山田献策氏投稿文や関連記事

 

最近の新聞から   

2014/10/11

 

最近の新聞で目を引いた記事が2つある。一つは85日の読売新聞朝刊「デトロイトITの街に」という半切紙面の記事、もう一つは922日の同じく読売新聞朝刊「考景2014」というコラムの「ドイツ空間再編のもたらしたもの」である。

この2本の記事から「まちづくりとは何ぞや?」ということを興味深く読み取ることができる。

最初の「デトロイトITの街に」では、昨年7月財政破綻をきたしたというニュースで世界中を驚かせたアメリカミシガン州の大都市デトロイトが、最近「第2のシリコンバレー」として生まれ変わりつつあるという内容である。お化け屋敷のようになってしまった廃業ホテル、人通りは寂びれ、人口減少が著しく、廃屋はその疑いを含めると実に78千件に上るという。巨額の負債は市民サービスの低下は勿論、退職公務員の年金カットにまで及んでいる。ところが破綻から1年余りを経て、IT関連の起業や雇用が爆発的に増え、街に人通りが明らかに多くなり、廃業ホテルは再開業に向けた工事が進んでいるというのだ。

このことは街の振興にとって重要なのはモノづくり等クリエイティブな試みを伴った産業振興であるということを改めて教えてくれている。

沼津ではマルイや西武などが撤退し、街の衰退が叫ばれて久しい。この間も衰退の落差は大きくなるばかり。対策はと言えば目先の効果を狙ったもの或いは願望としか思えないような箱物など施設依存の対策ばかり。こうしたまちづくりでは沼津の将来は極めて暗いと言わざるを得ない。ネット社会やグローバリゼーションの進展、周辺市町の都市化、移動手段の高速化等々激変する社会環境に晒されている状況を見れば街の振興が容易ではないことが明らかだ。

ここで考えなくてはならないのがもう一つの新聞記事だ。ドイツでは体育施設などの整備に関して「地域単位で行う教育や地域の人が体を動かすことのできる空間を都市の中で計画的に位置づけてきた」というのだ。日本のように学校ごとに運動場や体育館を備えるのではなく、まちづくりの一環として地域の様々な需要に応じた長期的なまちづくり計画の中で施設配置を行っているということなのだろう。それぞれにメリットもデメリットもあると思うが少なくとも学校も教育施設も街の一部であるからまちづくりの一貫したグランドデザインの中に位置づけられるべきである。人口減少や財政問題で学校の統廃合を余儀なくされることが身近な問題になりつつある中で広大な面積を占める校庭や体育館、プールをどのようにしていくかは都市にとって大きな問題なのだから。

筆者が1993年にドイツケルン市を訪れたとき、駅前の広大な空き地に再開発計画が進められようとしていた。当時、ケルンでは重工業などの産業の衰退がみられ、新たな産業振興策が模索されていた。ケルン市を流れるライン川を挟んで駅とメッセ会場が配置されていたが、このメッセ会場では古くからフォトキナ(映像に関する見本市)が開かれ世界中のカメラファンから熱い眼差しを受けていた。ケルン市はこうした背景の下、ITの革命的進歩を受け、メディア産業の中心都市として発展するためのグランドデザインを策定した。駅周辺の再開発についてはそのグランドデザインに沿ったコンセプトを提示し、世界中に呼びかけ設計コンペを実施、今では素晴しい再開発が実現している。

街を構成するものは教育、福祉、医療、住宅、公園緑地、公共施設、事業所、工場、商店街、飲食、エンターテインメント、農地等々様々な要素から成り立っている。それらが有機的に連携しあい一つの生きた街として住む人々の喜びにつながる。街の発展とはそういうものだ。

産業の振興においても同様、企業誘致等が望めない今日、内発的に産業を興していくしか手がないのだから地域に散在する様々な事業所のリサーチやそれをサポートする環境づくりをしなければならない。地域資源、人材、文化、資金、福祉、医療、教育機関などを有機的に結びつける多重多層なネットワークを構築することが必要なのだ。更に地元企業においてはそれぞれに相応しいコンセプトの下にオーガナイズしていくことが望ましい。そしてそれをまとめ、蓄積し、コーディネートすると共に、クリエイティブな企画力を持った機関がなくてはならない。更に、情報収集・発信という機能が伴うのは言うまでもない。ドイツではそうした機能はコンベンション施設が担っているという。

沼津にもコンベンション施設ができたがそうした産業振興の長期的なビジョンの下に作られたものかよく考えてみなければならない。

 

 沼津市大岡 山田献策


○参照 新聞資料(記事)

「作っているのがソフトウエアになっただけ」

デトロイトITの街に

 破綻1年新興企業集う

 自動車産業の街として栄えた米ミシガン州デトロイト市が、「第2のシリコンバレー」として生まれ変わりつつある。市が、188億が(19292億円)の負債を抱えて財政破綻してから1年余り。街にはIT(情報技術)の新興企業が集まり始め、復興にもITが活用されている。

 ガラス張りの壁面が輝くゼネラル・モーターズ(GM)本社の超高層ビルが、老朽化した建物群を見下ろす。この構図は1年前と変わらない。だが人通りは明らかに多くなった。昼休みに公園でくつろぐ人たちがいる。お化け屋敷のようだった廃業ホテルの雑草は刈り取られ、再開業に向けた工事が進む。

 「デトロイトには、ビッグ3(米自動車大手のGM、フォード、クライスラー)があった。若い世代にも、ものづくりの精神が根付いている。作っているのが車からソフトウェアになっただけだ」。新興ソフトウェア開発会社「デトロイト・ラブズ」のポール・グロムスキー最高経営責任者(CEO)(38)が話した。

 オフィスは古い建物にあるが、改修されて使い勝手はいい。3年前に友人らと起業した。デトロイトを選んだ理由について、勤勉を美徳とする中西部ならではの労働観を持った豊富な人材を挙げた。顧客層も厚い。GMやドミノピザなど地元の大企業を顧客に抱える。アメリカンフットボールNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」では、GMの広告と連動したクイズなどのスマートフォン用アプリをつくり、人気を集めた。

 「デトロイトには、大きなチャンスが転がっている。シリコンバレーでは我々は数千分の1の存在でしかなかっただろう」

 デトロイトでの起業などを支援しているNPO法人「デトロイト経済成長」によると、実数は定かではないが、IT関連の起業や雇用が爆発的に増えている。昨年718日、米自治体として史上最大の破綻となった理由は、半世紀で人口が3分の1に減ったことによる税収減だった。それによって賃料が安くなり、魅力になっている。

 「ここは家賃も生活費も西海岸の半分」。そう喜ぶのは、「スティック」創業者の一人、ジェイ・ギーラック氏(30)だ。同社は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェイスブックを活用したロコミサイトを運営する。デトロイト郊外出身のギーラック氏は西海岸のサンフランシスコで創業した。Uターン組の先駆けだ。「財政破綻?経済が活性化すれば5年で良くなるよ」

 米マイクロソフトやグーグルも相次いで起業家を支援する拠点をデトロイトに設けた。米金融最大手JPモルガン・チェースは、5年間で1億j(102億円)の投資を表明した。

 

 巨額負債・廃屋再建の課題

活気がでてきたことはいえ、市の再建は始まったばかり。巨額の負債が重くのしかかったままだ。

 州連邦破産裁判所は昨年12月、連邦破産法9章を適用し、裁判所の管理のもとで債務を整理し、再建を進めることが決まった。負債の半分以上は、市退職者の年金や医療費が占める。市は当初、年金カットを元警察官・消防官10%未満、元一般職員30%未満などとしたが、修正した再建計画では5%未満になった。

 これが適切かどうか、裁判所が今月、最終判断する。再建計画が承認されれば、

市は警察・消防などの市民サービスに今後10年間で総額15億が(1539億円)をかける方針だ。

 自動車産業が衰退し、中央駅や工場は198090年代に閉鎖された。2008年のリーマン・ショックでは多くの住宅が差し押さえられた。街には廃屋が点在し、今にも崩れそうな壁や窓ガラスが不気味な雰囲気を漂わせる。火災で燃えた物件もある。保険金目当てで火をつけたとされる。

 財政破綻の象徴であり、治安悪化にもつながると言われてきた廃屋は、調査によると、市内に約4万軒。所有者がわからないなど廃屋の疑いのある物件も約38000件に上る。その撤去と修繕が、政府の支援を受けて、専門家らでつくる特別作業班によって進められている。

 作業では、全物件の所有者の有無、状態、写真などをウェブ上でデータベース化する。効率よく進めるために7月からスマートフォンのアプリで、ボランティアが近隣物件の状況を更新する仕組みも導入された。

 街の一角で住宅を修繕していた作業員のルー・フェレーさん(30)は、「廃屋がひとつきれいになっただけで街の雰囲気は明るくなる。俺の仕事も増えるし、いいことだね」と笑った。(越前谷知子)

(読売新聞平成2685日「世界深層」)

 

 

 ドイツ 空間再編がもたらしたもの

 藤村龍至

 ドイツのいくつかのサッカースタジアムを見に行った。ほとんどが中央駅からトラム(路面電車)20分くらいの郊外の緑地に立地し、すぐ脇に高速道路が走り、大型展示場(メッセ)が近くにあるなど、どの都市でも同じ考え方で施設が配置されていることがわかる。

 ドイツで1960年から導入されたスポーツに関する総合政策「ゴールデンプラン」は都市と一体に計画されてきた経緯がある。日本では小学校も中学校も個別に立派な校庭と体育館を持ち、体育の授業や部活動を自らの学校の校庭で行うが、ドイツでは本格的な体育教育は地域のクラブで行うという。ゴールデンプランはそのような地域単位で行う教育や地域の人が体を動かすことの出来る空間を都市のなかで計画的に位置づけてきた。

 日本のJリーグはドイツのプロサッカーリーグ「ブンデスリーガ」の制度をモデルにしたとされる。ところが、地域ごとに設置されたクラブをベースにするドイツと、学校をベースにしてきた日本の違いが、例えばクラブユースと高校サッカー部の並立等の間題に繋(つな)がる。制度だけでなく、空間のモデルが違うのだ。

 高校サッカーも盛り上がっているし、日本型には日本型の良さがあるーーと近年は一概に言えなくなってきた。少子化により一学校あたりの子どもの数が減り、高齢化により自治体は全ての学校施設を維持できなくなりつつあるからである。

 地方自治体が保有している施設のうち最も大きいのは学校であり、今後よりいっそう厳しくなる財政問題を乗り切るには学校を大幅に統廃合する必要がある。学校の中で最も面積と維持費を占めるのは校庭と体育館、プールである。さらに最近の中学校では生徒数の減少で部活動のメニューが限られたり、指導は教員のボランティア勤務が当然とされていることも課題であろう。

 これを解決する方策のひとつは、近い将来始まるであろう公共施設再編に合わせ体育の授業や部活動のための施設を複数の学校でシェアするよう方針を転換し、スポーツは学校ベースから地域全体で教育する方向ヘシフトすることであろう。そのほうがメニューも増え、地域が教育に参加する機会にもなり、多くの世代がスポーツに参加する機会にもなる。

 先日のワールドカップでドイツ代表が優勝した際、監督ヨハヒム・レーウが「長年にわたるプロジェクトの成果だ」と述べた。その発言を拡大解釈するならば、ドイツの優勝は小手先の強化策の成果ではなく、国土全体の空間をどう書き換えてきたか、という1960年代以来の空間設計プロセス全体の成果であると捉えられるのではないか。国民の健康増進のみならず、地域活性化、公共施設維持費、社会保障費のコンパクト化などわが国が抱える多くのヒントがドイツの都市計画にある。2020年の東京オリンピック・パラリンピックはそうした大きな空間再編に取り組む契機にならないだろうか。(建築家、東洋大建築学科講師)(読売新聞昭和26922日「考景」)





