オフ本「inside」再版時の加筆分、4ページです。

「拓く」
「啓く」
「交錯」<サイトの106番の修正版
「熱夏」
「累加」
「円」
「夜」 <ここに入ります
「四日」
「七日」

まぁ、長編のオチに当たる話なので、いきなりこれを読んでいただくのは……と思ってちょっと躊躇われたりもしましたが、
最初からそういうお約束だったので潔く載せます。
何がためらわれるかって、オンオフ問わずいままで書いた塚跡の中で一番アレだから。

別の組み合わせなら、この程度まで踏み込むのはそんなに気恥ずかしくもないのですが。
(手ぬるいかどうかコメントいただけると判断基準になるのでとても有り難いです)

































































『夜』



あらゆる予防線を張り尽くした努力虚しく、手塚は悠々自適といった風で、跡部の部屋で紅茶を味わっていた。

携帯の電源は切っておいたし、試合会場で捕まらないように個人的な接触は避けたつもりだ。
閉会式後、青学は慰労会があるはずで、それが終わる頃には時計の針は夜九時を回っているだろうことも予測していた。
なのに、日付が変わる前には、ちゃっかりと跡部の視界におさまっている。
そんな手塚への跡部からの感想は「なんて図々しい奴だ」で、言われた相手は平然とした顔で、「日頃の行いが良いからだろうな」と言ってのけた。
昼間の狂乱が嘘のような、あまりにいつも通りの光景。
おまけに門番代わりに置いておいたコラット種の愛猫は、手塚の膝元でごろごろと喉を鳴らしている。

「ライエノーツ、お前、人見知りのはずだろ。なのに初対面の奴にそんなに愛想振りまきやがって。俺との二年半はなんだったんだ」
お前に人見知り猫としてのプライドはないのかと黒い鼻先に詰め寄ると、薄灰色の毛並みの猫は、きょとんと同色の瞳を持つ飼い主を見上げる。

「跡部。八つ当たりをするな。それにこの子とは初対面じゃない。昨日お前が寝ている間、ずっと相手をしてくれたんだぞ。もう友達だ、なぁ?」
手塚が喉を撫でると、細身の猫はまたごろごろと来客に対して甘えた声を出す。

「ああもうテメー許さん!」
「そんなに妬くことはないだろう。この猫(子)とは友達だが、お前は違うから」

じゃあ何だというんだ、と反射で口に出しそうになった。
しかし危ない。それは罠だ。
見え透いているのというのに、迂闊にもはまりそうになる。
今日の手塚は絶好調。つい怒りにまかせて近付いてしまったが、これはよくない。
ブラックホール的な、いや手塚ゾーンか? とにかく、いつも以上に引力が働いている。
それもわからないではない。なにしろ二年半の部活動が終わり、最高の形で夢を叶えたまさに今日。
青学の優勝したこの日は、手塚の人を惹く能力が、最大限に発揮されていてしかるべきだ。
むしろ今日の手塚は色々な意味で輝いている。迷惑なことに。
―――何故なら、波に乗った絶好調の手塚は、跡部の手には負えない。非常に不本意ながら、それは認めるしかない。

「とにかく、『友達じゃない』なら、今後は勝手に家に来るなよ」
「家の方は通してくれたぞ?」
昨日も今日も快く、と告げる手塚に、跡部は頭を抱えた。
「…だとしても、次からはこんな風にはいかないから、覚悟しろよ」
「何を覚悟すればいいのかわからないが、とりあえず次からは携帯の電源は入れておいた方が、お互いのためだな」

ち。見抜かれていたか。
だが、「悪かったな。充電を忘れていたんだ」と爽やかにごまかして、跡部は丸テーブルの向かいに腰かけた。

「で、ホントに何の用だ。こんな夜中に」
「約束しただろう?」
「限りなく一方的だけどな」
主題に触れないまま、会話が進行する。手塚は乾の如く眼鏡を反射させたが、その攻撃は跡部(俺)には効かない。


『優勝祝いにもらいに来る』


手塚は確かにそう言った。それは約束ではない。
だが、「やるとは言っていない」などと、狭量(ケチ)なことは言えない。この勝負は腹芸。引いたほうが敗者だ。
手塚は、跡部が獲れることをもう知っている。だが跡部も手塚を捕れることを知っている。
手塚は跡部に「言わせる」気だが、その手は喰わない。むしろなんとか跳ね返して一杯喰わせてやりたい。
こんなことは、端から見ればたわいない駆け引きだろうが、当事者にとっては重大事なのである。
世に言う、惚れた方が負けという単純な法則だ。

…本当のところ、とうの昔に手塚には負けているのだが、それを律儀に話したら馬鹿をみる。
ほぼ二年の付き合いだがそのくらいはわかる。
この二年でどれだけ互いの化けの皮が剥落してきたか、普段滅多に会わないからこそ、変化の度合いを知っている。

「いいぜ、やるよ」

跡部は口元を吊り上げた。「何を」とは、敢えて言わない。
「何がほしいんだ」なんて訊いたら、嵩にかかって要求してくるに違いないから。
だから、敢えて範囲指定を放棄した。「何が」欲しいのか、手塚自身が決めればいい。
その程度には、くれてやるのは惜しくない相手だ。そこで手塚が「全部」と言うのなら、それ相応の対価は払ってもらう。
全部欲しいのなら、「全部」ここに置いていけ。




