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パイプのアルバム
平成16年11月28日(日)街元気プロジェクト諫早現地研修が終わり、
午後5時11分発の「寝台特急さくら号」東京行きに搭乗する。![]()


諫早駅と島鉄ホーム

諫早駅に入ってくる「さくら号」・Bソロ寝台車の通路と14号室

荷物を解いて、諫早駅前で調達した鯖鮨をツマミにまず乾杯、車窓からの有名な水門を見学

しばらくサクラ号は走る、車掌さん「鳥栖駅で13分停車、はやぶさ号と連結する為、
ホームに下りた場合サクラは1番線ホームから出ます、そちらから乗るようにと」
サクラ号は鳥栖の3番線ホームに着き、はやぶさ号と連結して1番ホームから出発。
そこで個室の鍵と小銭を持ってワイシャツ姿でホームに降り、有名な6番ホームの
うどん(かしわうどん290円)を食べて一番ホームへ、
あれ?さくらがいない!ホームの売店のおばさんにさくら号は?おばさん曰く「さくら」は出たよ!
どうしよう困った、荷物も財布も切符もさくらと行ってしまった!どうしようどうしようどうしよう、おばさん
改札の駅員じゃないと私には分らない、それー駅長さんだ!あわてた、慌てた、あわてた!
駅長さん、どうにかしてよ!
駅員、一人ですか?荷物は?私、連れは居ません、荷物も財布も切符もサクラで東京へ行ってしまった。
お金がかかりますよ、今駅に入ってくる特急ツバメに乗って、博多で新幹線に乗り換えて小倉で追いつけ!
名前は?すべての乗り換え時間がないので急いでお金がかかりますよ!と駅員が言うのが終わらないうちに
一番ホームへ走ったね、全力で、ホームに上がった時ツバメが入ってきた、乗った!
ハーハー息が上がっているのにツバメの車掌さんが切符を拝見ときた、
切符なし、金なし、荷物なし、鳥栖でさくらに置いてきぼりされたと、切符はサクラで先に行っていると
言うと、それでは結構と了解してくれた。
ツバメでも一番前の席に座り、博多に着いた、ダッシュダッシュ一番先にツバメを降り、新幹線ホームへ
ホームが遠い分らない何処だ、どこだ!あった新幹線改札でサクラに追つきたい!改札員急いで急いで!
ホームに階段を駆け上がる!丁度いた女性の駅員にこの新幹線小倉に一番早着く?
女駅員そうです、それー乗り込む、電車の降り口に立ってハーハー、検札がこないように祈る。
新幹線のぞみ号小倉に着く、降車口から一番先に降り走る走る、さくら号は何番線ホーム?と
わめく俺、駅員さんじゃないといわれ改札口まで走る、8番線だ、走れ走れ!
ホームにたどり着く、「ホームのアナウンス(寝台特急さくら・はやぶさは3分遅れで入ってきます)」
これで沼津に帰れる!のどが渇いた、持ち金160円、130円のお茶を自動販売機で買い飲むうまい!
来た来た!俺がのっている「さくら号」が、乗っているはずの人が小倉のホームに入ってくるサクラをパチリ記念に、
乗り込む、8号車14号室に入ってバッタリ。(お粗末さくら号珍搭乗記)
ここのかしわうどん
小倉駅にて
小倉駅の隣ホームとホームに入ってきた私が乗ってるはずの「さくら号」
岐阜と名古屋あいだ車窓からの日の出とサクラのラウンジカー

