008: 背中

 我輩の生業は役者。だから人間観察なんてお手のもの。
特に背中を見れば、その人間の心の中なんて全てお見通しだ。
ここにいる仲間たちは皆、それぞれの背負う今や過去の話など
互いにそうそう気安く口にしたりはしないが、たとえばこの少年。
こいつが
会いたい人に焦がれる繊細な心に大いなる勇気を持っているって
こと、その背中から、
我輩の目には嫌でも見えちまう。
 口こそ悪いが誰よりも仲間思いの大人ぶった少年、厳しい暮らしが
染み付いてやがる。
 気は強いが優しく、愛を欲する麗しき乙女の優美な背中。余計な言葉は
野暮ってもんよ。
 一人飛ばして、大きな背中、こいつは精霊と会話するのに忙しく
意外と背後がおろそかだが、近づきがたいが優しいオーラで威圧する。
 そして我輩の相棒、この丸さときたら。こいつの清濁併せ呑む大らかな
大地、はたまた大河のような心が見えて我輩はいい友を持った、と
涙することさえあるのさ。
 さらにまた細くしなやかで強靭な意志を持ち、常に前を、
高みを見据える若者。
 彼らの背中を見ていると、我輩は自分の背中が どんな風に
見えるのか気になって思わず背中を掻きむしっちまう。
 おおっと、一人飛ばしていたな。こいつは齢、我輩から見ればわずか30か
そこらの若さだが、何だこいつは。鉛でも背負っているのか、
ひとりでいるときのこいつはまるで打ちひしがれたような姿勢を取って
うつむいていやがる。景気付けにポンと肩でも叩いてやりたいが、
それを許さぬビリビリした電流のようなもんが流れていそうだぜ。
 気の毒なこった。我輩はこいつの背中を見るのが辛い。
 何とかならないもんかねぇ?

 ……

 あなたの背中。あたたかい。広くて、抱きつくと厚みがあって。
こんな冬の日、自転車の二人乗り。私はとっても幸せな気分であなたの
背中に頬をうずめる。うふふ、思わず笑みがこぼれてしまって、あなたは
私をちょっと怪訝そうに振り返る。
 自転車がよろける。
「きゃあっ!」それを口実にまた私はあなたの背中にしがみ付く。
 ずっとこうしていたい。小さな願いを
私は心の中でつぶやくの。
 
 ……

 彼女と二人乗りしたことがあったな…自転車の二人を見ると思い出す。
君は訳もなく楽しそうに俺にしがみ付いて、転げるように笑っていたっけ。
暖かそうだ、あの二人。俺はコートの襟を立て、手袋の手で胸元の隙間を
閉じる。寒い。寒くて凍えそうだ。この氷点下のせいだけだろうか。
 コートの下は鋼鉄の身体。君を抱きしめることももう叶わない。この身体が
憎いか?そうでもない。当然だ。これでいい。
 軽く飲んだ帰り、俺は肩をすぼめて冬の道を歩く。
「待てよ!」仲間のおっさんが声をかける。
「ああ、早く来い。少し飲みすぎだぜ」俺は少し戻ってやつに肩を
貸してやる。
「さっきから見ていたがお前さんは…」言いかけて彼は口をつぐむ。

 ……

 …お前さん、もう少し楽にはなれないのかよ?
 我輩は背中に向かって言えなかった言葉を飲み込み、肩を貸してくれた
こいつの優しさって やつにほろりとしながら、一緒に冬の道を歩くのさ。


                                                                       (2004年6月12日)



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