資料
2011年06月06日 15時20分 |
原発と国家「日本を創る」シリーズ記事 | ||
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原発と国家第1部 東日本大震災と東京電力の福島第1原発事故は人々の暮らしを破壊し、日本を不安に陥れた。戦後史に刻まれた2011年3月11日。地震と津波は途方もないがれきの山を残し、原子炉から漏れ出した放射性物質との苦闘はいまも続いている。巨大な複合災害はこの国に何を問いかけているのか。危機管理の不在、原発安全神話、技術立国の過信、名門企業のおごり。隠れていた負の遺産を直視し、新しい日本を創る道を探してみたい。 @神話崩壊:進む危機なすすべなく 3月12日午前7時すぎ、班目春樹原子力安全委員長と一緒に自衛隊のヘリコプターで福島第1原発に乗り込んだ菅直人首相は、東京電力の武藤栄副社長を怒鳴りつけた。「早く説明しろ」。視察は、原子炉格納容器から放射性物質を含む蒸気を逃がす非常手段「ベント」を迫るためだった。 1号機の容器内の圧力は未明に設計圧力の2倍を超え、危機は目前にあった。免震重要棟2階の会議室で武藤副社長、吉田昌郎所長と向かい合う。関係者によると、東電側は「作業員が手動でベントするかどうかは1時間後に決めたい」「4時間後なら電気を復旧させ、電動ベントができ.るかも」と説明したという。 あくまで電源復旧に固執する東電。「悠長なことをやっている場合じゃない。どういう形でもいいから早くやれ」。首相は一蹴し、進んでいなかった作業は午前9時すぎから、手動での実施に向けようやく動き始める。 ベントはしたものの、午後3時36分、1号機の原子炉建屋は容器から漏れた水素で爆発する。「ガタン!」。建屋に向かう乗用車と消防ポンプ車が巨大な衝撃で跳ね上がり、若手作業員は約100b先の建屋上部の屋根と壁がごっそりとなくなっているのを見た。 近くの建物のガラスが粉々になり、破片が飛ぶ。免震棟の扉は枠組みが大きくゆがんだ。けがで足を引きずり逃げる人も。「被ばくして、もうじき死ぬんだな」。思いが頭をかすめた。 3基の原発でメルトダウン(炉心溶融)が同時に進む世界初の過酷事故に見舞われた福島第1原発。人間の制御を離れ放射性物質を吐き出し続ける"怪物"と、なりふり構わぬ闘いが続いた。安全神話は崩れさった。 ◇ 東日本大震災が発生した3月11日の午後3時半ごろ。4号機の原子炉建屋にいた作業員(23)は高台の事務所へ逃げる途中、異変を見た。「あれ何だっぺというくらいの引き波だった」。防波堤付近の水位が信じられないくらい下がっていた。 別の作業員(54)は強烈な揺れとともに「ごおー」という、うなるような音を聞いた。「早くしろ」。舞い上がるほこりにせき込み、数十人が殺到する出口へ。線量計を床に投げつけ外へ出た。 「ステーションブラックァウト!」。午後3時37分、東京・内幸町の東電本店に置かれた非常災害対策本部で怒与交じりの声が飛んだ。原発の安全設計審査指針が「考慮の必要はない」と切り捨てていた長時間の全電源喪失が始まった。「どうして…」。中堅の幹部社員は立ち尽くした。 ■70トンの塊 炉心の燃料は、制御棒の挿入で核分裂反応が止まっても「崩壊熱」を発し続ける。電源を失い冷却できないとメルトダウンに至る。それでも東電はまだ時間的余裕があるとみていた。8時間は緊急冷却機器のバッテリーが稼働する。その間に外部電源を復旧させられればという期待があった。 午後5時すぎ。東電は管内10の全支店に「福島に電源車をかき集めろ」と指令した。しかし地震や津波で道路は寸断、至る所で渋滞していた。「思うように進めない」。本店に悲鳴のような報告が次々に入る。 1号機炉内ではこのころ、長さ約4bの燃料棒の束が高温で溶け、圧力容器を満たした水が蒸発。午後7時半ごろ燃料がむき出しになった。やがて燃料を覆う被覆管が破れ、直径約1aの燃料の塊(ペレット)が落下。12日朝までに全て溶け落ちた。底にたまった約70dの塊は、容器を溶かして外に出れば、多数の人間を殺傷しかねない。 午後11時、初めて東北電力の電源車が到着。自衛隊車両も含む十数台が集まったのは12日朝だった。しかし、敷地にはがれきが散乱し、建屋に近づけない。用意したケーブルも短すぎた。さらに「設備が津波で浸水し、無理につなげばショートする」(東電幹部)恐れも。大きな望みをかけた電源車は無力だった。 免震棟では、居合わせた社員全員に呼び掛け、止めてあるマイカーのバッテリーを外して1号機に運ぶことまで試みていた。建屋脇に数十個のバッテリーを直列につなぎ、原子炉の水位や圧力を計る機器類の電源にしようとしたが、功を奏したかは不明だ。 ■新たな爆発 最悪のシナリオは3号機でも進行していた。13日午前2時42分、原子炉への注水がストップし、冷却機能が失われる。東電はその存在すら公表していないが、この日午前、放射性物質を含む蒸気が漏れ出した3号機の建屋に、6人の作業員が足を踏み入れていた。 防護服に防水ジャケット、ボンベを背負った作業員が、取っ手をゆっくり回して分厚い扉を開く。真っ暗な内部をヘッドライトと懐中電灯がぼんやり照らし出した。「シュー、シュー」。酸素を供給する音だけが響く。 電源を失った発電所で、高い線量にさらされながら続いた人力による復旧作業。建屋は翌14日の午前11時すぎに1号機と同様に水素爆発し、社員や、危険を知らされていなかった自衛隊員ら11人がけがを負った。 15日早朝、2号機の圧力抑制プール付近で爆発音。約730人が敷地外へ一斉退避し、約70人が第1原発にとどまった。4号機で火災が発生し、退避した作業員もすぐに呼び戻された。 東電は残留者を50人と発表、海外メディアは「フクシマ・フィフティーズ」ともてはやした。国家の危機に立ち向かう"決死隊"のイメージが膨らむ。だが、今も現場にとどまる20代の社員はひとりごちる。「残った管理職が出す指示はいいかげんなものが多かった。どんどん若手が現場に行かされた」 原発と国家第1部 A安全規制の失敗 深刻な事故を想定せず 東日本大震災から4日後の3月15日午後6時半、東京・霞が関の大臣室の一つで、後に内閣官房参与となる小佐古敏荘・東京大教授が、与党議員らを前に東京電力福島第1原発事故について、こう強調した。