私が考える沼津のまちづくり
〜@公共施設からみたまちづくり A地域産業の振興
B中心市街地のまちづくり〜
2010.9.3pm7:00
◎プロローグ
皆さん今晩は! 山田献策と申します。この名前は新聞等への投稿する際に使っている私のペンネームですが、気に入っているので、この場でも使わせていただきました。
因みに、私、クラシック音楽が飯よりも好きですが、そうした方面では、40年くらい前から米藤弁というペンネームを使っています。米という字に藤の花の籐、それに弁論の弁です。訓読みするとベートーヴェンになります。
本名は小池といいます。若いころ数年、東京に住んだことはありますが、生まれも育ちも沼津です。先祖もずっとずっと沼津、生粋の沼津ッ子?です。
・内発的発展が地域の持続可能な発展
私は節操のないノンポリ人間だと申しましたが、一つだけ、敢えて、生活信条を述べよ!と問われたら、「地域主義」と答えることにしています。地域主義といっても、地域や国のエゴをむき出しにすることではありません。
では「地域主義とは何か」と問われれば、〜そう、4年ほど前(2006年ですか)に亡くなった社会学者の鶴見和子さんの著書に内発的発展論というのがありますが、この中に地域主義を説明するのにピッタリの一節がありますのでそれを紹介します。
「それぞれの社会及び地域の人々及び集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される」と述べておられる。正に内発的発展のことを言っていますね。地域の発展の在るべき形を見事に表現していると思い、私は何かにつけ、この一節を思い浮かべ沼津のことを考えています。
このような考え方の下、当然ながらこの沼津に生まれ育ち、現に沼津で生活している人間として、沼津の発展について黙って眺めている訳にはいかないと思うのは当り前のことです。
なぜなら沼津という一定の空間の中で、私を含めそこに住む人々全てが共通の空気を吸い共通の環境で生きているのですから、関心を払わずにはいられない筈です。
適切な例えではないかもしれませんが、金魚鉢の中にインクを一滴でも垂らせばたちまち拡散して中の水が一様に濁ってしまい、金魚鉢の中で泳いでいる全ての金魚に影響してしまうのと同じ理屈だと思うのです。ですから沼津市民なら沼津のことを皆さん一緒に考え、合意形成の下で町づくりを行うことが如何に大切かというだと思うのです。
ところで、昨今の沼津の状況はひどいですね。私は駅南の中心部付近に住んでいますが、商店街の空き店舗の多いこと、営業しているお店でも、営業が成り立っているのかしらと心配になるほど買い物客が少ないですね。
新聞折り込みの広告で見る土地の価格も、沼津市周辺の都市の住宅地と、沼津のまちなかの商業地区と殆ど変らないというよりも、長泉町の住宅地の方が高い場合も少なくありません。全てとは言いませんが、嘗て名を成した沼津の商業地としての土地の価値は殆ど無くなってしまったということでしょうか?
中心部周辺に住んでいて毎日のように商店街を見ている私としては、沼津の行く末を危惧せざるを得ません。
では沼津の発展を願う者にとって、どのような発展が望ましいのでしょうか。私が願う発展は、目先の効果しか期待できない拙速で取ってつけたような発展ではなく、健全で持続可能な発展のことです。
目先の効果しか期待できない発展はすぐに陳腐化してしまいます。それどころか地域の破壊にもつながりかねません。
新聞報道等でみる限り、観光にしても沼津港や沼津駅周辺の整備にしても、昨今の沼津はどうも目先の効果しか期待できない政策ばかりが行われているような気がしてなりません。
◎公共施設から見たまちづくり
一般市民から見て、自治体の政策で、目に留まりやすいのは公共施設の整備ですね。私もマスコミでうかがい知る中では、公共施設のことに関心が向かいがちです。
特に、新たな公共施設の建設は街づくりにとって重要な意味をもつものですから、特に関心を払わなくてはなりません。
なぜなら、ハード(施設)自体については色々なところで議論されますから、それはそれとして、より重要なのは、何故このハード(施設)が必要なのか、何故建設するのか、その目的と狙いは何か、どのような運用で目的を達成するのか、どのような効果や成果が期待できるのか、沼津のまちづくりのグランドデザインにおける位置づけはどうなっているのかなど、背後にあるものです。ハード(施設)自体に対しても、デザイン等必要な所に沼津の文化や沼津らしさが反映されているかなど、関心を持つべき項目はたくさんあります。
私たちの日常生活でも、家を建てるときは生涯の一大決意の下に建てる訳ですから、慎重には慎重を期するのは当り前のことですよね。
設計図を書くとき設計屋に任せっぱなしで良いという訳にはいきませんよね。ましてや、これくらいでいいだろうなんて大雑把な姿勢では建てられませんよね。現状の家族構成ばかりでなく将来の家族構成、日当たりなどの立地条件、更に機能性を重視するか見栄えを重視するかとか、趣味や趣向を取り入れたり、同居する家族の希望はどうか、或いは自分の性格〜ゆったりのんびりの性格か、合理的で無駄が嫌いな性格かとか、家屋に求める様々な検討が加えられてから建てると思います。そこには自分らしさというものも反映されるでしょうし、その人の望んでいたライフスタイルが実現できるのだと思うのです。理念というかコンセプトというか〜、こうしたことを検討したり話し合ったりした上で専門家である設計屋さんに設計をお願いすると思うのです。
