all written by Hikari Amou 

 途中から、数を数えることすらやめてしまった。
 今この場に、カカシ以外に命あるものはない。
 微かな物音さえなく、静寂に包まれた戦場の跡。
 空の青さえ覗けない薄ら暗い渇いた世界の中で自ら作りだした死体に囲まれて、ただ一人にだけ柔らかな暖かな想いを届けたいなんて、不敬な願いだろうか。
「イルカせんせい」
 見上げる空は、灰色だ。厚い乱層雲に覆われて今にも泣き出しそう。
「寒いなぁ……」
 少しでも早く、イルカに会いたかった。
 そして、ぬくもりが欲しい。
 ここにいると、カカシの身体まで温度を失ってしまいそうだ。
 周囲に無数に転がる骸のように。かたく冷たく感情すら凍りついてしまいそう。
 そうしてゆっくりと、カカシは静かに印を組んだ。
 鋭く回転しながら迸る火。
 紅蓮の炎が、数多の冷たい魂の抜け殻を包み込み、辺り一面を明るく照らし出す。

 燃えてしまえ。
 すべて燃えて、そして――還ってゆけ――

 燃えあがる炎を、ぼんやりと暫く見つめていた。
 そこから苦しみの声は聞こえない。
 すべて骸だ。意思のない肉の塊。
 どこへ消えていくのだろう。
 高温に焼かれて、たぶん骨すら残らない。
 カカシの立っている場所は、熱いほど炎の近くではなかったが、「熱」は感じられる。
 赤く、燃え尽くされて、きえていく。
 ああ、自分の最期もこんなふうにあっけないといいのに。
 おそらくは、この左目がある限り、それすらも叶わないのだろう。
 一つ息を吐いて、カカシは数歩動いた。
 戸惑いもなく、指先が次の印を結び、結界に包まれた空間を作り出す。それによって空へ舞い上がる紅の炎を、傍目から綺麗に消し去った。
 それと同時に、その空間の支配者であるカカシもまた姿を消す。
 入れ替わるようにして数人の木の葉の暗部が、後始末に現れるのを横目に見てカカシはその場を後にした。

 うつくしい、と表現できるほどの世界から切り取られたかのようなその空間を覗き見て、暗部達は見惚れるように立ち尽くした。
 天上の厚く暗い雲から降り出すのは、雪。
 はらはらと落ちてくる雪が、彼らのもとを覆うこともない。そんな結界がそこにはある。
 銀色の残影が、ちらりと忍達の視界を掠めて、やがてすべてが消えていった。


Sweet Prayer



 火の近くから離れれば、低い気温と精神の低温が容赦なくカカシを苛んだ。
 任務地を離れた直後から、さらさらと水気の少ない雪が降り続いている。身体に吹き付けるうちに積もりだした雪を振り払うのも面倒で、暫く進むうちに手甲から出ている指先は、凍えて感触がなくなっていた。
 カカシの任務は完全に終わり、あとは里へ帰るだけだ。通り道を考える限り、この後は危険もなさそうである。
 ただ、寒かった。
 気温は低く、吹き込む風も、カカシの体温を奪っていく。
 機械みたいに、ただ進む。
 色のないカカシの視界の片隅に揺れる、首元のマフラー。非日常的な優しさと暖かな温度を司る酷く象徴的なそれが、カカシをひとに返す。
 こうして当たり前のように、イルカの元へ帰りたいと思うようになったのはいつからだったろう。
 こんな死の臭いを全身に染みつけたまま。
 それでもそんなことではイルカに厭われないと、無意識に信じている。
 否、事実そうなのだろう。イルカは案外に肝が据わっている。
 その優しさや甘さは、けれど忍であるという前提を否定して成り立つものではない。
 だからカカシも上忍である自身の、子供や普通の恋人にだったら見せたくないような面も、いつからかイルカの前では隠さないでいられるようになった。
 イルカにとって重荷になるような付き合いはしたくないと思いながら、どこかで線引きをしなければずるずると寄りかかってしまいそうだった。イルカのそばは、居心地がよすぎるから。
 滑稽なまでの一途さで、いまだに焦がれている。どれだけ身体を重ねようと、気持ちが通じたように思えようと、今この目の前に存在しなければどんな事実も酷く頼りない。
 幻覚でも見そうだ。今だって暖かなあのイルカの部屋を思い出すだけで、冷え切った体温が戻ってくるような錯覚さえある。
 強張った指先で、イルカにもらったマフラーの端を握りしめた。汚れないように任務中は着けていなかったのだけれど、多少の汚れなら目立たないだろう。イルカがそこまで考えていたのかどうかはカカシにはわからないが、返り血が飛んだとしてもこの黒いマフラーはきっと殆どその色を変えない。
 イルカには何も話していないのに、わかってもらえている、と感じる瞬間がある。イルカに隠そうと思っているわけではないが、さほど聞いて楽しい話とも思えず自分の過去のことなど殆ど話していない。おそらくはアスマやガイの方が、カカシの過去には詳しいぐらいだろう。
 それでも今、一番近いと感じるのはイルカだ。
 これ以上、なにを望むのか。
 いつまでも、と時を望むのは、傲慢だ。
 己の持ち時間すら定かでない自分に、そんなことを求める資格があるとも思えない。さほど遠くもない未来に、なにひとつ残すことなく消えていく身で。
 死は、カカシにとって遠いものではない。暗部にいた頃など、それこそいつでもその覚悟があった。あの頃は、なんの望みもなかったから。
 でも、今は違う。

