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all written by Hikari
Amou
かがやく腕
ずっと、深い暗闇の中にいた。
冷たく重く全身に纏わりつく大きな力に、身動き一つとれない。目を開けても閉じても、見えるのは闇ばかりで、自身が目を開けているのかどうかすらわからなくなってくる。
ただ、ときおり何らかのタイミングで、微かな光が射し込んだ。カカシは、深い水底から水面の光に焦がれる深海魚のように、ちらちらと射し込まれる希望に似たその光を追った。
そうして淡い光が、幻影のような朧な映像を見せる。数多くのひとの顔が流れていく。
とうに失った、懐かしい人々の面影。今、ここにいるはずのないひとたち。その顔を見て、カカシは自身のいる場所が現実世界ではないことを確認する。まだ、夢の中にいるのだとぼんやり思いながらも、全身は鉛のようで指一つ動かせず、目覚めたいのに目覚められない。なにかが、カカシの目覚めを邪魔しているのだ。自分では確かに目を開けているつもりなのに、見えるのは霞がかった幻ばかり。仄暗い幻影は、いつまで経っても消えることなくカカシの世界を支配した。
イタチの見せた幻と現実とカカシ自身の心の中がごちゃまぜになって、様々な映像を水面に映し出しているのか。心象風景というものなのだろうか。
闇の中を漂うようにして、揺れながら映るかつての同僚や友人たちの顔。オビトに、四代目。その流れゆく顔の中には、三代目火影の顔もあった。そう、三代目すら、逝ってしまった。
この両手では、なにひとつ護りきれないままに……。
まだまだ、遠いと感じる。彼の、彼らのつよさには、到底及ばない。
あの圧倒的ななにか。それを「ちから」と一言で呼んでしまうのは、簡単だけれど。決して、力だけではない。存在感も、独特のオーラにも似た、包みこむような大きさをも感じる。とても言い表せないそんな大きななにかが、影の名を継ぐ者には、必要なのかもしれない。そんな大きさに、まだまだカカシは近づけないでいる。
焦りはなにも生み出さないけれど、酷くもどかしかった。
最近になって、つよく護りたいと思うものが増えてしまったから。少し前までは、そんなものを抱えるのは生きにくくなるだけだと、避けていたけれど。
今は、こんなのもいいと思う。その昔、すべて背負って抱えて、里を守って逝ってしまったひとの気持ちが、今になって少しだけわかるような気がした。遠いものであっても、理解はできる。近づきたいとも、願う。まだ真似事の域を出なくとも、この先これ以上は失わないですむように、少しずつでも近づけたらいい。
それなのに、どうして自分は、こんな暗闇一つ抜け出せないのだろう。
ふいに、恨みの籠る粘ついた視線が向けられていることにカカシは気づいた。薄暗いそこには、倒した敵らしき顔が幾つも見える。それらがふわふわと動き出し、動けないカカシを脅かすように近づいてくる。浮遊しカカシに纏わりつくような、灰色の影。自身が、闇を飲み込まされているようだとカカシはぼんやり思いながらも、どの顔を見ても強い感慨は浮かばなかった。
薄情だから覚えていない顔も多い。おそらくこの大半は、カカシ自身が死んだように生きていた時間に奪ったいのちだろう、と思えた。だから、付随する感情がない。きれいでもない顔の群れなど見ていて楽しいものではなく、どちらかといえば不快には違いなかったが、そこに後悔も憎しみも哀しみもなかった。酷く乾いた心の状態、ひとときはずっとこんなにも何もない世界で、当然のように生きていた。この底のないような闇の海は、過去のカカシ自身だ。
今は、こんなところにずっと居たくないと思う。ここは、居場所ではない。今は、もっと居心地のいい場所を、知っている。だから、早く抜け出したい。
それにどうせ幻影を見るのなら、イルカの笑顔を見たかった。
が、それでは、戻れなくなってしまうかもしれない。そんな幸せであったかい夢の中に浸っていたら、帰りたくなくなってしまうに違いない。
だから、懐かしく楽しい記憶は一瞬なのだろうか。それでも確かに安らかになれる一瞬が、この暗闇の中にも存在している。刹那、優しい世界に引き込まれるように、透きとおるような蒼く淡い光が、海の上から全身をやさしく包み込むようにそそがれる。