大規模な団地の建売住宅など最大公約数を反映した家ですと、金太郎飴と同じで、姿・形が同じ、自分らしさが殆ど無い個性の乏しい家になってしまいますよね。
昔、友人と外で一杯飲んでその友人宅へ泊ろうと、友人と一緒に訪問したら、その友人が自分の家が分からくなっちゃったことがあって大笑いしたことがありましたけど、ま、住宅事情や経済状況、立地状況などから止むを得ず妥協してしまうことは往々にしてあることですが、地域づくりはそうはいきませんね。
地域の自然というのは地域固有のもので二つとないものです。一人ひとりの顔が違うのと同じように地域の自然もそれぞれ個性的な表情をしているものです。そしてその地域固有の自然とのかかわりの中で人々の生活が営まれ、歴史を刻み、文化が育まれてきました。ですから、文化というのは正しく地域固有のものであり、自分らしさであり、アイデンティティそのものであるわけです。 これを無視したら地域の内発的発展はありえません。持続可能な発展はないということです。家を建てるときは経済的事情などから妥協せざるを得ない場合もありますが、地域づくりは、世代が永久的に継承していくものですから、後世への責任として妥協は許されないのです。
さて本題に戻って、公共施設からみた沼津のまちづくり…ですが、
それぞれの公共施設もこれまで語ってきたような検討がなされ、整備されてきたと思うのですが、私には疑問符です。この施設は、いったい何のために建てたのか、何が目的なのかという原点を今一度とらえ返してみることが必要だと思うのです。施設は建てること自体が目的ではないのですから〜。
施設を使ってどのような施策が展開され、どのような成果を生んでいるかということですね。
当たり前のことのようですが、残念なことに沼津の公共施設は、そのあたりが大変曖昧だと思うのです。
問題点は大きく分けて二つあります。一つは、そもそも「何のために〜」という議論が極めて低次元にとどまってしまっている場合。二つ目は、一定程度評価できる目的がそれなりに定められていても、その目的を具現化、或いは実現していくための運用がなされていないということです。
建設される前までは、多くの議論が交わされても出来てしまえば、関心が乏しくなってしまっているのが殆どです。
例えば、新しい施設ができると、稼働率などが、すぐに問題にされますが、稼働率は必ずしもその施設の建設目的ではありません。施設整備の目的の実現に対する達成度は稼働率では必ずしも表現しきれているとは言えないのです。
稼働率は低くても、目的が着実に達成されていく方が重要なんです。反対に稼働率は高くても目的と、かけ離れた運用が行われていれば意味がありません。
分かりやすく例を挙げて申しますと、例えば市民文化センターは何が目的で建設されたのでしょうか?
私は、一つには、市民の文化の向上に寄与するためと理解していますが、そのために、どのような企画あるいや施策がなされているでしょうか。
私の目からは単なる貸館業にしか写りません。もちろん市民の文化活動の場として多くの市民に利用されることは良いことです。
しかし文化の向上のためにはこうした受け身の姿勢だけで十分と言えるのでしょうか。周辺都市の文化施設では自主事業でさえ、沼津よりもずっと充実した文化事業が行われています。自主事業が文化向上のための全てとは言えませんが、この面だけ捉えても、富士のロゼシアターは沼津に住む私の家へも、内容のぎっしり詰まったカラー刷りのチラシが新聞折り込みで入ってきます。
それに対して沼津の市民文化センターは、お粗末極まりない内容の案内がA4判の簡易印刷したもので送られてきます。これだけ見ても市民文化センターが、目的を持って、文化向上のために十分活用しているとは思えません。
実は、文化の向上のためには様々な企画が必要なんです。例えば、興行的に難しいクラシック音楽や能、狂言などの伝統芸能などは、公共的団体が単に興行するだけでは不十分です。理解してもらうための講座やワークショップなど工夫を凝らした様々な企画を実践していくことが必要です。
更にそうしたものを普及していくために地域に出向いていって、その魅力をアピールすることも有効なのかも分かりません。プレイベントを含め、その場その内容に応じた「生きた企画」を立てなくてはならないのです。
イッタイ沼津の市民文化センターはこの施設を使ってどれだけ文化向上のための企画が行われているのでしょうか。その達成度〜評価ですね〜これを是非尋ねてみたいものです。
◎地域産業の振興を考える
さらに例を挙げて言うなら、「キラメッセ沼津」という施設。時限付きの施設だそうですが、私の理解するところでは、一つには、沼津の産業振興に貢献することを目的に建設された施設だと思うのですが、果たしてそのような活用がされていると皆さん思いますか?
