繋がりだった携帯も、とっくに圏外になっていた。寂しいという感情を素直に感じることにした。
「考えるべきことあれど、考えることなく、言うべきことあれど、言うことなく、やるべきことあれど、やることなく」
明日のことよりも大事なことがあって、それもこの旅の理由だったのに、目の前の事象を考えるだけで時間は確実に過ぎた。今夜もまた眠ってしまうのだろう。
次回は最終回です、お楽しみに