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捜神記 | 〜紀伊半島ソロツーリング〜 第2回 |
元に戻る | 99.*.* K.Yamamoto |
「欲望という名の電車に乗って、墓場行きに乗り換えて、6つ目の角で降りたら極楽だと。」
3月22日、本当の朝である。ただ単に時間の経過を示す「朝」ではなくて、生き物として目覚めた「朝」の気分だ。少なくとも、「地球のおんぶ」は久しぶりだった。辺りの声は昨夜より賑やかで、鶯のさえずりが頭の中に反射する。雨が降っても朝は朝、悲しくても嘘は嘘、雨にも降られなかったし、一人でも何の問題もなかった。予想以上に暖かい朝だが、どこかに爽やかな冷気も漂っていて、春の朝の心地良さを実感した。これを、「春は曙」というのだろうか。
いつものようにカロリーメイトとインスタントコーヒーで朝食を済ませた。そして、林道をちょっこと降りてビックインパクト。本当に久しぶり!?
しかし、林道の朝はゆっくりしていられない。林業とかの作業車が比較的早い時間から上って来ることがあるからだ。慌ただしく撤収して、バイクに跨った。
林道を下って町に向かう。朝、山から下りることは、とても自然な行為のようで、この瞬間が最高に堪らない。自然の中で、非自然的な音が木霊する。こいつらにとって、今朝初めて接っした人間は、朝に似つかわしい音で動いている。自然の規律を破るのは人間で、それを快感に思ってしまうのもやはり人間だからか。もう出掛けるよ、さようなら、の合図だと、少しだけ思って欲しい。
孫太郎トンネルを抜けて、国道42号に戻る。紀伊長島町を過ぎた辺りから、熊野灘から離れた。「ホップ・ステップ・中部」のキャッチフレーズを読みとりながらも理解できずに、海山町の道の駅で一服した。一応トイレにいった。ツーリングマップを拡げて、目的地への道を探る。取り敢えず、昼過ぎに白浜辺りに到着したい。2台のバイクが西に向かった。
再び熊野灘が見えてきて、尾鷲市に入る。恐らく熊野灘を望む町では最も大きな町なのだろう。道も片側二車線になり、信号の間隔も短くなってきた。しかし、停止線は二輪車専用のものが有るため、少しだけ気分がいい。昨日のうちにここまで辿り着くというのは、やはり無理があった。昨日の目的地を確認したい気持ちに駆られたが、今日は余裕を持って山に入りたいと思い、先を急いだ。
尾鷲市街地を抜けると、再び片側一車線に戻り、今度は上りながら熊野灘から離れた。エンジンの力を実感できる道である。幾つかの上りと下を繰り返して、幾つかのトンネルを抜けた。道の下りも落ち着いた頃、一瞬熊野灘が飛び込んできた。ここは、熊野市のようである。またトンネルを抜けると、そこは鬼ヶ島ならぬ鬼ヶ城。海岸に突き出す岩の形が何となく鬼らしいが、バイクを止める気にはさせない。しかし、先程の2台は止まっていた。続いて獅子岩。こちらの方がまだそれらしく見える見える。どこか他の場所でも同じ名の岩があった気もするが。
国道の分岐点にしてはちょっぴり寂しい信号を右折して、国道311号に入る。熊野灘を背にして、奈良県と県境の本宮町を目指す。JR紀伊本線を跨いで道を確認して、車の流れに身を任せた。いつかゆっくり訪れたい瀞峡を抜け、奈良県を掠めながら一瞬、幅広の川に目を奪われた。複雑な分岐を見極めて国道311号から分かれて川湯温泉の方向へ。国道を外れてすぐのガソリンスタンドで給油する。給油後、自動販売機を見つけて一服。ツーリングマップを拡げて、この旅初めての林道へ導く、県道241号線の目星をつける。今の場所から、道は三つ又に分かれている。真ん中の一本がそれらしい。そして、その道に大型のトラックが2台入っていった。どうせすぐに追いつくのだからと、二本目の煙草に火を付け、携帯を確認した。