何でもいいから、ここで催しが行われれば、そこそこの人が来て活性化につながる?こんな大雑把な考え方で建てたというなら、税金の無駄使いだ〜と言いたくなります。
産業振興というのは、いろいろなケースがあると思いますが、持続可能な産業振興というのは、やはり冒頭に紹介した鶴見和子さんの言葉ではないのですが、「地域の人々が、固有の自然環境に適合し、歴史的条件にしたがい、文化遺産にもとづいて、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に振興を図っていくことだと思うのです。これまでの地域の歴史をつぶさに見てみればそのことは良く分かります。
地域に根付いているのは殆どが中小企業ですが、こうした中小企業は、とかく大企業の下請けとか、或いは官製プロジェクトで企画された産業振興プランの中で、おこぼれ頂戴的な受け身の経営になりがちのように見えます。
高度経済成長期のように経済環境が豊かで注文が殺到していた時代は、それでも良かったかもしれませんが、今日のように低成長時代になると、競争も激しくなり、しかもグローバル化で製造コストの安い新興国の台頭により、更なる値下げ圧力とも戦わなくてはならないため、受注領域は益々狭まり、利益を上げるのが難しくなっていると想像できます。
受け身の態勢ではなかなか経営を上向かせるのは困難で、経営者のご苦労も大変なものだろうと推察します。
・各地で起こっている産業振興の動き
ではどのような対策が必要なのか?
インターネットで検索していたところ、とても参考になる事例をみつけました。マスコミにも取り上げられているようですから、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、東大阪市のSOHLAという町工場の組織です。その説明にはこのようなことが書かれています。
「小型人工衛星の開発を目指して設立した製造業の協同組合です。〜中略〜不況に苦しむ関西を活気づけ、若い世代へモノづくりを継承したいという町工場の夢から始まった衛星打ち上げ計画はいま実現に向けて着実に加速しています」と
更に「厳しい不況の中、苦しい時こそ夢を持たなイカン、と職人集団が立ち上がり、中小企業の技術力を結集して人工衛星を打ち上げようと、東大阪宇宙開発協同組合(Astro technology SAHLA)を立ち上げた」と記されています。そして2009年1月にH1Aロケットにより「まいど1号」が打ち上げられ、この集団の技術力の高さは広く世間に知られるところとなりました。
また次の計画では、世界初の人型宇宙ロボットに挑戦し、中小企業のモノづくり技術を世界にアピールしようとしています。「今度は月でロボットに何かさせたるねん!!!」〜この人たちのチャレンジ精神は無限のようですね。
もう一つ、興味深い事例を見つけました。東京大田区の中小企業が集まってできた「金型熱血集団」という組織です。これは東大阪市の事例と同じように深刻な不況の中、大田区周辺に結集する優秀な金型企業である町工場が、「個々の力では対応困難であるが、優れた技術力が集まって力を合わせれば何とかなる」という意気込みから、共同の窓口を設けて幅広い受注体制を築いたとあります。
この集団は金型を中心とする町工場が光学機器用部品、コンピューター部品、家電用部品、医療・環境用部品、高級日曜雑貨部品、OA部品、電子部品、カメラ部品、自動車部品など、日本の製造業が求める全てのハイテク製品から一般部品まで、幅広いニーズに対応できる体制が取られている訳で、町工場の底力を見せると同時に、そうした活動を通して町工場自体もハイテク化しており、自らの技術向上が図られている訳です。
ある先生から聞いたことですが、羽田空港が近いことから航空機産業にも足場を築きつつあるとのことです。
今からちょうど20年前(1990)、欧州各地を視察して歩いた時、地中海沿岸のフランス・リビエラ地方には世界的なリゾート環境を背景にベンチャー企業が集まりソフィアアンティポリスという新しい都市が築かれていて、ここではベンチャー企業個々の研究開発は勿論ですが、何よりも重視していたのは企業同士のネットワークでした。
ネットワークによってもたらされた情報交流で、未来に向けた創造的産業を生み出そうとしているのが、とてもよく分かりました。彼らはこのことをクロス・ファーテライゼーションと呼んで様々なイベントを企画していたのをよく覚えています。クロス・ファーテライゼーションというのは異種配合という意味ですね。
要は、中小企業やベンチャー企業が、ネットワーク化したりオーガナイズして変化の激しい現代の高度で多様なニーズに応えられるよう自らをハイテク化し、間口を広げることだと思うのです。
・沼津でもあったネットワークづくり或いはオーガナイズ(組織化)の動き
さて、キラメッセ沼津の話をしようとしたのに、少し脱線してしまいましたが、実は沼津でも地域産業のネットワークづくり或いはオーガナイズ(組織化)の動きが、嘗てあったのです。少なくとも私の目にはそのように映っていました。昭和60年前後だったと思うのですが、市民文化センターを主会場にして、沼津市産業展というのが行われたのを思い出して下さい。
