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                          捜神記  〜紀伊半島ソロツーリング〜 第1回

元に戻る                          99.*.* K.Yamamoto

 

「行き過ぎた 春に追いつく 若の浦」

 

野宿の夜は長く、朝は早い。だから、何かを考えたくなる。

 

出発前夜、素直になることを忘れていた自分と、それさえも出掛ける理由にしてしまっている事に気付いた時、出かけることを躊躇った。単純な理由と、それを庇うための複雑な理由、結局単純な理由しか残らない。

 

冬から春への移り変わりは、やはり希望に満ちる瞬間で、山肌の移りゆく色合いを眺めていると、こちらの気持ちも高まる。日毎に頼もしくなる太陽の光のお陰で、どこかに行きたい気持ちが蠢いてくる。

 

目的地はとっくに決まっていた。若の浦までは行かなくてもせめて白浜までは行きたいと思っていた。若の浦で行き過ぎるなら、白浜あたりでうまい具合に春を感じられる気がした。とにかく、南に行きたかった。海の春を感じたかった。

 

躊躇して、思い出して、無くすもの、得るもの、無くしそうなもの、葛藤したけれど、忘れていたものに気付いた今だからこそ、さらに気付けるものがあると思った。一人で行くこの行為に、意味を持たせたかった。

だから、昨夜はなかなか眠れなかった。朝はいつもより早めに目が覚めたが、覚醒された頭は、寒さだけにはしっかり反応して、どうせ気楽な一人旅なのだからと二度寝を誘った。寒さは決心を鈍らせる、いや決心を必要とする。まるで冬眠から覚める熊のように、目覚めの時を伺った。

 

バイクの準備は殆ど済ませてあった。何といっても、このバイクの初ツーリングである。キャリアは昨日取り付けたばかりで、サイドバックも購入してから初めて使う。この初めて尽くしの中、久々の緊張感を味わう。新装備のサイドバックの収納能力は抜群で、とかく荷物が多くなりがちなこの時期のパッキングを容易にしてくれた。ウインカーもブレーキランプもばっちり後ろから確認できる。唯一気がかりなのは、バックの中身の量によって固定される強さに違いがでてしまうことで、詰め気味の状態にしておかないとバック本体が強く固定されない。しかし、ズレた場合でも、タイヤに巻き込んだり、落ちたりすることはなささそうだ。

走行距離が千数百キロのこのバイクは、消え去る運命のエンジンを乗せている。新車であるが、既に製造中止のバイクであって、今しか乗れないバイクである。この先、余程の技術革新が無い限り、このバイクの後継車は生産されないと思う。あの頃は良かったなと思える時代が来たとき、間違いなく「懐かしの名車」になるだろう。

バイクは所詮つまらない拘りの乗り物であるから、例え一つでも気に入りるところがあると他はどうでも良くなってしまう。このバイクに乗り換えて、改めて無くしたものの大きさを知ったが、その反対に得たものの素晴らしさを知った。このエンジンがもう生産されないと思うと、残念で仕方がない。

3月21日、普段とあまり変わらない時間に部屋を出た。サイドバックを詰め気味にする調整に少し手間取った。いつものように、出発前の一服。煙の行方に視線を流すと、冴えない雲が広がっている。春分の日はいつも、天気が優れない。早春の天気が安定しないのは当然なのだが、せめて出発の瞬間ぐらい、くっきりと晴れて欲しいものだ。春雨なら濡れて帰ろう、と格好つけるにはまだ寒すぎる。

 

「3月の風と、4月の雨が、5月の緑をつくるのですか。」

 

本当に久しぶりのソロツーリングである。一人ということの不安は、トラブルに陥った場合の対処くらいで、とにかく無理をしなければ安全であると思う。バイクのトラブルはまず発生しないはず。あとは乗り方の問題。無理をしない乗り方、なんて当然といえば当然なのだが、二人なら行ける、とういう誘惑が無いから、やばいかな、と思ったときはやめてしまえばいい。無理も旅のスパイス、トラブルも思い出の一つ。あとはどう切り抜けるかだ。

