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元に戻る ラワンデルの匂い (第1回)      H14.4.22

 イラスト作者:われもこう

     今回はCGです

   K.Yamamoto

 

ラワンデルの匂い

第一回

 

再びこの場所へ、という思いはその場所を立ち去ることを決めた瞬間に芽生える。でもそれは、その場所を立ち去らなければならない現実よりも小さな思いだから、自分の居場所に戻ってしまえばさらに小さくなってしまい、覚えているのか忘れたのか分からなくなってしまう。その思いが、再びその場所まで向かわせる決心になるのは、風邪をひいて風邪という病気を認識するみたいもので、風邪をひいた原因と同様に、ある「きっかけ」が再びその場所へ向かう思いを甦らせる。縦え記憶が名前だけになっていたとしても、一度甦ったその思いは中々衰えなかった。

「きっかけ」は、雑誌の中の記事に出てきた、修学旅行で行ったことのある「大原美術館」の絵で、その名画をこの目で見ている筈なのにその記憶が殆ど思い当たらない。当時と今では絵を見る気持ちが違っているけれど、忘れてしまっている現実はあまりにも寂しかった。その現実を認めたら、近いうちに必ずと出発の時を考え始めた。

それから間もなくして、記憶の中で、同じ場所を共有していた人と知り合った。細くなった記憶の線上を辿って、忘れていたことを思い出したり、自分の記憶とは関係ない部分での事実の共有に奇妙な偶然を感じた。この年齢になって、微妙に時間がズレていたとしても、同じ場所を共有し、当時は知っていたかもしれない可能性の人との再会は、再会という言葉が正しくないかもしれないが、懐かしさ以上の不思議な感覚にさせた。

過去へ遡るきっかけが続き、リフレッシュ休暇の時期も重なって、思いは決心になっていた。「大原美術館」へどうやって行くか、夜毎ツーリングマップを眺めて考えた。山陰地方にはそれなりに林道が存在するのだが、山陽地方には長い距離を走らせる林道が少ない。山陰地方からというルートも考えられたが、日本海側の寒さ、降雪は天気予報で認識していたので避けたかった。瀬戸内海周辺にも林道はなく、やはり四国に行きたくなる。結局思いついた計画は、淡路島〜剣山スーパー林道〜尾道〜倉敷、瀬戸内海周辺を橋で繋ぐルートとなった。徳島県〜高知県を結ぶ剣山スーパー林道も再訪である。しかし、現在は当時と違うバイクだし、今回は徳島県側から入ることでまた違った景色が見られるだろう。尾道と倉敷は最初からバイクを降りて街を彷徨うつもりだ。今まで林道を目的に走るツーリングばかりしてきて、観光地の近くを掠めても立ち寄る事は少なく、完全にバイクを降りて歩き回ったことは無かった。尾道、倉敷とも地点より地域を楽しむ場所だし、ツーリング中の速度を緩めるのも悪くない気がしてきた。

気がつければ修学旅行で訪れた場所に再び向かう計画を立てていた。懐旧の情を少し遠い場所で感じられるだろうか。

 

三月十日、前日までの四月中旬の陽気に騙されて、寮を出発した時間は午前6時。高速道路を使うのが前提だから、本来なら「甲府昭和I.C」から中央道に乗ればいいものを、わざわざ「韮崎I.C」まで走った。タイヤが新品だったこともあるが、「甲府昭和I.C」では気持ちの切り替えが早過ぎ、これからの高速道路地獄に備える僅かな時間が欲しかった。

今日は高速道路を繋いで淡路島まで行く予定で、三時過ぎには淡路島に到着できるだろうと勘で決めていた。目的地は欲求を満たすよう決定した。しかし、結局のところは、今日中にどこへといった具合である。本来なら昨日出発するつもりでいたし、それは帰ってきてから出社するまでに一日余裕がある計画だった。それが遅れてしまったのは、バイクを不安なく高速道路走行できるための準備に予想以上の時間が掛かったからだ。普段もそれなりに手入れはしていたが、本来、純粋にオフロードを走るために作られたバイクで、しかも高速道路を使ってツーリングに行こうというのだから、できるだけのことをしておきたかった。正直、このバイクではあまり正しい選択ではない。一時、このバイクを買ったことを後悔さえしたが、このバイクの持つ懐の大きさに気が付いた時、このバイクは唯一無二の存在になっていた。事実ホンダ以外、この手のバイクは作っていない。こんなものさという割り切りがいいのか悪いのか分からないが、欠点を知り尽くし?予想できるトラブルの対策を自分なりに準備して、今回の高速道路を使ったツーリングへ出掛ける気分なった。そして、やはり旅の道具はバイクでありたい。

