芥 川 龍 之 介   年 表
 


年号(年齢)
 

     出  来  事


 作  品
 

 

   補  足 

明治25年(1892)
3月1日









10月末

 


 東京に誕生。









 母フク発狂。
 そのため母の実家(芥川家)で育てられる。


 父新原敏三,母フクの長男として誕生。
 辰年辰月辰日辰刻生まれのため龍之介と命名。
 父43才(後厄)母33才(大厄)のため形式的に一度捨てられる。
 長姉ハツ前年夭折(6才),次姉ヒサ。



 
 













 

明治31年(1898)
4月  (6才)


 江東尋常小学校入学。


 
 

 

明治32年(1899)
7月  (7才)
 



 


 実父敏三,叔母フユ間に異母弟得二誕生。
 


 

明治35年(1902)
     (10才) 
11月28日



 

 同級生と回覧雑誌『日の出界』を始める。

 実母フク死去(42才)。


 


『西遊記』『水滸伝』『八
犬伝』式亭三馬,十返
舎一九,近松門左衛門,
徳富蘆花,泉鏡花,尾
崎紅葉,高山樗牛等を
愛読。

 
 







 

明治37年(1904)
2月  

8月   (12才)


 (日露戦争開始)

 芥川家の養子となる。




 
 



 

明治38年(1905)
4月  (13才)
 


 東京府立第三中学校入学。(現両国高校)



 
 


 

明治39年(1906)
     (14才)
 

 同級生と回覧雑誌『流星』(後に『曙光』)を始める。



 
 


 

明治43年(1910)
2月




9月  (18才)



 







 第一高等学校一部乙類(文科)に,成績優秀のため無試験入学。  
 



4月『白樺』,5月『三
田文学』創刊。
   


 同級生:久米正雄,菊池寛,松岡譲,成瀬誠一,井川(恒藤)恭,石田幹之助,(落第のため山本有三,土屋文明)
 

三中の『学友会雑
誌に』「義仲論」
発表。







 

大正2年(1913)
7月   (21才)

9月
 


 一高卒業。

 東京帝国大学文科大学英吉利文学科入学。


 卒業成績26人中2番。

 
 




 

大正3年(1914)
2月  





7月  (22才)



















 


 第三次『新思潮』創刊。(9月廃刊)





(第一次世界大戦開始)


 幼なじみ吉田弥生に求婚の意志あるも,家族の反対により破局。
(翌年2月)

大4/3/9 恒藤宛
「イゴイズムのある
愛には人と人との間
の障壁をわたる事は
出来ない 人の上に
落ちてくる生存苦の
寂莫を癒す事は出来
ない イゴイズムの
ない愛がないとすれ
ば人の一生程苦しい
ものはない」

 



 同人:豊島与志雄,
山本有三,山宮允,芥
川,久米正雄,成瀬正
一,土屋文明,佐野文
夫,松岡譲,菊池寛
 


 柳川隆之介の名
でアナトール・フ
ランスの「バルタ
ザアル」を翻訳。



5月 小説「老年」(『新   思潮』)
6月 翻訳「春の心臓」
   (『新思潮』)
9月 戯曲「青年と死   と」(『新思潮』)













 
  


 
 弥生:青山女学院英文科卒の才媛。
 反対理由
  非嫡出子であった。 (母親が入籍前に弥生 を出産しため)
  吉田家が士族でなか った。
  弥生が龍之介と同年 であった。






 

大正4年(1915)
11月   (23才)


12月


 


 「羅生門」を『帝国文学』に発表。

 久米正雄とともに夏目漱石を訪ね,以後「木曜会」に参加。
 





「木曜会」
  漱石が毎週木曜日自宅で開いていた門下生との談話会。
 
4月「ひよつとこ」(『帝  国文学』)
8月「松江印象記」(『松  陽新報』)



 

大正5年(1916)
2月  




7月  (24才)


9月


12月


   9日







 


 第四次『新思潮』創刊。同号に「鼻」を発表。漱石から激賞の手紙をもらう。

 大学卒業引き続き大学院に在籍。

 「芋粥」(『新小説』)で文壇デビュー。

 海軍機関学校教授嘱託(英語)に就任。

(夏目漱石死去)





 塚本文と婚約。

 



漱石よりの書簡(一部)
   あなたのものは大
変面白いと思ひます。
落着があつて巫山戯て
ゐなくつて,自然其儘
の可 笑味がおつとり出
てゐる所に上品な趣が
あります。夫から材料
が非常に新らしいのが
眼につきます。
 文章が要領を得て能
く整つてゐます。敬服
しました。
 あゝいふものを是か
ら二三十並べて御覧な
さい。文壇で類のない
作家になれます。