浮遊して、そのまま目覚められそうだというのに、なにかに邪魔される。とても穏やかで、思わず微笑んでしまうくらい安心できるような瞬間に、愛しいひとの名を呼びたい時に、声帯はおろか指一本さえ動かせない。
早く帰りたい。
このながいながい闇の中を抜けたなら、イルカに会いにいきたい。
一番最初に、イルカの顔が見たい――――
瞼越しに感じる淡い光の気配。
何かに引っ張られるようにして、目覚めた。
眩しいほどの、光。
ああ、帰ってきた。
けれど、このひかりの中に、一番居てほしいひとの顔はなかった。
当たり前だ。真昼間から、忙しいイルカが、ここにいられるわけもない。カカシの目に飛び込んできたのは、懐かしい三忍の一人と、暑苦しい男の顔だけ。わかっていたのに、それでもカカシは落胆していた。
目覚めと共に、嫌な記憶ばかりが、一気に頭に溢れかえる。自身の不甲斐なさをまざまざと思い返し、知らず顔つきは不機嫌になっていく。
ツナデとガイは、云いたいことだけ云って、そそくさとカカシの病室を後にした。カカシは、殆ど返す言葉もなく、奔流のような言葉の波を聞き流していた。
自宅で安静を言い渡されて、一人寂しく病院から戻ってきたものの、まどろむばかりで熟睡はできなかった。そして、悪夢に目覚めさせられた。きっと、術の名残だろう。
間に合わない自分の掌が、紅に染まっていく。
力の足りなさをただただ痛感して、強制的にもたらされた嫌な目覚めだ。
事実、結局足止めすらできなかったのだ。
まだだ。まだ、全然遠い。
目指したいものは、あのひとが背負ってきたものには、到底近づけない。力の入らない、手を見つめた。なんて、無力な、手なのだろう。
ぐらりと大きく景色が歪む。
気持ちの悪さに、うんざりとして大きく息を吐き出す。
そして、カカシはふいにはっと、全身を強張らせた。
微かに、ひとの気配がする。カカシしかいない筈の部屋の中で。けれど、殺意はなく、カカシの感覚に間違いなければ、よく知ったひとの気配。
おそるおそるその方向に顔を向ければ、窓辺に寄りかかるようにしてこちらを見つめるイルカがいた。
「い、イルカせんせい?」
いちばん会いたかったひとが、平然と立っていた。
「ああ、起こしてしまいましたか、すみません」
忍服姿のイルカが、やわらかく微笑んで近づいてくる。その背中の窓が僅かに開いている。このひとらしくもなく、窓から入ってきたらしい。おそらくは、寝ているカカシを気遣って。
「どうしたんですか?」
「あなたが目覚めたと訊いたから。気になって」
「任務帰り?」
「ええ、」
すっと伏せられるイルカの眼差し。
「ほんとうは、あなたが目覚めるときに、そばにいたかったんですが」
任務が入ってしまって……、とやるせなさそうにイルカは笑った。
「そうですよ。起きた時に、まず目に入ったのがガイの顔だなんて悲しすぎるじゃないですか〜! 俺は夢の中でもずっとあなたを探してたのに」
「どこか、痛いところはありませんか?」
小さな子供に訊くような、優しい声でイルカが囁く。
「大丈夫です。全然元気ですよ」
「でも顔色が、まだあまりよくないようですよ?」
イルカとゆっくり話をするのは、久しぶりの筈だった。三代目の死後、ばたばたと慌しい中で幾度かは顔を合わせたが、イタチの襲撃後、カカシは情けないことに意識がなかったのだから。
なんとなく気恥ずかしいような気持ちで、視線を下げたカカシは、イルカの手の甲に掠り傷を見つけた。
「イルカ先生、」
そっと、その手をとった。カカシの行動にイルカは、静かに苦笑する。
「掠めただけですよ」
その傷に、口づけを落とした。赤く血が滲む傷口に唇で触れれば、血の味がする。
「急いだからでしょう?」
直感が言葉を発したかのように、なにも考えないまま問いかけていた。
「っ、そんなことないですよ」
不意打ちに僅かに乱れるイルカの呼吸。
「アタリでしょう?」
唇の端だけで笑ってカカシは、イルカを見上げた。
「……なにか見えるんですか? まったく」
ごまかすことを諦めてイルカは溜息をつく。
「いや、なんとなくそんな気がしただけです。でも俺の勘って結構あたるんですよ〜」
暖かいイルカの手を離せないまま、再度口づける。