 その時がきたなら、あのひとの手で。
 奇異なこの瞳を抉り出すのなら、あの優しい手で。
 せめてと、それを願うのは、残酷だろうか。
 そんな祈りは、贅沢だろうか。

 酷く静かに、雪は降り続いている。
 限りなく体温を奪われながら、静寂の中に殺されていく。
 カカシの中で、イルカを想う気持ちだけが、ただ暖かい。
 こんな感情が生まれる前に、何を思い何を考え里へ戻っていたのか、カカシはもうよく思い出せないでいる。一時は感情などなくなってしまえばいいと思い、機械みたいになりたいと願いながら、結局そんなふうにはなれなかった。それでよかったのだと、今はしみじみ思うけれど。
 なにが正しいのかは、わからないままでいる。


   急いで戻ってきたものの、イルカの部屋に辿り着く頃にはだいぶ遅い時間になっていた。
 寝てしまったかもしれないと部屋を見れば、まだ窓に灯りは点いている。けれどいつものように訪ねていくには、遅すぎる。気配を消したまま逡巡して立っていたら、窓からイルカが姿を見せた。
 気づかれてしまったらしい。
 イルカは、安堵した表情で即座に手招きをしてくれた。その口が「どうぞ」と動く。
「いいんですか?」と音に出さずに問えば、当然のことを聞くなと云わんばかりのむっとしたような顔で「寒いですからはやく!」と口パクしながら重ねてのお招き。
 ずうずうしいなぁと思いながら見上げていれば、「待ってますよ」とどこか呆れたような視線。そっけないようで、柔らかいそれを残して、イルカは返答も待たずに中へと消えた。カカシが入ってくるのを疑いもしない。
 そんなにも自分は、イルカの中へと入れてもらっているのだろうか。上忍であり、年も上であることを気にしてか、なかなか他人行儀が抜けなくて、今だって丁寧な口調は滅多に崩れないのだけれど。
 こんなふうに、許されていると感じる瞬間が、こそばゆくも心地よい。

