一人、記録の荒野をひた走った、川崎競馬の生んだ「鉄人」

佐々木 竹見
ささき たけみ 

勝負服デザイン・赤/黄山形一本輪


青森県出身 1941年11月3日生まれ A型 初騎乗/1960年6月 

引退までの通算騎乗成績 39060戦 7151勝 

先日、川崎競馬場に行ってみた。いつもと同じ電車に乗り、いつもと同じように競馬場に着き、いつもと同じようにレースを見た。だが、何かが違う。何が違うのだろう?目の前ではいつもと同じ砂の上をカクテル光線に照らされた馬達がいつものようにゴールを目指している。だが、やはり何か違う。いつもはそこにあった何かが消えている。ふと、新聞に目線を落とすと、いつもはそこにあった一人の騎手の名前が無い。そう、佐々木竹見騎手の名前が無い。いままでは当たり前のように「佐々竹」の表示があり、その度に「今日はどんなレースを魅せてくれるのだろう?」と楽しみにさせてくれていたのに。「引退してしまったんだな・・・」
いつかはこんな日が来るとは分かっていたのだけれど、遂にその日が来てしまった。誰も成し得なかった記録を次々に打ち立て、数々の名騎乗でファンを酔わせてくれた。多くの騎手達が目標にしていた。だが、偉大、いや偉大すぎたこの目標を誰も超えられなかった。
そして、だれも超えることの出来ないであろう大記録を置き土産に、鉄人は静かに鞭を置き、競馬場を後にした。
1941年、青森県上北郡に生まれた竹見少年は、小柄ながらも幼い頃から運動神経は抜群だったという。そんな竹見少年にある日、人生を変える出来事が起こる。
1956年の夏のある日、学校帰りの竹見少年は道端で重い荷物を持って歩いている老人を目にした。
「荷物持ちましょうか?」
心優しい竹見少年が、その老人に声をかけた。実はその老人は馬の絵で有名な上泉華陽画伯だった。画伯の荷物を抱えた竹見少年と、画伯は歩きながらいろいろと話をしていた。その中で、竹見少年が運動が得意だという話を聞いた画伯が言った。
「君は小柄だし、運動神経も良いなら、騎手になってみるのはどうだろう?」
思わぬ一言だったろう。しかし竹見少年は、画伯の紹介を受け、川崎の青野厩舎に弟子入りをした。
なんだか作り話みたいだが、これは本当の話。心優しい竹見少年の一言が、「鉄人伝説」の第一歩だったのだ。その後、3年間の修行の後、騎手デビュー。デビュー戦は大差のビリ。しかし、2年目以降は持ち前の運動神経のよさ、そして誰にも負けない努力の末に、グングン成績を上げていく。そしてあとは皆さんの周知の通りである。
鞭を置いた鉄人は今後は調教師にはならず、那須にある地方競馬の騎手養成所で講師となるという。「生涯一騎手」を貫いた鉄人らしいと思う。是非とも地方競馬発展のために将来のスターを育てて欲しい。鉄人スピリットは永遠だろう。