本来、ツーリングの移動手段として高速道路を使うことは余り好きではない。道路に走らされ、標識を認識するだけで前に進めてしまう。見える景色は余りにも早く流れ去り、記憶に留めている暇も無い。そしてなによりも、あまりに風を受け過ぎてしまうからだ。通常の風なら五感、六感までも冴えさせるが、高速道理の風は予想以上にこれらを衰えさせる。その上、今の季節では体温を奪う。日中の気温が幾ら四月並であっても、そこは三月の午前六時の気温に変わりはなく、しかも道路の最高地点を通過していくのだから寒くない訳が無い。幾ら暖かめの装備であろうと、時速100kmの風に晒されれば体は冷える。特に応えるのは顔面で、オフロード用のヘルメット特有の形状により、顔の半分は直接風に触れている。ゴーグルで覆われている部分は幾らかまし、と言いたいが、ゴーグルも新品の新型で、顔の形に馴染まない。鼻と接触するはずの部分には隙間があって、冷たい風が入ってくる。声にして「冷たい」と愚痴を溢す以上に冷たく、顔に氷がくっついている感覚である。

あまりの冷たさに、まだ幾らも走っていないと思いつつ、堪らず八ヶ岳PAにバイクを停めた。気休めに持ってきたマスクを付ければ幾らかでも暖かさが稼げると思ったからだ。だが、そんなに上手くはいかなかった。マスクを付けてヘルメットを被ると、耳がヘルメットの淵を通過する際、耳は一旦下側に折れ曲がる。この時、マスクのゴム紐もヘルメットの淵に押されて同時に耳から落下してしまい、マスクはただ鼻の上に乗っているだけである。それでもと今度は両端にゴム紐を結び頭を通した。ゴム紐が耳から落ちるのは防げ無かったが、頬とヘルメットの内装の間で紐は残るから、何とかこの位置は保てる気がした。

再び本線に戻る。加速レーンの風が幾らか優しくなった気がした。しかし、速度も80km/hを超えたら、顎の下をブラブラするただのガーゼになってしまった。太陽が恋しい。晴れているのだろうが高速道路の路面までは光が到達しない。まして高速走行のこの状態なら、太陽を探す気にもなれない。両側を高い壁に囲まれ、更にその上にはまだ山があるような地形では、自分の影さえ失う。道の作られてる方向が悪いのだ。岡谷J.Cを過ぎたあたりから完全に日光は閉ざされ、時折霜のような白い粉が路面に付着していると、スリップを予想して恐怖を誘発する。日光が欲しい。再び顔面は感覚を失い、お面でも被っているかのようだ。体温の低下も予想以上だ。早く低い所へ、平らな所へと気持ちは焦るが、アクセルを握る右手は音を上げ始めている。

今までの経験上、このバイクは高速道路を一時間と乗っていられない。エンジンの振動でアクセルを一定に開き続けていることができなくなってくるからだ。スプロケットの歯数を変更して、少しはエンジンの回転数を落とすようにはしたが、所詮はノンバランサーのレーシングエンジン、嫌なら乗るな、止まっちまえのバイクである。時間で約一時間、トリップメーターで80km超えたら休憩を取ることにした。とはいっても、右手よりも体が寒さに耐えられず、堪らず辰野P.Aで休憩してしまった。辰野P.Aは完全に日陰で、太陽が到達せず、日差しによる暖など取れない。中の店も開店までにはまだ時間があり、缶コーヒーくらいしか暖をとる手段がない。こんな調子ではP.A、S.Aに立ち寄るたびにコーヒーを飲まなければならない羽目になる。仕方が無いので、ここはコーンスープにした。