 ばしばしと体についた雪を振り払って、イルカの部屋に入る。
「お邪魔しまーす」
 一歩足を踏み入れて、暖かさに全身の緊張にも似た強張りがゆるんだ気がした。
「どうぞ。雪の中、お疲れ様です」
「はぁ、すみません、遅くに」
「ストーブの前に居て下さい。今、風呂追い焚きしてますんで」
「ありがとうございます。あったかいですね〜」
 手をすり合わせながらストーブの前へ移動する。なんだかいつもより暖かい気がするのは、自分の体が冷えているせいだろうか。今日は雪が降るほどの寒さだし当然かもしれないが、イルカは比較的寒さには強い方らしく、日頃はそれほど暖めないし風呂に入る前には消している。
 コタツの上に書類が出ているから、持ち帰った仕事を風呂あがりにこなしていたのかもしれない。そのおかげでカカシも入れてもらえたのかと思えば、有難いことかもしれなかったが。
 ストーブの前でほっと息を吐き出して、見慣れた部屋を見回せば、台所の片隅に明るい色の溢れた包みが覗く紙袋が目についた。シンプルなイルカの部屋の中では、浮いて見えるほどに派手な色彩だ。
「や〜ほんと助かりました。寒い自分の部屋に帰るのやだなぁ〜と思ってたんで」
「今日中に戻られるかなぁと思ってはいたんですが」
 コンロで何か温めていたイルカが、マグカップを二つ持って歩いてくる。
「それで起きてて下さったんですか?」
「仕事も持って帰ってきてましたんで、」
 自分のせいかと慌ててイルカを見つめるが、カップの一つを差し出しながら苦笑するその表情からは、真意は読めない。
「どうぞ。熱いので気をつけて」
 湯気の立ちのぼるカップから、仄かにカカオの香りが漂ってくる。
「ありがとうございます。ココアですか?」
 イルカの部屋で出してもらうのは初めてだった。否、他でだってここ十数年飲んだ覚えはない。
 物珍しくカップを覗き込む。
「いえ、ホットチョコレートというんだそうです。お口にあえばいいんですが、俺も初めて作ったもので」
 なんだか緊張したような顔つきは、初めて作ったものだからか。
「口の方をあわせますよ、なんてね。大丈夫ですよ〜、イルカ先生の味覚は確かです」
 冗談めかして笑って、カップに口を付けたところで、はたと気づいた。
「そういえば、今日でしたっけ、バレンタイン」
 思い返してみれば、昨日の昼間の七班の任務の後、サクラがなんだか騒いでいたような気がする。
「ええ、そうみたいですね」
 イルカは、なんだか困ったように笑っている。
「なるほど、あの派手な紙袋はイルカセンセの収穫ですね〜!」
 ぽんっと手をうって目線を袋へと向ければ、イルカは曖昧な表情のまま頷いた。
「毎年俺なんかにも生徒達がくれるんですよ」
「イルカ先生人気者じゃないですか、当然ですよ。あ〜俺も買ってくればよかったなぁ」
 すっかりそんなイベントのことなど忘れていたのだから仕方ない。
 それで「ホットチョコレート」なのか、と納得しながら甘い香りの飲み物を口に含む。
 カカオの香りとほんのりとした甘みが静かにひろがっていく。芯の冷え切った体を、中から温めてくれるようだ。
 五臓六腑にしみわたるよう、とはこういうことかもしれない。
「甘すぎないようにしたんですけど、大丈夫ですか?」
「ふ〜、美味しいです」
 固まっていた頬の筋肉が溶けていく。
 あたたかい。
 この部屋も、見慣れぬ飲み物も、イルカも。
「アルコールも入ってますか?」
「洋酒が少し」
 イルカはどこかこわごわと、自分のカップにようやっと口をつけている。
「ああ、それですね。ほわっといい香りがしたんで。ほんとおいしいですよ」
 にこりと笑って言えば、イルカはなんだかほっとしたように微笑んだ。
「よかったです。カカシ先生甘いものはあまりお好きじゃないんで、どうかなと思ったんですが」
「初めて飲みましたけど、美味しいものですね。バレンタインってのもいいですね〜」
「気に入ってもらえたならよかった。あ、ちょっと風呂を見てきます」
 イルカは曖昧に笑って、立ち上がった。
「すいません。何から何まで」
 いくらイルカが面倒見のいい性格だからといって、甘えすぎている自覚はある。
 ぬくぬくとした陽だまりのようなこの空間に、幸せに、いったいいつまで浸っていられるのだろう。
 願えば叶うというならば、祈れば叶うというのなら、いくらだって願うし祈るだろう。
 ただ、何に祈ったらいいのかすら、カカシにはわからない。信仰の対象など存在しない。
 そうやって生きてきたのだ。神などいないと絶望してから、祈ったためしなどないというのに、今更虫のいい話だ。
 そんなに執着していたいのか。不似合いなものを当然のように手にしていていいのか。