県道241号線は、始めのうちは民家に囲まれ、道幅もそこそこであった。民家の数も減り、道幅も狭くなってきて、この先に林道の存在を匂わせた。しかし、一本になるはずの県道241号線も、同じ幅の道が交錯するから時折不安になる。こういう時は、バイクが勢いで進む方向に任せる。そんな事を考えていた頃、先の大型トラック二台に突き当たった。道幅も狭く、コーナーが続くため、抜きたくても抜けないディレンマに陥る。一台だけなら何とかなるが、二台はかなり難しい。少しの直線と、道幅を有効に生かして、一台目をクリヤ。チャンスを伺って、残り一台の真後ろに着く。道は更に狭くなり、大型トラックの幅一杯になる。山側の枝葉が大型トラックのボディに擦られる。まさか、このまま林道まで行かないだろう、と思いつつ、そんな道幅を感じさせない大型トラックの運転に感心する。きついコーナーでは、リヤタイヤのダブルの外側が1/4路肩からはみ出ている。再び現れた集落の塀が両側から迫る。しかし、あと数十ミリの隙間で切り抜ける。左右のタイヤのトレースラインを完全に見切って運転しているようだ。これなら、後ろから見ていても結構楽しめる。やがて、道の脇に大木が横たわる広場が現れた。大型トラックの目的地は、そこだったらしい。
目の上の大きなたんこぶが取れたら、頼りなかったアスファルトは完全に無くなった。待ちに待ったダートの登場である。程良く締まった路面、それ程深くない轍にしっかりとタイヤを刻みこむ。乾いたスポンジに水が染み込むように、快感が全身に広がる。このバイクのサスペンションの良さを改めて実感する。素堀のトンネルを抜け、渓谷沿いを走る風をいい感じで受けていたら、道は二股に分かれた。道を分けるコンクリートで固められた山肌に、直進「大塔村」、左折「ホイホイ坂、通り抜けできません」と書かれた看板が張り付いている。「ホイホイ坂」はそこそこ名の知れた酷道で、バイク雑誌の記事には、当分の間通行止めと書いてあった。当分とは、どういう意味なのだろう。分岐の入り口に立っている工事内容が書かれた看板の工事期間は、とっくに過ぎている。しかも、「ホイホイ坂」入り口には、真新しいアスファルトが敷かれていて、看板さえなければ、こちらの方が重要そうな道の雰囲気がある。通り抜けできないと頭では理解しつつ、フロントタイヤは「ホイホイ坂」に向かっていた。
真新しいアスファルトに同じ空き缶が幾つも転がっている。誰かが意識的に捨てている様だ。どうせ、いつか片づけるのだから、取り敢えず今は捨ててもいい、という捨て方だ。アスファルトの上に不似合いな石ころも転がる。道の端がはっきりと形作られない舗装路は、再びダートに戻った。
予想以上に状態のいい路面である。轍もはっきりしていて、とても走りやすい。おそらく、工事のダンプが道を固めているのだろう。こんな調子だと、例え行き止まりだと分かっていてもどんどん進んでしまう。このバイクは、意識さえしていれば勝手に進んでくれる。その気になっても挙動は穏やかだ。走りたいラインを確実に走ってくれる。調子に乗って、こんなペースで走っていたらもったいない、と感じ始めた頃、道は下り始めた。コーナーを抜けて景色ががらりと変わった。こんな瞬間は、林道の楽しさの一つだ。この辺りで、一服するとしよう。今日はなぜか、すぐに休みたくなる。
少し広がった路肩にバイクを止める。この辺りが一番高い場所だろう。煙草を吸いながら、眼下に広がる景色を眺める。この道をいくら進んでも、山の中しか行けそうにない。町が見える気配もなく、見えるのは頂だけ。少しだけ強くなった日差しが、心を暖めた。芽吹き始めた山肌に見切りを着け、心地良いままヘルメットを被ろうとした。しかし、その瞬間、背後から埃の立つ音が聞こえてきた。結構いいペースだが、所詮は車である。またしても、である。もう少し早めに切り上げれば良かったと後悔した。仕方なく二本目に火を付けた。先行した車は、地元ナンバーのハイラックスだった。
