『冷淡な恋』



手塚国光の目は、切れ長でつり上がっていて、普段からよく伏せられていて。
ただでさえ年相応でない中身なのに、その表情を改めようとしないために、彼はプラス五歳分くらい損をしていた。

しかし、例え幼稚園児に「おじさん」と指をさされたとて、彼は貼り付いたような無表情をやめない。
別にやりたくてやってるわけではないからやめたくてやめられるものでもないのだ。
指摘されるたびに、「余計なお世話だ」と思っている彼だが、それを口にしたことはない。


そんな手塚が僅か5ミリでも目を縦に見開いたのだから、それはたいそうな驚きだったのだ。
たとえ相手には腹立たしいほど無関心に見えたとしても。
確かに彼は驚いていた。


「何を、しているんだ?」

家への近道である人気のないビルの隙間に足を踏み込んだ手塚は、一瞬その光景に硬直する。
明らかに中学生の出で立ちをした数人は、見咎められて息を呑んだ。
狼狽とともに目配せし、逃げるように去っていく。

…ここで彼等が逃げたのは手塚の外見のせいもあったに違いない。
まさか彼を同じ中学生だとは思わなかったのだろうし、また長身で低音の平淡な声を出す男は随分と恐そうに見えたのだろう。


それはさておき。
手塚はもう一度、久々に出会うことになった知り合いに話しかけた。

「何をしてるんだと聞いている」


声には少々呆れが滲んでいた。
らしくないというか、妙なものを見た気分だ。(明日は槍だ)
数メートル先でうずくまっている跡部は明らかにボコられた後で、不本意にも彼の拳の重さを知っている手塚にとって、これは意外な光景に違いなかった。

逃げた連中は一つも傷を負っていなかった。


「みりゃわかるだろ?」

アスファルトに片足を立てて座った跡部は、汚れた髪を掻き上げる。
唇が切れて、血の色が濃い。
一通り様子を確認したのち、手塚の目はいつもの細さに戻った。


驚きも一段落。冷静さを取り戻す。
その冷ややかな目つきを見て、跡部は目を閉じた。

「てめぇの家って近いのか?」
「すぐそこだが」
「ちょうどいい。連れてけ」

このままじゃ帰れねぇ、と言う彼を、手塚はもっともだと思った。
跡部の服は靴の模様だらけで、頬は晴れていて、これでは到底帰宅など出来ないだろう。


「こっちだ」

手をさしのべてやるなどという善意は、手塚の中では全く選択肢から外れていた。
そーゆー冷たいところがイケてるよな。
後ろから声を掛けられて、初めて事実に気付く。

「悪い」
「謝るんじゃねえよ。減るだろ」
「何がだ?」
「俺的には貴様のそーゆー偽善じゃないところはかなり好感が持てるが、てめぇそれじゃあ友達いねーだろうなぁ」
「お前に言われたくはない」

結局自力で立ち上がった跡部に、一言吐いて手塚は背を向けた。






風呂と服を貸した跡部に東京の水道水で作った麦茶一杯、渡してやる。
彼は礼を言わなかったが、不味いとも言わなかった。
初めて入った人の部屋で我が物顔をしているようでもあり、彼なりに借りを感じているのでもあるだろう。

跡部らしい。

何の感情も動かないままに、ただ事実としてそう思う。
空になったグラスの氷が溶けて、水になっていくのを何も考えずに眺めていた。














だんだんと冷房が効いて、部屋の空気は人工臭のする涼を感じさせるようになった頃、跡部が口を開いた。

「さっきの続きはいいのか?」
「続き?」

何があったか思い出そうと眉を寄せる。

本気で何にも考えていなかったらしい手塚に、跡部はいままで流れた沈黙の長さを思い出して溜息を付いた。
しばらく前まで彼は思い違いをしていたのだが、手塚国光という男を相手にしようとするとき、気負えば気負うほどこちらが損をするのだ。
冷静に見えてあんまりモノを考えちゃいない。