「チェルノブイリ級になるかもしれない」 衝撃を受けた与党議員らは、小佐古氏ら専門家を中心とした非公式な「助言チーム」を直ちに結成。翌日には東電本店で初会合を開いた。 会合には原子力委員会の近藤駿介委員長や経済産業省原子力安全・保安院の担当者らが参加。原子炉の状況や放射線防護などについて勧告をまとめ、一部は実現した。本来は原子力安全委員会が担う役割だが、班目春樹委員長が参加したのは1回だけ。それも「わずか30秒で退席」(関係者)したという。 ■軽いみこし 安全委は、商用原発の安全規制を担う保安院の規制が適切かどうかを監視。事故時には専門性を発揮して政府に助言することになっている。 だが、ある関係者は「実質的な規制権限を握る保安院が担ぎやすいように、軽いみこしになっている」と解説。組織の形骸化を指摘する。 実権を握る保安院も十分に機能しているとはいえないのが現状だ。 「経験不足の保安検査官に対しては、電力会社は勉強のための立会検査をわざわざお膳立てし、事前レクまで行う」 ある原子力関連メーカーの関係者は、保安院など国の機関の専門性不足から、安全対策が電力やメーカー任せにされてきたと指摘する。 東京大の城山秀明教授(行政学)は「福島のような事故の最終判断は首相や経産相。電力会社が手順書で、事前に動き方を決めておくのは難しい」と指摘する。長年「原発は安全」とされてきたため、深刻な事故発生時の具体的手順の準備を進めにくかったという。 米国などでは想定外の事態が起きる確率を基に、深刻な事故の想定に基づく対策が取られ、想定を超えた大洪水などの対策も実施されているが、日本では導入に至っていない。2006年改定の原発耐震指針ではこうした考えも一部盛り込まれたが「国民性になじまない」などとして、事業者が自主的に試行する段階にとどまっていた。 ■弱体化 人材難も深刻だ。政府関係者によると、今回の事故後に来日した米国の原子力規制委員会(NRC)メンバーは当初、保安院ではなく、防衛省と接触した。米国では、原子力潜水艦を扱う技術者がNRCに再就職する例が多く、海軍が人材供給源となっているためだ。 日本の場合、旧日本原子力研究所などの技術者や原発メーカー、電力会社OBが規制の技術面を支えてきたが後継者は育たず、今後の人材難が懸念されている。 米国流の複雑な規制手法を導入するには、行政側の専門性向上が不可欠で、人材難は安全規制の一層の弱体化につながりかねない深刻な問題だ。 「国策民営」と呼ばれる日本の原子力の安全対策。城山教授は「国はこれまで事業者に丸投げしてきた側面がある」と指摘する。 有効な原子力安全規制の不在、政治の危機管理の空白、業者任せの安全対策。原発事故があらわにしたものは多い。 「保安院や安全委などを統合して、原子力安全規制を担う独立組織をつくる。その上で、自前の人材育成に努めなければいけない」ー。城山教授はこう警鐘を鳴らす。 原発と国家第1部 B危機意識欠いた政治 噴き出した積年のツケ 3月11日の東京電力福島第1原発事故発生直後、臨時のオペレーションルームとなった首相官邸5階の会議室で菅直人首相はいら立ち、何度も声を荒らげた。 「そんなことで俺を納得させられると思っているのか」。怒声は海江田万里経済産業相にも浴びせられた。新たな問題が起きるたびに右往左往する原子力安全委員会メンバーや経済産業省原子力安全・保安院の職員。「想定外」の事態に政権中枢は冷静さを失い、専門家にも先を見越した助言をできる人材はいなかった。 官邸の迷走の遠景には、原子力発電を国策として推進しながら、安全神話をうのみにし「最悪の事態」への備えを怠ってきた政治の姿が浮かび上がる。 ■怠慢 東電と保安院、安全委の対応に不信を持った首相は「セカンドオピニオンが大事だ」として母校・東工大の教授らを次々に内閣官房参与に起用。にわか仕込みの知識を振りかざし、思い付きに近い発言を繰り返した。 4月18日の参院予算委。昨年10月の原子力総合防災訓練の内容を自民党の脇雅史氏がただすと、首相は立ち往生した。中部電力浜岡原発(御前崎市)の非常用炉心冷却装置が故障するという、今回に通じる深刻なシナリオ。険しい顔で原子力緊急事態宣言を読み上げたはずの首相の答弁は「詳しい内容は記憶しておりません」。脇氏は「これは大変なことだ。総理が入って訓練をやる意味が全くない」と厳しい口調で追及した。だが、危機意識の欠如は菅政権だけの問題ではない。 安倍政権時代の2007年7月、震度6強の新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発(同県)の原子炉4基が緊急停止した。被害はタービン建屋外の変圧器火災などで済んだが、耐震設計基準を大幅に上回る直下型地震の発生は、全国各地の原発の安全性に重大な影を投げ掛けた。 当時の甘利明経産相は急きょ電力各社トップを集め原発の耐震安全性の確保と防火体制強化を指示した。官房長官だった塩崎恭久衆院議員は「冷却装置が止まったわけではないから、役所側もそう深刻に思っていなかった」と振り返る。 「あれほどの地震でも制御が機能したため『日本の原発は大丈夫だ』と、逆に安全神話の補強材料に使われた」。以前から津波対策強化の必要性を国会で訴えてきた共産党の吉井英勝衆院議員はそう指摘する。 1955年の原子力基本法制定以来、原発推進の旗を振り、電力業界と密接な関係を保ってきた自民党。菅政権批判の一方で「津波への備えに抜かりがあった点でじくじたる思いがある」(甘利氏)と、党内ではいま反省の弁も漏れる。 ■民主の変質 原発推進の経産省内に規制を担う保安院があるのはおかしいー。民主党は野党時代、公正取引委員会のような強い独立性と規制権限を持った「原子力安全規制委員会」を創設すべきだとして、2002、03年に法案を共産、社民両党と共同提出した。 だが「原発に厳しい民主党」はじわじわと変質する。党エネルギー戦略委員会事務局長を務めた近藤洋介元経産政務官は、地球温暖化問題が最大の転換点だったと指摘する。「『原発推進』の腹を固めないと『温室効果ガス25%削減』はうそになりますよ」。決断を促した近藤に、党幹部は「その通り。推進でいい」と言い切った。 昨年6月、増子輝彦経産副大臣(当時)は政務三役で原子力安全規制委設置に関し検討を始めると表明した。ただ「結論ありきではない」との注釈付き。