道は、やはり下る。まだ二日目なので、バイクを汚さないように、濁りたての水溜まりを丁寧に避ける。道も次第に荒れてきて、路面の凹凸がケツを突き上げる。どこまで行けるのだろう、まだかな、まだかなと考えながらも、ハイラックスが先行しているのだからと、アクセルを開けた。こんなタイヤが、ここまでグリップすれば大した物だ。目の前に漂う埃の立ち方の新鮮さを感じながらコーナーを抜けると、工事現場の光景が目に入って来た。事務所のプレハブ小屋の前に止まるハイラックス、若旦那らしき人物と話す現場監督。ここまでの路面が行き止まりの道であるにも拘わらず、そこそこの状態だったのは、こういう車の往来があるためだった。
プレハブ小屋を過ぎて、道は人が変わったように険しさを増す。ボール大の岩が砂よりも多くなる。それでも道はその先のコーナーへと続いている。通行止めの看板も立っていなかったので、そのまま進んだ。軽トラがこちらを向いて止まっている。この辺が車のUターンできる、道幅と路面の限界なのか。腰を上げ、人の頭ほどの岩の間に線を引く。崩れた時の不安定を残している岩を避け、コーナーを通過した。やはり、崩れていた。行けない、と分かっていてもその限界ギリギリまで行きたくなってしまう。諦めを完璧にしたい気持ちもあるが、貴重な一本のラインを見つけたい気持ちもある。道が無いと分かる場所と、この先に道がない場所、数メートル進むか進まないかの違いだけど、そこから見える景色は全く違うことがあるから、やめられない。
「深い淵を覗くと、深い淵も我々を覗いていた。」
道は無かったが、その代わりに絶壁に立たされた。崩れたての斜面の対岸に見える山肌は遙かに遠く、その間の谷は恐ろしい程深い。谷の底が見えない。ダンプが動いている様だけが、かろうじて認識できる。この道は、何処へ向かおうとしているのだろう。こんな光景は初めてだ。紀伊半島の高低差の激しさを実感した。前に進めないのは当然として、行き止まりの林道が嫌な理由の一つに、Uターンがある。人工的に進めない場合は、大抵路面状態もそれ程悪くない。しかし、今回の様に道が崩れて先に進めないうえ、路面には大きな岩がゴロゴロ、フロントタイヤが行き場を失って、後退するしか術が無い時は、かなり面倒だ。両足が着くのがせめてもの救いだが、必要な駆動力を与えられる程踏み込めない。リヤタイヤがフロントタイヤより低い位置にあったので、体重をフロントタイヤ側に思い切り掛け、フロントフォークを縮ませてフロントブレーキをロックする。反動でフォークが伸びる時にブレーキのロックを外し、バイクを僅かに動かす。これを何度か繰り返して、前進できるフロントタイヤの行き場を見つける。端から見れば滑稽な動きも、やってる本人はかなり本気である。いっそのこと、バイクから降りてしまえばいいのだけれど、壊れてもいないバイクを押して動かすなんて、プライドが許さない。いかに、跨り続けるか、だ。
復路は勢いで戻った。看板に書いてあったのだから仕方がない。無駄足を踏んだことに違いはないが、遠回りをした気分にはならなかった。来る時にはあまり気にならなかった朽ちたガードレールに、「携帯OK」と書いてある。ペンキが流れた文字が、曖昧な道路管理を一層現実のものにした。現場作業者達の目安なのか、こんなところで携帯を使う必要のある人間なんて、非常事態でもない限りそんなにいるものじゃない。途中、何台かの車とすれ違った。承知してこの道を走っているのだろうか。すぐに止まれる速度ではなかったので、停車してまで教えることはないと思い、やり過ごした。きっと、あの看板をはっきり読んでいるはずだ。