2013年07月19日 05時21分

探る本町の歴史 本陣料理も堪能

「探る本町の歴史 本陣料理も堪能」

沼津 連合自治会が初企画

 江戸時代に東海道沿いの宿場町としてにぎわった沼津市本町の歴史を探る「ディスカバー本町」(本町連合自治会主催)17日夜、地元のそば店「安田屋」で開かれた。住民ら約40人が参加し、江戸時代に本陣で振る舞われたとされる料理を味わいながら、郷土の歴史を学んだ。

 住民同士のコミュニケーションを深めながら、地域の歴史や文化を生かしたまちづくりを推進しようと、連合自治会内のまちづくり研究会が初めて企画した。

 沼津市明治史料館の嘱託職員で元中学校教諭の大庭晃さんが、大名が宿泊した本陣や脇本陣、旅籠(はたご)が軒を連ねた江戸時代の本町の様子を解説した。

 安田屋の店主安田政義さんは、本陣で出されたとされる「カジキマグロの漬け焼」や「ウルメイワシの煮浸し」などを文献などを基に再現した。

 安田さんは「砂糖が貴重だった時代の味付けに近づけた。調理に時間をかけない工夫などもあり、驚くべき点がたくさんあった」と話した。

 同研究会は今後、ディスカバー本町を通じて、住民参加型の地域活性化策を模索していく。

《静新平成25719()朝刊》


 本町地区再発見へ納涼祭

沼津発展の原点見直し、まちづくり考える

 本町まちづくり研究会(阪東邦彦代表)は十七日、まちづくりを考える「ディスカバー本町納涼祭」を同町内の安田屋で開いた。

 沼津市発展の原点である本町地区の歴史を広く認知してもらい、住む人が住む喜びを感じることのできる「まち」の実現と持続可能な発展を目指すとともに、地域住民の親睦を深めようと企画した。

 同研究会では、本町連合自治会を自認。新居啓司・同連合自治会会長のあいさつに続き、元中学校教諭で明治史料館嘱託の大庭晃さんが「本町地区における旧東海道と本陣・脇本陣」と題し、写真と古地図をスクリーンに映しながら講演。

 慶長六年(一六〇一)、徳川家康は各宿(しゅく)に伝馬三十六頭を常置するよう定め、沼津宿は東海道十二番目の宿駅として、川湊から発達した沼津が本町を中心に、市(いち)、湊、宿の機能をもって交通や流通の拠点として発展した。

 元禄元年(一六八八)に作製された「沼津宿絵図」によると、民家は三枚橋町七十七軒、上土町百二十軒、本町三百十三軒の合計五百十軒あるうち、本陣二軒(いずれも本町)、脇本陣四軒、旅籠七十八軒、茶屋十三軒で、二百二十軒が伝馬役、百八十六軒が人足役、八十五軒が船役だった。

 また、東海道の道幅は二間半から四間だが、本町は四間半(約八・一八b)。一里塚は直径九b、高さ三bに盛土したもので、榎や松が植えられて旅人らの里程標になり、市内には平町、松長、原の三カ所にあった。

 参加者は江戸時代から栄えた本町に思いをはせながら、先祖に負けないような「まち」の再生を願っているように見えた。

 研究会員の一人は「現在の沼津市のまちづくりは基本的な手順が欠落し、グランドデザインもない。地域自らが立ち上がるしかない」と話した。

 続いて、安田屋店主の安田正義さんが「本陣で振る舞われていた料理」について話し、アルコール度数が低かった江戸時代の日本酒を再現。高価だった砂糖を使わないウルメイワシの煮物、カジキの漬け焼き、チリメンジャコを提供した。

 参加者は、当時の料理のほか、安田屋オリジナルの逸品を肴に生ビールや日本酒などを味わいながら、それぞれが描くまちづくりについて熱く語り合っていた。

《沼朝平成25720()号》


2013年04月12日 16時10分

沼津市民をやめたい???

沼津市民をやめたい???

先日、横浜から普通列車に乗って帰沼した。途中乗り換えなければ沼津に到達できないのも情けないが、その乗換駅で「富士、静岡方面の下り列車をご利用の方〜」というアナウンスには涙が出そうになった。そして沼津駅に着くと、駅舎にあったはずの東海ツアーズが閉店になっていて「閉店後は三島支店のご利用〜」という張り紙がある。家族の会話でも「沼津ってホント、何もないね。つまらない街」。中心市街地に住んでいてもこのような会話が頻繁に起きる。

西武も丸井も無くなってしまったのだから仕方ないのか。若い人はホントつまらないだろう。数十年前には考えられないことだ。

何故こうなってしまったのか。一重に為政者と議会の無能が原因と断言できる。その訳を絡め沼津市民をやめたいと思うようになったことをごく手短にまとめてみた。

 

1.産業について;言うまでもなく都市の発展にとって産業の振興は最も重要な分野だろう。働く場がなくては多様な人々が定住することはできない。1次産業から3次産業まですべての産業の振興が重要なのだが、とりわけモノづくり(工業)の振興は必須である。

 では工業の振興にとって必要なことは何か。垂直統合型の産業構造が崩れ去っている昨今、公的機関のリーダーシップが極めて重要である。企業が成立するためには、起業家精神にあふれた経営者の存在は勿論だが、それだけで企業が立地できるわけではない。資金、保険、人材、研究開発、資源(材料)、流通、コンサル等々様々な要件が絡む。こうした企業立地の要件を充足させるネットワークの構築が必要不可欠となっているのだ。それに加え、同業種や異業種の産業が連携し合って多様な需要に対応する製品開発力を身につけるための企業間ネットワークもしくはオーガナイズがキモなのだ。多重多層なネットワークの構築はまちづくりの重要な政策として位置付けることによって実現する。

しかも多重多層なネットワークはただ構築すればよいわけではない。効果を発揮させるにはインテグレート機能が働かなくてはならない。インテグレートというのは様々な情報を集約し、必要とする者へ必要な情報を取捨選択して情報提供する機能のことだ。そして広く社会に地域情報の発信も行う。情報発信をすれば情報も集まる。ネット社会において特に重要なのは人の対面によって得られる暗黙知の情報だ。それによって商品の企画力や企業戦略の構想力を獲得することも可能になるだろう。こうした機能を担う施設がコンベンションセンターだ。ドイツの都市でこうしたコンベンションセンターが都市の振興で重要な役割を担っている例をいくつか見ることができる。反対に単なるイベント施設としての機能しか持たないコンベンションセンターもあるがそれらはお化け屋敷のようになっているという。要は、地域に根付く様々な企業が、多様化する一方のニーズに対応していく柔軟で盤石な企業集団に変身できるかが重要なのだ。

更に、モノが豊かになった今日、新たな需要を掘り起こすことも重要な分野である。日常生活で様々な面に目を向けてみるとボランティア活動やNPO法人などの活躍の場が広がっていることに気づく。このことは在来の企業や既存の公的機関では対応できない分野にまで需要が細分化し拡大しているということを物語っている。つまり起業のシーズがあちこちに転がっているということだ。

 

ついでに観光のことにも触れておこう。観光は例外なく観光資源が存在する。その観光資源は本来観光のためにあるものではない。その資源がどのように進化すべきなのかが問われることによって、結果として観光資源としての価値も高まる。観光のために金モールで飾り立てるのが観光政策ではない。目先の効果ばかり追っていると都市の崩壊を招くことになりかねない。

 

2.中心市街地について;沼津の中心市街地の衰退ぶりは誰が見ても明らかだ。ネット社会の浸透によって居ながらにして殆どのモノが入手できる。車社会が定着して郊外に大型ショッピングセンターができ日用品はそこで殆どの需要を満たすことができる。このような環境の激変が巻き起こって久しいが、沼津ではいまだに従来の発想から抜け出すことができない。新しいコンセプトに基づく中心市街地を再構築しなければいけない。ドイツのフライブルグという人口20万人の都市は「環境」をキーワードに大胆な改革を試みて中心市街地の再生に成功した。そして前述の新たな需要の掘り起こしにも成功している。沼津は私の目から見ればフライブルグよりも遥かに恵まれた都市なのだから再構築できないわけがない。私なら「環境・福祉・文化」をキーワードにした中心市街地再生の構想づくりを試みる。

 

3.文化について;文化は英語ではカルチャーculture、耕すという意味もある。私流に解釈すれば、土=資源に対して人が不断に手を掛け、創造の芽を育て、その結果、作物=固有の文化が生まれる。だから文化は創造的で固有のものだ。つまり都市をその土地らしくさせているのは紛れもなく文化なのだ。この文化が、沼津では全く省みられていない。都市づくりの重要な柱なのに…。おまけに市が関係する芸術イベントも周辺市町に比べてさえ恥ずかしくなるほど、幼稚で大衆迎合的なものがほんの少し。創造性や文化の振興とは程遠い。

 

4.都市について;都市は秩序によって成り立っている。秩序はエントロピーの法則によって例外なく崩壊への道を歩む。人間の体も秩序によって成り立っているから食料や酸素を摂取し排せつや体温の放出で絶え間ない新陳代謝によって生命を維持している。都市も人間の体と同様に絶え間ない新陳代謝が必要なのだ。沼津は10数年前から、創造的な試み、つまり新陳代謝が途絶えてしまった。最近は都市再生も困難と思われるほどドン底状態に陥っている。

 

5.市役所について:千人以上いる市の職員の中には構想力や企画力を有する特異な人材がきっといると思う。そういう人材を評価し活躍の場を与えることが重要であろう。議会答弁がうまくなくてもいい、ご機嫌とりや口が上手でなくてもいい。要は持続可能な都市の発展を構想できる能力が必要なのだ。こうした人間はとかくはみ出し型が多い。出る杭が打たれぬよう擁護できる体制が必要なのだ。しかし市長以下幹部職員が無能だとそうした人間を評価できないし、見い出すことすら難しい。持続可能な都市を発展させることができるのははみ出し人間がどれだけ活躍できるかに掛かっている。

 

 以上述べてきたことは私が考えるまちづくりだが、勿論それ以上に優れた考えもあるだろう。しかし少なくともここ十数年の沼津では政策らしい政策すら窺うことができない。現在の沼津の有り様がその証拠である。

私は生まれも育ちも沼津、先祖伝来生粋の沼津っ子だ。しかし昨今は沼津の衰退ぶりを目にするのがつらい。生活者として何の刺激もないし面白くない。だから生きるための刺激を求めて東京へ出向くことが多い。

新聞の折り込み広告に静岡市の百貨店のチラシが入るようになった。沼津は既に自立した県東部の中心都市ではないのだ。住む人が住む喜びを感じられる持続可能な発展を遂げていく都市として、有効な施策が打ち出されないなら、誇りある沼津市民であることをやめたい。そうした思いが一層募る昨今である。

 

大岡  山田献策


2012年09月28日 16時37分

市長選:思う・問う

市長選に思うor市長選、立候補者に問う

 

市長選が近い。言うまでもないが都市にとって市長の役割は極めて大きい。日常的に発生する都市の諸問題を事務的に裁いていくだけで済む仕事ではないからだ。都市の浮沈にかかわる構想力こそが問われなければならない。

市民との会話で多くの人が「沼津は落ちるとこまで落ちないと浮揚できない」と言う。

でも私に言わせれば「既に落ちるところまで落ちでいるではないか、これ以上落ちれば浮揚する力も失ってしまう」と…。

地価一つとってみても、建蔽率80%、容積率400%の中心市街地の地価が周辺のまちの住宅地よりも安いという屈辱的な状況になっていることをきっちりと認識しなければならない。このことは前市長と現市長の施政(痴政)が如実に反映している。正に失われた16年なのだ。

