『同級生』
不二と関係している。
不思議なことに、罪悪感はあまりない。
というか、どうしても「イケナイこと」をしているような気分になれない。
このことを手塚が知ったら心臓を押さえて倒れるかもしれないが、俺にしてみれば「だから何?」という感覚だ。
おそらく不二も同様だろう。
きっかけも特別なものはなかった。
いつも通り、何となく俺の部屋に足を踏み入れた不二は、そのまま猫かなにかのように俺とじゃれた。
俺の硬い髪に顔を寄せ、項を俺の頬に押しつけて、唇で唇に触れた。
抱いたのは俺の方だったが、愛玩されているような気分になった。
甘えられているのだ、と気付いたのは初めて関係してからだいぶ経ってからだ。
不二はどこか荒んでいる。
それが、天才故の飢えなのかどうかはわからないが、なにかの穴埋めのように戯れに仕掛けてくる。
俺も淡々とそれに乗った。
お互い得るものは何もないという関係だったが、それでも戯れは続いた。
そう、この関係の利点を挙げることはできない。
だが明言できないなにかが埋まっていくように感じていることも確かだ。
不二の、嘘かホントか分からない平べったい笑顔が、だんだんと本物の緩やかさを描きつつあるように。
俺が、データの蓄積ではない論理を捨てた何かを手のひらに積もらせるように。
「乾」
放課後、教室でノートを広げていると、不二が扉に手を掛けながら俺を呼んだ。
笑っている。
いつからだろう、この顔が、手塚以上の無表情に見えるようになったのは。
彼は顎を動かして、教室の外へと俺を誘った。
鞄に辞書やらノートやら勉強道具一式を詰め込み、その後を追う。
夕日が赤い。日暮れが近付いていて、校内に人影はほとんど無かった。
階段を下りて足を踏み入れたのは、教科室の奥の小部屋で当然無人だった。
本に蓄積されたかび臭い匂いが、部屋の狭さを強調するようで心地良い。
しようか、と不二は言わなかった。
「なんで今日、部活無くなったんだろうね」
「別に、自主練に切り替わっただけから、出ればよかったんじゃないか?」
「何で乾は出なかったの?」
「不二こそ」
その答えを、目で交わす。
不二はつ、と細い指を伸ばして俺の眼鏡を外した。
「あと20分と45秒で下校時刻だけど」
「黙ってればわからないよ」
「そう? 黙ってできる?」
この手の挑発を、むしろ不二は好む。
テニスと同じかな、と思う。
彼はギリギリのラインで喘ぐのが好きだ。追い詰められたいと望んでいる。
だが、俺のテニスでは不二まで届かない。
例えば手塚なら、と思うが不二は目に妖しい光を湛えながら首を振った。
手塚は、僕の挑発に乗ってくれないんだよね、と。
「ああゆう無視のされ方は腹が立つよ」
「それはどっちの話?」
「さぁ?」
敢えて答えを聞く俺と、わざわざはぐらかす不二。
どちらもどちらだな、と思う。
質問自体に意味はないのだ。ただの場つなぎの会話で、互いに答えを明示したいわけではない。
学ランを剥いでシャツに手を伸ばすと、細い腕がそれを止めた。
「自分でするよ」
「…いや? 不二は不二の仕事をしていて」
「なにそれ」
「声、出さないんだろ」
耳朶を緩く噛みながら伝えると、不二の声が笑いを含んだ。
「俺、乾の眼鏡とってるときの顔、結構好きだよ」
わりと獰猛だ。
光栄にもそう評してくれた不二は、両腕を、空を絡め取るような優雅な仕草で俺の首筋に回した。
口付けて舌を絡めると、荒くなっていく呼吸が狭い室内に響く。
一度唇を放すと、不二は流れる唾液をぬぐうでもなく、そのまま少し寂しそうに首をかしげた。
ああこれだから。
誘っているとか飢えているとか、ホントはそんなんじゃないと思う。
不二はいつも離れることを寂しげに見ている。
だから、俺は、その距離を埋めなければと単純に思うのだ。
喉元に舌を這わせ、胸をなぶっても下半身に手を伸ばしても、彼は抵抗せずに俺の背中を掻く。
寂しいのか、支配されたいのか、追い詰められてギリギリのところまで身を委ねる。
不二はそうすることに抵抗がない。
それ自体が’余裕’な姿であるように見えた。
腹立たしくはないのだが、余裕があるならもっと追い詰めなければと思う。
「い…っ」
甘さを含んだ悲鳴をやっと手に入れて、もう一度強く責めた。
「ふ…あっ」
余裕がない声、そして伏せられた目。上気した頬。征服欲がのたりと首をもたげる。
苛めてやりたい。ギリギリなどではなく、這い蹲らせて奈落まで堕としたい。
スリルを楽しむ余裕なんてもう要らないだろう?
「乾、もう…い」
「ああそう」
わざと冷たく伝える。だが残念ながら俺の声も荒い。息が熱いのが伝わってしまう。
「…不二。欲しかったら、わかってるだろ?」
努めて上から見下ろすように、告げる。
主導権が欲しかったらこれが一番効果的な言い方だ。
立場を上にした、命令。不二から’余裕’を最後の一片まで奪うにはこれが正しい方法なのだ。
ち、と舌打ちが聞こえた。
これ、本気の舌打ちなんだよなあ…。
誰も見たことも聞いたこともないだろう、俺に対する恨みの。
「…で、どうする?」
愉悦を浮かべてなぶる俺を不二はにじんだ目で睨む。今更睨む。
イヤなら最初から余裕ぶらなきゃいいのに、不二はそうしない。
「乾…ずる、いつも。くそ」
はぁ、と甘い息を吐きながらの悪態ほど効果がないものがあるだろうか。
ちくしょ、と不二らしからぬ敗北の言葉を吐き捨てた後、彼は俺の頭を強引に寄せて唇を重ねた。
「さだはる、好き。だよ」
ああ俺も。甘く舌を撫で返し、軽く手をひねって不二が果てるのを見届ける。
息をするだけで精一杯の同級生を眺めつつ、手早く時計で時間を確認した。
下校時刻10分過ぎ。正門も裏門も避けて抜け道からこっそり帰るなら、あと1時間はここにいた方が良さそうだ。
続きが出来るな、とニヤつくと不二が靴下のまま俺の顔を足蹴にする。
「続きが出来るな、とか考えてるんだよね。どうせ」
まぁそういうわけで、やっぱりこの関係に罪悪感はない。
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