このバイクのガスタンクでは200kmは巡行できる。しかし、160kmを過ぎたあたりで給油すると20km/lをやや下回っていた。高速道路ではいつでも給油できないので、その後もこのペースで走ることにした。景色は流れ、太陽の位置が変わる。日差しは強くなっても、冷え切った体は中々体温を取り戻さない。

P.A、S.Aに立ち寄るたびにバイクを降りて、先ずトイレに向かう。手洗い場で自分の顔を鏡に写す。どう見ても真面な顔じゃない。ヘルメットで抑えつけられ潰れた髪の毛。ゴーグルの跡と涙が乾いた跡が残る血走った目。鼻水の垂れた鼻。カサカサに乾いた唇。そしてこれらを乗せた寒さで赤らんだ顔。取り敢えず顔を洗い、髪を濡れた手で掻き揚げて何とかまともな髪にする。下半身も重ね着してるから、用をたすのも大変で、ウエストバックを背中の方に回し、オーバーパンツ、ウエストベルト、セーターの裾、フリースのパンツ、ポリプロピレンのタイツ、でやっと普通のパンツにたどりつく。上半身より身に付けてる物が多い。絶対に寒くない装備で固めても、この季節の高速の風は予想以上に体温を奪っている。腕時計の温度計は何時までたっても一桁の温度を示している。体温を保つためか、いつもより腹が減る。豚万、アメリカンドッグで小腹を満たした。

小牧J.Cには意外と早く到着し、本当の高速道路である名神高速道路に入った。滋賀県での走行距離は以外に長く、琵琶湖を大きく迂回してるのが走りながらも感じられた。京都に近づいていくと、上方まで囲む防音壁が現れ、いつの間にか外の世界とは隔離されて、空を共有するだけとなっていた。

名神高速道路の終点である「西宮I.C」から国道43号線で神戸の街へ。あまりのも風を浴びすぎて、甲子園など探す気分にはなれない。片側5車線が以外にも走り難い。休日で道は空いているのだが、今まで高速を走っていたからか、本当に車が遅いのか、中々思うように先に進めない。この季節でさえ高速走行直後のエンジンはアイドリングが高めで、冷やせ冷やせと急かしている。去年の秋口のツーリングでは、高速走行直後の料金所前の渋滞でエンジンは音を上げて、冷却水を噴出した。レーサーだから仕方が無い、それ故それだけで済んでしまうのだから、レーサーはやっぱりレーサーである。そんな過去の経験から適当な昼飯にありついて、少し休ませてやろうと思っていたが、上手い具合に見つけることができず、いつのまにか国道2号線になっていた。昼飯のことを考えていたら、バイパスに逸れる地点を見逃して、そのまま神戸駅正面の通りへ。車線が減少し、国道2号線の標識が消えた。駅前の通りが渋滞していない訳など無く、再びアイドリングが高くなる。それでも歩道と車道がはっきりしていたので、タクシーの無意識な動きを捌いて何とか渋滞から逃れた。

神戸駅を過ぎて、片側二車線の国道2号線に戻ることはできたものの、まるで人込みに合わせるかのように、人が少なくなった、と思ったら道路も一車線になり、今度は車の渋滞となった。西宮I.Cを降りてから、明石海峡大橋へ最も近い垂水I.Cへ向かう道がなかなか現れない。高速道路と渋滞でバイクの移動感覚が鈍っているから焦りを呼ぶ。しかし、併走している山陽本線を手掛かりに何とか自分の位置を把握した。平磯海釣り公園一休みして、明石海峡大橋を渡るべく、国道からの道順をもう一度確認して頭に叩き込んだ。明石海峡大橋までの道は右折の標識が出てから、橋を渡るべく高架が見えるまで意外と距離があって不安になったが、高架が間近に迫ると一気に気持ちが昂ぶった。昂ぶる気持ちと裏腹に、一緒に神戸淡路鳴門自動車道に進む車は一台も無かった。