再び大塔林道に戻った。程良く踏み固められた、走りやすい路面である。道の右側には川が流れている。ちょっと良い感じのロケーションなのだが、よく見ればすぐに人工物の痣が目に入る。護岸のコンクリートが無神経に川を覆い、その上には弁当の空き容器が横たわる。そして、「キャンプ禁止」、「蝮注意」の看板。蝮ももう起きているのだろうか。地図で見ると、本宮町と大塔村隣り合う町と村なのに結ぶ道はこの林道だけである。それならば、もう少し何とかならならないかと思ってしまう。あと一本くらい、道があってもいいはずだ。
水が溜まった素堀のトンネルを抜けたら、開ききらない視界の先に鹿が現れた。久しぶりの鹿だった。日常では野良犬にさえなかなかお目にかかれないのだから、山に入って野生の動物を見ることはちょっとした緊張感を呼ぶ。逃げると分かっていても、アクセルは緩み、手と足はブレーキに掛かる。こんな道路に鹿が現れることが、良いことなのか悪いことなのかわからないけれど、民家まではそんなに遠くない。
太陽に少し近付いた気がした。雲が少し薄くなったようだ。路面は舗装路になって、周囲も民家が囲み始めた。道は県道219号線に名前を変えていた。道幅も暫くはそのままだったが、分岐点が現れた頃にはそれなりに広くなっていた。この分岐点で、足を着かずに方向を確認しようとして周囲を眺めると、何か巨大な屋根だけが見えた。足を着いて振り返って確認すると、屋根付きのゲートボール場だった。クイズのネタになりそうな建物である。この辺りでは、それほどまでにゲートボール人口が多いのだろうか。
国道371号線を横切ってそのまま県道219号線を進む。やがて国道311号にぶつかり、白浜方向へ分岐した。道路脇には「白浜まであと○○km」の標識が立つ。標識を見たとたん、気持ちが緩んだのか、空腹を感じた。あと一時間位で白浜には着けるのだろうが、一度感じた空腹感はなかなか収まらず、国道沿いのJAストアで昼飯を買うことにした。ガソリンスタンドと、スーパーと通常のJAとが連なって建っていてので、弥が上にも目に入る。「弁当」の幟も立っていた。午後一時近かったので、結局残り物を買う羽目になってしまったが、それでも、締め鯖寿司と手作り牛肉コロッケ。どちらも、コンビニではお目にかかれない。出来立てのシールと、売場に「ご自由にお使い下さい」の張り紙が付いた電子レンジが、いかにもスーパーらしい。レジのお兄さんの「おおきに」がとても心地よく聞こえた。
国道311号線の左側には富田川が流れていた。国道からも簡単に降りられた。ゴミが捨てられている先までバイクで行き、そこで弁当を食べた。想像していたより、情けない光景ではないことを祈ろう。それでも川の流れを見ていると、力が抜ける。流されるというより、溶け込んでしまいそうだ。
国道311号線から国道42号線へ。最初の予定では、右折して田辺湾側から白浜町に入るつもりだったが、道の渋滞と、「左折白浜」の標識に誘われて左折してしまった。国道42号線から県道31号線へ。車の数もぐっと少なくなって、何となく寂しくなった頃「白浜駅」が現れた。若い子が多いのは、卒業旅行のシーズンだからか。しかし、こんな所でバイクを止める理由も無いので、海へと続く道を急いだ。駅から離れて県道34号線へ。海の存在は匂いで感じるのだが、なかなか浜には出られない。行き止まりの道を何度か行ったり来たりして、やっとその道を見つけた。車がやっと通れる幅の道で、すぐに車両進入禁止のポールが立っている。本来の道ではないような気がしたが、浜はもうそこにある。ポールの間隔も250ccのトレールバイクなら問題にならない。いっそのこと浜まで出てしまおうかと思ったが、さすがに「白良浜」でそんなことは出来ない。ポールを抜け、道の脇にバイクを止めた。