もちろん、都市を取り巻く環境は地域圏の定義の曖昧さや、環境の激変に対応していない構造的な問題が大きい。しかしそれでも、そうした問題を踏まえた都市の発展の仕方を模索する道は必ず見いだせる筈なのだ。都市の発展の原理原則は思いのほか単純なことなのだから。

例えば、私たちは自分が将来どのようになろうかと考えたとき、自分の資質、力量、才能、環境などを踏まえて将来の姿を描き、それに向けて努力するのが一般的だろう。誰だって自分が吉田沙保里や内村航平にとって代わろうなんて思わない。自分に相応しい将来像を描きそれに向けた努力が基本なのだ。都市だって自然的条件に規定されつつ、そこに住む人々が歴史を積み重ね、固有の文化を形成する中で築いてきた一つの有機体なのだから、思いつきの発想で都市が持続可能な発展をすることは原則的にあり得ない。

言いかえれば、都市は自然と歴史と文化を踏まえ外部の事例等を照合或いは取り入れながら、環境の変化と現代のニーズに適合させる中で自律的に発展すべきものなのだ。そして市長は、そうしたことを踏まえて都市のあるべき将来構想を描き、それに基づいて個々の案件と向き合わなければならない。思いつきの発想で都市を語ることはいずれ都市を崩壊の道へと導くことになる。

これまでの経過から、駅周辺の再開発も西武百貨店の跡地利用に関する議論もファルマバレー構想の取り組みも、その他ほとんどの事案が目先の効果を狙った思いつきを披歴し合うだけのアイデア競争の域を出ない。西武百貨店に関して言えば、市役所を移転させればよいとか、何の構想も示さずに単に検討委員会を設置するとかの意見はこのことを象徴している。これでは沼津の持続可能な発展を展望することはできない。そもそも沼津には都市の発展にとって最も重要な産業政策そのものが無い、あっても無いに等しい貧弱なものだ。

市長選に目を向けてみよう。現時点(9/26)では現職と新人の二人が立候補しているようだが、現職は先ほども触れたように、沼津を持続可能な発展に導く構想の持ち主とは到底思えない。事務的な処理に終始することが市長の仕事と勘違いしているかのようである。では対する候補者はどうか。チラシを見る限りにおいて、市民が喜びそうな文言が思いつきのように並びたてられている。その底流にある筈の持続可能な発展を可能にする構想力は全く窺うことができない。こうした状況をみると「嗚呼、沼津は落ちるところまで落ちざるを得ないのかなぁ」と。

市長選に立候補しようとする人たちに要望する。沼津を発展させる構想をどのように描いているか。自分が描いている沼津のグランドデザインを有権者に示してほしい。選択できる材料を市民に提供してほしい。僅かな光明でもいいから、市民に選挙する意欲を湧かせてほしい。このままでは沼津の将来はますます悲観的にならざるを得ないし、選挙する気にもならない。

                            (12.9.28 山田献策 大岡)


2010年09月04日 13時19分

私が考える沼津のまちづくり

 

私が考える沼津のまちづくり

〜@公共施設からみたまちづくり A地域産業の振興  

B中心市街地のまちづくり〜

2010.9.3pm7:00

 

◎プロローグ

 

皆さん今晩は! 山田献策と申します。この名前は新聞等への投稿する際に使っている私のペンネームですが、気に入っているので、この場でも使わせていただきました。

因みに、私、クラシック音楽が飯よりも好きですが、そうした方面では、40年くらい前から米藤弁というペンネームを使っています。米という字に藤の花の籐、それに弁論の弁です。訓読みするとベートーヴェンになります。

本名は小池といいます。若いころ数年、東京に住んだことはありますが、生まれも育ちも沼津です。先祖もずっとずっと沼津、生粋の沼津ッ子?です。

・内発的発展が地域の持続可能な発展

私は節操のないノンポリ人間だと申しましたが、一つだけ、敢えて、生活信条を述べよ!と問われたら、「地域主義」と答えることにしています。地域主義といっても、地域や国のエゴをむき出しにすることではありません。

では「地域主義とは何か」と問われれば、〜そう、4年ほど前(2006年ですか)に亡くなった社会学者の鶴見和子さんの著書に内発的発展論というのがありますが、この中に地域主義を説明するのにピッタリの一節がありますのでそれを紹介します。

「それぞれの社会及び地域の人々及び集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される」と述べておられる。正に内発的発展のことを言っていますね。地域の発展の在るべき形を見事に表現していると思い、私は何かにつけ、この一節を思い浮かべ沼津のことを考えています。

このような考え方の下、当然ながらこの沼津に生まれ育ち、現に沼津で生活している人間として、沼津の発展について黙って眺めている訳にはいかないと思うのは当り前のことです。

なぜなら沼津という一定の空間の中で、私を含めそこに住む人々全てが共通の空気を吸い共通の環境で生きているのですから、関心を払わずにはいられない筈です。

適切な例えではないかもしれませんが、金魚鉢の中にインクを一滴でも垂らせばたちまち拡散して中の水が一様に濁ってしまい、金魚鉢の中で泳いでいる全ての金魚に影響してしまうのと同じ理屈だと思うのです。ですから沼津市民なら沼津のことを皆さん一緒に考え、合意形成の下で町づくりを行うことが如何に大切かというだと思うのです。

ところで、昨今の沼津の状況はひどいですね。私は駅南の中心部付近に住んでいますが、商店街の空き店舗の多いこと、営業しているお店でも、営業が成り立っているのかしらと心配になるほど買い物客が少ないですね。

新聞折り込みの広告で見る土地の価格も、沼津市周辺の都市の住宅地と、沼津のまちなかの商業地区と殆ど変らないというよりも、長泉町の住宅地の方が高い場合も少なくありません。全てとは言いませんが、嘗て名を成した沼津の商業地としての土地の価値は殆ど無くなってしまったということでしょうか?

中心部周辺に住んでいて毎日のように商店街を見ている私としては、沼津の行く末を危惧せざるを得ません。

では沼津の発展を願う者にとって、どのような発展が望ましいのでしょうか。私が願う発展は、目先の効果しか期待できない拙速で取ってつけたような発展ではなく、健全で持続可能な発展のことです。

目先の効果しか期待できない発展はすぐに陳腐化してしまいます。それどころか地域の破壊にもつながりかねません。

新聞報道等でみる限り、観光にしても沼津港や沼津駅周辺の整備にしても、昨今の沼津はどうも目先の効果しか期待できない政策ばかりが行われているような気がしてなりません。

◎公共施設から見たまちづくり

一般市民から見て、自治体の政策で、目に留まりやすいのは公共施設の整備ですね。私もマスコミでうかがい知る中では、公共施設のことに関心が向かいがちです。

特に、新たな公共施設の建設は街づくりにとって重要な意味をもつものですから、特に関心を払わなくてはなりません。

なぜなら、ハード(施設)自体については色々なところで議論されますから、それはそれとして、より重要なのは、何故このハード(施設)が必要なのか、何故建設するのか、その目的と狙いは何か、どのような運用で目的を達成するのか、どのような効果や成果が期待できるのか、沼津のまちづくりのグランドデザインにおける位置づけはどうなっているのかなど、背後にあるものです。ハード(施設)自体に対しても、デザイン等必要な所に沼津の文化や沼津らしさが反映されているかなど、関心を持つべき項目はたくさんあります。

私たちの日常生活でも、家を建てるときは生涯の一大決意の下に建てる訳ですから、慎重には慎重を期するのは当り前のことですよね。

設計図を書くとき設計屋に任せっぱなしで良いという訳にはいきませんよね。ましてや、これくらいでいいだろうなんて大雑把な姿勢では建てられませんよね。現状の家族構成ばかりでなく将来の家族構成、日当たりなどの立地条件、更に機能性を重視するか見栄えを重視するかとか、趣味や趣向を取り入れたり、同居する家族の希望はどうか、或いは自分の性格〜ゆったりのんびりの性格か、合理的で無駄が嫌いな性格かとか、家屋に求める様々な検討が加えられてから建てると思います。そこには自分らしさというものも反映されるでしょうし、その人の望んでいたライフスタイルが実現できるのだと思うのです。理念というかコンセプトというか〜、こうしたことを検討したり話し合ったりした上で専門家である設計屋さんに設計をお願いすると思うのです。

大規模な団地の建売住宅など最大公約数を反映した家ですと、金太郎飴と同じで、姿・形が同じ、自分らしさが殆ど無い個性の乏しい家になってしまいますよね。

昔、友人と外で一杯飲んでその友人宅へ泊ろうと、友人と一緒に訪問したら、その友人が自分の家が分からくなっちゃったことがあって大笑いしたことがありましたけど、ま、住宅事情や経済状況、立地状況などから止むを得ず妥協してしまうことは往々にしてあることですが、地域づくりはそうはいきませんね。

地域の自然というのは地域固有のもので二つとないものです。一人ひとりの顔が違うのと同じように地域の自然もそれぞれ個性的な表情をしているものです。そしてその地域固有の自然とのかかわりの中で人々の生活が営まれ、歴史を刻み、文化が育まれてきました。ですから、文化というのは正しく地域固有のものであり、自分らしさであり、アイデンティティそのものであるわけです。 これを無視したら地域の内発的発展はありえません。持続可能な発展はないということです。家を建てるときは経済的事情などから妥協せざるを得ない場合もありますが、地域づくりは、世代が永久的に継承していくものですから、後世への責任として妥協は許されないのです。

さて本題に戻って、公共施設からみた沼津のまちづくり…ですが、

それぞれの公共施設もこれまで語ってきたような検討がなされ、整備されてきたと思うのですが、私には疑問符です。この施設は、いったい何のために建てたのか、何が目的なのかという原点を今一度とらえ返してみることが必要だと思うのです。施設は建てること自体が目的ではないのですから〜。

施設を使ってどのような施策が展開され、どのような成果を生んでいるかということですね。

当たり前のことのようですが、残念なことに沼津の公共施設は、そのあたりが大変曖昧だと思うのです。

問題点は大きく分けて二つあります。一つは、そもそも「何のために〜」という議論が極めて低次元にとどまってしまっている場合。二つ目は、一定程度評価できる目的がそれなりに定められていても、その目的を具現化、或いは実現していくための運用がなされていないということです。

建設される前までは、多くの議論が交わされても出来てしまえば、関心が乏しくなってしまっているのが殆どです。

例えば、新しい施設ができると、稼働率などが、すぐに問題にされますが、稼働率は必ずしもその施設の建設目的ではありません。施設整備の目的の実現に対する達成度は稼働率では必ずしも表現しきれているとは言えないのです。

稼働率は低くても、目的が着実に達成されていく方が重要なんです。反対に稼働率は高くても目的と、かけ離れた運用が行われていれば意味がありません。

分かりやすく例を挙げて申しますと、例えば市民文化センターは何が目的で建設されたのでしょうか?