そのとき、伏せた瞼の奥で蒼い光が輝いた。イルカから流れるような、淡い光に覚えがあった。
弾かれたようにカカシは顔を上げ、イルカを見つめた。
「どうかしましたか?」
心配そうに首を傾げたイルカの後ろで、束ねられた髪がのんびりと揺れる。
イルカの全身が淡く発光しているかのような幻覚が、見えた。
みちびく、光だ。闇の中で見た、希望。
「ああ、やっぱりこの手だ」
「え?」
「この手が、俺を引き戻してくれたんですよ」
愛しい腕に三度口づけて、そっと離す。
「! 俺は、俺は何もできませんでしたよ。ツナデ様を呼びに行くことすら、俺にはできなかった!」
きょとんとした表情のイルカが、カカシの言葉を理解するなりその頬を紅潮させて上擦った声で叫んだ。
「でも、あなたでしょう?」
「……なにがです?」
悔恨の滲む横顔。そこにあるすべてが、カカシのためにイルカがくれる感情だ。それが、いとおしくて、嬉しくてたまらない。
「ねぇ、毎日のように、お見舞いに来て下さっていたんでしょう?」
「え、」
イルカは返答を迷うように、視線を微かに揺らした。
「ガイが、ドサクサ紛れに云ってたんですよ。枕元の花が、頻繁に変わっていたと。ほら、同じ病院内にガイのとこの子が入っているでしょう? そんなんで、奴もたまに覗きにきてたらしいんですけどね。俺のためにそんなことしてくれるの、あなた以外に思い当たらないし」
「……毎日ではありませんでしたけど」
「花、イルカ先生なんでしょ?」
「……そうです。俺は、あなたのために他に何もできなかったので」
「何云ってるの」
呆れたようなカカシの声に、イルカは俯いた。
「だって、あなたの見舞いに来て、俺の方があなたに励まされて帰ってるようなものでしたし……」
「ん〜でもあなたですよ、絶対そうです。俺が暗い闇の中にいた時に、あなただけが助けてくれたんですよ」
「どういうことですか? だってツナデ様がいらっしゃるまで、ずっと意識もなかったでしょう?」
「確かに直接のきっかけをくれたのは、ツナデ様だったかもしれないですけどね。俺が長いこと彷徨ってる間に、救いの光をくれたのは、あなたですよ。たぶん、あなたが見舞いに来てくれた間だ」
イルカは納得のいかないような、いい加減なことを云うなと云いた気な表情を浮かべた。
「意識、あったんですか?」
「いや、意識はないです。ずっと夢を見てるような状態でしたし、感覚的な話ですけど、暗闇の中でも救われるような時間が何度もあったんです。俺を、繋ぎ止めてくれていたのは、あなたですよ」
「だったら……」
何かを思い出すように言いかけたのに、イルカの唇は閉ざされてしまう。
「だったら何?」
「いえ、なんでもないです」
イルカの顔が少しだけ赤い。
「なに、先生、寝てる俺になにかした?」
冗談めかして云えば、イルカはあたふたと、あからさまに動揺した。
「な、何かって、そ、そんな、俺はただ、」
「ただ?」
「……ただ、目覚めてくれたらいいと思って……」
らしくもなく、ぼそぼそと小さな声でイルカは言葉を濁した。
動揺で隙だらけのイルカをぐいと引き寄せて、唇を重ねる。まん丸に見開かれる黒い瞳。
「こんなことした?」
「……ハイ、すみません」
観念したようにイルカは縮こまった。
「……なんで謝るかなぁ、そこで」
「いや、だって意識もなかったのに、」
どこまでも真面目な表情で、イルカはすまなそうに言葉を紡ぐ。それが、愛しくて仕方ない。
「眠り姫みたいに目覚めるかと思ったんでしょ? ごめんね、あなたのキスで起きられなくて。どうせならもっと先までしてくれたら起きたかもよ?」
「……先って、」
「ごめ〜んね。俺、寝起き悪いからさ、許してよ」
軽く口づけて、笑うカカシに、イルカはやっと動揺から立ち直ったように微笑んだ。
「あなたの笑顔をまた見られてよかったと、心から思ってるんですよ」
ende
もうすぐコミックスでもカカシさんお目覚めでしょうから、そろそろアップ。
薄っぺらいコピー本から再録です。「眠りの中で」に続く感じのお話でした。おちてないですが……
2003.11.25 天羽ひかり
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