まだ渋滞の残る反対車線を後目に、南を目指す。自由な目的地へ向かう余裕からか、すれ違う車から、いつも自分が見せているであろう、つまらない表情をいくつも見つけた。

 バイクの旅は、所詮晴れた空の下での出来事である。自分の体では作れない速度に晒され、五感がむき出しになり、目が、耳が、鼻が、肌が、いつもより敏感になる。しかし、それでも、天気は読めない。雨に縛られない信念は持てても、晴れの日と同じ気分になれる訳ではない。まして、海を眺める時は晴天であって欲しい。濡れることは我慢できても、濡れ続けることは我慢できない。

 

「鮫は六つ目の感覚として、電磁波を感じることができるらしい。」

 

 

海の、匂いだ。トラックの多さを気にしないまま、国道52号を南下した。国道52号と国道1号の交差点では、大抵信号に引っかかる。一時の停止が太陽の存在を感じさせる。空は出発の時より幾らか青さを増している。国道1号をほんのわずかの距離走り、すぐさま清水港方面に向かって国道150号へ。時間だけ考えるなら、このまま国道1号を走り東名に乗るのが一番である。しかし今回は、なによりもこのバイクの街乗りの燃費を試してみたかった。それに加えて、海を感じ続けて走りたかった。冬の海を知っている訳ではないけれど、海はもう、春を知っているはすだ。目的地に辿り着くだけが目的では無い。過程も結果と同じくらい、大切にしたい。

数台の大型トラックに威圧されたが、その隙間を縫う程気持ちは焦らなかった。港を抜けると自然と大型トラック達は消え、道は市街地へと続いた。清水エスパルスドリームプラザは平日の寂しさを保っていたが、自転車に乗る子供達のお陰で、春休みであることを思い出した。日本の暦はやはり、素晴らしい。久能山では苺狩りの呼び込みをやっている。不気味なマネキンと、よせばいいのにおばさん...。沼津を過ぎた辺りで空腹を感じ、煙草が恋しくなった。そろそろ休憩が必要だ。道もそれなりに混雑してきて、ディーゼルの黒煙が気になり出す。御前崎あたりで休みを取ることにした。

岬に回るために国道から逸れた。休日なら混雑するであろう二車線の道路も、さすがに車は少ない。街路樹は棕櫚のようで一瞬南国を思わせた。友人のウインドサーファーは、冬場の週末はここまで通うらしいが、結構な距離である。やはり、好きなことをする時は気持ちが違うようだ。目に入った反対車線のローソンで軽い昼食を買った。一人だと、まともな物が食べ難くなるのはなぜだろう。とりあえず、岬の駐車場までバイクを走らせた。岬付近はいくつも駐車場が並び、繁忙期の賑わいを想像させる。その中で噴水のある駐車場にバイクを止めた。太陽はいよいよ暖かく、太平洋も柔らかい日差しを反射させている。改めて走っていることの冷たさを実感させた。昼食はあっという間に終わり、昼寝を誘ったが、その前にスモールインパクト。トイレを捜したが見あたらず、仕方なく誰も乗っていないトラックの影の側溝で済ませた。冬の装備でのこれは、重ねて着たり履いたりしているので、かなり面倒である。それにしても、これだけの、しかも噴水がある駐車場でトイレが無いとは、少しやられた気がした。風向きが少し変わり、微かな臭いを感じた。他の誰かも、この側溝を使ったらしい。

国道から逸れたことで、御前崎の近くに原発があること、砂丘も結構続くことを知った。途中、国道150号を示す標識が直進性を失って少し戸惑ったが、遠州大橋を渡って、再び国道1号に戻った。