私は、一つには、市民の文化の向上に寄与するためと理解していますが、そのために、どのような企画あるいや施策がなされているでしょうか。

 私の目からは単なる貸館業にしか写りません。もちろん市民の文化活動の場として多くの市民に利用されることは良いことです。

しかし文化の向上のためにはこうした受け身の姿勢だけで十分と言えるのでしょうか。周辺都市の文化施設では自主事業でさえ、沼津よりもずっと充実した文化事業が行われています。自主事業が文化向上のための全てとは言えませんが、この面だけ捉えても、富士のロゼシアターは沼津に住む私の家へも、内容のぎっしり詰まったカラー刷りのチラシが新聞折り込みで入ってきます。

それに対して沼津の市民文化センターは、お粗末極まりない内容の案内がA4判の簡易印刷したもので送られてきます。これだけ見ても市民文化センターが、目的を持って、文化向上のために十分活用しているとは思えません。

実は、文化の向上のためには様々な企画が必要なんです。例えば、興行的に難しいクラシック音楽や能、狂言などの伝統芸能などは、公共的団体が単に興行するだけでは不十分です。理解してもらうための講座やワークショップなど工夫を凝らした様々な企画を実践していくことが必要です。

更にそうしたものを普及していくために地域に出向いていって、その魅力をアピールすることも有効なのかも分かりません。プレイベントを含め、その場その内容に応じた「生きた企画」を立てなくてはならないのです。

イッタイ沼津の市民文化センターはこの施設を使ってどれだけ文化向上のための企画が行われているのでしょうか。その達成度〜評価ですね〜これを是非尋ねてみたいものです。

◎地域産業の振興を考える

さらに例を挙げて言うなら、「キラメッセ沼津」という施設。時限付きの施設だそうですが、私の理解するところでは、一つには、沼津の産業振興に貢献することを目的に建設された施設だと思うのですが、果たしてそのような活用がされていると皆さん思いますか?

何でもいいから、ここで催しが行われれば、そこそこの人が来て活性化につながる?こんな大雑把な考え方で建てたというなら、税金の無駄使いだ〜と言いたくなります。

産業振興というのは、いろいろなケースがあると思いますが、持続可能な産業振興というのは、やはり冒頭に紹介した鶴見和子さんの言葉ではないのですが、「地域の人々が、固有の自然環境に適合し、歴史的条件にしたがい、文化遺産にもとづいて、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に振興を図っていくことだと思うのです。これまでの地域の歴史をつぶさに見てみればそのことは良く分かります。

地域に根付いているのは殆どが中小企業ですが、こうした中小企業は、とかく大企業の下請けとか、或いは官製プロジェクトで企画された産業振興プランの中で、おこぼれ頂戴的な受け身の経営になりがちのように見えます。

高度経済成長期のように経済環境が豊かで注文が殺到していた時代は、それでも良かったかもしれませんが、今日のように低成長時代になると、競争も激しくなり、しかもグローバル化で製造コストの安い新興国の台頭により、更なる値下げ圧力とも戦わなくてはならないため、受注領域は益々狭まり、利益を上げるのが難しくなっていると想像できます。

受け身の態勢ではなかなか経営を上向かせるのは困難で、経営者のご苦労も大変なものだろうと推察します。

・各地で起こっている産業振興の動き

ではどのような対策が必要なのか?

インターネットで検索していたところ、とても参考になる事例をみつけました。マスコミにも取り上げられているようですから、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、東大阪市のSOHLAという町工場の組織です。その説明にはこのようなことが書かれています。

「小型人工衛星の開発を目指して設立した製造業の協同組合です。〜中略〜不況に苦しむ関西を活気づけ、若い世代へモノづくりを継承したいという町工場の夢から始まった衛星打ち上げ計画はいま実現に向けて着実に加速しています」

更に「厳しい不況の中、苦しい時こそ夢を持たなイカン、と職人集団が立ち上がり、中小企業の技術力を結集して人工衛星を打ち上げようと、東大阪宇宙開発協同組合(Astro technology SAHLA)を立ち上げた」と記されています。そして2009年1月にHAロケットにより「まいど1号」が打ち上げられ、この集団の技術力の高さは広く世間に知られるところとなりました。

また次の計画では、世界初の人型宇宙ロボットに挑戦し、中小企業のモノづくり技術を世界にアピールしようとしています。「今度は月でロボットに何かさせたるねん!!!」〜この人たちのチャレンジ精神は無限のようですね。

もう一つ、興味深い事例を見つけました。東京大田区の中小企業が集まってできた「金型熱血集団」という組織です。これは東大阪市の事例と同じように深刻な不況の中、大田区周辺に結集する優秀な金型企業である町工場が、「個々の力では対応困難であるが、優れた技術力が集まって力を合わせれば何とかなる」という意気込みから、共同の窓口を設けて幅広い受注体制を築いたとあります。

この集団は金型を中心とする町工場が光学機器用部品、コンピューター部品、家電用部品、医療・環境用部品、高級日曜雑貨部品、OA部品、電子部品、カメラ部品、自動車部品など、日本の製造業が求める全てのハイテク製品から一般部品まで、幅広いニーズに対応できる体制が取られている訳で、町工場の底力を見せると同時に、そうした活動を通して町工場自体もハイテク化しており、自らの技術向上が図られている訳です。

ある先生から聞いたことですが、羽田空港が近いことから航空機産業にも足場を築きつつあるとのことです。

今からちょうど20年前(1990)、欧州各地を視察して歩いた時、地中海沿岸のフランス・リビエラ地方には世界的なリゾート環境を背景にベンチャー企業が集まりソフィアアンティポリスという新しい都市が築かれていて、ここではベンチャー企業個々の研究開発は勿論ですが、何よりも重視していたのは企業同士のネットワークでした。

ネットワークによってもたらされた情報交流で、未来に向けた創造的産業を生み出そうとしているのが、とてもよく分かりました。彼らはこのことをクロス・ファーテライゼーションと呼んで様々なイベントを企画していたのをよく覚えています。クロス・ファーテライゼーションというのは異種配合という意味ですね。

要は、中小企業やベンチャー企業が、ネットワーク化したりオーガナイズして変化の激しい現代の高度で多様なニーズに応えられるよう自らをハイテク化し、間口を広げることだと思うのです。

・沼津でもあったネットワークづくり或いはオーガナイズ(組織化)の動き

さて、キラメッセ沼津の話をしようとしたのに、少し脱線してしまいましたが、実は沼津でも地域産業のネットワークづくり或いはオーガナイズ(組織化)の動きが、嘗てあったのです。少なくとも私の目にはそのように映っていました。昭和60年前後だったと思うのですが、市民文化センターを主会場にして、沼津市産業展というのが行われたのを思い出して下さい。

これは、自分たちの地域にある様々な産業を一堂に会し、域内産業の実態を内外に知らしめ、それをネットワーク化の糸口にして、新しい産業おこしの芽生えにしようという狙いがあったと思うのです。

でも、市民文化センターではスペースや会場レイアウト、駐車場など十分な企画ができません。そこで、メッセ会場の必要性が高まり、今のキラメッセ沼津ができたというように記憶しています。もちろん暫定的な施設であるということも承知していますが、このメッセ会場はこれまでお話ししてきたような産業振興の展望の中で有効な利用がされてきたでしょうか。中古自動車の販売や廉価品の販売などに使われているのが関の山ですね。こうしたことに使われるのが悪いと言っているのではありません。空いているときはどんどん使った方がよいに決まっています。でも当初あった目的に沿った本来の使われ方はイッタイどうなってしまったのでしょうか。

この施設ができた当初、1〜2回、産業フェアが実施されたという記憶がありますが、このときは非常にがっかりしたのを覚えています。担当したところは何を履き違えたのか、単なる一過性のお祭りとして企画してしまったのではないかと思わざるを得ないような内容でした。肝心の地域産業の振興という目的性があまり理解されていなかったようです。この時も何人の来場者があったから大成功???なんて言う評価がされていたようですが…。

これでは長く続く筈はないな?と今にして思えます。つまり、本来の目的をしっかりと足元に据えた企画力が欠如していたからなのです。

施設を造っても、本来の目的を実現していくため、その施設を使ってどのような企画をたて、どのように実践していくかが問題なのです。

そしてそれを担う組織がどうあるべきかを検討しなくてはなりません。単なる貸館業としての管理運営で終わらせているとしたら大変な税金の無駄使いだし、それこそハード優先の箱もの行政のナニモノでもないでしょう。

・コンベンションセンターの建設は何を目的とすべきか

今一度脱線してしまいますが、このことに関連して、今、大変憂慮していることがあります。

昨年あたりから新聞にちらほら掲載されているコンベンションセンターのことです。キラメッセにとって代わる施設のようですが、新聞報道でみる限り、何のために建設されるのかということが非常に薄っぺらです。

多分、ファルマバレーができ遺伝学研究所などが周辺にあり、背後に伊豆や箱根という観光地を抱えているから、多くの会議を誘致できるだろう。それを梃子(てこ)にこの地域の活性化を図りたいということのようですが、単なる会議の誘致は、どれだけの実現性があるか未知数です。京都や神戸、東京や横浜など世界的な都市ならいざ知らず、一地方都市がこのような賭けごとのような展望の中で巨額の税金を費やすのは、駅前のイ〜ラデに勝るとも劣らない愚策だと思います。建物を建てて、その稼働率を如何に上げるかといったことだけが焦点のような施設は、この低成長の時代にナンセンスとしか言いようがありません。挙句の果て、他都市との値下げ競争に晒され、大赤字を産むことだって十分考えられます。

平たく言ってしまえば、いつどれくらいお客さんが来るか分からない客商売のような発想つまり受け身的な貸館業の発想ではなく、コンベンション(集会=情報交流)を自ら作り出し、施設を使いこなしていくという発想、つまり産業政策に基づいたコンベンションセンターを考えるべきなのです。

その上で、余裕部分については貸館的な活用があっても良いと思いますが…。

私たちが自慢していた、かつての先進都市であった沼津で、何故このような時代遅れの箱物行政が今の時代に闊歩するのか、ホントに情けなくなります。

先ほどキラメッセのことでもお話しした通り、コンベンションセンターは地域の産業を振興させる地に足のついた産業政策の下で建設されるべきなのです。そのためには、もてなしの施設にするにはどうするかとか使い勝手のよい施設にするにはどうするかとかいった議論以前に、産業政策の構築そして、その政策の下でのコンベンションセンターの役割、位置づけをしたうえで、この施設にどういう機能を盛り込んでいくのかといった議論が先に来なくてはならないのです。

産業政策は勿論、地域の立地環境や歴史・文化の把握、産業分布や研究開発の状況、創業環境の状況などの分析に基づいたグランドデザインの構築がまず必要になります。

その中で、例えば、私が思いつく機能として、地域情報や産業振興に関する様々な情報、関連する最先端の産業情報や地域情報などを集めるインテグレート機能integrate、それら情報をいつでも検索できるように整理して保管するアーカイブ機能archive、地域の産業を内外に発信するパブリシティ機能publicity、内外の問い合わせに答えたり案内したり或いは特定の情報を発信するインテリジェンス機能intelligence&インフォメーション機能information、つまり産業情報センターとしての機能が基本です。それにテーマに沿った産業関連を展示するメッセ(exhibition)、そして地域にある研究機関やインキュベートセンター、イノベーションセンターなどの設置や連携などが考えられます。

要は地域に根付いている産業を母体に、イノベーションと新産業創出の仕組みを構築する中で、コンベンションセンターは位置づけられなくてはならないということです。

(コンファレンス(会議)、コングレス(委員会)、ワークショップ(研修会)の一体的運用が必要なのです)

(産業政策の中心となるテーマは宝の山ともいえる駿河湾の活用がまず考えられます。先日も読売新聞の一面に、海洋発電所の建設についての記事が掲載されていましたし、豊富な生物種を生かしたマリンバイオ〜これはファルマバレーを取り込むことができますね、そしてハイテクの海洋調査船、環境への負荷を無くした養殖技術、海洋深層水の活用、食や景観と連動したタラソテラピー等々いくらでも挙げることができます。)

(固有の機能は、例えば、駿河湾の海洋生物を活用したマリンバイオがコンセプトに据えられた場合には、学術目的の水族館やマリンバイオの実験施設や展示館、そして県水産試験場との連携なども考えられるでしょう)