規制強化の具体策はとられないまま、安全論議を後回しにしてきた積年のツケが3・11に噴き出した。 原発と国家第1部 C原子力の「聖域」 エリートを中心に結束 大地震と津波が東京電力福島第1原発を見舞った直後の3月11日夕。東電本店からは原子力事業を担当する武藤栄副社長(60)がヘリで福島入りした。地元自治体などと対策を協議するのが主な役割だった。第1原発では吉田昌郎所長(56)が指揮を執った。 東電本店と福島第1原発を結ぶ午前9時からのテレビ電話会議。海江田万里経済産業相、細野豪志首相補佐官らも聞いていた。 「そんな危険な作業はできない」「事故は現場で起きているんだ」。武藤氏が14日に東京に戻っても、吉田氏が本店側の指示に反論し、作業プランを練り直させるのは日常茶飯事だった。 米国留学経験もあり東電技術陣のエースとして育てられた武藤氏に対し、吉田氏は福島第1、第2原発で計15年近く過ごした現場派だ。事故直後から4月にかけ「作業の主導権は現場側が握っていた」(経産省幹部)。1号機への海水注入を吉田氏が独自の判断で続けた問題が発覚しても、武藤氏は吉田氏をかばった。 どこの電力会社でも原子力部門は「聖域」。武藤氏のような技術エリートを中心に、独自の秩序と結束を保ってきた。「原発だけは社長を社長として意識していないような異質な空気があった」。西日本の電力会社の元社長はこう振り返る。 ■内向きの論理 原発勤務の経験がある元東電幹部は「運転に問題のないトラブルなら、こっそり直してしまおうという雰囲気があった」と語る。 2002年には原発でのトラブル隠しが問題になり、東電社長が辞任に追い込まれた。当時を知る技術者は「ずっとうそを重ねており、心の重荷になっていた」と振り返る。 トラブルが明るみに出れば、原発の新規立地や増設が前に進まなくなる。これが隠蔽(いんぺい)の最大の動機だった。そして福島第1原発で7、8号機の増設計画を抱える東電では、この内向きの論理が変わることはなかった。 東電の経営は、原発立地と政界工作を担う総務部門が長く支配してきた。しかし1990年代後半から電力自由化の流れが強まると、事業戦略を練る企画部門が主流になった。「原発は安全で当たり前。原子力部門は十分厚遇してきた」(元東電副社長)。いずれの派閥も原発の安全神話にもたれ掛かってきた。 ■電力市場に富 経産省の若手官僚は4月半ば、東電の原発事故賠償と電力改革に関する7nの私案を首相官邸周辺に手渡した。 私案には「福島第1原発の廃炉事業は別会社に分離」「大地震に備え電源(発電所の立地)を分散化」といった提案が並ぶ。目玉は「東電は発電会社と送電会社に分割する」という発送電分離論だ。 経産省幹部らは「今はまだそんな議論をする時期ではない」と口をそろえる。東電はこれまで、政治力を駆使して発送電分離への動きを封じ込めてきた。しかし菅直人首相は5月18日の記者会見で、発送電分離の検討をいち早く表明した。 発電事業への新規参入を幅広く認め、電力会社の送電線を使わせるー実現すれば、戦後続いてきた電力の地域独占体制は大きく揺さぶられる。 「閉ざされてきた日本の電力市場には多くの富が眠っている」。米エネルギー産業と結び付いたワシントンのロビイストは、早くも日本に視線を向け始めた。 原発と国家 第1部 D完 技術育成の失敗 研究開発阻む安全神話 「がれき撤去や放射線レベルの測定機能を備えたロボット、原子炉内に水を注入するための装置…」。福島第1原発事故収束のめどが立たない中の3月17日、米国に支援を求めるこんな内容のリストが外交ルートを通じて提出された。東京電力や経済産業省原子力安全・保安院を中心に関係省庁が協議してまとめた。 外務省筋は「米国への『お願いリスト』のようなもの。自分たちだけで対応できないと考えた結果だった」と明かすっ以降、海外からの技術支援による対策が動きだす。科学技術立国・日本の誇りはどこへ行ったのか。関係者は「東電タブー」の存在を口にする。 ■先陣切れず 高い放射線量が計測され続けた原子炉建屋に、事故後初めて入ったロボットは、米国の「パックボット」だ。「世界最高レベル」と賞される日本製は、これほど重要な場面で先陣を切ることができなかった。 「パックボットは戦災地域への投入を前提とし大量に製造される商品。日本のロボットはせいぜい試作品が数十体。信頼性が根本から違う」と話すのは千葉工業大未来ロボット技術研究センターの先川原正浩室長。 同大などのチームが開発した「クインス」は国産で初めて、現場投入が決まった。ただ、だれでも使えるような操作マニュアルの整備や放射線に耐えるかどうかの確認など、実用への調節に長い時間を要したという。 実はクインスは、がれきの走破性を競う世界大会で何度も優勝するなど、実力は折り紙付きだ。ロボット工学が専門の中村仁彦東大教授は「求める一つの性能に特化して極めるのが日本の研究開発の特徴。複数の能力を統合させ、"使える"水準に引き上げることは苦手だ」と指摘する。 同じような話は、放射性物質で汚染された水の処理の問題でも聞こえてくる。日本原子力研究開発機構の茨城県東海村の施設は、汚染水を蒸発させる方式の処理施設を持つ。今回採用されたフランス・アレバ社のシステムよりも能力は上というが、同機構の中村博文・福島支援本部復旧支援部長は「導入するには何カ月もかかる。東電はすぐに使える"出来合い"の技術を求めた」と話す。 高い技術だが使えない。原因はさまざまだが、大きな要因の一つは原発の安全神話にある。中村教授によると、国も研究者も「軍事目的」「原発事故」などの文言が入った研究にはある種の後ろめたさを感じるという。 特に原発事故では「周辺住民に『安全』と説明している国が、重大事故を想定した研究を推進するわけにいかない」。 ある中央省庁の幹部も「東電の力は大きすぎて国も顔色をうかがわざるを得ない。東電が嫌がる研究など推進できない」と、タブーの存在を強調する。 ■お蔵入り ただ原子力災害の対策がまったくないわけではなかった。1999年の臨界事故を受け、当時の通商産業省は30億円のロボット研究開発費を計上。開発に参加した企業は1年半で6台のロボット製造にこぎ着けた。 だが電力会社も入った実用化評価検討会は、動作が緩慢なことなどを理由に「現時点では使えない」と結論。ロボットはお蔵入りした。 「改良を加えれば十分使えたはず。開発しっぱなしではだめで、使う人の訓練も含め、技術の維持と継承が鍵なのだが」と開発に携わった製造科学技術センター調査研究部の間野隆久部長代理。 別の専門家も「日本には原子力防災ロボットの市場がない。電力会社に買う気がないのではどうしょうもない」と問題の根深さを指摘した。 (静岡新聞「日本を創る」シリーズ記事) |
