『秘密』



精神力はある方だ、と真田は自負している。
立海は部活と共に大概の苦難は乗り越えてきた、と柳は考えている。

それでも、目の前の事象には対処しがたい。
というよりも、どう解釈してよいかがわからない。
俗に立海三強と呼ばれるうちの三分の二の頭を悩ませるのは、残り三分の一の動向である。


「で?」

呼び出された喫茶店で、跡部は肘を付きながらあまり仲の良くない二人に続きを促した。
本来なら跡部の態度に不快になる真田と柳だったが、今はそうではない。
というか、そんなことを斟酌する余裕がなかった。
代わりに跡部の隣に座る手塚が、「跡部、姿勢が悪くなるぞ」と少しずれた小言を言う。

「不本意ながら、こういうことは外から見た方がわかりやすいのかと思ってな。お前達の意見が聞きたい」
「期待されても困るぜ。幸村が何考えてるかなんて、お前らにわからなくて俺らにわかるわけねーだろ」
「けれど、他に事情を知っている者がいないのだ」

それはそうだ。
越前が巻き起こした約一ヶ月の騒動に根っから付き合ったのは、当人達以外はこの四人だけだ。
それは跡部にもわかっている。
けれど、困るのだ。幸村が、何故越前に構うのかなどという解けない問題を提示されても。

「本人に聞けよ」
「それはもうやった」
「「やったのか」」

図らずも跡部と手塚の声が重なった。
率直に二人の意見は同じものだった。「よくそんな恐ろしいことが出来たな」と。
流石親友だ、真田と柳を心から讃える。

「はぐらかされたがな」
「それで済んでよかったじゃねえか」
「本題はそれではない」

柳は不快そうに跡部を見つめた後、鞄から封筒を一通差し出した。
何の変哲もない茶封筒には、筆で「金一封」と書いてある。

「ただでとは言わない」

しばらくの沈黙。最初に溜息をついて口火を切ったのは真田だった。

「蓮二。こういう冗談はあまり受けないと思う」

お前がすると、リアリティがあって余計に笑えない。
とまでは口には出さなかったが。
無論他の二人もその中身が、何か別のものであろうことまでは予測がついていた。
けれど、それは一体何だろう。

「精市に関して建設的な見解が出来る者がそれを開けるといい。無論、弦一郎、お前でも構わないが」
「無茶を言うな」
「中身には、興味があるけどな」

中学テニス界で名の知れたデータ収集家、そしてある意味得体の知れない男である柳蓮二の肝煎りで提供される「何か」だ。
開けてガッカリするようなものではないだろう。
それは三人ともわかっていた。興味深いし、食指が動かないわけではない。

けれども、それを受け取るためのハードルは限りなく高かった。
しばらくの静寂が続く中で、跡部が手を挙げて2杯目の珈琲を注文したタイミングで、手塚が口を開く。

「開けてもいいか?」
「見るだけなら構わない」

真田と跡部はぎょっとしたような目つきで手塚を注視する。
しかし生来無表情な彼は、その視線に対する反応を全く返さず、糊の付いていない封筒から何かを取り出して一瞥すると、そのまま戻した。

「どうかな?」
「悪くはないな」

その中身を知りたい。とても。
思ったのは真田も跡部も同じだったが、双方取り繕うタイプなので敢えて口出しはしなかった。
ついでにいえば、中身も気になるが、手塚がその行動に出た意味も気になる。
手塚は手札なく行動するような男ではない。
勝算―――この場合も勝算というのだろうか? 八割方その核心があるから手を伸ばしたのだ。

じっと三人の視線(男三人の熱視線というのは暑苦しい以外の何物でもない)を浴びて、手塚はそれを冷ますように吐息した。

「幸村が越前を”振らない”理由だったか?」

一体この男は何を言い出すのか。
残りの三人にはわからない。そもそもが、手塚と幸村は仲が悪い。
どちらかというと、幸村の方が積極的に手塚にブリザードのような言葉を浴びせる関係だったが、何を言われても気にしない手塚が、幸村に対してだけは同じだけの冷たさで反論する。
そういう関係だった。
因縁ある手塚が口を開くのを、残りの面々が固唾を呑んで見守る。