 文:16才,跡見女学校在学中。三中時代からの友人山本喜誉司の姪。
 
4月「孤独地獄」(『新  思潮』)
  戯曲「暁」(回覧  雑誌『兄弟』)
5月「父」(『新思潮』)
  「虱」(『希望』)
6月「酒虫」(『新思  潮』)
8月「仙人」(『新思  潮』)
   「野呂松人形」  (『人文』)
9月「猿」「創作」(『新  思潮』)
10月「手巾」(『中央  公論』)
11月「煙管」(『新小  説』)
  「煙草と悪魔」(『新  思潮』)



 

大正6年(1917)
5月23日(25才)


10月20日〜



11月10日
























 


 第一短編集『羅生門』
(阿蘭陀書房)刊行。

 「戯作三昧」を『大阪毎日新聞』に連載。


 第二短編集『煙草と悪魔』(『新潮社』)刊行。






















 


 収録作品14篇:「羅生門「鼻」「父」「猿」「孤独地獄」「運」「手巾」「尾形了斎覚え書」「虱」「酒虫」「煙管」「貉」「忠義」「芋粥」
 定価:1円。

























 
 
1月「Mensura Zoili」
  (『新思潮』)
  「尾形了斎覚え書」  (『新潮』)
  「運」(『文章世  界』)
  「道祖問答」(『大  阪朝日新聞』)
3月「忠義」(『黒潮』)
  「貉」(『読売新  聞』)
  「葬儀記」(『新  思潮』漱石先生追  悼号)
4月「偸盗」(『中央  公論』 
6月「さまよへる猶太  人」(『新潮』  7月「続偸盗」(『中  央公論』)
  「軍艦金剛航海記」 (『時事新報』)
8月「産屋」(『鐘』)
9月「二つの手紙」  (『黒潮』)
  「或る日の大石内  蔵之助」(『中央  公論』)
10月「蛙」「女体」(『帝  国文学』)
  「片恋」(『文章  世界』)
  「黄梁夢」(『中  央文学』)

大正7年(1918)
2月2日




2月  (25才)     





















 


 塚本文と結婚。




 大阪毎日新聞社社友となる。





















 


 文(17才)女学校在学中であったが,数え19才(厄年)になる前(節分前)に式をあげた。

 機関学校教官のまま(社友となる。





















 
 
1月「首が落ちた話」
 (『新潮』)
  「西郷隆盛」(『新  小説』)
  「英雄の器」(『人  文』)
  「昔」(『東京日  日新聞』)
2月「南瓜」(『読売  新聞』)
4月「袈裟と盛遠」(『中  央公論』)
  「世之助の話」(『新  小説』)
5月「地獄変」(『大  阪毎日新聞』)
7月「蜘蛛の糸」(『赤  い鳥』創刊号)
  「開化の殺人」(『中  央公論』)
8月「悪魔」
9月「奉教人の死」(『三  田文学』)
10月「枯野抄」(『新  小説』)
11月「邪宗門」(『大  阪毎日新聞』)連  載開始(未完)
  「るしへる」(『雄  弁』)

大正8年(1919)
1月  


2月


3月16日(27才)
























 


 第三短編集『傀儡師』(新潮社)刊行。

 大阪毎日新聞社への入社が内定。

 実父敏三死去。
























 





 大正7年に慶応大学から教授として迎えたいとの話があったが,教授会が年度内に決定できなかったため,龍之介は毎日新聞社へ入社した。(慶応が決定を下したのは大毎内定後だった。)


 田端の 実家の書斎を
「餓鬼窟」と名付け,
扁額を掲げる。
      ↑
  大正11年に「澄江堂」 と改める。













 
 
1月「毛利先生」(『新  潮』)
  「犬と笛」(『赤  い鳥』)
  「あの頃の自分の  事」(『中央公論』)
2月「開化の良人」(『中  外』)
  「窓」
3月「きりしとほろ上  人伝」(『新小説』)
5月「私の出遇った事」
  (『新潮』)←後  に「蜜柑」「沼地」  と改題。
  「龍」(『中央公論』)
6月「路上」(『大阪  毎日新聞』)連載  開始(未完)
7月「疑惑」(『中央  公論』)
9月「じゆりあの・吉  助」(『新小説』)
  「妖婆」(『中央  公論』)
11月 評論「芸術その  他」(『新潮』)
   『東京日日新聞』
  に「龍村平蔵氏の  芸術」を執筆。
12月 評論「大正八年  度の文芸界」(『毎  日年鑑』)