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2011年06月05日 13時54分 |
原発問題資料 | ||
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渡辺敦雄高専特任教授が講演 制御できるなどという思いは錯覚 停止しても出し続ける崩壊熱 渡辺特任教授は、一九七一年に東大工学部を卒業して東芝に入社。原子力事業部に配属され、東京電力福島第一原子力発電所の三、五号機、東北電力女川原発の一号機、中部電力浜岡原発の一、二、三号機の基本設計に携わった。二〇〇五年に高専物質工学科に着任し、〇九年から市消費者協会顧問。 まず渡辺教授は「この(講演)資料を作った後に、菅(直人)首相の要請で、浜岡原発がとりあえず一旦停止ということで、正直ほっとしたところ」だと話を始め、 「原子力という猛獣を自分の知恵で従えて、皆さんに幸せな生活を送れるようエネルギーを供給しようじゃないかということだったが、今になってみれば、とんでもない錯覚で、原子力というのは大変な獣であったということが分かった」との思いを吐露。 そして、正しく情報を理解し、ものごとを恐れないと行動につながらないという考えを示し、「最悪の事態、設計用語では、最大想定事故と言うが、今回の場合は炉心が溶融すると、そういう事故をきちっと認識していかなければいけない。それがなければ行動は起こせない。想定外という言葉が言われるが、想定外ではない。僕ら技術者としては、これは非常に屈辱。私達がやってきたことは一体なんだったんだということになる」とした。 原子力発電所は熱エネルギーで蒸気を発生させタービンを回して発電する。発電原理は火力発電所と同じだが、熱を起こすところが違い、金額で言うと火力発電所で七、八百億円のものが原子力発電所は同規模で五千億円程だという。五千億円のうち三千億円から四千億円が緊急炉心冷却系という、福島第一原発で機能しなかった部分に使われている。 この緊急炉心冷却系について「これは、私達が設計をやる時、『渡辺君、これは一生に一度でも使ったら挫折だよ』と言われた機械。今回、それも果たせなかったが、『これが働いたら、もう我々終わりだからね。それを働かせないように我々は設計するんだよ』と私は先輩から教わった。今回、こういう意味で原子力発電所が一度でも使ってはいけない機械が、本当は作動してほしかったが、それすらも作動できなかった」と無念の気持ちをにじませた。 現在、福島第一原発では、夕ービン建屋の地下に溜まった水を処理するため、日本の技術ではできないので、フランスのアレバという会社が濃縮という方法で、推定七万トンの水を濃縮し運び出す予定だという。「想像してもらいたい。七万トンの水。一号機、三号機、四号機があるから、その全部だ」と困難さを指摘した。 また、五トンから百トンまでのものを吊り下げることのできる天井クレーンについて「想像つかないぐらいの大きさだと思うが、それが粉々になっている。これがプールに落ちて、専門家と話した推定では、三号機では、このプールを貫通して、その下に行っている可能性があり、燃料の部分もどこかへ行っている可能性がある」という。 さらに、「原子力発電所というのは、コンパクトかつ非常に厳重に出来ていることは間違いないと言われるし、確かに耐える。ところが、耐えれば、それでいいという訳ではない。まず、今回、電源が来なかったことでとんでもないことになった。もっとも現状では電源が来ても、なんにも役に立っていないということがよく分かると思う。それは外側の機械が全部やられたこともあって、電源が来ても残念ながら全然(状況は)変わらない」からだと説明。 一、二、三号機は圧力容器に燃料が入っていて、四号機は全部取り出し燃料プールにあった状態で地震に遭った。浜岡が廃炉の一号機、二号機は全部燃料プールにあり、点検中だった三号機は圧力容器と燃料プール、四号機、五号機は停止後、全部を燃料プールに移して数年間維持するというが、仮に燃料プールに移した場合でも、百年間は非常時の心配をし続けなければならない。 「原子炉というのは実は反応が止まってからが勝負。基本的には崩壊熱と呼んでいるが、ここが勝負。ここのところで、きちっと処理をしないと、今回のようなことになる。今回、反応は止まった。核分裂は止まった。これは事実。凄まじい爆発は、なぜ起こったかと言うと、その後の崩壊熱で起こった」と説明。 ところで、日本列島はプレート境界の真上に位置するにもかかわらず原子力発電所が五十四基もある。最初に原発を造ったアメリカをはじめ、フランス、イギリス、ドイツ、現在ではインドや中国も含み、外国はことごとく地震多発地帯を避けているのに対し、日本では避けようがない。 「原子炉機器冷却系、海水ポンプなどは施設の外にあり、冠水したら終わり。ポンプは水には強い。しかし、ポンプを動かすための周りの機械には水に弱いものがあり、それらが全部水につかってはならないように設計しなければいけない。せっかくディーゼル発電機があっても、冷却氷が必要とか、冷却するために冷却機が必要とか、海水ポンプが必要とか、ポンフのためにはモーターがいるとか、いっぱいこういうのがある。そしてこれは全部外にある。これがすごく大事なこと。仮に(燃料が)炉心から燃料プールに行ったとしても、燃料プールの冷却系が機能不全に陥ったら終わり。実際に、それが四号機で起きた。四号機の爆発はそこから起きている。つまり、四号機の例から見ると、(浜岡原子力発電所も)決して止めただけでは、燃料をどこかにもっていかない限り、最悪の場合、四号機のような状態になる恐れがあるということを認識しなければいけない」とした。 崩壊熱は核分裂生成物が安定しようとする時に出す熱で、二分の一が安定した状態になるのを半減期と言い、それがヨウ素の場合は八日間で、二分の一はまだ残っている。