「…そもそもが、俺だって何故越前が幸村なのかが知りたい」

そして話の入り方がおかしい。
あれ? これやっぱ役に立たなくないか?
と普段の手塚のコミュニケーション能力の低さを思い出して、周囲の空気は弛緩した。

「―――いやそれこそ誰にも説明付かないだろ。俺はあいつの幸村についての話聞いてやったけど、理解不能というかちょっとした異文化交流だったぞ」
「あの小僧と目が合うと、得意げに笑うんだ。あれが精神を逆撫でする」
「『アンタらにはわからないだろーけど、オレならこの人のことわかってるから』とでも言いたい目つきだな、あれは」
「越前にとって、幸村がどう見えているのかは知らないが、幸村に越前がどう見えているのかは、わかる。と思う」

手塚はそこで言葉を句切った。

「似ているとは言われたくないが…俺と幸村に共有点があることを否定はしない。部長であることや、故障したり入院したりしたことだ。けれど俺と幸村は違うんだ」

話のねじれ具合に手塚以外の全員が首を捻った。

「俺は可能性を信じている。真田お前との試合、負ける気はなかった」
「あの状況でか」
「無論だ。勝てると思ったし、その可能性を信じていた。それが針の穴を通すようなものであっても、努力と信念は先を開くと、信じている」
「…で、負けたんだが」
「まあ、そうだな」

手塚は柳の言葉をただ肯定した。

「でもそれは、可能性を否定するものではない。この先同じことがあっても、もう一度俺は信じるだろう」
「まぁ、テメーはそういう性格だよな。その精神力は驚愕モノだと思うよ」
「たまに正気を疑うことはあるな」
「ずれている。幸村の話だろう」

「幸村は、信じられないんだ」
手塚の言葉に、三人が瞼を少し持ち上げた。

「昔は違ったと思う。けれども、どんな状況でも打開する可能性がある、ということを、もう信じられないんだ。わかるだろう?」
「……いや、わからん」
「そうか? 絶望的、と言われる状況のときに、その状況が「絶望」と正しく判断できてしまうんだ。幸村は。努力して適わないことがあるのを知っているんだ」

「それは、フツーに”大人の対応”ってやつじゃねーの?」
「そうともいう」
「と言うかだな。お前は幸村が「正しく」絶望と判断した状況で、打開策を考えられるのか」
「考えるというものではない。信じるか信じないかだ。なんだ、本当にわからないのか? どちらかというとお前達だって俺寄りだと思うんだが」
「そんなことを概念的に考えたことはねーよ」
「考えるというか、わかるだろう? 幸村はもう「何か」を信じられないんだ。信じたくないわけじゃない。信じたくても、出来ない。多分、俺と幸村では味わった挫折の種類が違うから」

「だから、越前なんだろう?」

「……いや、「だろう?」とか言われても困る」
「テメーも異文化組だったか…。案外越前と話し合えば何かわかるんじゃねーの?」
「その「だから」の内容の詳細を頼む」

噛み砕いて説明したのに、という不満が手塚の顔に表れて、不本意ながら柳は下手に出るしかなかった。

「精市の精神状態がそうだとして、越前に何か効用があるというのか?」
「ないのか?」
「………いや」

手塚の言葉が正確には「心当たりがないのか?」であることは、柳と真田にはわかった。
心当たりはある。とてもある。
何故なら幸村は、あれからとても明るい。彼らしくもなく、こちらが戸惑うほどに明るい。
あれから―――越前と試合をしてからだ。

「幸村は信じていないんだ。でも信じたいと思っている。だから、越前なんだろう?」


それが手塚にとって精一杯の説明であることがわかったので、柳は自分のノートに「了」と記した。
眉を顰めたのは真田と跡部だったが、その意味はそれぞれ違っていた。
真田は不愉快、跡部は不可解というその差。

「つまり、好きとか嫌いとかそういう感情ではないということだな?」
「”希望”を手元に置いておきたいという感情が恋愛かどうかなんて、俺は知らない」

柳の問いにぴしゃりと断言した後、手塚は茶封筒を手に取った。

「もらってもいいか?」
「進呈しよう。有意義な時間だった」
「そうだな。お互いに」

柳はともかく手塚にとって有意義な時間になるとは、その中身はいったい何だ。
なしくずしに解散した後、真田と跡部はそれぞれ柳と手塚に問いかけたのだが、表情を変えない男達に「金一封だ」と一蹴されるのみだった。