これは、自分たちの地域にある様々な産業を一堂に会し、域内産業の実態を内外に知らしめ、それをネットワーク化の糸口にして、新しい産業おこしの芽生えにしようという狙いがあったと思うのです。
でも、市民文化センターではスペースや会場レイアウト、駐車場など十分な企画ができません。そこで、メッセ会場の必要性が高まり、今のキラメッセ沼津ができたというように記憶しています。もちろん暫定的な施設であるということも承知していますが、このメッセ会場はこれまでお話ししてきたような産業振興の展望の中で有効な利用がされてきたでしょうか。中古自動車の販売や廉価品の販売などに使われているのが関の山ですね。こうしたことに使われるのが悪いと言っているのではありません。空いているときはどんどん使った方がよいに決まっています。でも当初あった目的に沿った本来の使われ方はイッタイどうなってしまったのでしょうか。
この施設ができた当初、1〜2回、産業フェアが実施されたという記憶がありますが、このときは非常にがっかりしたのを覚えています。担当したところは何を履き違えたのか、単なる一過性のお祭りとして企画してしまったのではないかと思わざるを得ないような内容でした。肝心の地域産業の振興という目的性があまり理解されていなかったようです。この時も何人の来場者があったから大成功???なんて言う評価がされていたようですが…。
これでは長く続く筈はないな?と今にして思えます。つまり、本来の目的をしっかりと足元に据えた企画力が欠如していたからなのです。
施設を造っても、本来の目的を実現していくため、その施設を使ってどのような企画をたて、どのように実践していくかが問題なのです。
そしてそれを担う組織がどうあるべきかを検討しなくてはなりません。単なる貸館業としての管理運営で終わらせているとしたら大変な税金の無駄使いだし、それこそハード優先の箱もの行政のナニモノでもないでしょう。
・コンベンションセンターの建設は何を目的とすべきか
今一度脱線してしまいますが、このことに関連して、今、大変憂慮していることがあります。
昨年あたりから新聞にちらほら掲載されているコンベンションセンターのことです。キラメッセにとって代わる施設のようですが、新聞報道でみる限り、何のために建設されるのかということが非常に薄っぺらです。
多分、ファルマバレーができ遺伝学研究所などが周辺にあり、背後に伊豆や箱根という観光地を抱えているから、多くの会議を誘致できるだろう。それを梃子(てこ)にこの地域の活性化を図りたいということのようですが、単なる会議の誘致は、どれだけの実現性があるか未知数です。京都や神戸、東京や横浜など世界的な都市ならいざ知らず、一地方都市がこのような賭けごとのような展望の中で巨額の税金を費やすのは、駅前のイ〜ラデに勝るとも劣らない愚策だと思います。建物を建てて、その稼働率を如何に上げるかといったことだけが焦点のような施設は、この低成長の時代にナンセンスとしか言いようがありません。挙句の果て、他都市との値下げ競争に晒され、大赤字を産むことだって十分考えられます。
平たく言ってしまえば、いつどれくらいお客さんが来るか分からない客商売のような発想つまり受け身的な貸館業の発想ではなく、コンベンション(集会=情報交流)を自ら作り出し、施設を使いこなしていくという発想、つまり産業政策に基づいたコンベンションセンターを考えるべきなのです。
その上で、余裕部分については貸館的な活用があっても良いと思いますが…。
私たちが自慢していた、かつての先進都市であった沼津で、何故このような時代遅れの箱物行政が今の時代に闊歩するのか、ホントに情けなくなります。
先ほどキラメッセのことでもお話しした通り、コンベンションセンターは地域の産業を振興させる地に足のついた産業政策の下で建設されるべきなのです。そのためには、もてなしの施設にするにはどうするかとか使い勝手のよい施設にするにはどうするかとかいった議論以前に、産業政策の構築そして、その政策の下でのコンベンションセンターの役割、位置づけをしたうえで、この施設にどういう機能を盛り込んでいくのかといった議論が先に来なくてはならないのです。
産業政策は勿論、地域の立地環境や歴史・文化の把握、産業分布や研究開発の状況、創業環境の状況などの分析に基づいたグランドデザインの構築がまず必要になります。
その中で、例えば、私が思いつく機能として、地域情報や産業振興に関する様々な情報、関連する最先端の産業情報や地域情報などを集めるインテグレート機能integrate、それら情報をいつでも検索できるように整理して保管するアーカイブ機能archive、地域の産業を内外に発信するパブリシティ機能publicity、内外の問い合わせに答えたり案内したり或いは特定の情報を発信するインテリジェンス機能intelligence&インフォメーション機能information、つまり産業情報センターとしての機能が基本です。それにテーマに沿った産業関連を展示するメッセ(exhibition)、そして地域にある研究機関やインキュベートセンター、イノベーションセンターなどの設置や連携などが考えられます。