セシウム一三七という物質は三十年たたないと二分の「にならない。六十年たっても四分の一だあまり減らないと思った方がいいという。 「もしも、冷却に失敗すると燃料棒が溶融して放射性物質が拡散する恐れが出てくる。これは浜岡を止めても、こういう恐れがあるということを認識しなければいけない。放射能というのは絶対に消えない。最終的にはガラス固化。ガラスに封じ込める。ガラスだと、数千年もつと言われている。ガラス化というのは陶器を作るということで、高温で土を焼き締めて陶器にしてしまう。そうすると水を含んでも、外に出ないので、とりあえず陶器だけ処理すればいいので、処理の仕方が楽」だとした。 福島第一原発で起きた水素爆発について「人工ダイヤモンドでジルコニアという言葉を聞いたことがあると思うが、ジルコニアはジルコニウムに水を加えて熱を加えると二水酸化ジルコニウムというのができるが、できる過程で水素が出る。今回こういう反応で水素が発生してしまった。ジルコニウムはどこにあるかというと燃料棒を被覆している燃料被覆管という管がある。これが全部ジルコニウムでできている。非常に熱に強い。ジルコニアは融点二七〇〇度。相当溶けない。これが溶けた。これが溶けたのを炉心溶融と言う。私はメルトダウンと言っているが、崩壊熱のすごさが分かる」と指摘。 続けて、「(今回の原発事故で)どのぐらいの放射能が出たかと言うと、福島は六・三ベクレルの一〇の十七乗。チェルノブイリ五・二ベクレルの一〇の十八乗の約十分の一と言われている。これは海水の方は考えていない。全てが空中。だから、海水(の分を)入れたら、これ(チェルノブイリを)を超えるとは言わないが、(福島について言われている数値の)倍ぐらいになっているかも知れない」と推測。 さらに、「妻に言われた質問」だとして、「福島は皆、逃げる逃げると言っているが、広島の原爆はあんなに恐ろしいのに、あれ(原爆)と比べたら(福島は)ずっと爆発の規模が小さい。広島は数カ月後には戻ったでしょ、人が」という問題を提起し、その答えについて。 「実は広島は出た(放射性物質の)量がこの(福島第一原発の)五百分の一。原爆というのは(放射性物質の)量としては非常に少ない。ただ爆発が核反応しているので、ものすごい大きなエネルギーとなっているが、放射能レベルで見たら何百分の一。福島第一原発で四基あるうちの一基が一日に運転する量は、広島の原爆の百個分。爆発力で見たら広島はすごい。桁違いで(福島とは)比較にならない。逆に放射能のレベルで見たら(原発は)桁違いに大きい。広島の最大被曝線量○・〇一から○・〇三グレイ。グレイという単位は、大体シーベルトと同じだと思ってほしい。要するに(放射線)量が少ない、広島は」 続けて「学校の基準値が一年間で二十_シーベルト(に設定された)。これを考察してみた。放射線医療の専門家ではないので、専門家の正しいと思われる意見を少しまとめてみたが、これは主に東大放射線治療チームが出しているホームページから」だと紹介。 「年間)一〇〇_シーベルト以下では健康に影響を及ぼすとは、現状は考えてはいないということだ。データがあまりないということで、これはある意味では当然で、そもそも、こういう原子力の事故というのは多くないし、データは少ない。だから、いろんな病気とは違い、放射線に関してはあまりデータがないということを言っている。しかし、今のところは影響はない。ただし、皆さんが目にしているのは全部環境放射線のデータ。つまり外部被曝だ。ところが実際には内部被曝があるということを我々は知っているから、文献から外部被曝と内部被曝は等しいので、学校で子ども達が二〇_シーベルト浴びたということであれば、実効は四〇_シーベルト浴びたと思ってくれということを言っている、東大では。実効線量は外部被曝の二倍だということだ」 さらに「厚生労働省がやっと、我々が出せ出せと言ったものを四月二十八日に出した。原子力発電所の労働者のうち過去三十五年で十人が累積被曝。一年ではない。一生涯で浴びた放射線量に基づき労災認定をした。累積被曝線量は五・二_から一二九_(シーベルト)浴びた人が一応、法律的には、放射線によってがんになった、と認められたということだ。これを知っておいてもらいたい。四〇_シーベルトを子どもが浴びたら、どうなるか。皆が(がんに)なると言っているんではない。確率的に、そういう恐れがあるということを申し上げたい。そういう値に、(四〇_シーベルトは)入っているということだ」と指摘。 国立がん研究センターの発表では、一〇〇から二〇〇マイクロシーベルト浴びると一・〇八倍ぐらいのがんになるリスクがある、としている点に触れ、「一万人のうち百人がんになるとすれば、(放射線を浴びた場合では)百八人が、がんになるということ。大した差ではないと思うかも知れないが、(自分の)子どもか孫だったら僕は許容できない。一・〇八倍は結構高い」との思いを述べた。 続けて、「なぜ放射線が遺伝子を損傷して、がんになりやすいかと言うと、放射線がエネルギーを放つと必ず細胞を損傷する。ピストルの弾を撃ったら、どこかに当たって、必ず遺伝子の一部を損傷する。しかし、人間は強い。回復力があるから、すぐに回復する。しかし、(放射線が)二倍になると(損傷は)比例的に増えていく。受けた傷の数が増えると回復が追いつかず、がんを発症することになる」とした。ただ、発症するかどうかは、人の状態にもよるし確率的な要因による。 ある数値以下になると全く影響が出ない境を閾値(いきち)というが、がんの場合は、そう考えないというのが半数以上の人の考え方で、放射線量がどんなに少なくてもがんになる確率はあるとわれている。 「だから、小学生について実質四〇_(シーベルト)だと言ったのは、いくら緊時でもちょっと問題のある数字」だと憂慮した。 最後にエネルギーのベストミックスについて。 「ベストミックスは最適な組み合わせという意味。原子力発電所がなくなったら困るだろうな、と誰もが思うのではないか。エネルギーのベストミックスには基本的には安心なエネルギーということが大事。再生が可能か、つまり次々と次のエネルギーが際限なく得ることができるか。それから、二酸化炭素を出さないということ、これも大事だ。そして、他の国に依存しているエネルギーかどうか、それから、効率がいいか、これは絶対必要だ。