大正9年(1920)
1月    










4月  (28才) 


   10日

   21日













 


 第四短編集『影燈籠』
(春陽堂)刊行。









 「秋」(『中央公論』)
発表。


 長男比呂志誕生。

 実父敏三の後妻フユ死去。












 


 収録作品17篇:「蜜柑」
「沼地」「きりしとほろ上人伝」「龍」「開化の良人」「世之助の話」「黄梁夢」「英雄の器」「女体」「尾生の信」「あの頃の自分の事」「じゆりあの・吉助」「疑惑」「魔術」「葱」「バルタザアル」(翻訳)「春の心臓」(翻訳)

 従来の作風からの転換を図り,再三推敲を繰り返す。

 菊池寛を名付け親に。















 
 
1月「鼠小僧次郎吉」
  (『中央公論』)
   「舞踏会」(『新  潮』)
  「葱」(『新小説』)  「魔術」(『赤い  鳥』)
  「尾生の信」(『中  央文学』)
3月「素戔嗚尊」(『大  阪毎日新聞』『東  京日日新聞』)連  載開始。
4月「沼」「東洋の秋」 (『改造』)

5月「黒衣聖母」(『文  章倶楽部』)
  「或敵打の話」(『雄  弁』)
  「女」(『解放』)
7月「南京の基督」(『中  央公論』)
  「杜子春」(『赤  い鳥』)
  「槍ヶ岳紀行」(『改  造』)
8月「捨児」(『新潮』)
  「塵労」「秀吉と  神と」(『改造』)
9月「影」(『改造』)
10月「お律と子等と」  (『中央公論』)

大正10年(1921)
3月  (29才)












7月














 


 第五短編集『夜来の花』(新潮社)刊行。







 大阪毎日新聞社の海外視察員として中国に行く。

 中国より帰国。














 


 収録作品15篇:「秋」「黒衣聖母」「山鴫」「杜子春」「動物園」「捨児」「舞踏会」「南京の基督」「妙な話」「鼠小僧次郎吉」「影」「秋山図」「アグニの神」「女」「奇怪な再会」

 新聞社側は中国の現状をレポートしてもらい,逐次新聞掲載する予定でいたが,結局は帰国してから「上海游記」「江南游記」が紙上に発表された。 

 芥川中国へ向かう途
中,風邪のため大阪で
1週間,上海到着後約
3週間寝込んでしまう。  以降帰国後も体調が
すぐれない日々が続く。
  病苦を押しての執筆
が続き,肉体,神経共
に衰弱していった。
 12月頃には睡眠薬が
必需品となっていた。

 
 
1月「秋山図」(『改  造』)
  「山鴫」(『中央  公論』)
  「妙な話」(『現  代』)
   「アグニの神」  (『赤い鳥』)
  「奇妙な再会」を  『大阪毎日新聞』
  に連載。
4月「往生絵巻」(『国  粋』)
  「奇遇」(『中央  公論』)
8月「上海游記」を『大  阪毎日新聞』に連  載。
9月「母」(『中央公  論』)
10月「好色」(『改造』)
12月「売文問答」







 

大正11年(1922)
1月



5月  (30才)


11月8日
























 






 初の随筆集『点心』(金星堂)刊行。

 次男多加志誕生。
























 


 菊池寛が芥川からもらった睡眠薬を飲み過ぎ昏睡状態となる。





























 
 
1月「藪の中」(『新  潮』)
  「俊寛」(『中央  公論』)
  「将軍」(『改造』)
  「神神の微笑」(『新  小説』)
  「江南游記」を『大  阪毎日新聞』に連  載。
2月「三つの宝」(『良  婦之友』)
3月「トロッコ」(『大  観』)
4月「報恩記」(『中  央公論』)
   「澄江堂雑記」  (『新潮』)
  「仙人」(『サン  デー毎日』)
5月「お富の貞操」(『改  造』)
6月「長崎小品」(『サ  ンデー毎日』)
7月「庭」(『中央公  論』)
8月「六の宮の姫君」  (『表現』)
  「魚河岸」(『婦  人公論』)
9月「おぎん」(『中  央公論』)
10月「百合」(『新潮』)12月「知己料」  

大正12年(1923) 1月     






6月  (31才)












 


 菊池寛,月刊誌『文芸春秋』創刊。
 毎号,巻頭は芥川の「侏儒の言葉」が掲載される。


 第六短編集『春服』(春陽堂)刊行。











 