コンベンションセンターに求められるこうした機能は欠かすことができないのに、そうした議論が目に触れることが無いのはどういう訳でしょうか。

沼津市自体が有力な産業政策を構想することができないのが一番の原因だと思うのです。思いつきのような発想で、目先の効果しか期待できない施設に、何十億何百億円もの税金が使われていくのは耐え難いことです。県事業とはいえ、私たちも県税を徴収されているのです。

そして何よりもこの沼津に建設され、その沼津が無策のため、益々持続可能な発展と縁遠くなってしまっていくことを嘆かざるを得ないのです。

・ドイツのケルン市の国鉄操車場跡地の活用計画

もう一つ参考事例をお話しします。欧州を視察してきた際、先ほどお話ししたソフィアアンティポリスと共に強く印象に残っているのがケルンの国鉄操車場跡地の再開発プロジェクトです。

ケルンはドイツ連邦共和国の、ベルギーに隣接したノルトライン=ヴェストファーレン州にあり、伝統と文化を誇る人口100万の都市で、ケルン大聖堂が有名です。町の中をライン川が流れていて、そのほとりにメッセ会場があります。

私は若いころからカメラが好きでしたから、ここで行われるフォトキナ(国際映像見本市)という映像関連の見本市で、この都市に馴染みがありました。

ここは元々重化学工業地帯の一角に位置し自動車や機械、化学などの多様性に富んだ工業が立地しているそうです。ところが成熟化した産業も多く失業率が高くなり、新しい産業の創出が課題となっていました。

そんな中で、国鉄操車場跡地(20f)の再開発計画があると言うので20年前に現地を見ましたが、残念ながら。その時はまだ野っ原でした。それから10数年後にインターネットで素晴しく変貌を遂げた様子を見ることができ大変感激した訳です。

なぜ感激したかというと、街づくりのコンセプトがしっかりと構築され、それに基づき跡地が整備され、実現に漕ぎ付けていたからです。

ケルンは先ほどお話ししたように、もともとライン川のほとりにあるケルンメッセでフォトキナという世界的な映像関連の見本市が開催されてきており、この分野での一大中心地でした。

それを梃子に電気通信、メディア、教育訓練、研究開発、文化芸術を柱に現代のニーズの最先端を担うメディアコミュニケーション都市としての構想が練られたのです。その構想を実現するため、創業者イノベーションセンター、インフォメーション技術センター、それに4つの研究開発と合わせ合計6つのプロジェクトを始動させ、ケルンメッセと連動する中でグランドデザインを実現する構想を構築し、その構想に基づき、世界中から国鉄操車場跡地に整備するメディアパークの設計コンペが行われたのです。

施設の配置計画をみると、古くからあるケルンメッセと連動して、メディアパークの中心となるセアター、オフィス、ホテル、それに会議場(コンベンションセンター)、教育訓練施設、更に研究開発や実験の場となるラボラトリー、住居などが配置されています。住民との調和を考え全体の半分は公園で、オープンスペースも積極的に造ったとのことです。

インターネット情報では、中小企業や一流企業が連携して独自の専門技術を形成して、メディア産業が繁盛し5000人もの人が新たな仕事に従事しているそうです。また、年間450万人のビジターがこの地を訪れているとのことです

このことは、先端産業であるメディアコミュニケーションの分野で世界的な拠点となることで、グローバリゼーションにも対応していくことになる訳です。

沼津の駅周辺総合整備計画は、このような緻密に検討された産業戦略に基づいた構想が構築されていると思いますか。単なる便利さや何となくこうすれば発展するだろうなんていう、いい加減な考え方で税金を使ってほしくはないと思うのは当り前ですね。高架化すれば余剰地が生まれ、いろいろな活用が期待できるなんていうのは無責任極まりないと思うのです。

先ほどお話ししたコンベンションセンターも発想の根っ子は全く同じです。何故異論が出ないのか不思議でなりません。

◎中心市街地のまちづくり

先ほどイ〜ラデをとんでもない愚策だと言いましたが、中心市街地の振興についても、また平成18年に策定された沼津市観光振興ビジョンについても、中学生の夏休み研究とあまり変わらないような内容で、申し上げたいことがたくさんあるのですが、大分時間が経ってしまいましたので、残りの時間は中心市街地の振興に関連した話をします。

何度も申し上げますが沼津の歴史に残る愚策だと断言できるのが駅南口の「イ〜ラデ」という施設。名前からして私は嫌いなんですが、初めて完成予想図を見たときは空いた口が塞がりませんでした。沼津で一番有効利用を図らなければならない場所にショッピングセンターとマンションの建設とは、もう怒りどころではなく全身から力が抜けていくような思いがしたのを覚えています。

 構築物は半永久的に残ってしまい、廃墟になってしまう可能性だって無いとは言えないし、第一、貴重な土地が活用できなくなってしまったということなどを考え合わせると犯罪的と言いたい気持ちです。

・中心市街地の役割

皆さん、中心市街地の役割って何だと思いますか。単にモノを売ったり買ったりする所だけではないですよね。それだけのことなら今では郊外に便利なショッピングセンターがたくさんできて、多くの買い物客で賑わっています。

賑わっているとは言っても、郊外のショッピングセンターだって熾烈な競争を極めていることは、買い物をしている側からみても良く分かります。

その上、インターネットなど情報システムが発達し、居ながらにして「商品情報の入手→商品の選択→安価に買えるショップ探し→発注→支払い→商品の入手」などがいとも簡単にできる世の中になりました。先日も、ネットでICレコーダーを買ったのですが、お店では店頭に並んでいる商品は限りがありますが、ネットですと選択範囲が広く、予期できないような貴重な情報を得て選ぶこともできます。事実、カタログを見て、決めていた商品は電池の持ちが悪いことがユーザーの評価で分かり、別のメーカー製に急遽、変更して購入しました。しかも発注して、翌々日には商品が届いています。

このような時代の中で、沼津駅前の貴重な土地に、いろいろな事情はあるにしろ、時代の変化を無視した、何の付加価値も持たないショッピングセンターを建設したのは、安易な税金の使い方以外の何物でもないと思うのです。

中心市街地というのはもっと別の色々な役割があると思うんですね。

私の家は駅南の市街地にあり、かつて酒屋を営んでいましたが、そこでは様々な人が来て、「寿司をおいしく食べるのに相応しい日本酒はどの銘柄がいいか」とか、「合わせ味噌はどのくらいの割合がいいか」とか、はたまた「内の子は今度のテストの成績が悪かったけどあんたのところはどうだったか」とか実に多種多様な情報交換が行われていたのを子供心に覚えています。明治時代の商店も、写真を見ると、上がりこんで色々な情報交流が行われていたんだろうなということが想像できます。

つまり商店というのは情報発信の場でもあったわけです。

また、ドイツの商店街は夕方になるとお店が閉まってしまいますが、ウィンドディスプレーが本格的で見て歩くだけでも美術館の中を歩いているように目を楽しませてくれています。つまり、商店街はshow空間(ファッションショーのshow)でもあり、モノを売るだけの場ではないということですね。

その上、中心市街地ということになれば行政機関や金融機関など様々な機能が集積しており、もっともっと幅広い重要な役割があると思うのです。

・ドイツ フライブルグのまちづくり

またまたドイツの都市のことで恐縮ですが、ドイツの南部、黒い森と言われるシュバルツヴァルトの近くでフランスとスイスの国境近くに、フライブルクという人口20万人の都市があります。

ここには音楽大学があって私の友人が留学していましたから名前だけはよく知っていましたが、ここのまちづくりのことが新聞に載り、大いに興味を持ちました。ここで生活している日本人が書いた本も読んでみました。

どこに興味を持ったのかというと、環境をテーマにした街づくりが行われていることです。

例えば、中心市街地の周辺に大きな駐車場を造り、市電などの公共交通機関を張り巡らして、市街地に自家用車を流入しにくくしたり、街の中にせせらぎを流したり、ゴミを出さない買い物のコンクールを行ったり、市民から資金を募って公共施設に太陽光発電を備え付けそこから上がる収益を分配したり、学校の教室に透明な箱に土を入れて、そこでミミズを飼い、食べたもののカスがミミズによって分解されていく様子を子供たちに見せ、プラスティックやビニールは分解されずにゴミとして残ってしまうことを実感させたり、環境教育を含めあの手この手で環境をテーマにした街づくりに取り組んでいるそうです。

圧巻なのは中心市街地の真ん中にビオトープを作って、ここで様々なイベントを行い、楽しみながら環境教育を行っているとのことです。

その結果、大通りには、音楽大学があることも貢献して、ストリートミュージシャンが音楽を奏で、手回しオルガンなどの大道芸人がパフォーマンスを日常的に繰り広げ、エンターテインメントばかりでなく、潤いのある癒し効果に優れた市街地に変貌したそうです。その結果、商店の売り上げも飛躍的に伸びたとのことです。

・沼津の中心市街地再生への提案

沼津市は富士山や箱根山、そして伊豆の山々を望み、市街地を狩野川が流れ、香貫山との組み合わせが、京都の嵐山のよう、と評する人がいるほど風光明美な都市です。しかも、若山牧水が愛した千本松原、1000種以上の海洋生物が生息していると言われる駿河湾など、街づくりのキーワードとなる材料は他都市の人が羨ましがるほど豊かなのに、実際に行われている街づくりはお粗末極まりないと思うのです。

私の個人的な思いというか提案ですが、先ほどのフライブルグよりも環境面では、はるかに恵まれていると自負している沼津です。

フライブルグの例を参考にするまでもなく、中心市街地は環境をキーワードに都市計画を考える必要があると思うのです。

そのため自然環境を阻害するような街づくりは行うべきではありません。富士山の景観を台無しにしたり、市民の潤いの場である狩野川を遮断するような高層建築物の建築を許すような都市計画はどこかおかしいと思うのです。

第一、狩野川花火大会の花火を益々見えなくしてしまっているのはどういう訳でしょうか。自ら首を絞めているのと同じじゃないですか。

沼津の中心市街地の整備に当たっては、環境をコンセプトに据え、そこに沼津らしい、沼津ならではの要素を取り込んで、中心市街地の再構築を構想することが重要だと思うのです。

例えば、市街地への車の流入を極力制限し、その代わり、周辺に無料大駐車場を設け、LRT(市電)と狩野川を活用した水上交通網を張り巡らし、それと共に、格安の定期乗車券の発行、昔の赤帽のように荷物運びや買い物を手助けするサポーターと荷物の一時預かり所の配置、高層建築物の高さを状況に応じて制限したり(景観形成ですね)、環境問題を楽しく学べるビオトープを設け〜イーラデの場所がピッタリだと思ったのですが仕方ありません〜ここでは環境教育と連動した様々なイベントやエンターテインメントが行われ、街中は全てバリアフリー、通りは公園のように緑や休憩施設を配置した安らぎ空間とし、最先端の生活情報を発信する情報交流拠点の設置、中心市街地が、まるで千本浜、狩野川、香貫山の延長であるかのような都市デザインなど夢はいくらでも膨らんでいきます。

事実、フランス・パリの郊外にデファンスという再開発地区がありますが、〜日本でいえば新宿副都心のようなところですか〜、ここでは車と人を多層構造で完全に分離し、人が活動する空間は、ミロのモニュメントやモダンアートそれに緑豊かなミニ公園などが配置され、そこに個性的なベンチが置いてあって小鳥の声が聞こえる中で若い女性が読書している姿がとても印象的でした。

ここは人工的にこのような空間を作り出しているのですが、沼津は元々豊かな自然が息づいており、その恵まれた環境を生かすことが中心市街地の活性化につながると思うのです。