要は地域に根付いている産業を母体に、イノベーションと新産業創出の仕組みを構築する中で、コンベンションセンターは位置づけられなくてはならないということです。
(コンファレンス(会議)、コングレス(委員会)、ワークショップ(研修会)の一体的運用が必要なのです)
(産業政策の中心となるテーマは宝の山ともいえる駿河湾の活用がまず考えられます。先日も読売新聞の一面に、海洋発電所の建設についての記事が掲載されていましたし、豊富な生物種を生かしたマリンバイオ〜これはファルマバレーを取り込むことができますね、そしてハイテクの海洋調査船、環境への負荷を無くした養殖技術、海洋深層水の活用、食や景観と連動したタラソテラピー等々いくらでも挙げることができます。)
(固有の機能は、例えば、駿河湾の海洋生物を活用したマリンバイオがコンセプトに据えられた場合には、学術目的の水族館やマリンバイオの実験施設や展示館、そして県水産試験場との連携なども考えられるでしょう)
コンベンションセンターに求められるこうした機能は欠かすことができないのに、そうした議論が目に触れることが無いのはどういう訳でしょうか。
沼津市自体が有力な産業政策を構想することができないのが一番の原因だと思うのです。思いつきのような発想で、目先の効果しか期待できない施設に、何十億何百億円もの税金が使われていくのは耐え難いことです。県事業とはいえ、私たちも県税を徴収されているのです。
そして何よりもこの沼津に建設され、その沼津が無策のため、益々持続可能な発展と縁遠くなってしまっていくことを嘆かざるを得ないのです。
・ドイツのケルン市の国鉄操車場跡地の活用計画
もう一つ参考事例をお話しします。欧州を視察してきた際、先ほどお話ししたソフィアアンティポリスと共に強く印象に残っているのがケルンの国鉄操車場跡地の再開発プロジェクトです。
ケルンはドイツ連邦共和国の、ベルギーに隣接したノルトライン=ヴェストファーレン州にあり、伝統と文化を誇る人口100万の都市で、ケルン大聖堂が有名です。町の中をライン川が流れていて、そのほとりにメッセ会場があります。
私は若いころからカメラが好きでしたから、ここで行われるフォトキナ(国際映像見本市)という映像関連の見本市で、この都市に馴染みがありました。
ここは元々重化学工業地帯の一角に位置し自動車や機械、化学などの多様性に富んだ工業が立地しているそうです。ところが成熟化した産業も多く失業率が高くなり、新しい産業の創出が課題となっていました。
そんな中で、国鉄操車場跡地(20f)の再開発計画があると言うので20年前に現地を見ましたが、残念ながら。その時はまだ野っ原でした。それから10数年後にインターネットで素晴しく変貌を遂げた様子を見ることができ大変感激した訳です。
なぜ感激したかというと、街づくりのコンセプトがしっかりと構築され、それに基づき跡地が整備され、実現に漕ぎ付けていたからです。
ケルンは先ほどお話ししたように、もともとライン川のほとりにあるケルンメッセでフォトキナという世界的な映像関連の見本市が開催されてきており、この分野での一大中心地でした。
それを梃子に電気通信、メディア、教育訓練、研究開発、文化芸術を柱に現代のニーズの最先端を担うメディアコミュニケーション都市としての構想が練られたのです。その構想を実現するため、創業者イノベーションセンター、インフォメーション技術センター、それに4つの研究開発と合わせ合計6つのプロジェクトを始動させ、ケルンメッセと連動する中でグランドデザインを実現する構想を構築し、その構想に基づき、世界中から国鉄操車場跡地に整備するメディアパークの設計コンペが行われたのです。
施設の配置計画をみると、古くからあるケルンメッセと連動して、メディアパークの中心となるセアター、オフィス、ホテル、それに会議場(コンベンションセンター)、教育訓練施設、更に研究開発や実験の場となるラボラトリー、住居などが配置されています。住民との調和を考え全体の半分は公園で、オープンスペースも積極的に造ったとのことです。
インターネット情報では、中小企業や一流企業が連携して独自の専門技術を形成して、メディア産業が繁盛し5000人もの人が新たな仕事に従事しているそうです。また、年間450万人のビジターがこの地を訪れているとのことです
このことは、先端産業であるメディアコミュニケーションの分野で世界的な拠点となることで、グローバリゼーションにも対応していくことになる訳です。
沼津の駅周辺総合整備計画は、このような緻密に検討された産業戦略に基づいた構想が構築されていると思いますか。単なる便利さや何となくこうすれば発展するだろうなんていう、いい加減な考え方で税金を使ってほしくはないと思うのは当り前ですね。高架化すれば余剰地が生まれ、いろいろな活用が期待できるなんていうのは無責任極まりないと思うのです。