右手にメット、背中にザック、腰にウエストバック、靴はモトクロスブーツの厳つい格好で浜を歩く。どう考えても砂浜を歩くスタイルじゃない。季節が夏でないことがせめてもの救いであるが、この格好より不似合いなものがそこにはあった。砂浜を整備するための海中(?)ブルドーザが浅瀬に浸かったままになっている。せっかくここを目指して来たのに、その結末がこれではなんとも致し方ない。せめて視界からブルドーザを外して、万葉集の面影を捜すことにした。
「雪の色におなじ白らの浜千鳥 こえさゆる明けぼのの空」
やはり、春は曙か。ここで朝を迎えるのも悪くない。でも、実際にやったら、目立ってしょうがないだろう。砂が雪の様に見えるなら、冬も良いかも知れない。雪が降ったら、砂と雪の区別がつなくなるのだろうか。しかし、ここへ雪は降るのだろうか。降らないからこそ砂を雪に見ることができたのだろう。空は相変わらず白んだ色で、海だけが違う色合いをしていた。鳥は一羽も飛んでいないが、卒業旅行らしい一団が砂浜を駆け抜けている。
地図を拡げて、煙草に火を付ける。一斗缶の灰皿で煙草を吸う。やはり、春らしい。一斗缶の灰皿は、灰皿だけどこの大きさなので、当然ゴミも捨てられている。灰を捨てる分にはいいのだけれど、火が付いたままの煙草は捨てられない。気を付けて消したつもりでも、煙は上ってきた。地図と海と煙草を気にしながら、次のルートを目で追った。煙草の煙が消えたのを確認して、トイレを探した。トイレに行く途中で部活の集団が走ってきて、同じ方向に向かうことになった。この格好も奇異かもしれないが、この砂浜でのランニングも結構奇異な風景だと思った。
バイクを止めた道に戻った。カップルのライダー達が迷い込んでいた。2人ともバイクに弄ばれているように見えたのは、つまらない嫉妬のせいかも知れない。
県道34号を南下し、看板に従って千畳敷へ。僅か数km走るだけで、陸と海のつくる風景がまるで違う。千畳敷は、海岸を形成するその岩の断層とその形から、畳が千畳くらいあるように見えるからそう呼ばれるのだと思うが、ちょっと皮肉の視線で見れば、畳の墓場にも見えてしまう。不規則に重ねられて崩れた畳には、立ち入り自由の為の手摺りが所々に突き刺さり、柔らかいと思われる岩肌には無数の落書きが刻まれている。その上、足下には吸い殻が散らかり、沈んだ気持ちを更に重くした。自然の特異な現象が、無神経な人工物によって風化を加速させられている。再びここを訪れた時には、落書きは確実に増え、畳は確実に減っているだろう。
県道34号から右折して国道42号へ。海辺のワインディングロードを周参見町まで走り、少しでも時間と距離を稼ぐために県道38号線へ入る。海に飽きた訳ではないが、潮風に別れを告げて、周参見川を遡る様に山の中へ向かう。ここから目指す林道は三本あり、その内の二本目を通るつもりでいる。本来なら、三本とも通過したいのだが、上手く一筆書きで繋がらない。どの一本を削るかは、時間と気分に任せることにした。国道から離れたとたん、町並みは穏やかになり、買い物も難しくなりそうな予感がする。多少時間が早い気もするが、昨日のような慌ただしい夜は過ごしたくないので、酒屋をみつけ次第、買い物を済ませることにした。
程なくして、町並みの割には大きめの酒屋が現れた。ビールとつまみを買った。煙草は売っていなかった。水ももらいたかったが、店のおばさんと黒猫ヤマトの運転手が険悪な雰囲気だったので、一先ずここでは遠慮した。煙草の自動販売機くらい、この先にもあるだろう。しかし、水は見つけられるだろうか。
この県道の近くには「琴の滝」があるらしく、その看板は先程から目に付いていた。琴という名がどうして滝に付いたのか、少しだけ興味を持った。
「琴の滝」に惹かれながらその先に進むと、煙草の自動販売機を店頭に置く食料品店があった。いつもの銘柄を探したが、残念ながら自動販売機には並んでいない。無いことを理由に、店のおばさんと話をした。おばさんの息子まで出てきて店の中を探してくれたが、結局見つからなかった。仕方なく違う銘柄を買う。しかし、おばさんとその息子の関西弁が小気味良く、煙草一つでは申し訳ない気分になった。店の脇に水道があったので、ついでに水をもらった。これで必要な物は全て揃った。店先で水ポリをザックに入れていると、一台のカブが近付いてきた。いい歳のおじいさんで、見るからに不安定な走り方で、ノーヘルである。店のおばさんが話しかける。
