猫の棲み処 3

 

 きっと、酷く物欲しげな顔をしていた。

 自分で飼ってなどやれないのに、拾ってきてしまった仔猫。
 イルカに愛されるように、かまわれている。
 そう、あのひとは、誰にでも優しいから。こんな小さな猫に、冷たくなんてしないとわかっていたから。
 その優しさを期待して、ここに来たのだ。
 ごまかされてくれるかと、思って。
 そして、同じような優しさを、分けて欲しくて。
 温かな風にあたる猫とイルカを、気付けば凝視していた。その物欲しげな目を、イルカには見られたに違いない。
 イルカの顔が正視できなくて、カカシは視線を伏せた。 

「こちらにいらっしゃいませんか?」

 やわらかなイルカの声が、まるで天上のしらべのように聴こえた。
 イルカの優しさをねだる心を読まれたかのようなタイミングに、カカシは僅かに赤面する。
 それでも、その言葉に、その甘いいざないに逆らうことなど露ほども考えなかった。
 すぐには、声も出ない。
 猫は、すっかりイルカに懐いたらしく、崩れた胡座のその片膝に寝そべるようにドライヤーに当たっている。
 ふらふらとイルカに魅入られるように近づいて、カカシは己の居場所を見つけた。
「イルカセンセ、左はお借りしますよ〜」 
 猫にあわせて低い体勢を、とは建前。
 ここぞとばかりに、イルカの左足を枕にするように、でろんとタオルごと寝そべった。
「っ、どうぞ」
 イルカの声に振動が伝わったのか、眠気で半目になった仔猫が、気配に気づいてちらりとカカシを見てくる。
(右足くらい貸してあげるけど、このひとは俺のものなの)
 なんとなく対抗意識を燃やして猫を見れば、向こうはもう興味を失ったように眠っている。
 ひょっとしたら、「仲間」ぐらいに認識されたのかもしれない。
 複雑な気持ちでいるカカシの頭を、イルカはくしゃくしゃに弛むタオルごと引き寄せた。 
 確かめるように頭皮に触れて、温かな風が送り込まれてくる。
 温風とともに緩やかに髪を梳かれる。情後の閨での仕草を思わせる優しい感触に、カカシはうっとりと目を細め全身の力を抜く。
 イルカに愛されているのだと、感じられる一瞬。
 その喩えようもない幸福感。 
 その中で、髪に口づけの降りる気配に、身体が震えた。
 戸惑うようにイルカが止まる。
「イルカ先生」
 両目で、口づけをねだるようにイルカを見上げた。
 イルカは彼の印象から受けるイメージとは違って、鈍くない。アイコンタクトはほぼ通じるし、些細な感情の動きを読み取られて、カカシが焦ることすらある。
 今も、しっかりと意図を読み取ってくれたようだ。
 遠慮がちに身を屈めて、額へ落とされるやわらかなキス。
 うっとりと目を閉じて、もっととねだろうと思ったのに。
 それだけで離れていこうとするから、イルカの腕を掴んだ。
「しましょうよ」
 おそらく云わなくてもわかっていただろうに、イルカは堅物すぎるから。
「……疲れているんでしょう?」
 困ったような顔で、逆に大真面目に問われてしまった。
「大丈夫ですよ」
 そこまでごまかされてはくれないらしい。
 面と向かってイルカに嘘は云えない。
「あと俺にできることは、それしかないんですか?」
 いたみを堪えるような表情で、イルカは問いかけてくる。
 向けられる気遣いが、優しさが、嬉しくもあり、もどかしくもあった。
 基本的にイルカにだけは何でも話したいと思うけれど、逆にイルカだからこそ知られたくないこともある。
 ただ、こんなふうに気を遣われると、罪悪感に苛まれてしまう。そんな価値ないんだと、叫びたくなる。
「ねぇ、今日どうして俺があの猫を拾ってきたんだと思います?」
「……任務帰りに雨の中、捨て猫を見つけて、かわいそうで見過ごせなくなって拾ってきたんじゃないんですか?」
唐突な問いにイルカも思うところがあったのか、視線を僅かに彷徨わせるようにして話す。
「イルカ先生なら、そうなんでしょうね」
 思いの外、その言葉は冷たく響いて、イルカは怪訝な顔をした。
「カカシさん?」
「きっと俺は、俺のために拾ってきたんですよ、」
 そう、結局は自分自身のために。
 冷たく重い心の枷の慰めに。酷い欺瞞だと思う。
「だって、雨に濡れて、泥だらけの仔猫を抱えた情けない格好で訪ねる俺に、アナタが優しいことは、わかってる。同情してくれると、心のどこかが期待している。嫌な、人間ですよ。もっとはっきり云うなら、アナタに優しくしてもらうために拾ってきたんですよ。猫のことなんて、考えてなかったでしょうね、きっと。どうせ自分じゃ飼えやしないんだし」
 ざくりと音でもしそうな程の鋭さで、自身を切って捨てるような云い方をした。
 自虐的なカカシの物言いに、イルカは返事を戸惑っていたようだったけれど。
 一度軽く目を伏せてから、イルカの焦点は、まっすぐにカカシへとあわせられた。
「あなたがどんな思いで来たとしたって、かまわない。あなたが無事だとわかるだけで、その顔を見られるだけで、俺は嬉しい。俺だってあなたと同じですよ。俺が、したいようにしてるんです。あなたが好きで甘やかしたいから、優しくしてる。すべて俺自身が、好きでしてることです。この猫だって、あなたが望むから世話したのかもしれない。ひょっとしたら、あなたがこう望むであろうという行動を、意識的にとっているかもしれない」
 思わず怯むほどにまっすぐで、澱みのない黒い瞳。
 おそらくは、これが曝け出したくなかったであろうイルカの本音なのだと、カカシは気づいた。
「だって、心にあるのは、常に一つの感情だけじゃないでしょう? ひとってそういうものじゃないんですか? だから、あなただってそんなことを、気にしなくていいんです。あなたは、確かにこの仔の命を救ったのだし、あなたがいつも忍犬を可愛がるように、この猫だって大切にしていたじゃないですか。俺は、それ以上のなにも知らない。むしろこの仔がいたからあなたが来てくれたのだとしたら、俺の方こそこの仔猫に感謝したいですよ」
「イルカ先生……」
「尤もあなたも、猫みたいですけどね。猫みたいに気まぐれにやってきて、そして、」
 空気の微かな緊張を和らげるような声を、なぜか遮っていた。イルカの口からは、聞きたくない気がして。
「野良猫みたいにいついなくなるか、いつのたれ死ぬかわからないって?」
「カカシさん!」
「ほんとでしょう?」
「俺はそんなつもりじゃ!」
「似たようなもんじゃないの?」
 畳み掛けるようなカカシの言葉を慌てて否定しながら、イルカは微かに首を振った。
「『いつ帰ってくるかわからない』そう云いたかっただけです。俺は、いつだって待つだけで……。なにかしたくても、あなたのためになにもできないから」
 なにかを諦めたかのような静かな声音。
 カカシを想い、カカシのために告げられる言葉。
 それに、ずきりと胸打たれるような心地がした。
「そんなことないです。だって、ここが俺の家みたいだから。だから、イルカ先生は待っててくれたら、それで俺は嬉しいんです。ここが、俺の還る場所だと、アナタが認めてくれたなら、それでいいから――」
 イルカの頬に触れさせるために伸ばした指先に、愛おしむような口づけが降りる。
 視界の片隅で、欠伸する仔猫の姿が霞んだ。

 ENDE

 

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