平成17年3月19日静新朝刊(全面広告)
「あまねガード」完成を街おこしの好機に・上本通り商店街
旗印は『近代的小学校発祥の地』
昨年十一月、中央ガードの改修工事が完了し「あまねガード」と命名された。この名は、明治初期に沼津兵学校の頭取(校長)となった西周(にし・あまね)が、ガードの南口辺りに居住していたことに由来し、「あまねく人の集まる町になるように」との願いも込められている。西と沼津、地元上本通り商店街の取り組みなど特集した。〈企画・制作/静岡新聞社営業局〉
優れた人材輩出「西周、兵学校頭取に就任十九番屋敷はガード南口」
学生時代、日本史の授業で明治時代の思想家として西周の名を知った人は多いだろう。「軍人勅諭(ちょくゆ)」の起草に関与し、福沢諭吉、森有礼らと明六社を結成したことで知られる。特に西洋の哲学思想をわが国に導入した功績は大きい。「科学」「技術」「芸術」、「哲学」「主観」「概念」「理性」「感覚」などの学術用語は、訳語として西が作ったものだ。西が沼津と縁が深いことはあまり知られていない。明治元年、四十歳の西は、沼津兵学校の頭取として、沼津に赴任した。妻・升子(ますこ)の同年十一月十五の日記には「天気後曇り。旧城内御殿御役所となり、十九番屋敷へ引移る事に相成る。」と、兵学校が旧沼津城内にあり、十九番屋敷に引っ越したことが記されている。この十九番屋敷があったのが、あまねガードの南入口付近だ。沼津兵学校は同元年、静岡藩すなわち旧徳川将軍家によって設立された。何といってもそれまで二百七十年余にわたり日本の政権を担当してきた徳川家が設立した学校だけに、明治政府や他藩をはるかしのぐ、優れた教授陣と教育内容を誇っていた。特に学校の組織・制度や英学、仏学、洋算などの学科にみる優れた特色は、幕末以来の幕府による西洋文化吸収の成果が集大成されたものといえる。同兵学校は明治政府に取り込まれ、三年半しか存続しなかったが、兵学校で教え、学んだ人材の多くは軍人ばかりでなく、官僚、学者、技術者、実業家、政治家、教育者などとして、日本の近代化を推進する指導的、中堅的な存在となっていった。沼津はそんな彼らが日本の将来を論じ合い、青春を謳歌した舞台だったのである。言い換えると同兵学校は、幕末と明治の接点に位置し、そこで育った人材は幕末と明治をつなぐパイプ役を果たしたといえる。西も同三年に明治政府に上京を命じられ、沼津を離れ官僚、学者の道を歩むことになったが、長い期間、本籍を沼津に置いたままにしていたといわれる。沼津への愛着が感じられるエピソードだ。
面としての街の発展期す
同兵学校の予備教育機関として併設されていた兵学校附属小学校は、同兵学校の兵部省移管に伴い、同四年十一月に「沼津小学校」と改称され、静岡学問所の管轄下に置かれることになった。同附属小学校の前身は、移住早々の旧幕臣たちが、子弟の教育のために同元年九月に設けた「代戯館(だいぎかん)」で、添地の長屋を一棟借り受け、雨戸に黒を塗って黒板にし、ゴザを敷いて授業を行った。以後、同附属小学校、沼津小学校、公立小学校集成舎と改称しながら存続、現在の沼津市立第一小学校へとつながっていく。同第一小学校が全国最古の小学校といわれるゆえんである。同附属小学校は、現在の上本通り沿いにあり、平成十年に「日本の近代的小学校発祥の地」と刻まれた記念碑が建てられた。こうした歴史的背景から、地元上本通り商店街は、あまねガード完成を機に「西周との深いかかわり」「近代的小学校発祥の地」をキーワードに掲げ、商店街の活性化に取り組んでいる。JR沼津駅南口再開発など将来の動きも視野に入れながら、隣接する仲見世商店街、アーケード名店街と一体となった面としての商店街の発展を目指している。
西周展開催中
26日に記念講演会を開催映画「沼津兵学校」も上映
沼津市大手町のぬましんストリートギャラリーで第二回明治史料館館蔵資料展「日本近代哲学の祖西周展」が行われており、西周の経歴や系図、著作や訳本などが展示されている。今月三十日まで開催される。今月二十六日には「第二回代戯館まつり記念講演会並びに映写会」が沼津市大手町の沼津信用金庫本店四階ホールで行われる。内容は次の通り。
テーマ「日本の学問・教育の近代化と沼津兵学校・西周」
第一部
一、基調講演会 元国士舘大学文学部教授・沼津史談会会長四方一弥氏
二、対談「西周の人と業績」四方氏と国立歴史民俗博物館助教授樋口雄彦氏
第二部
映画「沼津兵学校」(監督・今井正)上映第一部午後一時〜同三時、第二部同三時十五分〜同五時問い合わせは沼津信用金庫本店(電〇五五・九六二・五二〇〇)へ。
街の歴史を広くPR
上本通り商店街振興組合理事長・長谷川徹
平成十五年、再開発事業の動きを視野に、「この機をチャンスに街の明日の姿を勉強しよう」と、有志が月一回のペースで集まり、話し合いました。その勉強会の中で、街の発展の原点が、明治元年に開校した沼津兵学校附属小学校にあることが分かりました。そこで『上本通り商店街は明治、沼津城の西堀が埋められ、そこに人家が立ち発展し、現在の街になりました。特に明治維新後、徳川幕府の家臣が多く移住し、その子弟の教育の必要性を感じた家臣が、この上本通り(明治元年片ハ町)の一画に「代戯館」という日本最初の近代的小学校を開設し、江戸から西周や大築尚志などが来沼、その時代の最高学者の屋敷がこの片ハ十九番地にありました。現在、小学校跡地と思われるところに記念碑「近代的小学校発祥の地碑」が設置されております。また、西升子夫人の日記には沼津時代の生活が生きいきと記載されております。この街のそのような歴史と街の発展を広く市民にPRすること』を目的として、第一回代戯館まつりを開催しました。今年度は三月二日から「西あまね展」(沼津明治史料館主催)が開催され、二十六日には第二回代戯館まつりとして「講演会」「映画・沼津兵学校映写会」「西・大築屋敷跡表示板設置」を行います。これからも上本通り商店街は「日本最初の近代的小学校発祥の街ー上本通り商店街ー」をキャッチコピーに街おこしを進めるつもりです。
催事案内
画像をクリックすると、ぬましんストリートギャラリー寅次郎展にジャンプ