フライブルグは「環境首都」という言い方をしていますが、日本の首都は勿論「東京」、でも日本の環境首都は沼津ですと言えるようになれば最高ですが…

◎エピロ=グ

環境をキーワードにというのは私の個人的な思いですが、本当のことを言えば、沼津に住んでいる市民の皆さんの合意形成の中で、沼津ならではのテーマを見い出し、グランドデザインを構築していくことが、個性豊かで、後世の繁栄につながる持続可能な街づくりにとって重要なことなのです。

何故なら土地の匂いを嗅ぎ、肌身を持って地域を感じ取っているのはそこに住んでいる人に他ならないからです。私も生粋の沼津人として、皆さんと一緒に知恵を絞って行きたいと思っています。

<参考>

◎フライブルグバーデン・ヴュルテンベルク州の州都で、フランス、スイス、ドイツの国境近くに位置するフライブルグ市は、人口 198,342人 (95年)の石畳とゴシック建築の教会とベッヒレ(町を流れる水路)の美しい中世の面影を残す美しい町であり、シュヴァルツヴァルト(黒い森)に隣接しており、市の4割以上が森林という、恵まれた自然環境であり、人口の約15%をしめる約30,000人が学生という学園都市でもある。

フライブルクは環境政策で先進的な都市として知られており、欧州の都市環境保護キャンペーンなどでも何度も賞を受けるなどしている。環境首都という呼称は、ドイツ環境支援協会による自治体コンクール「自然・環境保護における連邦首都」において1992年に最高点を獲得し、「環境首都」として表彰されたことに由来する。

フライブルクの環境政策で有名なのは、廃棄物・リサイクル政策、自然エネルギー政策、交通政策、都市計画・景観政策などである。元はと言えば1970年代に酸性雨によって黒い森が枯死の危機に瀕し、なおかつ近郊のヴィールに原子力発電所を建設する計画が持ち上がり、原発反対運動が起きたのがきっかけであった。1975年にフライブルクに設立されたBUND(ドイツ環境自然保護連盟)などが中心となって、フライブルクは黒い森を守るために、エネルギーでは脱原発・自然エネルギー推進をとり、大気汚染対策としてクルマ依存からの脱却と公共交通・自転車の強化を採用した。自然エネルギーでは太陽光発電の普及を中心にしている。交通面では都心への自動車乗り入れを制限し、以前より走っている路面電車(LRT)を強化すべく、郊外部への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。また、旧フランス軍駐留地である市南部のヴォバーン(Vauban)地区では、フォーラム・ヴォバーンというNPOの活動により、エコロジーを重視した団地が造成されている。

フライブルクの環境政策は単に環境対策上の成果にとどまらず、経済面でもプラスの効果をもたらした。まずは太陽光発電をさらに推進するために、太陽光発電の研究機関を誘致した。この研究所が中核となり、太陽光関連企業がフライブルクに立地するようになり、フライブルクはドイツにおける太陽光発電の重要な開発・生産拠点となった。太陽光発電はフライブルクに新たな雇用を生み出したのである。

また、環境政策の先進事例と紹介されたため、各国から視察が相次いだ。視察団向けに環境ツアーが組まれるようになった。すなわち、環境政策も一つの観光資源として、観光産業としての役割も果たしている。ちなみに、市役所やNGOなどフライブルクの各機関ではあまりにも視察が増加したために、現在では多くの機関への視察やヒアリングは有料となっている。

(フライブルクの環境政策については、資源リサイクル推進協議会編『徹底紹介「環境首都」フライブルク』(中央法規出版、1997年)や今泉みね子『フライブルク環境レポート』(中央法規出版、2001年)などで詳しく紹介されてい

Land Nordrhein-Westfalen は、ドイツ16ある連邦州のひとつである。州別の人口数は国内第1位で、人口密度も都市州を除いてトップである。ヨーロッパを代表する工業地帯であるルール地方は州の南西部に位置し、これまで(西)ドイツ経済を牽引してきた。ドイツ全体で12ある人口50万人以上の都市の内、5つがこの州に集まる。州都デュッセルドルフをはじめ、ケルンドルトムントエッセンデュースブルクがそれである。

◎ケルン (Koln) 998,105 は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州の都市。ローマ帝国によってローマ植民市として建設されたライン川中流の古市であり、ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia から由来する。現在でもイタリア語スペイン語ではこの名前が使われており、英語フランス語 Cologne も同源である。また、フランス語で「ケルンの水」を意味するオーデコロン (eau de Cologne) は元々、澄み切ったライン川の水を原料として使われたことから始まり、世界共通語の「コロン」として転訛したという。

古来からケルン大司教選帝侯(選挙侯)のひとりであり、ケルンは古代から現代に渡って交易と地域政治の中心として栄えてきた。

現在では国際的な見本市や展示会が行われる産業都市の側面も持つ。ユネスコ世界遺産に登録されているケルン大聖堂が町のシンボルであり、ドイツ最大のカーニバルを行うことでも観光地としても人気がある。

◎ビオトープとは、「自然の状態で多様な動植物が生息する環境の最小単位」を意味し、地球上の生態系(エコシステム)を保続して行く上で欠くことの出来ない構成単位です。
 ビオトープの概念は、地理的区分の最小単位を追求する過程に生まれたもので、最初は地形・地質的な内容を主としたもの「ジオトープ」が考えられていましたが、次第に地形・地質の条件をも反映する要素として、その上に生じた生物群集が着目されるようになりました。
 最近になりビオトープの概念が特に重要視されるようになった理由としては、環境変化に対して生物群集が地形・地質的要因と比較してはるかに影響を受け易い事、人間生活との関わりがより直接的である事、などが考えられます。

 ビオトープはこの様に本来は普遍的な単位であり、広大な自然地域の区分にも用いられますが、環境保全の立場からは、特に人間によって広汎に改変された地域(市街地・農耕地)に斑点状に残存する自然地域に適用される場合が多く、これらを「狭義のビオトープ」として捉える事が出来ます。

 私ども「日本ビオトープ協会」では、ビオトープの語をこの様に限定的に用いております。つまり、ある地域に依存するビオトープの保全、その内容の豊富化(エコアップ)、失われたビオトープの再現、また、埋立地などではその創造を行う事を目的としております。ビオトープの再現、創造に当たっては、充分な根拠に基づく「潜在的」自然生態系を作り出す事でなければならない事はいうまでもありません。

 

 


2009年12月04日 16時36分

「グランドデザイン」沼津朝日新聞投稿記事

「グランドデザイン」()山田献策

 先日、千葉県に住む旧友が我が家を訪ねてきた。十数年ぶりの再会である。彼は高校卒業と同時に沼津を離れ、今では大きな病院の副院長をしている。

 この友人との雑談の中で気になる話があった。

 「最近の医者には、生命とは何か、人間とは何かという自問自答の中で医療と向き合い、患者の治療に当たる者が少なくなってしまった。医療行為を単なるパーツ(機械などの部品)の修理のように捉えている」というのだ。

 私のつたない理解によると、人間の体は心臓や胃、腸など身体を構成する全ての部位が連携し合いながら、それぞれの役割を果たすことで成り立っている。当たり前のことだが、医療行為に当たっては精神()、そして部位と部位の問の空間(隙間)も含めた全てを丸ごと捉えてみる必要があるということなのだろう。これはホリスティック医学の考え方に通じ、地域の在り方を考える上でも非常に参考になる。

 ちなみにホリスティックというのは、「全体の」とか「丸ごと」といった意味合いである。

 このことについて別の見方をしてみると、人間(生命)は、外界から動植物などを食料として取り入れ、それを体の中で運動エネルギーに変え、その過程で生じる熱や排泄物を外界(生活空間)に捨てることによって生命活動を維持している。しかも食料として取り込む動植物も同じ生命活動を行っており、それぞれの生息に適応した空間を確保している。

 つまり一定の空間の中で様々な動植物が住み分けをして生命活動を営んでいるのである。だから、人間の生存を考える場合、それら空間を丸ごと捉えてみる必要があるということなのだろう。その空間は、いわば「生命の場」と言ってもよいのではないかと思う。

 人間にとって、この「生命の場」というのは言うまでもなく地域=都市である。しかし現在の都市は、こうした視点から外れ、政治的な思惑や利害関係から都市の境界が敷かれている側面があるので、必ずしも一致しない。市町村合併を考える場合、忘れてならないことである。地域=都市をどのように築いていくかは「生命の場」でもあるのだから、そこで生活する全ての者にとって重大な関心事でなければならない。

 地域づくりで重要なことは先に述べた通り、空間的なもの、歴史的なもの全てを丸ごと捉えてみることだ。歴史的な視点が重要なのは、地域は人と自然、人と人との関わりの中で生命活動が営まれ、それが進化して今ある空間が築かれているからだ。

 つまり、技術や制度など外来の文明を参照したり取り入れたりしながら、固有の文化を築いてきた歴史がある。だから、地域づくりの上で、地域の自然、歴史、文化を丸ごと捉えたポリスティックな考え方、すなわち地域のグランドデザインを構想することが重要なのだ。

 翻って我が沼津のまちづくりを考えてみよう。愕然とするほど、目先の効果しか考えていないまちづくりが行われていることに気付く。

 友人が嘆いていた医療におけるパーツの修理と同じような、否、それ以下のまちづくりである。生命の場としての持続可能な発展が期待できるまちづくりには程遠い。

 一例を挙げてみよう。沼津港周辺の食堂街。県外ナンバーの車が目立ち、多くの人でにぎわっている。これはこれで喜ばしいことだと思う。しかし、なぜ、こんなに多くの人を引き付けるのか。言うまでもなく、海…駿河湾という背景があるからだろう。(大岡)

(沼朝平成21122日号)

 

「グランドデザイン」()山田献策

 沼津の発展の幾ばくかは海の活用に依存してきたことによる。この、海の活用を取り込んだまちづくりの構想があってこそ、食堂街を含めた沼津の持続可能な発展が期待できるのだ。特に駿河湾は二、五〇〇bもの水深があり、急深で、その特異性から極めて多くの生物種が生息し、地域資源の宝庫とも言える湾なのである。

 沼津は、これまで漁業や輸送などに、この駿河湾を利用してきた。しかし技術の進歩や時代の変化に伴い、新しい活用が模索される時代になった。マリンバイオ、ソフトエネルギー、資源管理型漁業、ハイテク船の運航、フロート型の海洋構造物、海洋深層水、タラソテラピー、マリンリゾート等々、枚挙に暇がないほど活用の可能性を

秘めている。

 こうした海の活用を取り込んだまちづくりのグランドデザインを描く中で、海の幸を生かした食堂街はどうあるべきかが検討されなくてはならない。その構想如何によっては、海洋開発の研究者が集い、情報交流、情報発信が行われる有力な場になるかもしれない。そうなればコンベンションとしての機能も果たすことになり、沼津の持続可能な発展に大きく貢献することになる。

 ついでながら、コンベンションという語句が出たので、ここ数カ月、新聞紙上をにぎわしているコンベンションセンターのことに触れてみる。まだ具体的な構想を把握している訳ではないので、これまで報道されている範囲での感想だ。

 まず驚いたのは、今年七月二十八日付の新聞記事。「コンベンションどう活用」という見出しで一面に大きく掲載されている。その右隣には「沼津駅周辺の鉄道高架事業知事推進の方向」という見出しの記事も掲載されている。

 活用の仕方も決まっていないものを、なぜ建設するのか甚だ疑問に感じる。コンベンションというのは辞書で調べてみると「会議、集会、集まること」と記されている。会議というのは、人々が一堂に集い、情報交換や情報発信を行うことである。