橋の手前の舞子トンネルがまるでデス・スターの滑走路のように思わせるのは、片側三車線の道幅と、丸みを感じさせない天井によるものだろう。トンネルの中には未だに建設直後の気配が残り、海からの風が奇妙な低音を響かせている。速度を控えめにしてトンネルを抜けたものの、いきなり広がる視界に一瞬、何処かへ飛び出したような錯覚に戸惑った。さらに、ホースの先から飛び出した水はこんな気分なのだろうか。しかし、すぐに「二輪車横風注意」の警告が視界に現れたので、両方のステップと踝に力を入れバイクを抑えた。次に速度の数字に下線が引いてある、最低速度50km/hの標識が出ている。明石海峡大橋は、海上何メートルの高さに設置されているか分からないが、意外と風に強さを感じなかった。海風のはずなのに、海の気配が分からない。むやみな風に当たり過ぎて、風に麻痺してしまっているのか。橋の中央に近付くと、前の車が速度を緩め始めた。片側三車線の真中を走っていたのに、一番左側の車が速度を落としたら、それに同調するかのように。最低速度以下にはならないものの、真中の車線を走行していて、しかも後続車がいるのだから、非常識もいいところだ。いきなり目の前に壁ができた。一旦一番右側の車線まで走り、非常識な車の前を横切って、一番左の車線を走った。その後、同じように後続車が越していく。真中の車線を走っていた車に苛立ちを覚えたのは他にもいるようだ。

明石海峡大橋を渡りきり、理解し難い標識を頼りにハイウェイオアシス淡路に入った。広い駐車場だが、かなりの車で埋まっている。二輪の駐輪場は広さで車三台分位しかないが、一応屋根つきだ。バイクは一台も停まっていなかったが、これではツーリングシーズンともなればバイクが路上に溢れるだろう。淡路島に到着した時間は午後三時前で、ほぼ予定通りだ。薄い雲が広がる空ではあったが、予想していた暖かさは持ち合わせていなかった。今までのS.Aと同様、バイクを停め、トイレに向かい、顔を洗って、髪の毛を伸ばす。顔色は幾らか暖かくなった気温で、ましな血色になっているが、鼻水が垂れた跡だけははっきりと残っていた。

先ずは腹ごなしであるが、これまでの高速道路の所々のS.A、P.Aで小腹を満たしてきたから、強烈な空腹感は感じなかったし、夕飯までの時間も近い。時間が外れて空いている食堂の券売機の前でメニューを眺め、「淡路島ラーメン」を食べることにした。「淡路島ラーメン」は淡路島の名産である「玉葱」が普通の「棒葱」の替わりに使われているらしい。それでも600円はちょっと高い気がする。出来上がったラーメンは、やはりぬるいスープで、それ程美味しいとは感じさせなかった。素早くラーメンを食べた後、建物の中央の通路をそのまま明石海峡を見渡せる出口の方向に進む。歩きながら慌ててラーメンを食べてしまったことに後悔した。こちら側にくれば丼屋があって、600円でもそこそこのものが食べられたようだ。

そのまま外へ出て、ベンチに座り明石海峡を眺める。多くの人が橋をバックにして写真を撮っている。その光景を見ながら、せっかく「写るんです」を持っているのだからと思い立って写真を撮った。ファインダーを覗きながら、本当に今走ってきた橋なのかと思ってしまう。渡って来てのだという実感がまるで湧かない。橋が橋らしくなかったのか、道路が陸の上で橋になっているからなのか。眺めて架かっている橋を確認することはできても、走って海を渡ったという実感が無い。海に架かる橋は海面から離れた分だけ確実に海の気配を遠ざけ、潮風など感じさせない。やはり橋と言うものは、水の流れを認識するから橋だと思う。無意識に視界に飛び込んでくる、横切る水があるから橋ではないのか。片側三車線では左方に海を認識することしかできない。下をじっくり眺めたところで、海の流れなど分からなかっただろう。大きな橋を渡ることに何かしらのロマンシチズムを感じようとしていたのが間違いだったかも知れない。その代わり頭の中に浮かんできたのは、「昼間のパパ」がBGMに流れて、建設中の橋の上で「パパの仕事は地図に残る仕事」、といった感じのCMだった。やはり、橋より峠がいい。

