『我らが庭』
照明はテニスコートに向けられている。
コートに背を向けて緑のフェンスに寄りかかる忍足は、逆光の中、口元だけで笑った。
「しゃぁないなあもう」という笑みだ。
くいっと空を仰いでみれば、3メートルはあるフェンスの一番上に腰掛けて、ぶらぶら足を揺らしている岳人の姿が目に入る。
「危ないで。岳人」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「せやかてなぁ。試合前にこんなアホなことで怪我でもしてみいや。笑いもんやで」
「宍戸みたいに?」
岳人は肩越しにコートを振り返った。
中からは、変わらずボールの叩き付けられる音と、呻き声が聞こえた。
また、サーブが宍戸に当たったのだ。
「宍戸もよくやるよな〜あんな特訓さあ」
「というか、アレ効果あるんかいな。確かに鳳のサーブは速いいうか、そもそも見えへんけど、それがとれるようになったって」
「それは侑士が目が悪いからだろー?」
「話ズレとるで。岳人くん」
「だってここジャンプだもん。特訓と称した努力にほぼ比例した効果が得られるのはお約束じゃん」
「けどここテニスやで? 主人公みてみいや。あれ努力いうよか、負けず嫌いプラス血統やん」
「それは主人公サイドの法則じゃん。敵サイドには敵サイドの法則があるわけで」
「わかった。そない言うなら賭けよやないか。宍戸が特訓の成果を発揮してレギュラー復帰できるか」
「出来る方にサンデー一冊」
「出来ない方にマガジン一冊な」
「…君たちいい加減にしてくれない?」
隣で、滝がフェンスの金網を掴んだ。
彼は、コートに背を向けている二人と違って、正面から光の当たる先を見据えていた。
声は苛ついている。
このシリアスな場面を茶化すな、ということだろう。眉間には皺が深い。
「滝も大変やなぁ」
へらっと忍足が笑った。
例によって例の如く、まったく実感のこもらない声。
コートの中の音は止まない。怒声と辛酸。
見ているこちらが痛くなる。だから二人は背を向けているのだ。こんなのは音だけでも充分すぎる。
辛い。
見守ることも、その中に立つのが友人であることも。
けれど3人は誰も家に帰ろうとしなかった。
滝に至っては、ずっと両手でフェンスを握りしめたまま、顔を歪めていた。
「どうすんのー滝」
上から岳人が声を降らす。
「…どうもこうも」
「ひどい奴やんな。宍戸も。―――レギュラー落ちした宍戸の代わりに鳳が入った。その鳳を特訓相手に指名する。自分、見限られたんな」
「そういう言い方はないだろ、侑士。ただ宍戸は滝しか選べなかっただけだろ」
「跡部とジローと樺地はシングルスから外されへんもんな。かと言って、ダブルス1をいっぺんに引きずり落とすのは無理やし」
「オレらのことじゃんそれ」
「だから標的は鳳か滝。一人を落としてもう一人とダブルスを組む。…なんで鳳なんやろなー。俺なら滝を取るけど」
「それは君の基準が試合に勝てるかどうかじゃないからだよ。組みたい相手としか君やらないもんね」
「ほんっと、部活なめてるよな。侑士は」
「そう責めんといてや。テニスに興味がないのは確かやけど、真面目にとりくんどるやん。ただ燃えられないだけで」
「…そういう人もありかとは思うんだけどね」
「氷帝にはナシだろ。イレギュラーなんだよ。侑士は」
ダブルスの相手にまで態度を責められ、忍足は眼鏡のフレームを押さえる。
「だってなぁ。…滝、自分去年の秋からずっと宍戸とレギュラー争いしてるやんな。滝が入ったせいで宍戸が落ちる。滝が負けたら宍戸が入る。そんなんばっかで、自分ら仲悪くないのが不思議やわ」
「何言ってんの? 部活の勝敗は仕方ないでしょ。それで仲悪くしてどうするのさ」
「でも、宍戸は鳳と組んで、お前を落とそうとしとるんやで?」
「…それが亮がレギュラーに戻れるたった一つの道だろうね」
「おいおい、滝。まさか譲ってやる気?」
「まさか!」
岳人を見上げ、滝は力強く反論する。
そして二人は目で意志を交わした。それに忍足は入れない。端からそんなことはわかっている。けれど、理解できない。
「そんなに勝ちたいもん?」
「勝ちたい」
「当然だろ?」
「それでどないなるん? プロになれるわけでもないし、たかだか部活やん」
二人はフェンスの上と下で、同時に肩を竦めた。
「そりゃあね」
「跡部がいるかんな」
「跡部を見てるとねえ、わかっちゃうよね。彼でさえ上に行くことに必死だ。あれだけ上手くても、全然足りてないってこと」
「どっかで割り切るしかないよな、これは部活なんだって」
「中学までだよね。僕らが一緒にプレーできるのは」
「その先は道が違いすぎるもん。一緒には行けねーなぁ」
「監督にはそこらへんわかってるんだろうね。だから負けたらレギュラー落ちって方針なんでしょ」
「「どうせこの程度」とか「所詮部活」とか思ってる奴なんて、試合に出したくないよな」
「勝ちたいわけじゃなくてさ。勝ちたい人間だけでチームを作りたいんだと思うんだよねー」
「侑士、おまえハズレな」
「まぁな」
岳人が指差す。その指摘を不本意そうに忍足は受け取った。
「…でもお前が勝ちたい言うなら、俺もそう思うから」
「なにそれ」
「忍足は岳人にべったりって事だよ」
「はぁ?」
「ダブルスやもん。な? ええよな? 岳人が勝ちたい言うんなら、俺勝つから。それでええやろ?」
「何がだよ。なにもよくねーよ」
「勝ちたいと思う岳人に勝たせてやりたいんやわ。それってダメ? 一蓮托生。レギュラー落ちも一緒にしよな」
「………な、なあ滝。オレなにかすげー理不尽なこと言われてない…!?」
くつくつと笑って、滝は夜空を見上げた。
「ほーんと、君らがダブルス1だよ」
「なんやそれ」
「なんだよそれ」
声が被って二人は顔を見合わせ、滝はまたひとしきり笑った。
「まあ、僕としては…鳳と僕とで君らを倒すつもりだけど」
「やれるもんならやってみろー」
「せやなぁ」
忍足がニヤリと笑う。
眼鏡の奥の表情を読みとった岳人は、ひょいっと背丈の二倍の高さを飛び降りた。
「滝。宍戸に負ける気はない言うたなあ」
「じゃあ特訓するよなっ。練習量で負けちゃいられねーもんなー」
「俺ら応援しとるから」
「幸いコートも空いてるし、付き合ってやるよ。オレたちが」
こーゆー時、彼らは普段以上に固く結束する。
二人の笑顔の迫力に押されて、滝は後ずさった。
「え…? ちょ、ちょっと待って。今何時だと…」
「さっ。行こ行こ」
「今の時間ならKコートやな〜」
「な、何言ってんの…!? そもそも2対1でしょ今のままじゃ。あ、そか。跡部がそこら辺にいる…はず」
「何言うとるのかな〜萩之介くんは」
「跡部は樺地と逢い引き中だから、邪魔しちゃ悪いって」
「―――このサイトは塚跡だよ!?」
それが彼の最後の叫びであった(嘘)。
後日。
「やあ、残念やったなあ滝。せぇっかくしごいてやったのに」
「6-1だって。格好悪ー」
「君たちねぇ…っ」
勝敗と友情は、それでも無関係だと彼らは言うだろう。