特に効率は無視できない。ただ今回、これが一番強かったために、そのほかのことを軽視したと思う」と述べた。 続けて「太陽光と風刀、再生可能なエネルギーとして一番よく言われるものだが、太陽光の発電コストは四十九円ぐらいで結構高い。百万`ワットの原子力発電所一基分、つまり福島第一原発に四つあるうちの一つと同じ発電量の施設を造るのに、山手線内の面積とほぼ同じぐらいの広さが必要だと言われているし、結構大変だということは知っておいてほしい」。 また、「代替エネルギーがあるのかという話だが、日本の原子力発電容量は約五千万`ワット。そして、これは環境省がついこの間(四月下旬に)発表したデータだが、風力発電所が、東北地方だけで原子力発電所の三基分ぐらいあり、日本の(五十四基の)原発の容量は東京電力の(火力や水力も含めた)全体容量と同じだが、ほぼ日本の電力量をまかなえるぐらい、風力だけで大丈夫だとしている。これ環境省が言っていること。さっき容量で言ったが、原発の発電実績は三〇〇〇万`ワット。一部、定期点検なんかやっているから。そうすると日本の合計は一億五干万`ワットだから何とかなる。再生可能エネルギ」というのは、やる気になれば、あすにでもできる。原子力のように四十年もかからない」のだという。 さらに、「もう一つのデータ。世界の原発は四百三十七基で、全部を足した容量を、世界の再生可能エネルギーによる総発電容量が超えた。つまり再生可能工ネルギーで全部の原発よりも電気を起こしているということだ」と説明。 そして浜岡原発について。「冷却材喪失事故、つまり水がなくなる事故は、単純に電源、非常用電源装置を上に置くとか、消防の電源車を外部に頼んで、ちゃんと確保しているからと、電源さえ確保すれば問題がないように言っているが、今回の事故ではどうか。鉄塔がまず壊れた。受電変電装置、外の発電所から中に取り込む受電装置が水を被った。構内配線がズタズタになった。その結果、そういうものが回復できないという証拠が、今でも東京電力が動いていないことを見れば分かる。ものすごいダメージだった。つまり、非常用電源が出来たから、ポンプ車が来たから、いいっていうものじゃない。発電所って、そんなに単純じゃない、設計が。浜岡の津波対策だが、こういう風に砂丘の高さ一〇bで、あと五bぐらいの高さで(防波堤を)やると言っているが、津波って真正面から来ると思っている。これ津波の高さの話だが、(東北地方太平洋沖地震で)大体二〇bぐらいだ。浜岡原発は川に挟まれているが、川に津波の防波堤を造ることはできない。それからもう一つ、引き潮の問題がある。水がなくなり、冷却水がなくなるということだ。なくなったら冷却できなくなる。設計者は、そういうことを考えている。それが実に、引き潮対策沖合三〇〇b。浜岡に行った人は分かると思うが取水口が五〇bぐらい沖合いにある。(引き潮で)三〇〇b沖合に行ったら、これ福島の実測だが、このぐらいはあるだろうと思わなきゃいけない。そうすると五〇bぐらいだったらポンプは空になってしまう。考えたらきりがないが、今の中電の主流になっている人達は僕らの設計したものを運転している人達で、設計者じゃない(から、その怖さが分からない)」と説明した。 また、「想定外だという話があるが、地震は想定されていた。〇九年の経済産業省の審議会では既に指摘されていた」として、東北地方等に予測されていた地震などのデータをスライド映写。 「東電が言うように本当に想定外なのかと言うと、原子力安全基盤機構という原子力関係の集まりの機関が二〇〇八年に予測したシナリオがあるが、その通りになっている。海水ポンプの損傷で炉心溶融、屋外設備の変圧器の損傷で炉心損傷、軽油タンク等の非常用ディーゼルの電源供給設備の損傷で炉心損傷、全交流電源の喪失が発生した、これが炉心溶融。原子力建屋の解体で炉心損傷…。皆起こっている。この通りになっている。これ、三・一一以降に書いたんじゃない。私達が、こうなるであろうと、こうなったらこうなるであろう、だから、ならないようにしよねと言ったけれど、させてもらえなかった」と説明。 今回の事故は想定外の未曾有の災害がもたらしたものなどではなく、防ぐことができたかもしれない、いわば人災であることを大いに印象付けて講演を終えた。 【沼朝平成23年5月22日(日)号】 沼津高専 渡辺敦雄特任教授講演会より (渡辺敦雄特任教授略歴 一九七一年、東大工学部卒業。同年、東芝入社。原子力事業部に配属され、東京電力福島第一原発三馬五号機、東北電力女川原発一号機、中部電力浜岡原発一、二、三号機の基本設計を担当。 二〇〇五年に沼津高専物質工学科に着任し現在特任教授。〇九年から沼津市消費者協会顧問。) 厳しい状態続くフクシマ 聴講者との質疑応答から 県消費者団体連盟東部支部総会講演会が五月十二日、市立図書館で開かれ、沼津高専物質工学科の渡辺敦雄特任教授による記念講演について同月二十二日に内容を掲載したが、読者の反響が大きいことから、質疑応答の内容についても掲載する。この中で放射能の危険性が三十年間及ぶことを強調した。(注・五月十二日の内容であるため、その後の状況の変化は反映されていない) ー建設にあたっては設計者の意図通りに建設されているのか。 渡辺特任教授 その(設計者の意思)通りに建設がされているかというと、結論から言うと、されていない。そういうデータは実際は非常に難しいが、ひた隠しに…。東京電力も含めて検査結果のデータを隠して(問題化して)いることを見れば、いかに建設がいいかげんかということが、よく分かると思う。隠さざるを得ない。あれが発表されたら大変だから。だから捏造(ねつぞう)した。それが、ついこの間、東京電力でも起こった。非常に悲しいが。 今、東京電力の(原発の)現場で働いている方達は地元の方で、地元の方が大学で原子力工学を学んできた訳ではないし、物理学を学んできた訳じゃない。で教育を受ける…。(現場に)入る時に放射線教育というのは必ず受けるし、『原子炉とは何か』というのは二日ぐらいかけてやる。これは立派にやっている電力会社は。しかし、(受講する方は)ほとんど聞いてない。私も現場に行っているから分かる。あんな難しい話聞かせても…。で、とにかく最終的には『要は、このバッジ付けて、ピーって鳴ったら出てくりゃいいんだろう』と。