淡路I.Cの出口は、ハイウェイオアシスの混雑ぶりからは予想できないほど寂しかった。淡路島の土に触れずに、そのまま四国へ渡る人の方が多いのだろうか。寂しいI.Cを後にして、国道28号を南下する。海岸沿いの道は橋よりも海を感じられ、やはり気持ちがいい。一般道だからか、海が近いからか。嗅覚で感じる海、ツーリングマップを見るという行為。その辺の海岸で寝てしまうのもいいかも知れない、と思いつつ、一応の目的地、洲本市にある林道を目指した。舗装されているようだが、ツーリングマップでは大展望の凡例が示されてる。期待していいと思う。再び高速道路直後の速度麻痺が訪れた。一般道の速度が煩わしい。道は空いているのだけど、車の流れが遅く感じて仕方がない。もしかしたら、これは島のゆとりなのだろうか。なんとなく懐かしいバス停のロータリーを見つけて、日曜の午後を感じた。

洲本市に行く途中でこのツーリング初めてのオフロードバイク二台とすれ違う。彼らはどこを走ってきたのだろう。四国からの帰路なのか。国道28号線は、洲本市から海岸線を離れて内陸に向かう。そして今度は海の代わりに洲本川がその脇を流れる。洲本市の中心地に行くには、国道から逸れて橋を渡らなければならない。そこそこ混雑してきた国道を、少し先行する様な走り方をしていたので、渡るべく橋を見落としてしまった。それに気付いて最も近い橋を渡ったが、完全に自分の位置を見失っていた。渡った先で道は細くなり、大きな橋の下に出た。そこへバイクを止め、一服しながらツーリングマップを眺めていると、野良犬が物欲しげに近づいてきた。久しぶりに見る、野良犬だった。一度来た道を再び戻り、国道に戻り正しい橋を渡って中心地へ。酒の安売り店で500mlのビールと水1リットル、撮みにスルメを買った。夜の準備はできたのだが、ここからが難しかった。洲本市の中心地はツーリングマップにも一応の拡大地図が載っているので、何とかなると思っていたが、やはりそれ程簡単ではなく、何度もバイクを止めた。その度に携帯のGPSを使ってやろうかと思ったが、バッテリーの消耗と街中にいることを考えると、初日から使うのは躊躇ってしまった。結局、コンパスの矢印と勘を頼りに、気が引けるような路地を通って、目的の林道へ繋がる県道481号を見つけた。

なんだかんだいっても、方向と勘で道を見つけてしまう自分が少しだけ微笑ましいと思った。しかし目的の林道はこの県道からも分岐しなければならない。ツーリングマップ上に記載されない橋も幾つかあって、橋の数での位置情報では、またしても自分の位置を見失う。二度目の勘で進んだ道は希望通り山の中へ導いて行く。数軒の集落を抜けると、小さなダムがあって、この場所でもいいんじゃない?とさえ思ったが、三ケツで走る高校生とすれ違った時には流石に気が引けた。さらに先に進むと未舗装路になった。行くべき道は、舗装路のはずである。しかし間違った道であっても未舗装路を走る喜びには代えられず、間違いを承知で更に先に進んだ。何れにせよ、道はどこかに繋がるというのは舗装路の話で、こういう雰囲気の未舗装路の道はかなり怪しい。道幅が次第に狭まって、片側は完全に谷、山の斜面にあわせた道になってきた。そしてついに道は無くなる。このまま進むとUターンさえ危うい。でかいバイク故仕方が無いことだが、高速道路でも十分な巡航速度を保ち、こんな挟路の林道さえも許容してしまうこのバイクの懐の大きさを改めて実感した。

再び現在位置が確認できる場所まで戻り、一つ手前の橋を渡ることにした。すると、今度はきちんと看板が出ていた。「柏原山林道」。所詮、こんなものである。やはり、焦りは、見失うものが多すぎる。舗装された林道を、鬱憤を晴らすべく勢いで走る。ただ跨って右手にさえ力を入れていればいい道に比べ、コーナーをつなぐ上り坂は気持ちがいい。少し煩い排気音が山の中ではすこぶる心地良い。やがて道幅が広がって、大きな絵地図と駐車場、東屋、トイレがあった。そして展望台の看板が立つ。矢印の指す方向にはコンクリートの打ちっぱなしの道が続いている。展望台までバイクを走らせ、景色を味わうが、海まで見渡せなかった。再び駐車場に戻れば、道の反対側にもちょっとした展望台がある。バイクを降りて、その展望台に乗ると、紀伊水道が目の高さより上に見えた。東屋、トイレがあるのでこの場所でも良かったが、車が一台駐車してある。絵地図によればこの先に非難小屋があるらしいし、その先にも東屋、トイレは点在しているようだ。まあ、この時点では東屋なんて微塵にも思っていなかったが。

