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ゆだねる場所
窓から射し込む朝の光が、きらきらとその銀の髪を光らせていた。半分以上枕に顔を埋めて、カカシはぐっすりと眠っている。昨夜も遅かったし、起こすのかわいそうだなぁなんて甘いことを思いながら、イルカは柔らかく声をかけた。
「――カカシさん、カカシさん!」
「…………」
ぴくりとも動かず眠るカカシの肩を、そっと揺する。こんな風に意識のないときに触れると、以前はよく反射的に驚かれたり、ぴんと張り詰めたような気配を漂わせることがあった。忍としては当然の反応だ。いつでもどこでも、瞬時に対応できなければ務まらない。
わかっていても、それでも、少しだけ切なくなった。ほんのひとときでさえ、その心を休ませることはできないのかと、心配にもなった。カカシのそういった反応は、意識のないときばかりではなく、共にいるとき、ふとした一瞬に気配が硬くなるような、そんな空気を漂わせることがあった。そのくせ、カカシはそのことについて何も言わなかった。表情さえ変えないで、にこやかに笑ったまま、ただ、条件反射であるかのように、ふいに硬くなる気配。カカシをかまえさせるような嫌なことをしているのなら、教えてほしかったのに、本人は何も云ってくれなかったので、その理由についてイルカはずっと気づけないでいたのだった。そうして気づけないまま一緒にいるうちに、その小さな違和感はいつの間にか消えていたのだ。一緒にいる時間が増えるうちに……。原因がなんだったのかは、だから未だにわからないままでいる。
「……んー、もうちょっと寝かせて」
今も、半分以上意識を飛ばしたまま、イルカに対してかまえることもないままに、もぞもぞと掛け布団に潜っていこうとする。
「駄目ですよ、遅刻します」
その動きを止めるように布団を押さえれば、微かに目を開けてカカシはじとっとイルカを見つめた。
「誰のせいで、寝不足なんだと、」
掠れた声で、訴えるような甘えた声音。小さな子供が駄々を捏ねるようなそんな声に苦笑する。
「……深夜に押しかけてきたのは誰ですか」
「――あー、」
「……責任逃れするつもりはありませんが、寝てるとこ起こされたのは俺の方です」
「……はぁ、そうでした」
「更に云わせてもらえば、無理やりコトを始めたのもアンタです」
「……ハイ、すみません」
夜のことを思い出したのか、カカシはバツの悪そうな顔で頭を下げた。
「別に、謝ってくれなくてもいいですけれど、いい加減起きなさい」
ナルト相手に叱るような台詞にも、カカシは小さく頷いた。イルカにかけた迷惑を思い出したのだろう。
「で、傷は、痛みませんか?」
「え? ああ、大丈夫です。元々たいしたことないですし、」
左上腕部に巻かれた包帯をちらと見やり、カカシはなんでもないことのように笑った。
「イルカ先生にしっかり手当してもらったから、問題ないですよ」
「血ぐらい止めてきて下さいよ」
点々とカカシの痕跡のように落ちた血の跡を見つけて、朝っぱらからイルカは拭き掃除に励まされていたのだ。ため息の一つぐらい零れるのは仕方ない。
「だって、はやく帰ってきたかったんですよ」
屈託なく笑いながら、カカシはイルカに背を向けてのんびりと服を取りにいく。まるきり無防備な背中。少し前までは、ここまで無防備ではなかったような気もする。慣れてくれてるのかなぁ、なんて野生の獣相手に思うようなことを考えてイルカは小さく笑みを浮かべた。
イルカが、三代目火影に書類を提出しに来たのはもう夕方近くのことだった。
「ご苦労じゃったな」
「では、これで」
退出しかけたイルカに、火影はのんびりと問いかけた。
「そういえば、今日はカカシを見たかの?」
「カカシ先生ですか。ええ、少し前に七班の任務報告書を持っていらっしゃいましたが」
イルカは今日は受付所の当番だった。七班の子供たちとカカシはほんの少し前に姿を現したばかりだ。
「そうか。もし近くにおったらワシが呼んでいたと伝えてくれんかの?」
なんとも中途半端な言葉だった。ついでといった風情のゆっくりした声では、火影の側にいることの長いイルカでさえ真意を読み取れない。
「は、近くにいらっしゃらなかったら探しますか?」
緊急の用ならば、鳥を飛ばすことが多い。わざわざイルカに、こんな風に頼む意図が掴めない。
「いや、その辺におったらでかまわん」
「……はい。伝達できなかった場合はご連絡を?」
「いや、もう帰ってよい。もし見かけたらでよいんじゃ。急ぐ用ではない」
「――はっ」
それ以上踏み込むことはできず、イルカは静かに頭を下げ部屋を出た。
どう見ても至急の用件には思えなかったものの、頼まれたことは完遂したい。ゆっくり歩くのは落ち着かず、結局イルカは瞬身を使って上忍待機所へ向かった。
