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マッシュルームカットと白目と男の美学

負け犬Y的004考

 

と、本題に行く前に、ワタシと「サイボーグ009」の関係をまとめてみよう。

 

昭和43年頃。白黒版アニメ「サイボーグ009」を見ていた(ハズ)。が、覚えているのは、オープニングのみ。

昭和50年頃。愛読していた少女コミックに、009シリーズ登場。でも、飛ばしていた。

昭和54年頃。アニメ「ベルサイユのばら」の特集を目当てに、「ジ・アニメ」「アニメージュ」の購入がはじまる。で、いつだったか、「アンドレが加速装置を使っていた」という投稿を発見し、加速装置に大いに興味を持つ。が、アンドレが加速装置を使っていたという意味が、いまだにわからず。

加速装置がどうしても気になり、アニメ版の009を見てみる。「あ、マフラー、黄色だ!」。遅れ馳せながら、このとき、ようやく気がつく。

昭和55年だか56年頃。劇場版009の「超銀河伝説」のポスターを見て、どういうわけか激怒。「ちょっと、ジョーって、フランとできてんとちゃう?」思春期潔癖症のまっただなかのワタシ、友人に割引券をもらうも、見に行かなかった。

平成2年頃。会社の研修旅行。その帰りのバスの中、幹事の趣味で「超銀河伝説」のビデオを見せられる。が、ひどく疲れていたワタシは、途中、爆睡。ふと、目がさめると、幹事(♂)が、最後のシーンでしのび泣いていた(←マジ)

平成7年ごろ。職場の同僚(♂)が、仕事中、突然009の話をはじめる。「004は、男の美学だ」と力説。このとき、はじめて、004の存在がワタシの中でクローズアップされる。

平成9年ごろ。昔からの友人である●さんが、004のファンであったことを知る。しかも、かなりディープな。

平成10年ごろ。某会場で、ワタシに話しかける人妻R。どうやら、彼女も004のファンであるらしい。「ここにもいたか……」

平成11〜 あっちにも、こっちにも004ファンが。うーむ。これは何か見えない力が動いているに違いない…。

 

……ご覧の通り、ワタシとサイボーグ009の関係は、どれも間接的なもの。つまり、ワタシは直接的なファンではないのだ! こんなワタシだが、ちょいとばかし、004の美学について語ってみようと思う。繰り返すが、ワタシは真性ファンではない。なので、勘違いや妄想はもちろん含まれている。「これは見当違いも甚だしい!」と憤慨してもよろしいが、直接ワタシに抗議のメールをよこすのはご遠慮いただきたい。もちろん、管理者様にもだ。どうしても怒りがおさまらない場合は、夕陽に向かって叫んでみることをお勧めする。

 

男の美学7つの項目

●無口である

 ……が、アルベルトは意外とおしゃべりだということを、原作を読んで思った。しかも、かなりの皮肉屋さん。「男は黙って●●」的な寡黙イメージがあったんだけど。いや、でも、「寡黙」だというイメージをこちら側に植え付けるという点では、もう立派な無口な男なのである。

 

●死と隣り合わせ

004は、他の00ナンバー以上に体を改造されているとか。なんでも、全身武器。ということは、彼の隣にはいつでも死が。言いかえれば、彼の1秒1秒は、一生に一度きりの掛け替えのない時間。つまり、一期一会なのだ。

一期一会。これ、美学の基本。しかし、コピー全能時代の現在においては、一期一会の精神を修得するのはひどく難しい。

 

●矛盾を抱えている

確か、004の体には原爆がセットされているとか。

世界平和のために戦っているのに、その体には悪魔の武器がセットされているなんて! この矛盾こそ、男の美学! 「キカイダー」の青と赤/悪と善に通じる、究極の矛盾だ。

しかし、しかしだ! 矛盾がないところに、美学は生まれないのだっ。

 

●過去を持っている

過去は、男を美しくする。その過去が悲惨で重いものであればあるほど、男は美しくいぶし銀のごとく輝くのだ。アルベルトも、古今東西のハードボイルドキャラクターに負けないぐらいの、ものすごい過去を持っているようだ。