避難小屋を目指す途中、何台かの車とすれ違った。これだけの道ならば仕方が無いことだが、避難小屋に辿りついた時、その周囲に車は無かった。だが、避難小屋には問題があった。予想した建物とかなりかけ離れていて、小屋というよりちょっとしたプレハブの物置のような感じで、山の中の建物では無かった。もう少し?状態よければ利用できたかもしれないが。避難小屋は窓ガラスが無残にも割られ、その破片が室内に広がったままで、雨でも降ってこなければとても中に入ろうと思う雰囲気ではない。道を挟んでトイレがある。トイレの先に空き地があって、そこでもいいと思った。しかし、この時刻でさっきの駐車場に車が在ったことを考えると、まだここを通る車はあるだろうと思い、道に面してる場所は避けたくなった。再び避難小屋へ視線を戻し眺めていると、避難小屋の脇から上に登る細い道がある。歩いていこうかと思ったが、このバイクなら何とかなるだろうと思い、その道を進んだ。その道はやはり散策用の道の入り口になっていて、開けた山の斜面のちょっとした広場に通じていた。斜面を蛇行して歩道ができている。その道の脇には道が曲がる度に石が点在し、その石には星座が彫られていた。平らな場所がないかと探したら、広場を囲む林の境に丁度テントが張れるくらいの平面を見つけた。地面は芝に覆われていて、寝心地も良さそうである。林の木が杉というのが気に入らないが、道路からも目立たないし、トイレからそれ程離れていないので都合がいい。バイクを木の下に停め、その横にテントを張った。

 

日没の瞬間を味わいながらビールのタグを起こした。西側の方が山側だったので、日が落ちる時間は意外と早い。高速道路ばかり走ってきたが、疲労は以外に少ないように思う。一つ忘れ物をした。ガスカートリッジを一つしか持ってきていない。ランタンをあきらめた時点で、ガスカートリッジも一緒に置いてきてしまった。出発前にランタンをチェックしたのだが、マントルの部分以外からも炎が出て、驚いた。液体と違い、気体は漏れているかどうかが視覚で確認できず、確認できた時には炎になっている。年数回とはいえ十年以上に渡って、過酷なバイクの振動に揺さぶられていたのだから、寿命がきても仕方が無い。こういう状況を見てしまうと、ガソリンランタンの優位性も分かるような気がする。実際のところ、ランタンはどうしても必要、というより独特の灯りを楽しむような道具で、実用面から見れば、ヘッドランプで十分事が足りる。ただ、ヘッドランプを頭に付ける煩わしさから逃れることはできるから、通常はストーブ用のガスカートリッジが無くなったら、すぐさまランタン用を転用してきた。

AMラジオは和歌山県の放送局を受信できた。天気予報は和歌山市、「一時雨、所によっては雷を伴う」と告げている。和歌山市と淡路島、かなり近い。そう言われると、なんだか雲行きも怪しくなってきたような気分になってきた。確かに星が見難い。スルメの味に飽きてきて、ビールが酔いを誘う。ご飯パックをコッヘルから取り出し、レトルトのカレーに入れ替えた。ストーブのシュー、お湯の沸騰したボコボコ、AMラジオのそれらしい独特の音。AMラジオの音だけはいつまでたっても変らない気がしてしまう。煙草一本+αで、カレーが温まった頃合だ。ストーブを消して、パックご飯のラベルを剥がし、ご飯を動かして半分カレーが溜まるようにした。久しぶりの一口目でアングリ。ご飯がまだ冷たく、芯が残っている。ご飯パックは五分ぐらいじゃ温まらないことをすっかり忘れてた。それでもカレーが十分温まっていたから、何とか舌を誤魔化して食べることができた。

パチッという音と共に、冷たいものが頬に触れた気がした。もしやと思ったが、それはその一瞬だけだった。久しぶりなのに、十分の眠気がある。一応携帯の電波状態を確認した。明日の朝はまずバイクのメンテから始めよう。第一夜から雨など降らぬと思っていたら、もう、眠っていた。