『希望』
不二周助ほど手塚に辛辣だった人間は他にいないだろう。
なんというか、彼の手塚に対する暴言の数々は、手塚相手でなければイジメとして校内問題に発展するといっても過言ではないレベルに達していた。
「手塚っていつか誰かに刺されるタイプだよね」
そんな言葉の数々を、本人を目の前にして言う。
不二が手塚に話しかける度に、大石が苦みを交えた悲しい顔で首を振り、菊丸と河村が困ったように顔を見合わせ、乾が「将来の参考に」と不二の発言リストに一行書き加えるのだった。
誤解の無きように加えておくが、不二という人間は決して人を見下した発言をする生徒ではない。
協調性の薄い青学テニス部内ではむしろ穏やかな属性を有しており、暴走しがちな乾や仲の悪い二年生組を面白がりつつも、最後の最後では踏み外さないようにきっちりと手綱を締めてくれる。気苦労の多い大石にとっては涙の出るほど有り難い存在でもあった。
しかし、その不二が手塚に対してだけは酷く攻撃的になる。
普段は中庸路線のやや愉快犯側を歩いているポジティブ思考の彼が、手塚を相手にするときだけ、冷笑を浮かべて目を閉じる。
その理由は誰も知らない。
ただ被害者であるところの手塚が不二の発言を常に受け流し、不二も流されたことを気にしないことにより、2人の関係はそれ以上荒むことはなかった。
端から見ていると薄ら寒い関係である。
笑いながら相手を貶める不二と、「そうだな」と無表情で肯定する手塚という組み合わせは、一風変わっている青学テニス部内でも異彩を放つ空間だった。
大石は、そんな彼等を見ていられなかった。
一度手塚を捕まえて「何で不二に言わせておく?」と問い詰めたことがある。
彼等は喧嘩すらしないのだ。ただその場にいる人間に氷風を吹き付けるだけで、反発を具現化させ火花を散らすことはない。
そもそも手塚が黙っているから悪いのである。
彼はそう思ったのだが、手塚は例の無表情で「その件なら話は付いている」と断じただけだった。
「傷付いてないなんて言わせない!」
手塚の襟首を掴んで引き寄せ、大石は真剣な顔で手塚を見つめた。
そうすることで、彼に回答を迫った。
「仕方がないんだ。不二は」
「手塚、何も仲良く慣れなんて言ってるんじゃないんだ。ただ、今のままの関係は不健全だと――」
「時間をくれと、不二が言ったんだ」
「…何?」
「だから待つことにした。俺に出来ることはそれだけだ」
その発言は口下手な彼にしては努力した方だったが、説明としては到底及第点をあげることはできない。
大石は溜息と共に首を振って、口が達者な方の人物をあてにすることにした。
「手塚と話してきたの?」
部活の帰り道、走って追いついた不二はいつも通りの不二だった。
手塚がいないときの不二は、とても優しく明るく笑う。
大石に向けられる表情はいつもそれで、だからこそ不二の豹変は理解しがたいものがある。
何故手塚に喧嘩を売るのかと大石は尋ね、それに対して不二は薄く目を開いて、苦笑した。
「喧嘩を売る気なんて、ないよ」
それならばどうしてあんなに酷い言葉を放つのか、大石には理解が出来ない。
「不二は手塚が嫌いなのか…?」
「うん。そうだね」
「どうして? 何かされたってわけじゃないんだろう?」
「僕には何で君が手塚の友達なんてやってられるのか理解できないよ。ううん、理由はわかってるんだ。大石は優しいから」
「俺は普通だよ」
「そんなことないさ。手塚の友達って君だけだろ?」
そんなことはない。
同じ言葉で反論しようとして、大石は言葉に詰まった。
違うと断言できる要素がなかったからだ。確かに、少なくとも、青学テニス部の中で手塚の友人は自分だけかもしれない。
チームメイトを越えたところで付き合いがある人間は。
「…悪い奴じゃないんだ」
「そりゃわかってるさ」
くすり、と不二は笑った。
「僕が悪いんだよ、大石。手塚は僕が嫌いじゃないんだ。僕が手塚を許せないだけで」
「許せない…?」
「だって理不尽じゃない。手塚は凄い奴だよ、本当に。文武両道、テニスは上手いし頭もいい。いや、実はバカなんだろうけど、テストの点はいいよね。先生方からの信頼は厚いし、慕われてる生徒会長だ。もう完璧じゃない?」