そろそろ、給油しても良い頃である。増穂の日石から160kmを越えている。いままでの2サイクルならとっくにリザーブである。しかし、このバイクはそうじゃないらしい。給油を覚悟してから、なかなか日石のガソリンスタンドが現れず、やきもきしたが、まだリザーブじゃないことで気持ちを落ち着かせた。やっと現れた日石で給油すると、なんと6.4lしか入らなかった。街乗りの燃費がいいとは知っていたが実際にこれだけの数値になるとは思ってもいなかった。やはり、とんでもないエンジンである。

国道1号を走りながら、時折見える浜名バイパスの看板に迷いながらも先に進む。汐見バイパスに乗り損ねて、国道42号に入った。国道1号との分岐は工事中で少し複雑だったが、これでやっと渥美半島である。やっと、ではあるが、ここから伊良湖崎まで、まだまだ一走りする距離が残っている。この国道42号沿いの看板はなかなか面白く、時代錯誤まで行かないにしても一世代前の感覚で描かれたものが多い。メロン狩り、鰻の養殖場、元祖国際秘宝館。そして、国道42号と平行して走るサイクリングロード、その名も太平洋サイクリングロード。このサイクリングロードは国道150号から続いているらしい。おまけに、太平洋ロングビーチもあるらしく、太平洋という名前が簡単に付いちゃっていいのかな、なんて余計な心配をしてしまった。

結局、間に合ったフェリーは15時15分。航行時間は約1時間だから、もう少し早く着きたかった。鳥羽に向かうバイクは2台だけらしく、もう一台は大阪ナンバーのZZR。やはり、バイクにはまだ早い季節なのだろう。時間も中途半端なせいか、車もそれほど多くない。バイクの駐輪は貨物室の壁ぎりぎりの所に設けられていて、駐輪時に傾きが大きいこのバイクでは、降りるときにちょっと辛かった。このバイクはサスペンションストロークが長く、必然的に地上最低高は高くなるのだが、スタンドはおそらく共通部品であるため、このバイクでは少し短く、駐輪時の傾きが大ききなってしまう。そのうえ、野宿一式の荷物と背中のザックがあるものだから、狭い壁際では思うように身動きがとれない。バイクの固定は、輪留めとキトーベルトラッシングが使われていた。過去4回ほどフェリーに乗ったが、全てキトーベルトラッシングだった。

オーバーパンツを脱ぐのが面倒だったし、客室内は禁煙のようなので後部のデッキに居を構えた。男一人では船首に立つ気にもなれない。早速、長椅子にメットとザックとウエストバックを並べ、寝そべった。海は穏やかで、船酔いは杞憂だった。少し頭を起こし、煙草に火を付けて、これから先の道を確認する。少し観光するようにと持ってきた、「るるぶ南紀伊勢志摩」をテーブルの上に広げ、普通の観光客を装った。林道を走りたくて、オフロードはオフロードしか行けないところに行くと拘ってきたけれど、やはりそれだけではもったいない。無限に思えた時間は、もうとっくに有限なのだと、最近はよく思う。

こちらの日の入りは何時頃なのだろう。山梨より幾らか日は長いと思うが、あと何時間走っていられるのだろう。御木本の真珠島が見えてきて、いよいよ紀伊半島が迫る。

鳥羽港から国道167号へ。とにかく西へ急ぐ。太陽が落ちてからの野営地探しはかなり面倒な行為だ。地図は読みにくくなるし、現在位置の把握も難しくなる。そして、眠る場所の安全が確認できない。目が覚めたら、あらら、で済めば話は別だが。しかし、一人の時に限ってそんな事態に陥りかねない。

今夜の目的地は尾鷲市の頂山と仮決めしていたものの、果たしてそこが野宿可能かなんて行ってみなければ分からない。地図を眺めていたら、尾鷲市に海に突き出す小山があって、そこなら気持ちのいい春の朝日で目覚められそうな気がしたからだ。だが、虫も寄ってこないこのバイクのヘッドライトと、月明かりだけでそんなに都合の良い場所が見つけられるのだろうか。