「どこへ行って来た?」
「山だよ。」
こんな意味のやりとりであったように思う。日常の何気ない会話も、お国言葉で話されると旅情感と不思議な郷愁が湧いてくる。交わす言葉が少ない、一人旅だからこその味わいかも知れない。
結局、この土地に和み、「琴の滝」に向かう。県道脇に立つ看板の矢印に従い、県道から下る道に入った。周参見川に流れ込む川の一つに「琴の滝」はあった。それ程広くない幅の川に幾つもの滝がある。道はその川の土手に作られていた。幾つもの滝も滝というには余りにも小さかったが、その一つ一つに名前が付いているようだ。しかし、その小ささ故に、バイクを止めて見るまでには至らなかった。道がその川に掛かる橋に繋がると、最後で最大の滝があった。琴の弦を張らせる板の様に滝が幾つもあるから「琴の滝」と名付けられたのだろうか。橋の袂が少し広くなっていたので、そこで一服した。これくらいの川幅なら、まだ渡れるだろう。煙を吐き出しながら、昔のマールボロのCMを思い出した。
「男の価値は、幾つ河を渡ったかで決まる」
確か、そんなコピーだった気がする。少し大きめのゴミ箱が気になったが、「千畳敷き」程ではなかった。
県道38号線から県道225号線へ左折したら、何時しか県道36号線になっていた。バイク雑誌の地図を参考にして、「大瀬・矢野口林道」の入り口を見つけた。この林道は、鬱蒼とうした杉林に囲まれている。まだ日が高いことが幸いしたが、春先に走りたくなる様な道ではない。何となく冷たい湿気が漂い、まだ冬が居座っている様だ。景観も期待できそうもなく、林道自体が閉ざされた空間になっている。こんな閉鎖感のある林道は、夏に訪れたい。強い日差しがいい感じの木洩れ日になって、木の匂いとともに爽やかな涼感を呼ぶだろう。この林道も、脇に小川を従えている。そのせいか、路面には川砂が所々に浮いているが、適度の湿気のため、そこそこにタイヤはグリップする。道は上るにつれ、幅も狭くなってきた。車一台がやっとの幅である。調子に乗ると、出会い頭の遭遇に逃げ場を失いそうである。気を付けなきゃ、と思った矢先、目の前に軽の1BOXが顔を出した。お互い、平日のこんな時間にまさか、と思ったかは分からないが、少しだけ冷やっとした一瞬だった。どうやら、この小川に釣りに来たらしい。
軽の1BOXをやり過ごしてから、前ばかり気にしてしまい、この林道から分岐する「宮城川林道」の入り口を見過ごしてしまった。橋を渡る分岐点があったらしいが、気が付いた時にはもう、道はアスファルトに舗装されていた。舗装路に立つ手書きの看板のお陰で、現在位置を知った。来た道を引き返して「宮城川林道」へ向かうより、現在の位置から近い「将軍川林道」へ進みたくなるのは、一人旅の寂しさを感じ始めてきたからか。ツーリングマップや雑誌の情報では、「宮城川林道」より「将軍川林道」の方が、多少の問題があるものの、道は明るいらしいから、尚更そちらに向かいたくなった。
「将軍川林道」は県道36号線から続く林道だったから、迷うことなく入ることができた。この林道も将軍川という川を従えている。しかし、名前の様な立派な川でなく、川幅3mに満たない小川である。走りながら見える様子もなかなか良い雰囲気である。先程の林道のように閉鎖感もない。それにしても、そろそろアスファルトが切れてもいい頃なのだが、アスファルトは進むにつれ一層色濃くなる。所々に工事車両の待避場として使われたと思われる、ちょっとした空き地があった。ツーリングマップには「舗装化進行中」と書いてはあったが、一体どこまで続いているのだろう。
