薬師如来像

川口市の安行という場所に金剛寺というお寺があります。

私が鍼灸学生1年生の頃に行ったことがありました。

そこは、お灸で有名なお寺です。

当時、鍼灸学校に入りたての好奇心旺盛な私は、

その名灸を受けに行ったのです。

 

お堂に通され、服を脱ぐように言われました。

正直、一体どのようなお灸が始まるのか、

全く予想が付きませんでした。

 

艾(もぐさ:灸の原料)のいっぱい入った鉢を持った、

中年の女性が現れました。

どこが悪いのかと聞かれ、肩こりだと答えました。

 

すると、その方は、

ポンポンポンポンと、立て続けに灸を、

座ったままの私の背中や肩に置いて行ったのです。

 

消毒とかどうなのだろうと、学校で教わったばかりの私は、

不安にかられていました。

そんな中、突然物凄い衝撃が起こってきたのです。

 

びっくりしました。

驚きました。

 

艾の火を指で止めない直接灸だったのです。

痕が残る、有痕灸だったのです。

いわゆる、

焼き切りという灸です。

 

きりで刺されるような熱さでした。

 

びっくりしました。

 

今の私でしたら、何もびっくりなど致しません。

なぜなら、当たり前に自分の足三里などへ焼き切りをするからです。

 

しかし、当時の鍼灸学校に入りたての私には、

とんでもない衝撃だったのです。

学校で教わる灸は、絶対に焼き切らないようにという灸でした。

訴訟問題がうるさい現代では、有痕灸はトラブルの元なのです。

 

立て続けに、10壮は焼き切られました。

声など出ません。

 

ここは男です。

耐えました。

「うっ」とこらえていると、

わきの下にツーっと汗が垂れるのがわかりました。

それぐらいの熱さなのです。

 

 

しかし、ある段階から、顔をしかめなくなりました。

気が付いたのです。

 

目の前には薬師如来様が深々と座られておられました。

その薬師如来像を目の前にして、気付いたのです。

 

「ああ、なるほど。

 この熱さは、

 自分が今、生きている証拠であると。

 この熱さを感じられることは、

 生きていることへの感謝であると。

 

 この熱さを感じられなくなった時、

 確かに人は、死んでいるに違いない。

 この熱さは、

 私に強烈に生きているということを気付かせてくれた。

 

 暑ければ暑いと、

 寒ければ寒いと、

 人は文句ばかり言う。

 しかし、暑い寒いも嘆くは無駄なことである。

 それは、生きていることで感じる感情であり、

 どんな試練も、

 自分を経験させる、

 有り難いことなのだと。」

 

この薬師如来様が目に入り、

そう、思ったのです。

 

この金剛寺に来て、灸を受けることは、

それはもちろん健康維持の役目もあることでしょう。

しかし、一番大切なことは、

この灸から何を学ぶかだと思いました。

生きること、生かされていることへの感謝を、

再び認識することだと思います。

 

灸は、私も治療でよく使います。

痕が残らない無痕灸ですが、良く効きます。

その灸をするたびに私はこの時の経験をよく思い出します。

 

そして、祈るのです。

この方が今生きておられることへ、感謝しようと。

医療を通して、私は多くを学ばさせていただいております。

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