つまりこいつは単純なのだと、遅蒔きながら跡部は気付いていた。



「…言っとくが、俺は俺が悪いと思ってたわけじゃねえ」
「ああ、そのことか」

手塚は瞬きした。


あの跡部が反撃もせずに一方的に殴られていたのだ。
何か理由があるに違いない。
もし彼が報復を試みていたら、あんな善良そうな中学生は可哀相に、のちのちどんな後遺症を患うことになるかわからない。

意外というか当然というか、跡部はお坊ちゃんのくせに喧嘩が強かった。
まあ彼の喧嘩っ早さを考えたら、当然と言えるのかもしれないが(しかしそれじゃ何故いいとこのボンボンのくせにあんなに手が早いんだ)。


「キョーミなさそうだな」
「ないからな」
「じゃあなんで声掛けた」
「それは、流石に少し驚いたからだ」
「それでも気にならねぇと?」
「ならんな。どうせ聞いても答えないだろうことに興味を持っても仕方がない」
「そうか。わかるか」

跡部は急に口元を緩め、じゃれるように笑った。
彼の好意曲線が上がったことは目にも明らかだ。


跡部が黙って殴られていたのには理由がある。
手塚はそれを聞き出そうとはしなかった。
そりゃあ、少しは興味がないわけじゃない。
だが、跡部がそんな、人には言い難い話を手塚に話そうとするはずもない。
だったら、聞くだけ無駄だ。
興味を持つのも無駄だ。


それでも知りたいと思うことを「興味」というのだろうが、手塚はこと他人に関しては、ものすごく諦めが早かった。
彼が人間関係で粘りを見せたのは唯一、自分によく似た小生意気で背の低い一年生の行く末に関してのみだったりする。
テニスや山や川に関係ないことについての、手塚の興味はかなり薄い。



「だが、お前の発言には興味があるな」
「あァ?」
「何故言い訳をする?」
「いつ俺が言い訳なんてした」
「言ったろう。『自分に非があるから殴られてやったわけじゃない』、と」
「………」
「わざわざそんな説明をしてくれるとはどういう了見だ」
「…だって誤解されるのは腹が立つだろ」
「言い訳はみっともないと思ってるんじゃないのかお前みたいなタイプは」
「ったくだぜ。みっともねえ。でも『自分が悪いと思ったから反撃しなかった』だなんて誤解されるのはもっと嫌だ。てめぇは俺のことを誤解しないほど知ってねぇし、親しくもないんだからな」
「だが、俺に誤解されたくないとは思う程度には、お前は俺に好意を抱いているわけだな」








その尊大な物言いに、跡部は絶句した。


「…なんつー言い方を!」
「そんな大袈裟な顔をすることか?」
「することだ! なんじゃそりゃ。それじゃまるでお前、「俺のことが好きだろう」といってるようなもんじゃねぇか」
「そうだな」

さらりと彼は肯定した。












「お前は俺のことが好きなんだろう?」



重ねて、念押しするように問いかけた手塚の自信は一体どこから来るものなのか。
跡部は唖然として口を開けたまま手塚を凝視した。





随分と前から、それは手塚の中では事実だった。
それは跡部の中でも同じだった。





「…いつから知ってやがった」
「去年の秋、お前が別れ際に俺のシャツの裾を掴んだときからだが」
「気付くなそんなことで」
「お前は文句が多い」








また服を返しに来る。
そう言い置いて、跡部は帰った。
手塚はそのまま机に向かって読書を始め、跡部は帰宅してから盛大に、自己嫌悪の溜息を付いたのだった。

この程度では何も変わらない。
多分、手塚との関係を変えようと思うのならテニスか登山か釣りをするしかないのだろう。
彼の興味はそちらにしか向かない。


「しゃあねえ。試合で釣るか」

手塚は周囲に興味を持たない自己中心の人だが、それ故に釣られることを拒否もしないだろう。
何も言わせずに隣を占拠できれば、そこから人を追い出す術を知らないに違いない。
十年経てば結果も出ているはずだ。



プラス十年しても、まだたったの24才なので。
十年くらいなら、自分の好きなように使ってもいいだろう。
そのくらいの時間なら、自分が好きだと思う相手に費やしてやってもいいだろう。


跡部はそう決めた。


それだけの価値が手塚のあるのかどうかは、それはこれから決めればいいことだ。