「ジミニー・クリケット」をめぐるわだい。


 ジミニー・クリケット(Jiminy Cricket)は、ディズニーのピノキオに登場するコオロギで、ピノキオが悪いことをしようとするときに登場し、悪いことをしないように教育的指導を行う立場で登場する正義の使いみたいなやつです。エンドウ豆みたいな顔に、赤いチョッキに黄色いネクタイをして、黒い燕尾服を着て、青いシルクハットをかぶっています。ステッキ代わりに赤い傘を持っています。老眼鏡を持っていたりするので、実は結構、年輩ではないかと思われます。

 このジミニーの姿は、国土交通省が「道の日」のキャラクターに決めている「こっちだヨウ平」に通じるものがあります。ちなみに、「こっちだヨウ平」は、アリに間違えられますが、正しくはハンミョウであるらしいです。また、原作であるといわれるカルロ・コローディ「ピノッキオの冒険」(岩波少年文庫)には、このコオロギには、名前は付けられておらず「ものをいうコオロギ」として登場しているのみで、しかも、登場した章の中で、ピノッキオに投げつけられた木槌にあたって死んでしまっており、後の章で亡霊として少し登場する程度の軽い扱いとなっています。

 この際、ジミニー・クリケットの名前の由来について、確認してみましょう。もろもろの辞書によると、クリケット(cricket)は、イギリスのゲートボールを難しくしたようなクリケットと綴りは同じであるが、「コオロギ」という意味であり、また、ジミニー(jiminy)は、口語で「なんてこった」とか驚きや軽い呪いを含んだ「ヒェーッ」というようなことであるそうなので、直訳をすると「ナンテコッタイコオロギ」ということになります。

 ところで、ふと思い出したのですが、ヒュー・ロフティング「ドリトル先生アフリカゆき」(やはり岩波少年文庫)に登場する Pushmi-pushyu (push me push you) を、井伏鱒二先生は「オシツオサレツ」と翻訳したということは、本当に素晴らしいことであると思います。

 また、「ジミニー・クリケット」をディズニーのキャラクターとしてデザインしたのは、ディズニーの「ナイン・オールド・メン」の一人である、ウォード・キムボール(Ward Kimball)であるとのことですが、キムボール氏は残念なことに最近他界されたとのことです。以下にその記事を引用します。


Tuesday, 9 July, 2002, 11:30 GMT 12:30 UK

Jiminy Cricket creator dies

Kimball was one of the Disney's "Nine Old Men"

Ward Kimball, the cartoon animator who created Pinocchio's companion Jiminy Cricket, has died aged 88.
Walt Disney Studios said in a statement that Mr Kimball died of natural causes in a hospital near Los Angeles.

Ward's passing is a tremendous loss to the animation community
- Roy Disney, Walt's nephew

The artists joined Walt Disney in 1934 and worked with Disney himself during the golden period of the studio's animated features, including on 1937's Snow White and the Seven Dwarves.

He was involved in animating some of the great Disney characters such as Mickey Mouse and Donald Duck - as well as the Cheshire Cat, The March Hare and The Mad Hatter in 1951's Alice and Wonderland.


(わからんでもない訳)

2002年7月9日火曜日 11:30GMT 12:30の英国

ジミニー・クリケット創造者は、死ぬ

キンブルは、ディズニーの「9人の老人」のうちの1つであった

区キンブル(Pinocchioの仲間ジミニー・クリケットをつくった漫画アニメーター)は、88歳に死んだ。
ウォルト・ディズニーStudiosは、キンブル氏がロサンゼルスの近くで病院で自然の原因で死ぬと声明において言った。

区の通過は、アニメーション・コミュニティにとっての相当な損失である
- ロイ・ディズニー(ウォルトの甥)

アーティストは、1934年にウォルト・ディズニーを加わって、1937人の白雪姫とSeven Dwarvesの上で特徴を活気づけて、スタジオの金色の期間の間に、ディズニーと働いた。

彼は、ミッキー・マウスとドナルド・ダックのようなすばらしいディズニー文字の一部を活気づけることに熱中していたチェシアCatと同様に−3月ヘア、そして、Mad 1951人のアリスとWonderland.でHatter


(多少それらしい訳)

2002年7月9日火曜日 11:30(グリニッジ標準時) 12:30(英国サマータイム)

ジミニー・クリケットの作者が逝去

キムボールは、ディズニーの「9人の達人」の一人

ウォード・キムボール(ピノッキオの仲間ジミニー・クリケットをつくった漫画アニメ制作者)が、88歳で逝去した。

ウォルト・ディズニー・スタジオは、キムボール氏がロサンゼルスの近くで病院で老衰のため亡くなったと声明において述べた。

ウォルトの死は、アニメーション業界にとり相当な損失だ
- ロイ・ディズニー(ウォルトの甥)

制作者達は、1934年にウォルト・ディズニーに加わり、1937年の白雪姫と7人のこびとをはじめとするアニメ、スタジオの長編アニメの金色期に、ディズニー自身とともに働いた。

彼は、1951年の不思議の国のアリスでのチシャ猫、三月うさぎ、マッド・ハッターばかりでなく、ミッキー・マウスやドナルド・ダックといったすばらしいディズニーのキャラクターのいくつかに命を吹き込むことに携わってきた。


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