 それならば、そうした機能を沼津の発展にどう生かすかが議論されなければならない。言い換えれば、沼津の発展にとつて、そうした機能が必要なのかどうかを議論してみるところから始めるべきではないのか。

 ところが新聞記事では「快適な開催環境づくり」とか「地域ならではのおもてなし」などの語句しか見当たらない。まさか人寄せパンダのように会議や集会等を誘致して経済効果を生み出すことに期待しているのではあるまい。

 東京や京都のように付加価値の高い国際都市ならいざ知らず、巨額の税金を投資して、どれだけの稼働率をもたらすかも分からないような施設の建設はどうかしている。一か八かの賭けごとのような考え方で私達の税金を使ってほしくない。

 コンセプトらしいコンセプトもなく、とりあえず誘致しやすい建物を建てて、稼働率を高めることが目標とされるような施設の建設は、不動産賃貸業とあまり変わりはないではないか。

 「ハコモノありき」の考え方は、ハコモノ行政そのものではないのか。コンベンションセンターは、正しい産業政策に基づいて、その機能を生かすことができれば極めて有効な施設だ。だからコンベンションセンターの建設は朗報だと思ったのだが、新聞報道でうかがい知る限り、動機は極めて低次元としか言いようがない。戦後、復興期を経て高度経済成長期に跋扈(ばっこ)した時代遅れの考え方としか思えない。(大岡)

(沼朝平成21123()号)

 

「グランドデザイン」() 山田献策

 数日前、関西地方の人口五万人の市の職員と話す機会があった。彼は企業誘致の仕事をしている。企業誘致のことで私は、どんな企業でも誘致できれば良いのではなく、その町に、どんな産業が根付き、それらの産業と関連付けができ、相乗効果で地域の発展に貢献できる企業を選別して誘致する必要がある、と偉そうに言ったところ、「それは当たり前のことだ」と一笑された。

 どんな企業でも来てくれれば良い、という訳ではない。ニーズが多様化し高度化している今日、企業は、そうしたニーズに対応すべく、日夜研究開発とニーズの掘り起こしに努めなければならない。そのためには同業・異業を問わず情報交流を活発にし、自己主張していかなければならない。地域の産業立地、研究開発の状況、企業が成長していく環境、文化など多重多層なネットワークの構築が不可欠なのだ。

 場合によっては、ある部分の組織化も必要になってくるだろう。そのコァ()となりうるのが、コンベンションセンターなのだ。

 企業にとって、有力な情報の存在が企業誘致の重要な要因になりうる。だから彼は、様々な研究機関との連携も図っている。コンベンションセンターにどのような機能を盛り込んでいくかは産業政策の観点から検討されるべきなのに、沼津の場合、一連の報道に、そうした兆候が微塵も感じられないのはどういう訳か。

 彼は、もう一言付け加えて、「単なる誘客施設として建設しても閑古鳥が鳴くことになる。そのような失敗例はいくつもある」と。

 目先の効果ばかり考えて、次々と貴重な税金が費やされていることに黙ってはいられなくなるのは私ばか軌ではないだろう。

 鉄道高架事業も納得できるグランドデザインがきちっと描かれていれば、これほど反対の憂き目には遭わなかったと思う。単に県東部の中心都市としての顔を整えるとか、交通インフラの整備とか、使途も分からない遊休地が確保できるからとかの説明では済まない大規模事業なのだから。

 関西から来た市の職員が帰り際、「沼津は立地や地域資源など様々な面で恵まれているから、真剣に考える必要もないのでしょう???」と言い残していった。

 余談だが、彼は私の本棚から、沼津市が平成十八年に策定した立派な装丁の「観光振興ビジョン」を手に取り、パラパラめくってから、「高校生のグループ学習程度の内容ですね」と評した。

 私は、中学生の夏休研究程度だと思っていたから、彼は遠慮して高校生程度と言ったのだろう。観光とは何かという視点が欠如した子ども達でも思いつくような目先の効果しか考えていない内容だからだ。

 観光は重要な産業の一つだが、手法を誤ると地域を荒廃させてしまいかねない難しい産業分野なのだ。こんな低レベルで沼津の観光産業がリードされているかと思うと恐ろしくなる。先に挙げた沼津港周辺の整備もコンベンションホールも、つまるところ、発想の根っこは同じなのだろう。

 彼を沼津駅で見送ってから、沼津はホントに恵まれた環境にありながら発展できないのはなぜか改めて考えてみた。

 一言で言えば地域資源を時代のニーズに合わせて活用する産業政策が欠落しているからだ。その根本は地域をホリスティックに捉える能力、即ち地域のグランドデザインを描くことができないことにほかならない。

 特に斎藤市政の十二年間は、発展の芽を生かすどころか、摘んでしまっていたと思えて仕方がない。まさに「失われた十二年」である。

 栗原市政が発足して一年が経過したが、官僚経験者による市政から純政治家による市政に移行して少しは変わるだろうと期待しているのだが、それも萎()えつつある。少し饒舌になったかなという程度だ。

 私達の税金が「生命の場」たる地域づくりに無駄なく、有効に使われること、そして郷土沼津の発展を心から願わずにはいられない。(おわり)(大岡)

(沼朝平成21124()号)




「沼津大好き塾」シンポジウムに参加して

 

131日(土)、沼津市立図書館で、大変有意義な催しになりうるシンポジウムが行われた。その数日前、「100年に一度の危機から学び、私たちがいま求められているのは」と書かれたシンポジウムのチラシを目にし、開催意図がいま一つ分からなかったが、世界的経済危機は個人的にも大きな関心があったので参加してみた。

 パネリストは勝又幹英氏、鈴木亮氏それに橋田幸子氏の3人。橋田氏が二人のエコノミストに質問する形式で鼎談が行われた。

 その内容は23日の沼津朝日新聞に詳しく掲載されているので、そちらの方に目を通していただければ良いと思う。話の内容自体には特に新味さは感じなかったが、パネリスト3人がとても話が上手く、三人三様の言い方で脈絡のある進行と分かりやすい解説だったのでとても好感がもてた。

 ところで、冒頭に「有意義なシンポジウムになりうる〜」と書いたが、沼津のまちづくりにとって極めて重要な提案がなされていたので今後の取り組み如何により、そのような言い方をさせてもらった。

 世界的経済危機の中で救済の有力なテーマとして環境関連が取り上げられたのは沼津朝日新聞の記事のとおりである。いまや環境を無視して企業の存続はあり得ないほど人々の関心が高く、それほど地球環境が悪化しているということなのだろう。

 地球環境の問題は、国レベル、企業レベルで解決できる問題ではない。個人レベル、自治体レベルでも取り組まなければならない全人的問題である。

 また、環境問題は生産から産業廃棄、人々の生活、更に景観や騒音、臭い、屋外広告物や構築物などありとあらゆることが環境問題に関連している。人が活動している限り環境問題は切り離すことができない。

 特に地球環境は人類の存続にもかかわる重要な問題であることは周知の事実であるが、現在、地盤沈下が危惧されている中心市街地の再生という観点からも、この問題を捉えてみる必要があるのではないかと思う。

 沼津市の中心市街地は長いこと静岡県東部の中心としての役割を担ってきたが、現在はそのような機能は低下する一方。街を歩いていてもシャッターの下りている光景が否応なく目に入り、かつての面影は薄い。行政は無策に近く、そればかりか思い付きとしか思えない愚策が目に付き、かえってまちを悪化させているように感じるのは私ばかりではないようだ。町の声や「言いたいほうだい」に目を通しているとそのことがよく分かる。

 沼津は海、山、川が市街地と近接し、富士山や箱根・伊豆の山々、そして遠くには南アルプスまでもが眺望でき、素晴らしい環境に恵まれている。自然資源も豊かだ。このことは誰もが口を揃えて絶賛している(筈なのに)、これと逆行しているまちづくりが進行しているのは残念なことだ。例えば、駅近の一等地に景観を遮るばかりでなく既存商店街を圧迫しかねない高層のショッピングセンターの建築(幸い圧迫するほどの力も無く、とり越し苦労ではあったが、後をどのようにフォローするのだろう。撤退するテナントは次も出てくるのではないか)。狩野川と人を隔絶している高層建築物群。沼津固有の地域資源を無視しているとしか思えない都市計画の在り方が問題なのだ。また、沼津の持続可能な発展にとっていまだにその意義がよく分からない鉄道高架事業も進行中である。持続可能な発展とは何か。それには何が必要なのか。基本に立ち返って、自然や歴史、文化などその土地の固有性を検証し、現代のニーズと照合しつつ、あるべき都市の姿をグランドデザインとして描いてみなければいけない。

そうしたことをトータルで考えてみると沼津の場合、明らかに環境はまちづくりの重要なキーワードの一つになるだろう。

ドイツのフライブルグという都市は人口20万人、沼津と同規模である。この都市の環境をキーワードにしたまちの再構築は注目に値する。人々が安心して買い物ができる中心市街地の環境整備、それに加え環境への負荷を極力排除する環境教育(意識啓発)。それらを実現するため中心市街地への車の流入を抑制し、街の真中にエコステーションを作り、そこにビオトープやハーブ園などを設け、そこで様々な環境関連イベントを行い意識の向上を図っている。その結果、中心市街地にゆとりと安心安全が生まれ、エンターテイナーによる様々なパフォーマンスが行われるようになり毎日がお祭りのようだという。文化活動が活発になったことにより、人々の交流が生まれ、都心回帰を実現し、往年の商業都市への復活を遂げた。

また、環境意識の高まりは市民企業家をも出現させた。リユースから発想を得て企業化したまちの産業が有力な産業に成長したことや、公共施設に大規模な太陽光発電機を設置し、その所有権を市民に分譲して、そこで得られた収益を、分譲を受けた市民に分配しているとのこと。このことは、クリーンエネルギーの推進ばかりでなく環境意識の向上や公共施設と市民とのリレーションシップを築くことにもなるだろう。

 まちづくりのキーワードは環境だけではないのは勿論だが、環境はその有力な一つである。特に沼津のように恵まれた立地条件と恵まれた自然環境が両立する類稀な都市は環境をキーワードにすれば多くのまちづくりのアイデアが生まれるだろう。

 今回の、シンポジウムでは環境が日本の経済危機を救うとしていたが、沼津の中心市街地を救う有力な手段でもある。

 その具体的な方策は、自らが主体となりうる市民の知恵で賄うことが重要である。そのため今回のシンポジウムを契機に、会を重ね、焦点を絞り込んでいくことが必要なのだ。

 そのことが単なる思い付きのシンポジウムに終わらせず、実効性のある有意義なシンポジウムに変身させることになるだろう。勿論、シンポジウムばかりでなく必要に応じて先進都市の情報収集やワークショップなども行っていけば、なお一層有効な市民運動にまで発展させることができるかも分からない。沼津大好き塾の皆さん、ぜひ次へのステップに踏み出していただきたい。そして、ゆくゆくは参加者の中から市民企業家が生まれるかも分からないし、沼津のまちづくりの方向性が見えて来るものと思う。

沼津市大岡 山田献策



  

市長選を前に沼津のまちづくりを考える

 

 健康のため毎朝、千本松原や狩野川、香貫山、市街地などを散歩している。歩きながら頭の中を過ぎるのは決まって郷土・沼津のこと。こんな恵まれたまちが発展できないのはなぜだろう?発展とはどういうことを言うのだろう?沼津の良いところは何だろう?等々様々な思いが浮かんでは消える。又一方、こんなにも地域のことが気に掛かるのは何故だろうという疑問も脳裏をかすめる。生まれ育った地域のことを考えるのは当たり前とおぼろげに納得していたが、ある美術展を観たことにより明快な答を得ることができた。まちづくりの原理原則的なことであり、市長選挙も近いので、この疑問を含め沼津の発展について考えてみた。