「ちょっと取っつきにくいけどな」
「だね」
2人は目配せする。
「だけど、手塚は普通だよね」
「うん?」
言葉の意味がわからなくて、大石は瞬きした。
「手塚はすごく普通だ。老けてるっていわれて傷付くし、仕事を押し付けられれば面倒だって思う。無表情だけど実はすぐ怒るし、すぐ走らせるし。顔には出ないけど褒められれば照れるし、ミスれば落ち込むし。海堂と桃城が反発してるのを見て、何とかしてやりたいと思ってる。越前だって、危なっかしすぎて放っとけなくて色々気に掛けてるし、竜崎先生には迷惑掛けたくなくて結構揉め事を隠してるときもあるよね。家では家族にあんまり学校のこと話さないみたい。その理由は恥ずかしいから。……ね? 全然普通だよ。僕らと変わらない」
「それがどうかするのか?」
「大石はそこで腹が立たないから大石なんだよ」
不二は薄目を開いて、あの冷笑を浮かべる。
「手塚は何でも出来るくせに、何故後ろを振り返るんだろう。それが許せない。本当は僕らの事なんて何とも思っちゃいないのに、僕らの心配をするんだ。青学なんてどうだっていいくせに、部長をやってるし」
「手塚は青学を大事に思ってるよ。ちょっとそうは見えないだろうけど」
「大石、彼はプロになるんだよ?」
立ち止まって、夕日を背に負った不二が逆光の中で首を傾けた。
「彼は世界に出ていく。こんな日本の中学校なんかで部活動なんかしてる場合じゃないんだ本当は。なのに、彼は自分がいたいからってだけで青学にいるんだ。それって傲慢じゃない? 僕らなんかとレベルが違うんだよ? なのに歩調を合わせてるんだ。合わせくれているんだ。それを思う度にひどく惨めな気持ちになる」
「だとしても…手塚はそれを誇ったりしない」
「それがまた気に障るんだよね。彼はプロになろうとしてる。でも僕らと一緒にテニスをしたいと思ってる。ずるいよそれは。両方を取ろうというんだ。僕らはどんなに努力したってプロにはなれない。才能が足りない。だけど彼は、それになれるというのにわざわざ回り道をする。同年代のプレイヤーに後れをとっても、取り返せると思ってる。それよりも、今青学でテニスをすることが大事だと思ってる。それが傲りでなくて何?」
声はほんの少しだけ震えていた。
「だから言ってやったんだ彼に」
「手塚に?」
「日曜に部活なんか来てないで、ジュニア戦に参加してこいって」
「……で?」
「嫌だってさ。そう言ったよ」
「………」
「大石。僕は悔しい。手塚はああゆう奴だよ。彼は悪くない。でも彼といると、どんどん汚い感情が湧いてくる。とても酷い言葉が浮かぶよ。そしてそれを吐き出さずにはいられない。悔しくて、彼の前で泣いた。それがまた悔しかった」
「手塚は…困っただろうな」
「そういう顔をしてたよ」
「悪い奴じゃない」
「うん。わかってる」
「部活は、辛いかな?」
「楽しいよ。大石、大丈夫。僕は辞めたりしないし、手塚を辞めさせたりもしないから」
不二は右に半歩回った。大石は学生服の後ろをやや遅れて付いていく。
「手塚が嫌いだ。あんなに特別なくせに、僕らと同じ普通なんだ。それが許せない。でもそれは僕の問題であって彼が悪い訳じゃない。手塚に変わって欲しいなんて思わないよ。彼は彼だ。だから、僕が許せるようになりたい。変わりたい。手塚を好きになりたいんだよ」
「不二?」
彼は立ち止まらなかった。早歩きで、絶対に大石に表情を伺わせない位置を取りながら続けた。
「頼んだんだ、時間が欲しいって。彼を許せるようになるまで、この汚い言葉が出てこなくなる時まで。彼は待ってくれるってさ」
「……だから、それまでは手塚に辛く当たるってのか?」
大石は俯きつつ、頭を掻く。
「君には苦労掛けちゃうね。でもさ、大石、僕は本気だから。本当にこれが本音なんだ。今の僕はこうでも。いつかは叶えてみせるから」
不二ははっきりとした声でいった。
「いつか彼と友達になりたい」
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