熊野灘の海岸線はかなり複雑で、静岡県の海岸線とは比較にならない。太陽の高さを気にしながら県道16号から、国道260号に分岐した。この国道260号は曲者の道で、海岸沿いは海辺を眺める余裕などなく、海岸から離れればたちまち山間部の道路である。渋滞のこの時刻も、こんな国道では無縁のようである。比較的長い直線の途中にあるガソリンスタンドで給油した。トイレを借り、ついでに水を確保した。夕飯は数日前にアピタの100円セールで買ってある。あと必要なものはその日その日のビールとつまみぐらいである。

給油してしばらくすると、道幅はぐっと狭まった。アスファルトは荒れ気味になり、車線は一車線になった。壁のペンキが所々剥げ落ちた小学校がある。今は廃校になって、公民館として使われているようだ。過去のツーリングでは、休日の学校に忍び込み、屋根の下をちょっと借りて雨を凌いだこともあった。明くる日は先生達の出勤前に出発したが、学校の近くの公園で東屋を見つけた時には、自分達の嗅覚が所詮こんなものかと思ってしまった。

いつの間にか道は車一台がやっと通る幅になり、民家の軒先が道に被る。こりゃ際どいな、と思っていると信号機が現れた。なんでこんな所に信号があるんだ?しかし、すぐに納得した。この信号機は工事中の片側通行の信号機と同じ働きをしていて、幅の狭い道の通行方向を規制している。

民家の密集した一帯を抜けると、道幅は広がりを取り戻し、やっと先を走る車を見つけた。そして、右折国道42号の道路標識が立つ。今走っている国道260号はそのまま走っていれば国道42号にぶつかるはずだから、ちょっとおかしい。近道なのだろうか。先行する車に誘われ、その道に入ってしまった。適度に速度を出すその車の後を付ける。辺りはもう、青の宵である。完全な深夜よりも、ある意味ではこの時間帯のほうが遙かに怖い。もし夜が待ちわびているのなら、今頃はその待望が最も高まる一時だと思う。だから、人間は間違いを起こす。事故だってこの時間帯が恐らく最も多いだろう。

先行する車のブレーキランプの先に、灯りが見えた。どうやら国道に戻るらしい。その手前の信号機上の看板は、この道が国道42号にぶつかることを示している。右折も、左折もである。果たして国道260号を走るより近道だったのだろうか。信号が赤に変わった。この交差点の脇には数個の墓石が立ち並んでいる。国道を通過する車のライトに照らされてその影が不気味に浮かび上がる。不安になった気持ちが不気味さで煽られる。この信号の先には小さな橋があり、その先にビールの自動販売機が見えた。取り敢えず、その店の軒先で現在位置を確認しよう。

その店は、酒屋と化粧品と薬屋が同居しているちょっと変梃な店だった。奥から出てきた感じのいいおばあさんに、尾鷲への方向と、時間を訪ねた。ここから尾鷲までは約1時間掛かるらしい。確定した不安のせいで、久しぶりの関西弁を味わい損ねてしまった。店の前で一服しながら地図を眺めた。やはり、余計な道に入り込んでしまい、結局、遠回りをしていたらしい。慌てると碌なことがない。いっそのこと、この橋の下でも構わないとさえ思った。

それでも尾鷲方面に向かって国道42号を走る。嗅覚をあてにしようとしても、走る道路上の看板からしか情報を得ることができない。どんよりとした雲が所々を覆って、月明かりも期待できない。

せめてもの救いは、きちんとした街でないこと。上手く国道を逸れれば、人目を避ける場所がありそうな雰囲気だ。しかし、そんなに都合のいい道を夜見つけることができるのか。そんな思考を巡らせていたら、「熊野灘レクレーション都市孫太郎オートキャンプ場」の文字が飛び込んできた。書くと長いが、こんな状況では一瞬にして読みとれてしまうから不思議だ。次の交差点を左折するらしい。しかし、その先は再び国道260号を示している。その交差点の手前には、「サークルK」。この辺りのコンビニはほとんどがサークルKだ。コンビニの明かりが、夜の暗さを実感させる。