そのレベル。 だから、検査はするけれども、検査の結果を見ると、ずいぶんずさんな工事がされているということで、そういう意味でも、絶対信用できないとは言わないけれども、かなり、そういう(いいかげんな)部分があると思うし、現実には工事現場で働いている人が、そういう事実をインターネットで告白している。実に現場はいいかけんだと。まあ、そのぐらいの感じで、残念ながら。 原子力発電所の設計者は非常に優秀だと思っている。さっきも斑目(春樹・原子力安全委員会委員長)さんの話をしたけど、ああいうのごろごろしている。最近テレビなんかで出てくるのも数人が東芝の人間。ごろごろしているのを見て、『ああやっぱりすごいのがいたんだな』って思うけど、そういう(優秀な人間の)考え方が(現在の)現場には一つも伝わってない。(原発に従事する)世代が変わったんで考え方も多分変わってしまったと思う。(今働いている)彼らが入社した時には発電所が出来ていた。まあそういう意味で発電所の建設を経験していない人が、運転しているというのも、ちょっと怖い感じがする。 炉心に残るプルトニウム チエルノブイリより多い福島 ーチェルノブイリは、なぜ爆発したのか。 渡辺特任教授 チェルノブイリは、まず水素爆発っていうのを起こし、その後にメルトダウンを起こした。メルトダウンというのは炉心が溶融する、すごい熱の塊(かたまり)だと思ってもらいたい。猛烈なエネルギーを持っているものが水の中に入ったらどうなるか。下には水がいっぱいあり、水蒸気爆発というのを起こす。つまり、水が爆発的に水蒸気になる。そうすると、その圧力と熱で、すごい破壊力を持つ。それで爆発したということで、水蒸気爆発が起こった。チェルノブイリでは水蒸気爆発。炉心が落ちて。幸か不幸か、不幸に決まってるが、全て燃料が飛び散った。逆に飛び散ってしまったために溜まってない。だから、そのうち、なんとかなると思うが。 しかし福島は違う。二万四千年駄目。知っといてほしい。福島は二万四千年。二万四千年って、今から(さかのぼって)みるとネアンデルタール原人の時代。プルトニウムが半分に減るのは二万四千年。(福島には)プルトニウムが五%ぐらいある。プルトニウムの毒性は、二万四千年たたないと半分にならない。半減期が二万四千年だから。しかも、ものすごくある、プルトニウムは。それが炉心に残っている。 さっき幸か不幸かというのは、そういう意味で、どっちが不幸か分からない。チェルノブイリは全部飛び散った。それで、世界中にばらまいたけれど、今、日本の福島には、もっと多い量がある。たぶんチェルノブイリの十倍ぐらいあると思う。 移動難しい浜岡の燃料棒 シナリオ崩れた再処理工場 ー浜岡の使用を今度止めたが、燃料棒は三年ぐらいたたないと移動できないのでは。三年たったら、それをどこかに移動することが可能なのか。 渡辺特任教授 結論から言うと、非常に難しい。と言うのは、移動するというのはどういうことかと言うと、二つある。まず自分の原発構内の、どこかに移設して新しくプールに入れるということで、これは移動したことにならない。同じような構内にある訳だから。 もう一つは、青森の六ヶ所村の再処理工場に持って行くこと。これが原子力事業者の最大のシナリオだった。ところが今、それはもう完全に崩れている。つまり持って行けない。と言うことは移動するという言葉を、もう少し分析した方がいい。 つまり同じ構内の違う場所に持って行くことは、三年たつと熱量も一万分の一になり、少し余裕があるので、持って行くことが楽になる。それで持って行くことはできるが、危険がなくなるということではない、と思ってもらいたい。移動はできる、しかし、同じ状態だってことだ。燃料を同じように保管するから。(運転を)止めても、最悪の状況は脱することができたけれど危険だということ(は変わらない)。 原子力技術者は三年後だろうと、危険じゃないなんて言ったら、もうそれは失格だ。そんな人の話は聞かない方がいい。僕の友達は皆、誰もが三十年ぐらいは心配だ(と言っている)。さっき(半減期のグラフを)見て分かるように全然減らない。だから三年後も十年後も関係ない。三年後の話をすれば十年後の話をしているのと同じ。 自分のため?トモダチ作戦 対岸の火事ではないアメリカ ープルトニウムとストロンチウムが飛んでいるという話もあるが、なぜ分析結果が出ないのか。 渡辺特任教授 たぶん量が少ない。ストロンチウムは毒性が強いけれど量が少ない。ストロンチウム90は大体半減期が似ている(セシウム137と)。確か二十九年だったと思うが、プルトニウムは微量だがアメリカにも飛んでいるというデータがある。プルトニウムはそもそも重いもので…、ものすごく重い。そんなにたくさん外に出てる感じがしない。実際、構内で見たけれども外側では非常に微量で、たぶん検出限界に入っているぐらい。だから僕は、その程度のものしかまだ出てないんだということを信じる。 ただ、あることはある。プルトニウムがある(出ている)っていうことは、間違いなく炉心が破損しているってこと(注・その後に発表された炉心溶融を、ここで指摘)。炉心にしかないからプルトニウムは。炉心から出るってことだから。だからプルトニウムが発見されていないのは少ないと思った方がいい。 プルトニウムよりもっと重いアメシウムっていうのがアメリカから発見されたというデータがある。アメリカは、すごい必死で。アリューシャン海流でアラスカからサケが巡って来る。やがてアラスカに帰って行く。つまり日本の放射能をアメリカに持って行って、ばらまくことになる。サケはアメリカで卵を産んで死ぬ。そうなると、アメリカの人は、これは日本の…、対岸の火事じゃない、と思うのは普通のこと。日本だって、もしそうならそう思う。だからアメリカの『トモダチ作戦』ってのは半分以上は自分のためなんじゃないかと。 放射能汚染対策はガラス固化しか… それでも問題残る保管場所 ーこれだけ原発のことが研究されて、技術の面でも素晴らしいと思ったけれども、後の漏れた時の対応というのが、国でもあまり方向も見えてこない。土なんか、ただ端へ寄せるだけではなくて…。それと今、(放射性物質を吸収させるため)ヒマワリの種をまくなんてことが検討されているようだが、国家として対策が見えないような気がする。 