『動機』



テニスは楽しい。仲間が増えるのは嬉しい。
そうはわかっているのだが、小学三年生の手塚には一つだけ納得できないことがあった。

「最後、いい打球だったよ」
「あれを返されたんじゃ、仕方がないな」

対戦した幸村と、ネット越しに握手を交わす。
練習試合も含めこれで一勝二敗。一つ差を付けられてしまった。
幸村という選手は、細い細いと言われる手塚よりも更に細く、だが両手両足はしなやかに動いて
強烈なレシーブを生み出すアグレッシブベースライナーだ。
とはいえ、本人はオールラウンダーを目指していると公言し、日々攻撃力の強化に余念がない。

出会ってからこれまでにだんだんと球が重く、そして打たれると嫌な場所にピンポイントで飛んでくるように
なったのがわかる。そしてサーブやスマッシュよりも、リターンが得意という性格は変わっていない。
ブレイクポイント時の集中力と鬼気迫る様子は、こちらも気迫で跳ね返さねば呑まれてしまう。
…手塚にとっては初めてのライバルと呼べる存在だった。
そしてそれはテニスだけではない。

「すごかったな、幸村。さすがだ」

不釣り合いなくらいの笑顔で手を叩いている観客がいる。
にこにこにこにこ、負けた俺の立場はどうなるんだ、と手塚は幼なじみに無言で一瞥をくれた。

「手塚もなかなかだったぞ」
「…ありがとう」

真田とは祖父同士の縁で、東京と神奈川、地域こそ違えど小さい頃からよく会う機会があった。
手塚の知っている真田は剣道少年で、いつも袴を履いて竹刀を背負っていた。当時から手塚も真田も同い年に比べて
「老成している」とまで言われていて、逆に気が合う仲間であったはずなのだが。

「あ、手塚。実は真田もテニス始めたんだよ、聞いてた?」

幸村がその日、手塚の頭上に爆弾を落とした。
「…なんで?」
驚いたという表現では足りないくらい、驚いた。
手塚だって、真田をテニスに誘ったことがあった。
しかし、「剣道があるから」ときっぱり断られていたというのに。
正確に言えば、断りの表現はもう少しきつくて、「テニスなんて軟弱なスポーツは好かん!」だったりするのだが、
それは真田の祖父の影響だろうと、敢えて聞かなかったことにしていたというのに。
手塚の強張った表情に気付かず、真田はうきうきと言葉を続ける。

「うむ。幸村の試合を見ていて思い直した。中々に力強くて精神も鍛えられるスポーツじゃないか、と」
「この間始めたんだけど、すごいよ真田は。力もあるけど、センスがいいんだ。何より一緒にプレイできる奴が出来て、俺は嬉しいな」
「そう褒められてもな。お前には一度も勝てないぞ」
「始めて二ヶ月の奴が俺に勝てるって言うなら、俺はそいつを殴るよ」
「…別に、お前の実力を見くびっているわけじゃない」
「ならいいけど」

人生で初めて「このやろう」と思った瞬間だった。真田がテニスを始めたことも。幸村と親しいことも。
いやわかってる。遠くの親戚より近くの他人、ということわざもある。年に数回しか会わない幼なじみよりも、
同じ学校の友達のことが大事なのは当然だ。当然なんだが、納得がいかない。
俺じゃなくて幸村のテニスが、真田を変えたということが。一体何が違うと言うんだ。

―――いや、理由はわかっている。
真田がテニスを始めた理由は、テニスが面白そうだからじゃない。
テニスが面白いという幸村に、興味があったからだ。そのくらいは見ていればわかる。
正直言って、理解に苦しむ。動機が不純だと思う。
手塚はテニスに全てを注いでいる。テニスが巧くなりたい、強くなりたい。
極めて、どうしてもあのフラットサーブを打てるようになりたい。
幸村も、テニスに賭ける姿勢も手塚に近しいものがあるので、共感できる。
でも人はそんな理由ではなくテニスをするのだ。
手塚のテニスには真田を魅了するだけの力がなかった、そういうことなのだ。
あの真っ直ぐなフラット。あれが打てれば、俺にもテニスを一緒にする仲間が出来るのだろうか。



 *  *  *



「そういえば、手塚の初恋って小3のときだよね?」

跡部の提供するテニスコート付きのマンションの一室に寄り集まった数名、
その中で幸村が極めて悪質な話題を振り出す。理由は「暇だから」。それ以外に考えられない。

「…恋ではないが、振られたのは確かにそのときだったな」

渋面で答えを返すと、周囲の面々が途端に色めき立った。
本っ当にお前らは野次馬根性が強いな。特に不二と乾。
その興味津々の顔付きはやめろ。明日には学校でばらまくつもりだと顔に書いてあるぞ。

「ほう、お前でもそういう経験があるのか」
などと、腕組みして感心するのが真田だ。
流れで当時のことを思い出して、少しばかり腹が立った。

「その頃、俺の知り合いに「テニスなんて軟弱な」とか言っている奴がいたんだ。
 俺はまぁまぁそいつと親しかったつもりだし、言われたこと自体はショックではなかったんだが。
 …そいつは友人に誘われたからと数ヶ月後にテニスを始めていた。「始めてみると、意外と面白いものだな」と
 あっさり言われたことが相当衝撃で、思わず中学では立海を倒そうと部活に入ってしまった」

「…手塚? それは」

流石に思い当たる節があったらしい真田が、腕組みを解いてなにか言いかける。それを幸村が笑顔で遮った。
「ごめんねぇ、手塚。俺何か悪いコトしちゃったかな?」
「いや、気にしないでくれ。昔のことだ。まあ、そいつは今でも目の敵だが」
「…手塚」
真田がじりっと焦った声で呼ぶ。幸村はにこにこと笑ってそれを見ている。
幸村の暇つぶしとは、基本真田をからかうことなのだ。俺はそれに乗っただけ。…多少、本音が混じってはいるが。

「でもまあ、本命がやっと手に入ったんだから、いいんじゃない?」
頬杖を付いた幸村の視線の先に、開いたばかりの扉。

「よぉ、てめーら。テニスしようぜ。……って、何だ?」

普段と違う色の視線の集中を受けた跡部が、とまどいの表情を見せる。
「そうだな、跡部。少し打とうか」

そのまま腰を上げて振り向かずに去る自分に、真田の「冗談、だよな?」という声。
加えて不二と乾の遠慮のない軽口が耳に届いた。
「あーやっぱりねぇ。何かトラウマがあると思ってたんだ」
「異様に「テニスをしている理由」にこだわるもんな、手塚は。何かあるとは思ってたけど、原因は真田だったのか」
「敢えて立海に入らなかったのも、それが理由なんだね」
本当は違うということを不二と乾は知っているはずなのだが、幸村が始めた連鎖に二人も乗ったようだ。そして俺はそれを止めない。



真田。悪いが実はちょっとばかり、この恨みは深いんだ。