今日はまだ初日だから、気になるのは、ヘルメットでボサボサした髪の毛くらい。安心して店内に入る。つまみの“あたりめ”と、煙草と、カロリーメイトを買った。最初、バイトの兄ちゃんを見たとき、「こいつ、私服でバイトしてんの?」なんて思った。ふつう、コンビニはユニフォームというか、その店のカラーの上着を来ているものだが、ここサークルKのバイトの兄ちゃんは、普通のトレーナを着ていた。でも、よく見れば、その胸にはサークルKのマークが入っていた。いかにもというユニフォームと比べれば、普段着っぽくてなかなか良かった。店の外に出て、店の明かりで地図を読む。本来なら、この辺りが国道260号と国道42号の合流地点だった。

交差点を左折し、孫太郎トンネルを抜けて国道260号へ。孫太郎トンネルは国道260号と国道42号のちょっとしたバイパスのトンネルである。このまま直進せずに、「熊野灘レクレーション都市孫太郎オートキャンプ場」の案内看板がある道へ向かう。道は海岸沿いへと下って、道の下に入り江が見える。もしかしたら、と期待するが、そこに続く道は、フェンスの門で遮断されていた。海苔の養殖場らしい。その養殖場と道を挟んで反対側に、林道らしき入り口が見える。一つはチェーンで入り口が塞がれている。一応、目星をつけておく。やがて煌々としたライトに照らされる、「熊野灘レクレーション都市孫太郎オートキャンプ場」が見えた。その付近もちょっとした公園になっている。勘が見事に外れた。

この季節、絶対にやっていないと思っていた。駐車場に止まっている車の数も予想外に多い。その上、オートキャンプ場には似つかわしい建物がある。その建物は体育館のようで、テニスコートもある。オートキャンプ場は入り口のほんの僅かな部分だけで、この広い敷地全体が「熊野灘レクレーション都市孫太郎」のようだ。人がいなければ、駐車場でもテントは張れた。均されていない空き地があるものの、ことごとく進入禁止になっている。「まいったな、こりゃ。」八方塞がりかと思った瞬間、行き止まりの先に右折する道があった。

それ程広くないこの道はやがて二股に分かれた。そして、そこに立つ看板を見る。この先は、どうやら別荘地で、この道は環状になっているらしい。しかも、途中に遊歩道があるようだ。遊歩道の入り口に期待して、先に進んだ。

少し広くなった遊歩道の入り口は、すぐに分かった。バイクのライトが照らす絵地図には「東屋」や「見晴らし台」など、その気にさせる単語が並ぶ。だが、所詮は遊歩道で、入れそうな感じがするのは入り口付近だけのはず。こんな入り口に誘われて痛い目にあった経験が、諦めを促進する。それよりも、ここにテントを張ってしまおうか。不意に止まったエンジンが辺りの静寂を気付かせる。消えたライトが、別荘の明かりの近さをも気付かせた。別荘地なのに別荘と別荘の間隔があまりにも近く、日常の生活感さえ漂っている。やはり、こんな所では眠れない。

結局、先程目星を付けた林道に戻った。余りにも頼りないヘッドライトの照射は、昨日見た映画を連想させた。この先に首無しの騎士が待っていたりしてと、小さな恐怖がうまれる。いきなりの暗闇は、少しづつの暗闇より、遙かに不気味さを増す。昼間は何でもないギャップが、より大きく口を開けているように見える。気持ちが焦り始めていた。