先ほどお話ししたコンベンションセンターも発想の根っ子は全く同じです。何故異論が出ないのか不思議でなりません。
◎中心市街地のまちづくり
先ほどイ〜ラデをとんでもない愚策だと言いましたが、中心市街地の振興についても、また平成18年に策定された沼津市観光振興ビジョンについても、中学生の夏休み研究とあまり変わらないような内容で、申し上げたいことがたくさんあるのですが、大分時間が経ってしまいましたので、残りの時間は中心市街地の振興に関連した話をします。
何度も申し上げますが沼津の歴史に残る愚策だと断言できるのが駅南口の「イ〜ラデ」という施設。名前からして私は嫌いなんですが、初めて完成予想図を見たときは空いた口が塞がりませんでした。沼津で一番有効利用を図らなければならない場所にショッピングセンターとマンションの建設とは、もう怒りどころではなく全身から力が抜けていくような思いがしたのを覚えています。
構築物は半永久的に残ってしまい、廃墟になってしまう可能性だって無いとは言えないし、第一、貴重な土地が活用できなくなってしまったということなどを考え合わせると犯罪的と言いたい気持ちです。
・中心市街地の役割
皆さん、中心市街地の役割って何だと思いますか。単にモノを売ったり買ったりする所だけではないですよね。それだけのことなら今では郊外に便利なショッピングセンターがたくさんできて、多くの買い物客で賑わっています。
賑わっているとは言っても、郊外のショッピングセンターだって熾烈な競争を極めていることは、買い物をしている側からみても良く分かります。
その上、インターネットなど情報システムが発達し、居ながらにして「商品情報の入手→商品の選択→安価に買えるショップ探し→発注→支払い→商品の入手」などがいとも簡単にできる世の中になりました。先日も、ネットでICレコーダーを買ったのですが、お店では店頭に並んでいる商品は限りがありますが、ネットですと選択範囲が広く、予期できないような貴重な情報を得て選ぶこともできます。事実、カタログを見て、決めていた商品は電池の持ちが悪いことがユーザーの評価で分かり、別のメーカー製に急遽、変更して購入しました。しかも発注して、翌々日には商品が届いています。
このような時代の中で、沼津駅前の貴重な土地に、いろいろな事情はあるにしろ、時代の変化を無視した、何の付加価値も持たないショッピングセンターを建設したのは、安易な税金の使い方以外の何物でもないと思うのです。
中心市街地というのはもっと別の色々な役割があると思うんですね。
私の家は駅南の市街地にあり、かつて酒屋を営んでいましたが、そこでは様々な人が来て、「寿司をおいしく食べるのに相応しい日本酒はどの銘柄がいいか」とか、「合わせ味噌はどのくらいの割合がいいか」とか、はたまた「内の子は今度のテストの成績が悪かったけどあんたのところはどうだったか」とか実に多種多様な情報交換が行われていたのを子供心に覚えています。明治時代の商店も、写真を見ると、上がりこんで色々な情報交流が行われていたんだろうなということが想像できます。
つまり商店というのは情報発信の場でもあったわけです。
また、ドイツの商店街は夕方になるとお店が閉まってしまいますが、ウィンドディスプレーが本格的で見て歩くだけでも美術館の中を歩いているように目を楽しませてくれています。つまり、商店街はshow空間(ファッションショーのshow)でもあり、モノを売るだけの場ではないということですね。
その上、中心市街地ということになれば行政機関や金融機関など様々な機能が集積しており、もっともっと幅広い重要な役割があると思うのです。
・ドイツ フライブルグのまちづくり
またまたドイツの都市のことで恐縮ですが、ドイツの南部、黒い森と言われるシュバルツヴァルトの近くでフランスとスイスの国境近くに、フライブルクという人口20万人の都市があります。
ここには音楽大学があって私の友人が留学していましたから名前だけはよく知っていましたが、ここのまちづくりのことが新聞に載り、大いに興味を持ちました。ここで生活している日本人が書いた本も読んでみました。
どこに興味を持ったのかというと、環境をテーマにした街づくりが行われていることです。
例えば、中心市街地の周辺に大きな駐車場を造り、市電などの公共交通機関を張り巡らして、市街地に自家用車を流入しにくくしたり、街の中にせせらぎを流したり、ゴミを出さない買い物のコンクールを行ったり、市民から資金を募って公共施設に太陽光発電を備え付けそこから上がる収益を分配したり、学校の教室に透明な箱に土を入れて、そこでミミズを飼い、食べたもののカスがミミズによって分解されていく様子を子供たちに見せ、プラスティックやビニールは分解されずにゴミとして残ってしまうことを実感させたり、環境教育を含めあの手この手で環境をテーマにした街づくりに取り組んでいるそうです。
圧巻なのは中心市街地の真ん中にビオトープを作って、ここで様々なイベントを行い、楽しみながら環境教育を行っているとのことです。