待機所には数人の上忍がいたものの、目当ての姿は見当たらない。顔見知りの一人にカカシの所在を尋ねれば、少し前までいたとの返事。礼を云って、イルカは再び飛んだ。家に帰れば来ているかもしれない。そんな気がして帰り道を辿っていったが、間もない距離でカカシ、アスマ、紅、ガイの四人の後ろ姿を見つけることができた。
スピードがついていた為、手前で止まるのも面倒で、左端のカカシのすぐ後ろに着地する。
「よかった、カカシさん!」
カカシの左肩に手を置いて、イルカはほっと息を吐いた。
「イルカ先生、なにかありましたか?」
ぬっと涌き出たように現れたイルカに驚いた風もなく、カカシはゆっくりと振り返る。
「はい。火影様が、お呼びでした。急ぎの用ではないそうなんですが」
「あぁ、わかりました。わざわざ探して下さったんですか? まったく人遣い荒いんだからねぇ?」
何か思い当たる節があるのか、カカシは納得したように頷いた。
「いえ、そんな。帰り道でしたし」
「ありがとうございました。イルカ先生も今日はもう終わりなんですね?」
イルカに普通に笑いかけながら、その目が問うように「俺、後で行ってもいいですか?」と尋ねている。イルカは「どうぞ」のつもりで頷いた。
「はい、もう帰るところです」
「そうですか。……ってことだからさ、」
カカシは他の上忍たちに向き直り、首を傾げた。
「なに? 揃って変な顔して」
三人は、驚いたようにカカシとイルカを見つめていた。
「……なにって、そりゃおめぇ……」
アスマが何か言いかけて、口を噤んでしまう。
「? とにかく俺火影様に呼ばれてるから、今日の飲み会パスね」
「え? ええ、わかったわ」
「――イルカは、特別なのか?」
珍しくちょっとだけ迷うような間があったが、ガイの言葉は直球だった。ただ純粋な疑問をぶつけてみたという体で、裏なくそんなことを云うから、この男は嫌いだ、とカカシは思う。
「……なに云ってんだ、ガイ」
カカシの声も自然低くなっている。
すっと体温が下がるような感覚は気持ちのいいものではなく、またいつまでもイルカがその場にいることは不自然にも思えた。
「では、私はこれで、」
「お前が左後方から声をかけさせる、なんて初めて見たから聞いている」
そそくさとその場を辞す筈のイルカの足は、ガイの言葉に止まった。
ちっ、と小さくカカシの舌打ちが聞こえる。
「勘繰るのはよせ。たまたまでしょーが」
「……そうかもな」
アスマがフォローするように頷いて、なんでもないようにタバコを取り出す。自然なようで不自然だと、イルカは感じた。それだけ珍しいことだったのだと、気づかされた。
「じゃ、俺急ぐから」
その表情が少しだけ硬くなっていたようだった。カカシは軽く手をあげて、呼び止める間もなくどろんと消えた。
「珍しいわ。カカシがあんな顔するのも」
「まったくだ」
「あの、」
「あぁ、イルカ先生にゃわからんよな」
戸惑いながら声をかけたイルカに、アスマはふんふんと頷きながら口を開いた。
「はたけカカシの左後方から近づいてはいけない、ってのが上忍連中の共通認識なんだ。ほら、暗部みたいに胡散くさいとこでは、いわゆる「暗黙の了解」ってヤツが色々あってな。カカシも昔は今みたいに丸くなかったから、怖がられてたし、噂が大きく広がったのかもしれねぇがな」
イルカは目を見開いて、立ち尽くした。少し前まで感じていた違和感の正体に漸く突き当たった気がしていた。
「ほら、アイツは日ごろ片目だけで物を見てるだろう? どうしたってその分視野が狭くなる。もちろん俺たち忍は目だけじゃなくて色んな感覚で人の気配をとらえることはできるが、やっぱり目からの情報ってのは大きい。特に戦場で、死角から声をかけられることを嫌う忍はアイツだけじゃない」
ガイがアスマの言葉を淡々と引き継ぐ。
「……そうですね」
なぜ今まで気がつかなかったのだろう。カカシが気配を硬くしたのは、決まって左側からイルカが無神経に声をかけたり触れたりしたときではなかったか。
「たまたまなんて云ってたが、俺は違うと思う。いつだって、ある程度は意識してる。下忍の子供相手にだって、左から近づかれたらさりげなく正面になるように向き直ってる。それは危険だからというよりは、気持ち悪いから、ぐらいのもんだろう。なんとなく落ち着かない、そんな気分はわかるだろう?」
頷くイルカにガイは解せないといった表情をした。
「うーん、なんでイルカはいいんだろう」
「アンタ、さっき自分で云ったじゃないの」
あきれたように紅が笑った。
「何をだ?」
「だから、カカシにとってイルカ先生は『特別』なんでしょ」
うわ、だからなんで話がそこに戻るんだ。
「――あ、では私もこれで失礼します。ありがとうございました」
「え、ちょっと、」