まず沼津が、沼津の立地や地域資源に照らして相応しい発展を遂げているだろうかということから考えてみる。私の言う発展とは、高度経済成長期に言われていたような利便性や効率性追及のハードを中心とした都市機能の充実ではなく、住む人が住む喜びを感じることができるまちづくりのことだ。そのためには産業、福祉、教育、安心安全、癒し、楽しみ、健康など人が生活するのに必要な要素がバランスよく進化をしていかなければ発展とは言えない。

 中心市街地の場合は賑わいという面が注目されるが、それを示す一つの手掛かりとして、毎日のように新聞に折り込まれてくる不動産の広告に注目してみた。土地価格は商業地域に限って言えば、土地の立地における収益性から評価されるので収益性が見込める土地ほど価格は高くなる。土地の利用度を高めるため建蔽率も容積率も大きい。それに対し住宅地域の土地は利便性やゆとり、静けさなど住環境が優れていることで評価されるため収益性とはあまり結びつかない。むしろ誰もが住む場所を確保しなければならない必要性から、できることなら土地価格は低く抑えられるべき性質のものだ。

 ところが驚くことに、ここ数年の不動産の広告を見ると、近隣都市の住宅地と沼津の商業地域の土地価格はそれほど差が無いのである。むしろ沼津の商業地域の土地の方が安い場合もある。建蔽率や容積率が最高地域の土地が・・・昔は何倍もの開きがあったのに・・・。こうした現象はかつての沼津を知っている者にとっては信じがたいことだ。土地価格は一つの指標に過ぎないから、これで沼津の中心市街地が衰退してしまったと言うのは言い過ぎかも分からない。でも、中心市街地を歩いてみると、この指標はごもっともと思わざるを得ない。おそらく他の指標を探ってみても同様の結果になるのだろう。

ではなぜ、こんなに沼津が衰退してしまったのだろうか?繰り返すようだが活性化だけがまちの発展ではない。商業地域のように活性化すべきところと、住環境や自然環境を良好にしなければならないところがバランス良く進化していくことがまちの発展なのだ。活性化すべき中心市街地があまりにも寂しいので、沼津のまち全体が都市として進化していないのではないかという危惧を言っているのだ。

 原因は色々あり、いくらでも挙げることができるがここでは基本的なことに絞って述べてみたい。

 オーケストラ音楽で、指揮者のいない演奏を聴いたことがある。オーケストラは何十人もいる演奏者を指揮者が束ね、音を出すタイミングや音の大きさ、音の出し方等を指示し、自分のイメージする音楽を構築する。そのイメージする音楽がイメージどおりの音、或いは啓示を受けた音楽に昇華されることにより、聞く者はその音楽に共感して感動を覚える。指揮者がいないオーケストラ演奏は、コンサートマスター(通常、ヴァイオリンの第一奏者)の合図で、音を出すタイミングや楽譜に記された強弱記号等で形を整えることはできる。あらかじめ打ち合わせをしておけば、ある表現を強調することも可能だろう。しかしこうした音楽は技術的な巧さに感心することはあっても感動を覚えることはない (私の経験した範囲では) 。演奏している音楽に対する考え方(理念)やイメージの飛翔が感じられないからだ。物理的な音を整えるだけでは人の心を動かすことはできないのだ。

 沼津のまちづくりはこの指揮者不在のオーケストラ演奏に似ている。都市づくりに対する深い考えや思想性、理念等が見えず(又は、次元が低く)、形を整えることばかりに終始している。たまに大きなことをやっても必然性が感じられないから一過性の効果で終わってしまう。それが構築物だと後世に(遺物として)残ってしまうのでその責任は大きい。歴史的にみれば犯罪的とも言える事態になる場合すらある。その結果、思いつき的、浅はか、話題づくり或いは目先の成果や政治的効果を狙ったものにしか写らない。駅前の再開発ビルを筆頭に、ここ数年実施されている大規模なイベント等々、沼津の持続可能な発展という観点からみて、どこに意味があるのか理解に苦しむものばかりだ。10年ほど前、今は亡き元市長が今度の市長は沼津をどの方向へ持っていこうとしているのかが全く見えないと言って嘆いていたが、今にして思えばこの元市長の眼力はさすがだったと妙な感心をしている。

 地域の持続可能な発展を目指す場合、地域づくりの指揮官である市長に求められるのは何か?或いは市長が最低限留意しておかなければならないことは何か?市長選を迎えるにあたり、立候補する人たちの主義主張はそれぞれにあると思うし、あるべきだが、まちづくりの普遍的な原理原則を見据えることができなければ、まちづくりを委ねることはできない。まちづくりに対する深い見識(理念或いは哲学と言ってもいい)を持った人を選ばなければならない。間違っても前歴や学歴に惑わされてはならない。

それではその普遍的なまちづくりの原理原則とは何かについて考えてみたい。

今年東京で、美術展やバレエ公演をいくつか鑑賞したがその中に、地域の持続可能な発展にとって重要な示唆を与えてくれるものがあった。

それは@エントロピーAホリスティックBアイデンティティの三つのキーワードで言い表すことができる。いずれも聞きなれない語句だし、意味も深くて理解が難しい。でもまちづくりにとって非常に重要なキーワードなので簡単に解説してみたい。

 一つ目のエントロピーは、エネルギー保存則と共に物理学の最も基本的な法則で、エントロピーの増大により秩序性が壊れていくというもの。人も都市も秩序によって成り立っているから、エントロピーの増大は極力防がなければならない。人の場合は、古い細胞が死んで新しい細胞が環境に見合った形で創造を繰り返し、排泄物や汗や体温を外部へ捨てることによりエントロピーの蓄積を防いでいる。つまり代謝を繰り返しながら、生命を維持しているのである。代謝が行われなければたちまち肉体は滅びるのだ。都市も同様に、エントロピーの増大を極力抑え、代謝を繰り返しながら進化を遂げていかなければならない。進化は人が他人には絶対になれないように都市もその地域に見合った進化がある筈だ。北京オリンピックで大活躍した北島康介だって自分の資質を最大限に鍛えてあの偉業を成し遂げた。北島康介が他になり変ったわけではない。地域の持っている資質を活かすことこそが肝心なのだ。無知で傲慢な幻想により都市を必要以上に変質させ、エントロピーを増大させてはならない。無理な近代化や政策が結局は都市をだめにしている例はいくつもある。京都賞を受賞したピナ・バウシェが率いるヴッパタール舞踊団の「パレルモ パレルモ」という公演を今年3月に観た。パレルモはイタリアの都市の名で、人間の傲慢な振る舞いにより都市にごみや乱雑さが増大し、コミュニティも喪失して人間の疎外を招き社会の秩序を失い、人が生きていけない都市になってしまうことを警告していた。

 二つ目に挙げたホリスティックは「全体の」とか「まるごと」といった意味で、医学などで耳にする。この語句がまちづくりの重要なキーワードであることを確信できたのは、57月に掛けて行われたエミリー・ウングワレー展。この人はオーストラリアの原住民アボリジニで80歳近くになってからキャンバスに絵を描き始めたという。青空の下で大地にへばりついて奔放に描く。描く対象は自分の生まれ育った地域の全て、そしてその地域が現在に至る生成過程の全てである。地域にある石ころも樹木も生き物も地の中にあるもの、地上にあるもの、空に舞うもの、空気も空間も全てだ。自分自身も地域を構成している一部なのだ。つまり、そこにあるもの全てがつながりあって地域という小宇宙が形成されている。エミリーにとってはそれが神であり全てなのだ。

ホリスティック医学を提唱している医師の帯津良一氏がテレビ番組の対談で、臓器と臓器の隙間、人と人の空間などに全てのつながりがあってそれが命の場になっている。その命の場を医師、患者、家族が共有し、診るもの(医師)と診られるもの(患者)といった関係ではなく、一緒に病と戦う同志であり、全体をまるごと捉えることによって自然治癒力や癒し、養生といった医療がこれからの医療のあるべき姿だと述べている。地域に生きる者は一人一人が地域を構成している一部であり、それぞれが役割を担っている。そして地域が自律的発展を遂げるために、産業や教育、福祉などがつながりあってまるごと進化させることが必要なのだ。テレビで知ったが、江戸時代の江戸は大都市ではあっても農業や商工業がバランス良く配置され、域内でできる限り生産と消費の循環が行われ、自己完結性の高い都市が形成されていたという。こうした都市ならエントロピーは極力抑制されるだろう。当然、環境への負荷も少ない。都市をまるごと捉えてまちづくりを行うことの好例だろう。地域のことが気に掛かるのは、自分自身が地域を構成している一部であるから至極当然のことなのだ。

 三つ目のキーワードはアイデンティティである。固有性とか独自性などを意味する語句だが「〜らしさ」と説明されることもある。人の顔が二つと同じ顔がないように地域も二つと同じ地域はない。狩野川や千本松原、香貫山、そして温暖な気候、駿河湾に面した立地など沼津らしさを形作っているものは沼津の「自然」だ。そしてその自然との関わりの中で人の生活が営まれ文化が形成された。そのルーツである「歴史」と共に、「文化」も沼津のアイデンティティを構成する重要な要素なのだ。日本は明治維新以来、中央集権的に地方都市が形成され、地方は常に中央に耳目を向けてまちづくりを進めてきた。その結果、地域文化が希薄になり、独自に地域を創造する力を失い、画一的なクローン都市ばかりができてしまった。ところが現在では、主に経済的要因から中央が地域を支えることができなくなって、補助金や財政基盤の見直しとか自立する地域とか合併論議とか道州制などが叫ばれるようになった。結局、地域は地域本来の進化を遂げるために自らの知恵と資源で独自のまちづくりを模索しなければならなくなったのである。その手法は無限にある。主義主張は多様であって当然だし、大いに議論すべきだが忘れてならないのはここで挙げた三つのキーワードだ。にもかかわらず沼津では未だに高度経済成長期時代の旧態依然のまちづくりが行われている。合併の問題にしても文化を共有する地域圏、或いは限りなく自己完結が可能な地域圏の可能性などが議論されたことがあっただろうか。単なる力関係とか政治的思惑など低レヴェルの話ばかりしか聞こえてこない。また駅前再開発ビルはいったいどんな意味があるのか。建物の外観も内容も沼津の文化の片鱗すら感じない。むしろ万人が認めている沼津の素晴らしい景観を妨げ文化的市民生活を阻害し、既存商店をも圧迫しかねない。駅周辺総合整備事業全体が軽薄なコンセプトしか持ち合わせていないのではないかと疑いたくなる。

 先日、東京の表参道を歩いてきたが、沿道の商業ビルは個性的なデザインにより自らの企業文化を反映させ自己主張をしている。強烈な情報発信である。アイデンティティのない企業は生き延びることが難しいのだ。沼津はこんなに豊かな自然と文化と歴史がありながら、それらがまちづくりに反映されている兆しは一向に感じられない。

沼津ほど恵まれた都市なら、まちづくりの原理原則を踏まえ、時代のニーズを見据えて知恵を出し合い創造的にまちづくりを推進していけば発展しない筈がない。ついでに言うなら、これらのキーワードは芸術を鑑賞する中で示唆を得た。芸術の力を見くびってはならない。沼津くらい芸術に接する機会に乏しく、貧弱な文化行政しか行われていない都市も珍しい。再度言うが、市長選挙では学歴や前歴に惑わされず、眼先のリップサービスに惑わされず、利権に惑わされず持続可能な発展を目指した地域づくりの理念や信条に耳を傾けよう。学歴や前歴では知識はあっても知恵が生まれるとは限らない

 

20088

山田献策(大岡)