その結果、大通りには、音楽大学があることも貢献して、ストリートミュージシャンが音楽を奏で、手回しオルガンなどの大道芸人がパフォーマンスを日常的に繰り広げ、エンターテインメントばかりでなく、潤いのある癒し効果に優れた市街地に変貌したそうです。その結果、商店の売り上げも飛躍的に伸びたとのことです。
・沼津の中心市街地再生への提案
沼津市は富士山や箱根山、そして伊豆の山々を望み、市街地を狩野川が流れ、香貫山との組み合わせが、京都の嵐山のよう、と評する人がいるほど風光明美な都市です。しかも、若山牧水が愛した千本松原、1000種以上の海洋生物が生息していると言われる駿河湾など、街づくりのキーワードとなる材料は他都市の人が羨ましがるほど豊かなのに、実際に行われている街づくりはお粗末極まりないと思うのです。
私の個人的な思いというか提案ですが、先ほどのフライブルグよりも環境面では、はるかに恵まれていると自負している沼津です。
フライブルグの例を参考にするまでもなく、中心市街地は環境をキーワードに都市計画を考える必要があると思うのです。
そのため自然環境を阻害するような街づくりは行うべきではありません。富士山の景観を台無しにしたり、市民の潤いの場である狩野川を遮断するような高層建築物の建築を許すような都市計画はどこかおかしいと思うのです。
第一、狩野川花火大会の花火を益々見えなくしてしまっているのはどういう訳でしょうか。自ら首を絞めているのと同じじゃないですか。
沼津の中心市街地の整備に当たっては、環境をコンセプトに据え、そこに沼津らしい、沼津ならではの要素を取り込んで、中心市街地の再構築を構想することが重要だと思うのです。
例えば、市街地への車の流入を極力制限し、その代わり、周辺に無料大駐車場を設け、LRT(市電)と狩野川を活用した水上交通網を張り巡らし、それと共に、格安の定期乗車券の発行、昔の赤帽のように荷物運びや買い物を手助けするサポーターと荷物の一時預かり所の配置、高層建築物の高さを状況に応じて制限したり(景観形成ですね)、環境問題を楽しく学べるビオトープを設け〜イーラデの場所がピッタリだと思ったのですが仕方ありません〜ここでは環境教育と連動した様々なイベントやエンターテインメントが行われ、街中は全てバリアフリー、通りは公園のように緑や休憩施設を配置した安らぎ空間とし、最先端の生活情報を発信する情報交流拠点の設置、中心市街地が、まるで千本浜、狩野川、香貫山の延長であるかのような都市デザインなど夢はいくらでも膨らんでいきます。
事実、フランス・パリの郊外にデファンスという再開発地区がありますが、〜日本でいえば新宿副都心のようなところですか〜、ここでは車と人を多層構造で完全に分離し、人が活動する空間は、ミロのモニュメントやモダンアートそれに緑豊かなミニ公園などが配置され、そこに個性的なベンチが置いてあって小鳥の声が聞こえる中で若い女性が読書している姿がとても印象的でした。
ここは人工的にこのような空間を作り出しているのですが、沼津は元々豊かな自然が息づいており、その恵まれた環境を生かすことが中心市街地の活性化につながると思うのです。
フライブルグは「環境首都」という言い方をしていますが、日本の首都は勿論「東京」、でも日本の環境首都は沼津ですと言えるようになれば最高ですが…
◎エピロ=グ
環境をキーワードにというのは私の個人的な思いですが、本当のことを言えば、沼津に住んでいる市民の皆さんの合意形成の中で、沼津ならではのテーマを見い出し、グランドデザインを構築していくことが、個性豊かで、後世の繁栄につながる持続可能な街づくりにとって重要なことなのです。
何故なら土地の匂いを嗅ぎ、肌身を持って地域を感じ取っているのはそこに住んでいる人に他ならないからです。私も生粋の沼津人として、皆さんと一緒に知恵を絞って行きたいと思っています。
<参考>
◎フライブルグバーデン・ヴュルテンベルク州の州都で、フランス、スイス、ドイツの国境近くに位置するフライブルグ市は、人口 198,342人 (95年)の石畳とゴシック建築の教会とベッヒレ(町を流れる水路)の美しい中世の面影を残す美しい町であり、シュヴァルツヴァルト(黒い森)に隣接しており、市の4割以上が森林という、恵まれた自然環境であり、人口の約15%をしめる約30,000人が学生という学園都市でもある。
フライブルクは環境政策で先進的な都市として知られており、欧州の都市環境保護キャンペーンなどでも何度も賞を受けるなどしている。環境首都という呼称は、ドイツ環境支援協会による自治体コンクール「自然・環境保護における連邦首都」において1992年に最高点を獲得し、「環境首都」として表彰されたことに由来する。
