『幼なじみ』
「ともみちゃん!」
緑のベンチに腰掛けてバスを待っていた少女は、背中から弾んだソプラノの声を聞いた。
「あら、ゆうこちゃん。お久しぶりね」
ベンチ越しに振り返った幼なじみが、驚いた顔を改めてほろっと笑顔をこぼすのを見てもう一人の少女が駆け寄った。
「ホントひさしぶりだよ〜。元気だった?」
「ええ。ゆうこちゃんも元気でよかったわ。いま帰りなの?」
「うん。夏の大会終わっちゃったからね。部活は自主練なんだけど、今日はちょっと長かったんだ」
言いながら彼女は隣に腰掛けた。
ふと、相手の肩のあたりを見やって吐息する。
「髪、切っちゃったんだね。素敵だったのに」
「ありがとう。でも、あまり長すぎても練習の邪魔でしょう?」
「あーやっぱそう? でもでも勿体なかったよー。黒髪のストレート、すっごく似合ってたのに」
「ゆうこちゃんは伸ばさないの?」
「だってこれ、くせっ毛なんだもん」
「似合うと思うわ。色もとても奇麗だし」
「好きで茶髪なんじゃないし。あたしにはその真っ黒な髪が憧れだよお」
「茶色、嫌いなの?」
「そうじゃないけど…でもさ、なんかこう派手派手って感じしない? あ、黒が地味って言ってるわけじゃないよ?」
慌てて訂正する彼女に、クスクスと笑い声が届く。
「なんかホントにさ。ともみって、しとやかさが全身から滲み出てるのよね。羨ましい…」
「わたしはゆうこちゃんの方が女の子らしいと思うな」
「ありえないよー。こないだも男子と喧嘩してとっちめちゃったし」
「あら。ならわたしは男子部の先輩を投げちゃったわ」
「さすが黒帯」
「いやね。まだまだ若輩者なのよ」
「…その単語が出てくること自体がもうなんというか、ね」
少女はふわり風になびく髪を抑える。
その手元にあるスポーツバッグを見て、黒髪の少女はそっと目を伏せた。
「大会、どうだったの?」
「うん。氷帝は一回戦負け。予選じゃ青学にも負けちゃったしね〜」
「でもどちらもテニスの伝統校でしょう? 実力差はそんなにないんじゃないかしら」
「もちろん僅差! って言いたいところだけど、青学はやっぱ強いわ」
「そうなの…?」
「ともみちゃんがテニスやってれば、対戦できたかもしれないのにね」
「柔道ならいつでもいいけど」
「あの。無理だからそれ」
それとも冗談だったのだろうか。
顔をぞきこむと、緩やかに幼なじみが笑う。
「ゆうこちゃんはテニスを続けてるものね。お父さんも喜んでるでしょ?」
「えー。んなわけないじゃん。あいつってば、自分の子供がテニスをやるのは当然! とか思ってんだから」
「あら。また喧嘩したの?」
「したした。年中だよ〜。まあ最初からだけどね。あたしが部活やりたいって言ってるのに、スクールへ行けって命令するんだもん。家出してやろうかと思った」
「でも説得できたんでしょう?」
「説得っていうか〜男テニのコーチに女子部も見てもらうように勝手に手を回して、それで一応納得したのよね」
「有名な人なの?」
「なんか昔お世話になった人みたい。でももう年寄りじゃん。あんまり酷使したら太郎じーさんも可哀相だと思うんだけど」
「あら、でもそこまでお年寄りってわけでもないんでしょう?」
「うち私学で定年ないし。下手したら七十いくよ、タロ爺は」
「大変ね。でも部が全国大会へ行けるくらいなんだから、いい先生なんでしょ?」
「まあね〜やさしーんだよ。部員の気持ちわかってくれるし。生徒の自主性を大事にしたいんだって。こないだも万引きで疑われた子を庇ってくれたんだ」
「まぁ。いいわね、そういう先生」
「人気なんだよね。…でもどーしてそんな先生がうちの父親と知り合いなんだか全然わかんない」
「テニスを教わったんでしょう? 跡部さんは強かったって聞いたわ」
「えぇ!? なにそれ誰から?」
「母からだけど」
「それは持ち上げてくれたのよ。大体あのオヤジが強いわけないじゃん。ただのサラリーマンだもん」
「経営者でしょう?」
「違う違う。そーゆー意味で言ってんじゃないの。プロの選手でもあるまいし、って意味」
「…ゆうこちゃん、お父さんが試合しているところ、見たことないの?」