この三人相手にしらを切りとおす自信はない。二人の関係を告げても問題はなさそうな面子ではあるが、イルカの口から云うことでもないだろう。カカシが云いたければ云えばいいのだ。今度こそ、間を置かずに瞬身し、イルカはその場を逃れた。
「二人とも逃げ足はやいわね〜」
「ま、そういうことだろ」
「多分ね」
顔を見合わせるアスマと紅。
「……そうなのか?」
半信半疑といった体のガイ。
「どう見たってそうでしょう。カカシも変だけど、イルカだって上忍の噂話なんて普段はまったく興味ないでしょ。カカシのことだから聞いてったのよ」
「剃刀みたいだったアイツが、あんな顔するの初めて見たなぁ」
「今度、本人に吐かせましょ」
「やっぱり、なんだ、あれか。遅い初恋ってやつか?」
「きっと、そうよー!」
その夜、カカシは三人の上忍達の格好の酒の肴にされた。
「何か云ってたでしょう? あいつら……」
どことなくバツの悪そうな顔で、それでもカカシはイルカの家に現れた。来ないかとも思ったが、知らないところで何を云われたのかを気にする方が強かったのだろう。
「ええ、あなたに謝ろうと思っていました。俺、迂闊にもあなたの気に障るようなことを随分としていたんじゃないかと思って」
「何、云ってんですか!」
憤慨したように云って、カカシは違うのだと首を振る。それを遮るようにイルカは続けた。
「俺、ずっと気になっていたんです。何かがあなたの気に障っているなと思いながら、馬鹿だから今まで理由に気づけなかった」
「だから、あなたはいいんだって、云ってるでしょ。あなたは特別なの。最近は全然気にもならないですし」
「それはなんとなく慣れただけで、本当は嫌なんでしょう? 左側から近づかれたり、ふいに触られたりするのは」
「んー、慣れたっていうか。まぁそれもあるかもしれないけどねぇ。だいたい、殺されたっていい相手にかまえたところで意味ないですからねー」
カカシはなんでもないようにからからと笑う。
「こ、殺すなんて、何物騒なことを」
「ん、殺せるでしょ。いつだって俺隙だらけでしょーが、あなたの前ではさ」
それは確かにそうかもしれないけれど。
「でも、そんなふうに云ってほしくないです」
「あー、わかってますって。あなたね、自分で気づいてなかったみたいだけど、きっと俺の
死角を守ってくれようとしてるんですよ。なんだか自然に左に立ってるから、最初はなんでだろうって思ってたんですけどね」
くすくすと思い出し笑いをしながら、カカシは悪戯っぽい視線を投げてくる。
「そ、そんな、守るだなんて、そんなおこがましいことはっ」
思いがけない言葉に否定しかけたイルカの唇を、カカシが左手の人差し指でやんわりと止めた。
「二人でいるときまで、そーゆーおカタイこと言わないの。あなたが珍しくかなり酔ってたときにね、気づいたんですよ。俺は肩貸してあげていたんだけど、あなたは寄りかかるという感じじゃなかった。『もっと体重かけても大丈夫ですよー』って云ったのに、あなたは笑って、大切な物守るみたいな手つきで俺の肩に触れてる。そのとき、あなたになら、なんだか色々と預けられるなぁと思いました。ずっと好きだと思っていたけれど、俺はどうやって近づいたらいいのかわからなかった。でもあのとき、かまえてたら駄目だなーって思ったんですよ」
照れたように笑うひとに、イルカは赤い顔をごまかすように口づけをした。そのときのことを、酔ってはいたがなんとなく覚えている。確かに、このつよいひと相手に『護りたい』、なんてことを思ってしまったのだ。酔いの勢いで気が大きくなっていたのかもしれないとも思ったが、その後もカカシを大切だと思う気持ちに変わりはなく、今に至る。カカシが気を悪くしている風でもないから、それはそれでよいのかもしれなかった。が、照れくさいのに変わりはなかったのだが。
「……あ、やっぱり、紅さんが気づいちゃったみたいですよ」
「んー、そうでしょうねぇ。俺も迂闊でした。あいつらの前ではカモフラージュするつもりだったんだけど。イルカ先生、困るよねぇ?」
困った顔でカカシが伺ってくる。
「カカシさんがよければ、かまいませんよ。今日は逃げてきましたけれど、いつまでもは無理でしょう? 皆さん、偏見のなさそうな方々だし」
「逃げてきたんだー。凄いな、イルカ先生」
「いや、もう必死で」
「あはは、まぁもう仕方ないから、そのうち紅には話しておきますよ」
「今頃酒の肴にされてるんじゃないですか?」
苦笑していたカカシは、何かに導かれるように大きなくしゃみを一つしたのだった。
ende
完売したコピー本「ゆだねる場所」からの再録です。
ちょっと中途半端な感じでしたが(^^;)
2005.12.5 天羽
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