フライブルクの環境政策で有名なのは、廃棄物・リサイクル政策、自然エネルギー政策、交通政策、都市計画・景観政策などである。元はと言えば1970年代に酸性雨によって黒い森が枯死の危機に瀕し、なおかつ近郊のヴィールに原子力発電所を建設する計画が持ち上がり、原発反対運動が起きたのがきっかけであった。1975年にフライブルクに設立されたBUND(ドイツ環境自然保護連盟)などが中心となって、フライブルクは黒い森を守るために、エネルギーでは脱原発・自然エネルギー推進をとり、大気汚染対策としてクルマ依存からの脱却と公共交通・自転車の強化を採用した。自然エネルギーでは太陽光発電の普及を中心にしている。交通面では都心への自動車乗り入れを制限し、以前より走っている路面電車(LRT)を強化すべく、郊外部への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。また、旧フランス軍駐留地である市南部のヴォバーン(Vauban)地区では、フォーラム・ヴォバーンというNPOの活動により、エコロジーを重視した団地が造成されている。
フライブルクの環境政策は単に環境対策上の成果にとどまらず、経済面でもプラスの効果をもたらした。まずは太陽光発電をさらに推進するために、太陽光発電の研究機関を誘致した。この研究所が中核となり、太陽光関連企業がフライブルクに立地するようになり、フライブルクはドイツにおける太陽光発電の重要な開発・生産拠点となった。太陽光発電はフライブルクに新たな雇用を生み出したのである。
また、環境政策の先進事例と紹介されたため、各国から視察が相次いだ。視察団向けに環境ツアーが組まれるようになった。すなわち、環境政策も一つの観光資源として、観光産業としての役割も果たしている。ちなみに、市役所やNGOなどフライブルクの各機関ではあまりにも視察が増加したために、現在では多くの機関への視察やヒアリングは有料となっている。
(フライブルクの環境政策については、資源リサイクル推進協議会編『徹底紹介「環境首都」フライブルク』(中央法規出版、1997年)や今泉みね子『フライブルク環境レポート』(中央法規出版、2001年)などで詳しく紹介されてい
◎Land Nordrhein-Westfalen は、ドイツの16ある連邦州のひとつである。州別の人口数は国内第1位で、人口密度も都市州を除いてトップである。ヨーロッパを代表する工業地帯であるルール地方は州の南西部に位置し、これまで(西)ドイツ経済を牽引してきた。ドイツ全体で12ある人口50万人以上の都市の内、5つがこの州に集まる。州都デュッセルドルフをはじめ、ケルン、ドルトムント、エッセン、デュースブルクがそれである。
◎ケルン (Koln) 998,105人
は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州の都市。ローマ帝国によってローマ植民市として建設されたライン川中流の古市であり、ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia から由来する。現在でもイタリア語やスペイン語ではこの名前が使われており、英語やフランス語の Cologne も同源である。また、フランス語で「ケルンの水」を意味するオーデコロン (eau de Cologne) は元々、澄み切ったライン川の水を原料として使われたことから始まり、世界共通語の「コロン」として転訛したという。
古来からケルン大司教は選帝侯(選挙侯)のひとりであり、ケルンは古代から現代に渡って交易と地域政治の中心として栄えてきた。
現在では国際的な見本市や展示会が行われる産業都市の側面も持つ。ユネスコ世界遺産に登録されているケルン大聖堂が町のシンボルであり、ドイツ最大のカーニバルを行うことでも観光地としても人気がある。
◎ビオトープとは、「自然の状態で多様な動植物が生息する環境の最小単位」を意味し、地球上の生態系(エコシステム)を保続して行く上で欠くことの出来ない構成単位です。
ビオトープの概念は、地理的区分の最小単位を追求する過程に生まれたもので、最初は地形・地質的な内容を主としたもの「ジオトープ」が考えられていましたが、次第に地形・地質の条件をも反映する要素として、その上に生じた生物群集が着目されるようになりました。
最近になりビオトープの概念が特に重要視されるようになった理由としては、環境変化に対して生物群集が地形・地質的要因と比較してはるかに影響を受け易い事、人間生活との関わりがより直接的である事、などが考えられます。
ビオトープはこの様に本来は普遍的な単位であり、広大な自然地域の区分にも用いられますが、環境保全の立場からは、特に人間によって広汎に改変された地域(市街地・農耕地)に斑点状に残存する自然地域に適用される場合が多く、これらを「狭義のビオトープ」として捉える事が出来ます。
私ども「日本ビオトープ協会」では、ビオトープの語をこの様に限定的に用いております。つまり、ある地域に依存するビオトープの保全、その内容の豊富化(エコアップ)、失われたビオトープの再現、また、埋立地などではその創造を行う事を目的としております。ビオトープの再現、創造に当たっては、充分な根拠に基づく「潜在的」自然生態系を作り出す事でなければならない事はいうまでもありません。
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