【過去を持っているその1/自分の過失で恋人を死なせた】

これ以上の過去があるだろうか。

【過去を持っているその2/ドイツ人である】

日本人もそうだが、ドイツ人は先の戦争を引き起こした戦犯ということで、映画や小説の中で悪人として登場することが多い(ところで、三国軍事同盟のもうひとつの国、イタリアにはそういう悪いイメージがないよな…、どうしてだろう?)。特に、ドイツは、かの至上最悪の悪人を生み出したということで、その影は日本以上に濃いような気がする。つまり、語弊があるかもしれないが、ドイツ人という設定をされた時点で、もうアルベルトは宿命的な影を背負わされてしまっているのだ!

 

●過去を持っていることを、ことさら強調する

もちろん、口でそれを言いふらす、ということではない。確かに、「俺って実は、父親に殺されかけ、母親に捨てられ、妹を川に突き落とし、恋人を自殺に追いやり…」なんてことを自慢気に話すなんちゃってハードボイルドなんちゃってアダルトチルドレンともいう)は世の中にはごろごろいるが、それは、もちろん本当の美学ではない。本当の美学というのは、過去があることを、その体と雰囲気で「さりげなく」示すことなのだ。言わずもがな、アルベルトは、その「俺には過去がある」オーラで、言い寄る女を何人蹴散らしてきたことか!

 

●顔が個性的である

これは、割りと重要な項目だ。その顔が平坦な、例えばジョーのような容貌だったら、美学どころかただの「おセンチくん」になってしまう。なら、ジェットは? うん、確かに、個性的な顔をしている。鼻が必要以上だ。が、あれでは、自己主張しすぎるのだ。男の美学を貫き通す顔というのは、「さりげなく」が必須項目なのである。アルベルトをみたまえ。目はさりげなくを通り越して白目になっちゃっているし、鼻は大きくなり過ぎることを拒むように鉤鼻だ。その口も一文字。本当は大口あけて笑いたいのだろうが、口の端だけで地味に微笑む。そして、一見、マッシュルームカットと見間違えてしまうあのヘアースタイル。しかし、あれはマッシュールームカットにあらず。短過ぎず、長過ぎずを追い求めているうちに到達した究極の髪型なのだ。

これら、「さりげなく」を追求した容貌は、結局は、世界に二つとない個性を生み出すことになる。この個性こそ、男の美学なのだ。

追記。世界に二つとない、といったが、実は、アルベルトの容貌に非常に似ている人物(というかロボット)をワタシは知っている。その名も、「ハカイダー」。アルベルトとハカイダーは、容貌だけではく、性格も似ているところが多い。

 

●豚には真似できない発想

東から西に亡命するとき恋人にライオンの変装をさせた、という話を聞いて「いくらマンガだからって……、そんなバカな!」とワタシは本気にしなかった。いや、したくなかった。赤塚不二夫のギャグマンガじゃないんだから…、いや、いくらバカボンのパパだって、そんな突飛なことは思いつくまい。が。

「マジで、きぐるみ着せてるよっ」

原作を読んで、ワタシは腰を抜かした。が、すぐに思った。

この発想を「滑稽な」と思った時点で、もうその人は、「豚」なのかもしれない。そして、一瞬でも「馬鹿馬鹿しい」と思ってしまったワタシも、疑いようもない「豚」なのだ。誤解のないように言っておくが、ここで言う「豚」とは、「太った豚より、痩せたソクラテスの方がいい」という名言にこめられた「追求することを忘れた、ことなかれ主義のなまけもの人間」という意味での「豚」である。

そして、アルベルトは、もちろん、豚ではない。痩せた、いや、ぎりぎりまで追い詰められたソクラテスなのだ。だからこそ、どんな手段をつかっても、恋人ともに新しい世界に飛び出したかったのだ。例え、それがどんな結果になうろと。そう、痩せたソクラテスというものは、失敗を恐れて追求をやめることはしないのだ。

 

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