焦燥と、それをなだめる気持ちが交錯する。不安よりも安心の材料を探す。路面に落ちた枝葉は匂い立つほど新鮮で、この道が最近使われたことを物語る。廃道ではないようだ。暗闇の中を走った記憶を探す。一瞬、24時間EDの記憶が蘇る。あの時は、暗闇に加えて雨まで降り出していた。辛い経験は、辛ければ辛いほど、今がそれほど辛くないと思えるから不思議だ。清志郎も言っていた「楽しかったことより、辛かった方が、思い出になるのはなぜだろう。」と。

やがて道は分岐する。上る道と下る道。昼間ならば、その道の先の状況まで見通せる場合がある。しかし、闇夜の中では見える範囲の状態だけで判断してしまう。だから、こんな状況では上る道を選んでしまった。下る道は、再び舗装路に戻る可能性がある。今の目的は、テントが張れる場所を見つけること。道の幅がほんの少し広がっているだけでも構わない。すれ違いの待避場があればそれでいい。そんな期待を持ちつつ前進するが、道はすぐに下り始めた。轍は次第に薄くなり、周囲の湿気が気になり出す。タイヤのブロックが深く跡を残す感触がシートから伝わる。いつ溜まったか分からない、澱みすぎた水たまりを幾つか越えたところで、雑草の背丈が勢いを増す。ライトはすぐ手前の草を照らすだけで、肝心の行き先を照らさない。やっと、あきらめる気分になった。残りの手段が、最後の一つになってしまった。やはり人は、控えがあることを好む。控えがあるなら、あるに越したことはない。

とうとう、最後の一本となった下る道を進んだ。こちらの路面は十分乾燥している。はっきりした轍を走ると、道は上り始めた。幾つ目かのコーナーを抜けたら、簡単に待避場が現れた。慌てている時の結果なんて、所詮こんなものである。

路肩にバイクを止め、周囲の状況を確認する。少し道が傾いているものの、高い方に頭をおけば問題なさそうだ。ブーツの先で、転がっている石ころを払う。谷側も一気に落ち始める感じではないので、ひとまず安心した。空は木々の切れ間からやっと見つけられる。僅かな月光が届く。雨が降らないことを月に祈ろう。それにしても、暖かい。安堵のため息がでた瞬間、疲労が押し寄せて来た。

こんな時にしか聞かないAMラジオを点けて、テントを張った。サイドバックのお陰で、ヘッドランプの灯りだけでテントがすぐに取り出せた。今までのパッキングでは、テントは一番奥に入る荷物だったので、取り出すまでに余計な物を一度バックの外に出さなければならなかった。通常、テントはまだ明るいうちに準備してしまうから、そんなに問題にはならなかったが、この暗闇のなかでは話が別である。闇に紛れて物を無くしかねない。

テントの中に荷物を投げ入れ、グランドシートに横たわる。この程度の凸凹なら、サーマレストで十分吸収できる。十年使った銀マットに別れを告げて、去年からこれを使っている。サーマレストはビーチマットが薄くなった様な、棒状の風船を六本並べてくっつけた物。地面との断熱と、凸凹の吸収は銀マットの比ではない。しかし、直径80mm、全長2m近い風船を六本膨らませるのはさすがに疲れるし、吹き込み口に漏れ防止の仕組みがあるため、息を吹き込む時にちょっとしたコツがいる。素面の状態で準備しないと、上手く形にならないし、次の日の朝、不快な匂いを嗅ぐことになる。

水が沸騰するまでの間、煙草に火を付けた。ヘッドランプに照らされた煙が静かに昇っていく。風もない。聞き取れない天気予報だったが、明日はなんとか持ちこたえそうである。沸騰したお湯にご飯のパックを浸し、ビールのタグを起こした。この一口が旨い。

簡単な夕食は、あっという間に過ぎた。

スリーシーズン用のシェラフとダウンのシェラフを重ねた。携帯のアンテナは3本立っていた。携帯が繋がることがとても心地よく、頼もしかった。ヘッドランプを消したら、いろんな声が聞こえ始めた。あれほど考えようと思っていたのに、考え始めたら、もう、眠っていた。