「あるわけないよー。なんか、うちの屋内コート使った跡があるから、今でもちょっとはやってるみたいだけどさ」
「じゃあどうしてテニスを?」
心底不思議そうに彼女は首を傾げた。
「まあね。最初は強制されてた感じだったけどね。今は憧れの選手がいるの〜。テレビで見て一目惚れって感じ」
「誰かしら? レイニィ・ミュラーとか?」
「何言ってんの! あなたん家のお父さんじゃない!」
「ちょっと待って、引退は十年も前よ? 覚えてるの?」
「十年前はちょっと覚えてないけど…。でも、うち手塚選手の全試合DVDあるもん」
「全部?」
「うん」
「そんなの、うちにだってないわよ?」
「うん。ないだろーね。普通は」
「ゆうこちゃんが撮った…わけじゃないわよね?」
「だからうちの親はおかしいのよ。いくら憧れの選手だからって、普通そこまでしないわよ。一歩間違ったらストーカーよ? まあそのおかげでいつの試合でも見られるんだけど」
「憧れというか、お友達なんでしょう?」
「どうやってプロの選手と友達になんかなれるのよ。ただの追っかけでしょ」
「……ゆうこちゃん、知らないの?」
「何を?」
「跡部さんって父に勝ったことあるのよ?」
「えぇ!?」
「確か、関東大会だったかしら。部長同士でS1で当たったらしいわ」
「部長!? そんなのやってたの?!」
「聞いてないの?」
「聞いてないわ…」
不審を隠さず、彼女は呟いた。
「そんなこと、一度も。…ねえそれ誰に聞いたの?」
「これは父からよ」
「冗談じゃなくて?」
「わたしが言うのもなんだけど、あの人は冗談を言える人じゃないわ」
少女は首を振る。
「………信じられないわ。てゆーか信じたくないわ。憧れのあの人が、うちの親なんかに…」
「言わせてもらえば、そんなに凄いってわけでもないわよ?」
「何言ってんのもう〜。あんな凄い人いないよ! あのうっとりするようなサーブ。球威もコースもフォームも完璧なんだから!」
「やっぱりテニスしてる人の見方は違うのよね…。わたしにはわからないわ」
「なんて勿体ない…」
「家ではほとんどテニスの話はしないし。それって父にしてみれば寂しいのかしら? ゆうこちゃんと話しせたら楽しいのかもしれないわね」
「できるなら会いたいなあ…。サインとか欲しいって言っても怒られない?」
「いくらでも書かせていいわよ。娘とのコミュニケーションに悩むお年頃なんだから。話しておくわね」
「何? 跡部さんうちに来るの?」
振り返った二人は、そこに見知った顔の少年を見つけた。
「出たわね弟」
「国章、挨拶を忘れてるわ」
「…厳しいなぁ姉貴は。こんにちは跡部さん」
「久しぶり、くにあきくん。練習帰り?」
「はーい。うちの夏はまだ終わってませんから」
「く…当てつけがましいわね。来年こそは見てなさいよ」
「いや…女テニとは当たらないし。それよりさ、うちに来るんなら、来週の土日とか空いてない?」
「国章、来週は長野へ行くんでしょう?」
「あ、旅行いくんだ?」
「キャンプだよ。つまりさ、一緒に行かないかってこと」
「…いいの? お邪魔じゃない?」
「だってうちの家族だけじゃなくてご近所で行くんだよ。他にもいっぱい来るし…何より、女の子は多い方がいいし」
「……なかなか素晴らしい見識ね?」
「姉貴に虫が付く確率が減るから」
弟の言葉に、当の姉は深く溜息を付いて首を振った。
度し難い、ということだろう。
「相変わらずお姉さまべったりなのね」
「んなこといったってさ。俺にだって嫌なものはあるんだよ。同級生に千石ってのがいるんだけど…悪い奴じゃないけど姉貴には近寄らせたくない。本気で。あいつ、跡部さんみたいな派手な美人が好きなんだよ。だからお相手よろしくです」
「…あのねえ。ともみは一見おしとやか〜な大和撫子だけど、本当のところ君に守られるほど弱くないわよ? そこんとこわかってる?」
「一見って、どういう意味かしら。ゆうこちゃん?」
「いえいえ。口が滑りましたの、ともみちゃん」
ほほほほほ、と笑い合う姉たちに、制服姿の弟は「怖っ」と呟き首を竦めた。