12.患者さんと私の時間

余命20カ月を大学病院で宣告されたその患者さんは、
すがる思いで電話をされてきました。
その時私は治療中で電話に出ることができませんでした。

お年寄ですから、留守番電話に要件を入れるのも一苦労です。
しかし、何度も何度もかけてくださり、
私の携帯には、たくさんの着信がついておりました。

それが、始まりでした。

近所のお医者さんからのご紹介の患者さんでした。
背は高く、ハンサムなおじいさんでした。
79歳。
やさしいお顔でした。



大腸癌手術。
肝臓癌手術。
そして、
肺への転移。



往診先、部屋に入ると、奥さんがいらっしゃいました。
泣いています。
お父さんの余命を昨日医者から宣告されたのでした。

余命20か月。

奥さんはそれが頭から離れず、
ずっとずっと泣いていました。

「今、お父さんに死なれたら、
 あたしゃ、生きていけないよ。」

お父さんは何も言わずに、私の問診を受けていました。

お父さんも当初は半信半疑のご様子でした。
とにかくできることはやっておこうと思われ、
近所の医者に勧められた人生初の鍼をしようと決意されたのでした。


「わかりました。
 頑張ります。
 私にできることは何でもやります。
 一緒に治療していきましょう。

 お母さん、
 泣いていないで、一緒に生きていきましょう。」

ここから、3人タッグを組んで、
がん治療の日々が始まったのです。


私が鍼灸師になった目的は、
医者が治せなかった病気を治すことでした。

「やってやろうじゃないか!」

人の命に対して、
制限をつける、余命宣告など、
私は信じません。

いのちの時間など、
人間ごときにわかってたまるものですか。

神様しか、おわかりになられないのです。


「やってやろうじゃないか!」


あれから、21か月が過ぎました。
その患者さんは、
肌はつやつや、
食べられるし呑むこともできます。
楽しみは毎晩の晩酌だとおっしゃっています。

21か月過ぎました。
21か月前よりも今の方がずっと元気です。

毎週1度も休みませんでした。
正月も盆も。

お父さんとお母さんの努力の結果です。


先日取った写真からは、
肺の影が消えました。

皆様、信じられますか?

私は何も不思議ではありません。
こういう神秘が人間ですし、
人のいのちには何が起こるかわかりません。

それを決め付けてはいけないと思うのです。

「もう、治りませんね」
「余命3ヶ月です」
「現代の医学では手はありません」

平気でこのような言葉が患者さんには浴びせられます。


今でもこの患者さんは元気です。
大元気です。
治療時間は笑いが絶えません。
ずっとめそめそ泣いていたおばあさんも、
今では毎回私を笑わせてくれます。
漫才のような治療になることもあります。

これが医療です。
これが患者さんと私の時間です。

決してあきらめない。
どんなことがあってもいのちの力を上げる。

患者さんとの時間は、
私の何よりも勝る学びの時間です。
いのちの学びの時間です。

戻る