080: 指輪
稼動実験を終えて、まだ完成していない関節のない身体を実験室の固定器具に
ぐたりと繋がれたその試験体は、口唇部の部品を仮取けした途端、
突然自動人形のように喋り出した。
「春に出会ったっていうのに…」
私は不意を突かれて呆然とその試験体を見た。
「冬の話ばかりするんだ、君は」
私は半ば恐れをもっていつもの薬液に試験体を手早く浸し電極に繋ぐ。
薬液に半ば覆われ赤や青の電極に繋がれたまま、それは憑かれたように
喋り続けた。
「春だっていうのに、いつまでも雪の話をして」
「ぼくが春の服を買ってあげるまで、絶対冬のままの服で過ごすんだ」
仮付けした部品を取り外そうかとも思ったが、何故だかそれは躊躇われ
た。
私は急ぎ電圧を下げ体内に注入する薬液の量を上げた。
「なぜなんだい……? …………」
半ばまどろみながら、しかし試験体は震える声で飽かずある女の名を呼び
続けた。
その声は薬液の中からかすかに、弱弱しくしかし確実に私の心を侵食し続ける。
そして冬の氷のように凍えた涙が試験体の頬を鎖のように次から次へとつたい、
冷たく濡らし続けた。
…春を含んだ冬の涙だ。
そう思った私は、外の世界に春が訪れていることを、自分も冷えた実験室
の冷たい
空気に試験体と共に冷やされながら、まるで電撃に突かれ
たように唐突に
思い出したのだった。
(2004年12月2日)