 創刊号は28ページ。3000部印刷。
 大正末までの寄稿数1位は芥川,2位は直木三十五。直木は編集に深く関わる。

 収録作品15篇:「六の宮の姫君」「トロッコ」「おぎん」「往生絵巻」「お富の貞操」「三つの宝」「庭」「神神の微笑」「奇遇」「藪の中」「母」「好色」「報恩記」「老いたる素戔嗚尊」「わが散文詩」





 
 
3月「雛」(『中央公  論』)
  「猿蟹合戦」(『婦  人公論』)
  戯曲「二人小町」  (『サンデー毎日』)
5月「保吉の手帳から」  (『改造』)
8月「子供の病気」(『局  外』)
  「白」(『女性改  造』)
9月「春」(『中央公  論』)
10月「お時儀」「大震  日録」(『女性』)
   「大震雑記」(『中  央公論』)
11月「芭蕉雑記」(『新  潮』)
  「あばばば」(『中  央公論』)

大正13年(1924) 7月  (32才)   








9月



















 


 第七短編集『黄雀風』
(新潮社)刊行。








 随筆集『百艸』(『新潮社』)刊行。


















 


 収録作品16篇:「一塊の土」「おしの」「金将軍」「不思議な島」「雛」「文放古」「糸女覚え書」「子供の病気」「寒さ」「あばばばば」「魚河岸」「或恋愛小説」「少年」「保吉の手帳から」「お時儀」「文章」





















 
 
1月「一塊の土」(『新  潮』)
  「糸女覚え書」(『中  央公論』)
  「三右衛門の罪」  (『改造』)
  「伝吉の敵打ち」  (『サンデー毎日』)
  「金将軍」(『新  小説』)
4月「第四の夫から」  (『サンデー毎日』)
  「文章」(『女性』)
  「寒さ」(『改造』)  「少年」(『中央  公論』)
5月「続芭蕉雑記」(『新  潮』)
  「或恋愛小説」(『婦  人グラフ』)
  「文放古」(『婦  人公論』)
7月「続々芭蕉雑記」  (『新潮』)
  「桃太郎」(『サ  ンデー毎日』)
9月「十円札」(『改  造』)
  「長江游記」(『女  性』)
  「軽井沢日記」(『随  筆』)

大正14年(1925)
2月





4月  (33才)





5月





6月





7月12日

11月

































 


























 三男也寸志誕生。

『支那游記』(改造社)刊行。
































 


 小・中時代の同級生,清水昌彦から重度の結核で療養中との手紙が届く。
 励ましの返事を書くが,清水は4月に死去。

 現代小説全集第一巻『芥川龍之介』(『新潮社』)に自筆年譜を付す。その際,養子の事実は明かすが,母の発狂は伏せる。

 『泉鏡花全集』(『春陽堂』)の広告文「鏡花全集目録開口」(『新小説』)発表。


萩原朔太郎の「郷土望景詩」(『日本詩人』六月号)
を朝,布団の中で読んで感激し,寝巻きのままで朔太郎を訪ねる。






芥川編集による『近代日本文芸読本』全五巻(興文社)が刊行されるが,非難を受け,心労がかさむ。

 芥川が心血を注いで
編纂した読本だったが,
凝りすぎたため売れ行
きは芳しくなく,その
労にみあう報酬は得ら
れていない。しかし「芥
川は,あの読本で儲け
て書斎を建てた」「我
々貧乏な作家の作品を
集めて,一人で儲ける
とはけしからん」(菊
池寛「芥川の事ども」)
という声を聞き,本の
印税は全部文芸協会に
寄付すると菊池話した。
菊池が反対すると今度
は印税を収録した作家
に分配すると言い出し
たので,菊池はそれに
も反対した。しかし「彼
はやっぱり最後に,三
越の十円切手か何かを,
各作家の許に洩れなく
贈つたらしい」(「芥川
の事ども」)

 
 
1月「大導寺信輔の半  生」(『中央公論』)
  「馬の脚」(『新  潮』)
  「早春」(『東京  日日新聞』)
2月「学校友だち」(『中  央公論』)
3月「越びと」(『明  星』)
6月「温泉だより」(『女  性』)
9月「海のほとり」(『中  央公論』)
  「尼提」(『文芸  春秋』)
  「死語」(『改造』)
10月「微笑」(東京日  日新聞)










































 

大正15年/
昭和1年(1926)
1月












4月  (34才)