渡辺特任教授 放射能の汚染を何かするっていうことは、はっきり言うと、もう絶望的。ヒマワリをまいて、それは少しは吸収する。でまた、種をどうするのか。吸収したヒマワリをどうするのか、っていう話。どこへ持って行くのか。どうしようもない。多少は薄まるが、その程度。しかもどのぐらい薄まるか実績も何もない。まずそういう問題がある。 だから、はっきり言うと、放射能汚染されたものというのは、自然になくなるのを待つか、それからもう一つは、さっき言ったように、できるだけ一カ所にまとめて、できたら焼き固めてガラス化するかしかない。その方法は、実は、六ヶ所村で、まさにその方法を採っている。最終的にはその方法にいく。つまり陶器を作るってことだが、それが、絶望感が出てしまう。あの土の量を考えると。 それから(フランスの)アレバが別のものを入れて濃縮するっていう説もあり、そういう濃縮することを考えているけど、それを最終的に、またどうするのかって。結局、ガラス固化して埋め込むしかない。だから考えていることは同じこと。さっき言ったように陶器にするっていう。だけど、それしかもうできない。 じゃあ、それを(具体的に)どうするのかっていうのが、また問題。誰が引き受けるのか。そんな高放射能のものを。例えば東京が引き受けてくれるのか。福島の今回のものを、どこが引き受けてくれるのか。結局、福島のあそこに置こうということになってしまう。 そうなると、チェルノブイリは飛び散っちゃったけれど、(福島は)永久に残るっていうのは、そういうこと。だから、考えれば考えるほど、さっき言ったように煮ても焼いてもどうしようもない、放射能っていうのは。 ただ一つできるのは、それ以上行かないように固めることはできる。それがガラス固化って言うけど、皆さん、廃棄物処理で生ごみの溶融炉って聞いたことあると思うが、あれと同じ原理で、灰をさらに千二百度ぐらいにしてガラス化する。例えば陶器状にして地面に置くとか、いろいろ言う。あんな感じにしかできない。 ヒマワリの種もそれは…、まあ、それは専門家は言わないと思う。ヒマワリの種って慰め(に過ぎない)。そんなこと僕らが言ったら笑われてしまう。だから対策は、さっき言ったように高放射性物質については濃縮をすると、アレバが始めているので、それでしばらく対応せざるを得ない。あれ(濃縮)は誰でも分かる。 吸着っていうのは、皆さんが臭い取りに冷蔵庫に活性炭を置くのと同じこと。ああいう風に吸収する。それはできるが、それは移動であって、僕らから言うと移動に過ぎない。無くしている訳じゃない。 汚染された土地には戻らない方が… 子どもに心配な放射能の影響 ーガラス固化したところは住めないということですよね。 渡辺特任教授 今避難している人達が、どのぐらいで戻れるかというと、まあ僕の世代として、生きている間は戻れない。戻らない方がいいと思う。若い人は、もっと駄目。少なくとも子どもは(これから)七十年、八十年生きる。そしたら確実に何%かは(放射能の影響で)がんになる。だから、これはやめた方がいい。 僕は(文部科学省が)二〇_シーベルトにしたというのは、本当にちょっと問題だと思う。あれは行政が、なんとか学校を維持したいということで、気持ちは分かるが、なんとも複雑(な気持ち)だ。今の発表は、ほとんどセシウム。で、セシウムだと今と三十年間変わらない。これから三十年間下がらない。『来年は少し下がるだろう』と思ったら大間違い。 (ここで、「下がるのではないか」といった誰かの声を受け) いや、下がらない。僕は(指導している)学生に問題に出しているぐらいだから。二十年後にどのぐらいになるか。ほとんど下がらない、というのが答えだ。 県内線量への心配は不要 ただ若い人は敏感になった方が ー(静岡県などのように福島から)ちょっと離れたところで生活している私達は、どうしたらいいのか。 渡辺特任教授 まず一つは、少なくとも汚染と認定されたものは食べない。これはできる。それと逆に、あまりそういうことを言わないもの(食品)は、そんなに心配は要らないということ。こちら(静岡県)の線量率を見ても、それほど高くないので、僕は、そんなに心配は要らないと思っている。私自身、そんなに心配していない。 ただし、これから妊娠可能性のある方とか、若い男性で、結婚して子どもをもうけるような人は我々以上に敏感になった方がいいと思う。私も実は、下の娘が今、妊娠中で、娘には強く言っている。『お父さん言い過ぎだよ』なんて言われるが、僕はしつこく言っている。嫌われてもいいから言っている。と言うのは、こういう事故があって、それで何か影響を受けたということが、もし少なくともね、百分の一でも可能性があったら、(原発に関わった者として)死ぬに死ねない。特に僕はそういうことは嫌だ。 水戸にいる長女には水を送ったりね、柿田川の水を。まあ、そこまでやることはないと思うけど、気持ち。親の気持ちとしては、そういうことだ。(静岡県では)放射能に関しては、あまり心配は要らないと思う。で政府もようやく、今、正直なデータを出しているところで、調べれば分かるようなデータを出してきている。 それからエネルギーについては心配ない。中部電力は必ず頑張る。ただ、皆さんに多少の不便はいくし、お金も少し高くなるかも知れない。 それからもう一つ、最大の問題は、しばらくガスを使うので二酸化炭素が出ると思う。これはしょうがない。これを止めるとしたら、本当に電気が要らないということになってしまうので、僕は、そこまで言わない。 ただ、さっきから繰り返しているように、再生可能工ネルギーというのは、あすにでも、入れる気になれば入れられる。だから、そんなに頑張らなくても大丈夫だと思う。十年間ぐらい我慢すれば、きっと、この世の中は変わっていくんじゃないかと思う。だから、そういう風に長い目で、少し安らかに(見る必要がある)。 とにかく浜岡は一回は制御棒が入るので、まあ三カ月ぐらいは制御棒入れっぱなしだけど。それから冷温停止して核燃料を抜いて、冷温停止状態という形で燃料プールに置く。とりあえず制御棒が入った段階で核分裂はもう起こさないと思うので(その点は)安心だ。 【沼朝平成23年6月5日(日)号】 |
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