034:横恋慕


 私は商店街の片隅にある、一軒の花屋で働いている。

 灰色の町並みの中でここだけに灯がともっているような、と言えればいいのだが、残念ながらそうではない。花屋の割には目立たない店だ。それというのも、私はこだわりを持って花を選んでおり、自分の趣味のものしか置かないのだ。そうすると自然に、寒色の小ぶりな花ばかりになってしまう。地味な店だと、人の目には映っているのだろう。

 その日も私は、客足もまばらな店で、それでも大切な売り物の花々の手入れをしていた。もう日も暮れてしまうし、そろそろ店を閉めようか、と頭の隅で考えた時、一人の男が入ってきた。銀色の髪の、蒼白な顔をした男。所在無げに、それでも目は一つの花を憑かれたように見つめながら。

 それは、小さな青い花だった。少し郊外に出れば咲いているような花で、わざわざ店で売るほどのこともないちっぽけな花だが、私の好きな花だ。花束を作るときに添えれば、主役の花をより引き立てるような、ひっそりとした花。

 「何かお探しでいらっしゃいますか?」

 私が声をかけると、男は我に帰ったようにこちらを向いた。そして、なんでもありません、ありがとう、と言って薄く微笑むと、出て行った。

 あんな寂しそうな笑みは、見たことがなかった。

 

 次の日も、また日が暮れた頃に、男はやって来た。今度は店には入って来ず、ウィンドウの外に立っていた。またぼんやりと、あの花を見つめながら。それは声をかけるのが躊躇われるほどに、真剣な、思いつめたような表情だった。
 もしかすると、誰か好きな人に花束を贈りたくて、勇気が出ないでいるのかしら。そんな想像をしながらおもてを見ると、もう姿は消えていた。

 そんなことが何度か続いた頃、男は再び、店に入ってきた。軽く挨拶をすると、黙ったままで青い花を見ている。恋をしているのだとしても、うまくいっているわけではなさそうだ。銀色の髪が蒼白い膚にかかっている横顔は、花屋にいる人にしてはあまりに寂しそうだったから。

 私は思案した挙句、花束を作りましょうか、と尋ねた。すると彼は一瞬凍りついたような表情をした。そしてこれから仕事に行くからいいのだ、と言って辞すと、申し訳なさそうに肩をすくめた。その様子があまりに悲しくて、私は涙が出そうになった。

 それから、男は姿を見せなくなった。その不在の間、私は青い花を見ながら、彼のことばかりを考えていた。

 彼にとってあの花は、なんなのだろう。あれは、彼の愛する女の好きな花なのだろうか。

 それとも。
 あのふしあわせそうな男は、あの花を持って誰かの墓を訪れたいのではないか。この店の近くに、墓地へ向かうバス停がある。そうだ、きっとそうなのに違いない。どうしてこの考えに思い至らなかったのだろう。けれどそれなら、どうして彼はいつも、何も買わずに店を出てしまうのだろう。

 そんな風に毎日男を思いながら、私は花を切ったり、水を変えたりして日々を過ごしていた。


 そうして一週間と少しが過ぎた頃、男は店に現れた。まだ店を開けたばかりの、早い朝だった。
 「その花を、」
 いくつか束ねて欲しい。飾りは何も要らない。その辺に咲いているみたいに、適当に束ねてくれればいい。
 そう言うと、男は黙って、私が作業をするのを見ていた。照れている様子もなく、ただ遠いような目をして。

 代金を払うと、男は薄く微笑んだ。そしてその貧相な花束を下に向けて持つと、店を出て行った。それは、あの、闇の中に消えてしまいそうなほどに寂しい微笑みだった。

 もう彼がここに来ることはないだろう。
 そんな気がした。そしてその予感は的中し、彼は二度と現れることはなかった。


 店にひとりの私は、何故だか止まらない涙をこぼしながら、ある早い朝、小さな青い花束を作った。
 あのひとと、あの花を愛するのであろう、私にみえない女(ひと)のために。

 

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