   15日


6月


10月



12月25日
 











 






 小穴隆一に自殺の決意を告げる。




 



 随筆集『梅・馬・鶯』(新潮社)刊行。



 仲人をした佐佐木茂索夫人房子の父が自殺。最初の仲人をした岡栄一郎夫妻も前年離婚しているため,自分の関係する縁談は不幸が続くとショックを受ける。 

 この頃,神経衰弱・
胃酸過多症・胃アトニ
ー・痔・不眠症に悩む。



 睡眠薬を常用。




 大腸カタルによる下痢が続く。

 初めて出生の秘密をあかす。「僕の母は狂人だった〜」(「点鬼簿」)


 
 
1月「湖南の扇」(『中  央公論』)
  「年末の一日」(『新  潮』)
2月「二人の友」(『橄  欖樹』)
4月「追憶」(『文芸  春秋』)連載。
7月「カルメン」(『文  芸春秋』)
9月「春の夜」(『文  芸春秋』)
10月「点鬼簿」(『改  造』)














 

昭和2年(1927)
1月


4月  (35才)

















5月30日


6月20日


7月24日














   25日






   26日

   27日







 


























 『湖南の扇』(文芸春秋出版部)刊行。

 自殺。

 午前二時頃致死量の
ベロナール,ジャー
ルを飲んで床に入り, 聖書を読みながら眠
りにつく。
 午前六時頃妻文が
異常に気づき,伯母
フキが医者を呼びに
行く。
 午前七時過ぎに死
亡確認。



 午後二時頃親族により納棺される。





 友人,知人の通夜。

 葬儀。







 


 義兄西川豊が放火の嫌疑をかけられ自殺する。

 妻文の幼な友達平松麻素子と心中の計画をたてるが,未遂に終わる。


 興文社(『小学生全
集』)とアルス(『児童
文庫』)の間で,同時
期に同様の企画で競合
が起こったため,両社
が新聞広告上で中傷合
戦を繰り広げた。芥川
は前者では編集を,後
者では執筆を引き受け
ていたため,神経を悩
ませた。



 宇野浩二が発狂し,衝撃を受ける。




















 遺書(公開されたも
のは5通)の一つ「或
る旧友へ送る手記」が
東京日日新聞』に掲載
される。





弔辞
 先輩代表:泉鏡花
 友人代表:菊池寛
 文芸家協会代表
     :里見ク
 後輩代表:小島政二郎


 
 
1月「彼」(『女性』)
  「彼第二」(『新  潮』)
  「玄鶴山房」(『中  央公論』)
  「悠々荘」(『サ  ンデー毎日』)
  「或社会主義者」  (『東京日日新聞』)
3月「河童」(『改造』)
  「蜃気楼」(『婦  人公論』)
4月「三つのなぜ」(『サ  ンデー毎日』)
  シナリオ「誘惑」  (『改造』)  
  シナリオ「浅草公  園」(『文芸春秋』)
  「文芸的な、余り  に文芸的な」(『改  造』)連載。
5月「たね子の憂鬱」  (『新潮』)
6月「歯車」(『大調  和』)*「一」の  み(全文掲載は10  月に『文芸春秋』)
  「古千屋」(『サ  ンデー毎日』)
7月「冬と手紙」(『中  央公論』)
  「三つの窓」(『改  造』)
8月「西方の人」(『改  造』)
9月「続西方の人」(『改  造』)     
10月「或阿呆の一生」  (『改造』)
  




















 
 
 
 
 
 
 
昭和3年(1928)
 6月24日    一周忌を一ヶ月繰り上げて行う。
         (以後命日は河童忌と名付けられる。)
 
昭和5年(1930) 
 2月18日    異母弟新原得二没。
 
昭和10年(1935)
 1月       菊池寛が芥川賞を設定。
         (第1回受賞作:石川達三「蒼氓」)
 
昭和12年(1937)
 5月14日    養母トモ没。
 
 8月 4日    伯母フキ没。
 
昭和20年(1945)
 4月12日    次男多加志戦死。
 
昭和31年(1956)
 6月28日    姉葛巻ヒサ没。
 
昭和43年(1968)
 9月11日    妻文没。
 
昭和56年(1981)
 10月28日    長男比呂志没。
 
昭和60年(1985)
 12月16日    甥葛巻義敏没。
 
昭和64/平成1年(1989)
 1月31日     三男也寸志没。


参考文献:『國文學』52年5月号(學燈社)
     『年表・作家読本 芥川龍之介』(河出書房新社)鷺只 雄 編著

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