  *  *  *




「そうか」
と言ったきり、黙る。

椅子から腰を上げると、膝の上のライエノーツが居場所を失い、にゃあと鳴いて部屋を出て行った。
跡部の牽制を真顔で受け止め、小さな丸テーブル越しに片手と、続いて首を寄せる。
座したままの跡部の額の生え際に、柔らかなキス。
黙って目を閉じた相手の、瞼のわずか上に再度。
左の手のひらで首筋を軽く押さえ、日に焼けた頬に再度。唇を割って互いの口腔を味わう。
それは、行為としては、思ったほどの衝撃はなかった。
ただ、目を開けて見下ろした跡部の表情が思いのほか艶めいていて。
苦味があるかのように眉間に皺を寄せて息を吐いたその目の青が困ったように笑って、心臓が跳ねたように手塚は感じた。



ふ、と息を吐く。その項に噛み付くように跡をつけて、歪みのない背骨の輪郭を唇でなぞった。
「跡部」と、肩に顎を乗せて直接耳元に囁くと、彼は身をよじって逃げようとする。
だがそれを許さない。片手で熱を押さえつけ、もう一方の手で全身を煽る。
跡部は、まるでその先に空気を求めるかのように、シーツに顔を深く押し付けた。
「う…ぁ」
熱い呼吸の塊を何度も吐き出す。
苦しいのか、そう思って顎を掴んで強引に、沈んだ顔を明かりに晒す。
その目元は濡れていて、泣いているのと変わらないように見えた。

「おまえ、ちょ、かげんしろ、よ。わかってん、のか」
「…なにが?」

あるいは、何を? 悪いが何もわかってはいない。
加減して欲しいのか。それとも手加減の方法を知っているかと尋ねているのか。
わるいが、知らないし、できない。
俺にそんな余裕があるように見えるのなら、跡部の洞察力(インサイト)も相当鈍っている。
まぁ、それは、仕方がないことだ。互いに。もう、ほとんど何も見てはいない。
考えるよりも、唇を重ねていたほうが、楽しい。

「跡部」

組み敷いた相手を見下ろす。
こんな角度で相手を見たのは初めてだ。
眼鏡がない。だから視界は相当に歪んでいる。
だが、上気した頬も潤んだ瞳も、自分の指に反応して震える肌も、見えていないはずなのに見える。

…おかしな話だ。
氷帝の部長を。プライドと自信の塊で、コートを切り裂くほどの強肩を持っていて、手塚が知りうる限り最も華やかに笑う男を。
敵として同志として同じ道を歩んできた跡部を、こうして抱きすくめて懸命に逃がすまいと、掴む。
何故こんなに傾倒しているのか、ただコートの向かい側に跡部がいるだけでは駄目なのか。

そう、不満だ。
「跡部にとって」自分が特別でないと、満たされない。何においても一番でないと。

だから、こういうことしている。
誰にも見せていないし、こんなことは誰に許したことはないのだと、必死で訴える視線を歓喜のままに受け止める。
羞恥に染まる頬を、手のひらでなぞって、唇を寄せた。

「…景吾。ぜんぶ欲しい。これも、心も、このさきの時間も」




そして翌朝の話になるが、薄灰色の長い尻尾に起こされた跡部は、ブランケットごと愛猫を抱え込みながら、恨みがましくこちらを見上げてきた。
「…テメェ、何したかわかってんだろうなァ?」

口調は高圧的だが、その声は掠れている。それはそうだ。昨夜あれだけ―――
「言うな。その先を言うな。もう無表情には騙されねえ」
「言っていない。考えただけだ。いや、思い出しただけか?」
「じゃあ、忘・れ・ろ! よくも、俺が何を言わないのをいいことにっ!」
確かにそれをいいことに色々俺は楽しかったが、まぁ跡部はその十分の一も(事によっては百分の一も)楽しくなかっただろう。

…しかし、これについては跡部が悪い。
「待て」とは散々言い散らかしたが、一度も「嫌だ」とは言わなかったのが悪い。
もとより跡部は存外、及び腰だ。
生まれつき膨大な選択肢がある環境のせいか、踏み切るまでに無駄に時間を使う。追い詰められるまで腹を据えない。
思考の袋小路でうろうろしているのが、迷路の外にいる自分から見ると、まるで放っておかれたような気分になる。

だから、たぶん問題なかった。
過ぎてしまえば、自動的に後の対処法を考えるだけで済むので、いっそ踏み切ってしまった方が互いに楽だ。
…と思っているのだが、こんなことを跡部に言ったら張り倒されるので、無言で通しておく。


すると跡部は、もういい、と手を振った。
「くれてやるから、とっとと帰れ」

何を、と。
少し意外な面持ちで振り返ると、跡部は全身を覆った布の中から顔を出し、上目遣いに一言告げた。





「優勝おめでとう」





…もっと別の言葉がもらえると期待していた俺は、跡部の最後の(そして最初の)意趣返しに、割りと悔しい思いをした。