 自身を嘲るような声が、内から聞こえる。それに、反論すら浮かばない。
 免罪符のように、今だけだ、と繰り返しながら、イルカの幸せを奪っちゃいないか。
「お風呂、沸きましたよ、カカシ先生」
 声をかけられるまで、イルカが戻ってきたことに気づかなかった。
 ああ、イルカなら自分を殺せる。イルカの前では、いつからかこんなにも無防備だ。
 それでも別にいい、というかむしろ嬉しいのだろうと思う。忍としては、困ったことだとしても。
「……ね、イルカ先生。解剖はお嫌いですか?」
「……解剖って、生物のですか?」
 唐突な問いに、イルカは目を丸くしている。
「ええ、アカデミーじゃ教えたりしないですかね?」
「いえ、生物学の一環で教えますが、麻酔をかけた蛙の解剖ぐらいですね」
「あ〜なるほどね。イルカ先生は、死体解剖したり、見たりしたことは?」
「ええ、教師になる過程で見学はしましたよ」
「ご自分でなさったことはない?」
「解剖というか、解体ならあります」
 さらりと、イルカは言いきった。
 自然すぎて聞き逃しそうになって、カカシは一瞬相槌が遅れた。
「……解体されたことはあるんですね」
「ええ、医療班とばらばらになった任務先で必要に迫られたことがありましたよ。どうしたんですか? 急に」
「解体してもらえるんですね」
「カカシ先生?」
「ああ、でも楽しい作業じゃないのに申し訳ないかなぁ……」
「……カカシ先生、何を考えて……」
 イルカは、何かに思い当たったかのように厳しい表情になっている。
「あ、ごめんなさい。変な話して」
「いえ話はかまわないんですが、」
 でも、不可能じゃないなら、頼んでおきたいじゃないか。
「ねぇ、イルカ先生。俺が死体になったら、解剖してくれる?」
「カカシ先生!」  
 案の定怒った顔で、ワントーン高い咎める声。
「ふざけてないですよ。本気できいてます。汚い作業押しつけるようだから、了承をえておきたいじゃないですか」
 イルカは、酷く傷ついた顔で、深い溜息を吐き出した。
「……あなたは勝手だ」 
「……そうですよね、すみません」
「違う。どうせ云うなら、『一緒に死んでくれ』ぐらい云って下さいよ。端から自分が先に逝くと決めつけて、なんですかそれは!」
 イルカは本気で怒っているようだ。
「死んでくれなんて、そんな勿体ない」
「何がですかっ!?」
「あなたの命を道連れになんて、そんな極悪なこと考えらんないです。あなたが好きで大切だから、いくら俺が我儘でもそんなことは云いません。どーせ行き先違うでしょーし」
「バカなこと云ってるんじゃない。なんでそんなにすぐ死ぬようなことばっかり云うんですか?」
「そんなわけでもないんですけど、今訊いておきたいな〜と思ったんですよ。あ、イルカ先生は駄目ですよ、あなたは長生きしていつまでも先生してなきゃ駄目です!」
「おかしなこと云いますね」
「そうですか? で、駄目ですかね? やっぱり」
「……それがあなたの望みなら」
「いいんですか?」
「そんなことで嬉しそうにしないで下さい」
 わずかに俯いて、イルカは首を振る。
 その仕草の意味さえ、わからない。喜んではいけないのだろうか。
「駄目ですか?」
「……あなたの望みはそれだけなんですか?」
「え?」
「俺にできることなんてたかが知れてますけれど、あなたが望むのが死体の始末だけだなんてやりきれないです」
「だって、イルカ先生はいつだって優しいじゃないですか。これ以上まだなにか? え〜と、じゃあさっきのホットチョコレート、また作って下さい。まだいっぱいあるみたいだし!」 
 暗くなってしまったイルカの顔をなんとかしたくて、懸命に言い募る。
 イルカは諦めたような複雑な顔で笑った。
「……まったく同じものは作れないですよ」
「なぜですか?」
「さっきのはあなたのためのチョコレートですから」
「え?」
「あなたのために苦いチョコを買ってきたんですよ。貰い物の使いまわしじゃありません」
 ふいと視線が逸らされる。心なしか顔が赤いようにも見える。
「ええっ! なんでさっき云ってくれないんですか!」
「……あなたが好きです、」
「え……」
「そう云ってるのと同じなんだから、恥ずかしかったんですよ……」
「イルカ先生!」
 そっぽを向いたイルカを抱きしめる。
 ゆっくりと交わした口づけはいつもよりも甘かった。

                                                            おわり。 
  

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