やがて道は下り始めた。道が上っている時は気持ちに余裕があったが、アスファルトのまま下り始めると、不安は隠せない。ダートは消滅してしまったのだろうかと、昨夜にも似た焦りが沸き上がってくる。このまま林道を抜けてしまえば、再び野営地を求めて彷徨わなければならない。二人なら、何とかなると先に進んだかもしれないが、やはり一人では躊躇してしまう。バイクの速度を緩めながら暫く考えたが、一向に現れないダートに見切りをつけ、先程の待避場に戻ることにした。
微かな不本意を感じる場所ではある。その理由は、アスファルトの道のすぐ脇であること。アスファルトの道になるだけで、車の通行量はかなり増える。しかし、この林道は使われやすい地理にあり、無意味な舗装化が進む林道と違い、然るべく舗装化される道である。もう一点は、道に接していた小川の河原に、強引に砂を撒いて作った空間であること。砂も引き締まった感触も僅かで、柔らかさがまだ残っている。しかし、これも、野宿の背中にはこの上なく優しい。幾つかの矛盾を覚えながらも、早速将軍川にビールを沈めた。
紀伊半島の山間部の道で時折目に付いた物に、「御宮擬き」がある。道の片隅にその辺にある材料で、小さなお宮が形作られているのだ。四角形をした上に屋根に見えるものが置かれている。この空き地の対岸にも、コンクリートブロックとトタン板で作られた全高500mmに満たない小さな御宮がある。この本当の目的は今でも分からないのだけれど、この「御宮擬き」の前にテントを張ることに少しバツの悪さを感じてしまう。やはり、御宮は、神様が宿る場所と考えるのが当然だろう。紀伊半島には熊野古道というものがあるそうで、遙か昔から道に対する信仰心があるようだ。もしかすると、この信仰心と関係があるのだろうか。これについては、もう少し突っ込んだ解釈がしたいのだけれど、そこまで気にしていたら、それこそ前に進めない。いつか、もう少し落ち着いた旅が出来るようになったら、気に掛けたいと思う。
まだ陽が残っているうちに、野宿の準備を終えた。余程の雨が降らない限り、流されることはないだろう。空き地の天井は期待していたより狭かったが、昨夜よりはましである。将軍川からビールを引き上げ、煙草に火を付けた。さすがに電波状態は悪い。AMラジオは何とか聞きとれた。明日も冴えない天気のようだ。しかし、携帯はまるでダメである。こんな所では当然なのだが、携帯を持つことによる安心感というか、誰かと繋がれる見えない糸が切れたようで、寂しさを感じてしまう。緊急用だと思っていた携帯に、いつしか気持ちを託していた。
今の時刻はまだ何となく暖かい。しかし、昨夜とは明らかに違う。あたりめを噛みながら、レトルトのご飯を暖めた。ノイズ混じりのラジオは、NHKを鳴らすのがやっとである。しかし、そんな場所でも、仕事帰りと思われる数台の軽トラが通過した。やはり、使われている林道らしい。ご飯の次は、ミートソースを暖めた。ご飯とミートソース、以外とこの組み合わせはいける。湯気が昇る先に、薄雲の夜空が見えた。月を捜したが見つからない。隠しきれなかった星が寂しく輝く。空腹を満たしたら、気温の低下が実感できた。一旦脱いだアウターを再び着た。昨夜とは随分様子が違うが、そこそこにそろえた冬用の装備
が本領を発揮できそうだ。
砂地の上はやはり心地がいい。これで星の光まで眺められたら最高なのだけれど、そこまで上手くいかないのが、それなりにいい。
「ある晩黒い大きな家の影に キレイな光ったものが落ちていた むこうの街かどで青いガス灯の眼が一つ光っているだけで それをひろって ポケットにいれるなり走って帰った 電燈のそばへ行ってよく見ると それは空からおちて死んだ星であった」
そんなことがある筈がない、と思っていたら、もう、眠っていた。