いよいよ沼津へ駅西の11月25日開通した「あまねガード」・ 定刻29日午前9時48分着沼津駅

これにてツバメとサクラの物語おわり
ブルトレ「さくら・あさかぜ」など廃止
JR各社は二十二日、寝台特急ブルートレイン「あさかぜ」(東京ー下関)、「さくら」(東京ー長崎)を廃止し、東海道・山陽新幹線「のぞみ」を増発する来年三月のダイヤ改正を発表した。
あさかぜは一九五六年、戦後初の寝台特急として運行を開始。二年後には当時としては珍しい冷暖房を完備し人気を集めたが、新幹線や飛行機に押されて乗客が年々減少、昨年度の平均乗車率な29%だった。さくらも39%。
さくら廃止に伴い、ブルートレイン「富士」(東京ー大分)、「はやぶさ」(東京ー熊本)は東京ー門司間を連結して運行する。また、東京発着のブルートレインによる荷物輸送は廃止される。JR来春ダイヤ(16年12月23日静新朝刊より)
| 「あさかぜ」最終列車、1分半で完売 ツアーも人気(アサヒコムより)
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2月28日に半世紀近い歴史に幕を閉じる東京―下関間のブルートレイン「あさかぜ」の最終列車の寝台券が28日午前、全国のみどりの窓口などで一斉に売り出され、下りは約30秒、上りは約1分30秒で売り切れた。同時に廃止される「さくら」も約1分で上り下りともに売り切れとなった。「あさかぜ」の寝台券は上下で計722席。あるJR社員は「いつもこのぐらい人気があったら、廃止されなかっただろうに」と残念そうに話した。 平均30%程度と低迷していた「あさかぜ」の乗車率は、廃止決定の発表があった昨年末から徐々に上昇。2月は旅行会社が相次いで「さよなら」ツアーを企画しているため、乗車率はさらに上がると見られる。
(01/28 15:41) |
寝台特急さくらは昭和32(1957)年10月1日ダイヤ改正において「さちかぜ」として東京−長崎間を走り始めます。東京発19:00→長崎着翌日15:40、長崎発12:50→東京着翌日09:30のダイヤであった。昭和33(1958)年10月1日ダイヤ改正では運転区間をそのままに「平和」と改められます。昭和34(1959)年7月20日に「平和」は20系客車に置き換えられ列車名「さくら」が生まれた。昭和40(1965)年10月1日ダイヤ改正より東京−長崎・佐世保間の列車となる。東京発17:00→長崎着翌日13:06・佐世保着翌日12:20、長崎発15:40・佐世保発16:10→東京着翌日11:40のダイヤであった。昭和47(1972)年3月15日改正から14系客車として運転される。昭和59(1984)年7月20日東京発より「カルテット」の連結が開始される。平成3(1991)年6月1日からは食堂車の営業が廃止され売店として営業された。平成9(1997)年11月29日「カルテット」の連結が廃止され14系を14系15型中心に置き換えられた。そして平成11(1998)年12月4日のダイヤ改正では「さくら」「はやぶさ」の併結運転が行われこととなる。これに伴い佐世保−東京の「さくら」は廃止された。同時に売店として営業していた食堂車、A寝台の連結が取りやめら売店の営業がなくなった。また、はやぶさに連結されたソロは「さくら」側に移される改造も行われている。平成14(2001)年3月23日改正からはやぶさは8両から6両にさくらは6両から5両に減車された。平成17(2005)年3月1日の改正で廃止されることになった。最後のダイヤは東京発18:03→長崎13:05、長崎16:50→11:33であった。長崎発平成17(2005年2月22日から28日までと東京発平成17(2005)年2月25日から2月28日まではA1個室が運用の都合で連結された。最終運転日平成17(2005)年2月28日の東京発は鳥栖までの営業運転となる。
| ブルトレ、終焉へ 旅情か効率か思惑にじむJR(アサヒ・コムHPより)
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元祖ブルートレインとして一世を風靡(ふうび)した寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が2月いっぱいで姿を消す。かつて人気の的だったブルトレの乗車率は一部の豪華寝台列車を除き、軒並み低迷している。「旅情が消える」という声がある一方、効率化を目指すJR各社の思惑もにじむ。 午前7時33分、東京駅10番線ホーム。ほかのホームが通勤ラッシュで混雑する中、閑散としたホームに下関から1千キロ余りの旅を終えた「あさかぜ」が到着する。 定員は平日で約230人だが、降り立つ人は数十人とまばら。サラリーマンやお年寄りの姿が目立つ。廃止が決まったため、2月に入って週末は満席に近いが、平日は2〜5割の状態が続く。 「あさかぜ」は56年にデビュー。東京と九州を結ぶ戦後初の寝台特急だった。58年に投入された新型寝台車は「走るホテル」と呼ばれ、連日満席の盛況だった。70年から72年にかけて国鉄広島鉄道管理局に勤務していた大塚陸毅・JR東日本社長も「東京出張の時にずいぶん乗った」というビジネス特急でもあった。 今、ビジネス客のほとんどが新幹線か飛行機を利用する。一番安いB寝台に乗ったとしても、東京−広島間は「のぞみ」より7時間以上かかるのに、2千円余り高い。飛行機は様々な運賃を設定し、中には新幹線より安いものもある。「あさかぜ」と比べて半額近い高速バスもある。 一方で、車両の老朽化は進んでいる。JR民営化後に新造された寝台列車は「カシオペア」と「サンライズ」だけ。 それ以外は国鉄時代から引き継いだ古い車両を個室化するなど、改造しながら使っている。主に70年代の客車で、すでに製造から30年たつ。 乗車率の低さと相まって「一部を除いて採算は厳しい」(JR各社)という状態のため、車両新造には二の足を踏む悪循環が続いた。 整備新幹線計画も追い打ちをかけた。東北新幹線が八戸まで延伸した02年には東北初のブルートレイン「はくつる」(上野−青森)が廃止。 九州新幹線が部分開業した04年には、ブルートレインで唯一西鹿児島まで走っていた「なは」(新大阪−西鹿児島)が、鹿児島線の一部第三セクター化に伴って熊本発着になった。今後、熊本や富山、青森へ新幹線網がのびるごとに、ブルートレイン網は縮小することが見込まれる。 また、朝の通勤時間帯に東京に到着する長距離列車はやっかいものにもなってきた。長距離を走るため遅れが出やすく、通勤路線のダイヤ全体の乱れにつながる。 JR各社も手をこまぬいているわけではない。上野−青森を結ぶ「あけぼの」は高速バスとの対抗上、02年から寝台料金のいらない安い寝台や女性専用車を導入。以後、乗車率が上向いたような例もある。 鉄道史が専門の原田勝正和光大名誉教授は「新幹線のない日本海側など寝台特急の必要な線区はまだまだある。今後豪華な旅情志向のものと、安く便利な実質志向の2極化でいくべきだ。残った寝台特急も大事に育てていけば、魅力あるものになる」と話している。
(02/15 08:35) |

