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□ ._._._.NO.26 _._._._._.リンクと生産._._._.2000 2 7_._._._□



□前回もまた説明不足の言葉がありました <リゾーム> rhizome 根
茎 地下茎 のことです <平滑空間>が立体的になったものです
<立体のスクランブル交差点> そんなところです tree 樹木状 に
対して云われるもので <横断的>なコミュニケイトを象徴しているで
しょう 『風の谷のナウシカ』の終盤に登場する巨大な生き物や『ア
キラ』(大友克洋)の怪物のイメージに通じます 上九一色村のサリン
精製工場のパイプの絡まりもそうでした
首都高速道路の立体交差 地上のスクランブル交差点 地下街 そし
て地下鉄のターミナル 情報網……人も物も車も鉄道も情報も あら
ゆるものがそこを通過し流れてゆきます 渋谷近辺や六本木などはそ
の例として考えられるでしょう そんな地域差も空飛ぶ携帯電話の
電波の全国展開で今は大して目立たないのかもしれません
今回は<流れ>をみてゆきます

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□<機械>は動いています 流れ‐切断を作り出しています <口‐機械>
から<胃‐機械>へと食べ物は切断を伴って流れてゆきます 正確な名
称はわかりませんが 食べ物は口から胃への流れで変化します 変化
――<差異>の生産です <口‐機械>と<胃‐機械>は<差異のある連絡>
をしています ソーセージは切断されて売っていますが 切断される
前の繋がったソーセージをイメージせよ とも云います 我々の身体
機械の部分である<口‐機械>と<肛門‐機械>は食べ物の流れを顕在化
して その変化を見せてくれる良い見本かもしれません

  <連続する流れ>と<本質的に断片的なまた断片化した部分対象>と
 の 間に、欲望はたえず連結を実現し続けることになる。欲望は流
 れを起して、みずから流れ、そしてみずから切断するのだ。<p17>
 
  たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産するものに接
 木してゆくといったきまりこそ、欲望する諸機械、すなわち生産の
 生産という根源的な生産の特質なのである。 <p19>

  およそ機械はすべて、連続した質量〔物質〕の流れ(つまり、ヒュ
 レ)とかかわっている。機械はこの流れの中に割り込む。機械はハム
 を切断する機械として作動する。こうして、肛門とこの肛門が切断
 する糞の流れとの関係。口とミルクの流れとの関係、さらに口と空
 気や音の流れとの関係。ペニスと尿の流れとの関係、さらにペニス
 と精子の流れとの関係。といった関係が生じてくる。つながってい
 る流れは、それぞれ、理念的なものとみなさなければならない。豚
 の大きな腿の果てしない無限の流れといったものが、そうである。
 じじつ、ヒュレは、質量〔物質〕が理念のうえで所有している純粋
 な連続性を示している。 <p51>

  無限に連続した流れを理念的にすなわち相関的に生産する……
 <肛門‐機械>と<腸‐機械>、<腸‐機械>と<胃‐機械>、<胃‐機械>
 と<口‐機械>、<口‐機械>と<家畜の群れの流れ>(「これの次にあ
 れ、これの次にあれ、これの次にあれ……」)といった関係が生じ
 るのだ。一言でいえば、およそ機械はいずれも、その機械が接続さ
 れている他の機械との関係においては流れの切断であるが、しかし、
 そうした機械そのものはまたいずれも、その機械に接続されている
 別の機械との関係においては、流れそのものであり、流れの生産で
 ある。こうしたものが<生産の生産の法則>である。したがって、横
 断的接続あるいは超限的接続の極限において、部分対象と連続的流
 れ、切断と接続といったものが一体となっているのである。――い
 たるところに、欲望を湧出せしめるさまざまの<流れ‐切断>といった
 ものが生起する。そしてこうした<流れ‐切断>がまたたえず生産の
 働きを生産物に接木して、欲望の生産性を構成してゆくことになる。
   <p51−52>  『アンチ・オイディプス』

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□ここで発行者の感想ですが 上記の引用文などはもう皆さんすらす
ら読んでしまわれるくらいだと 想像しています 直感ですけど 書
いていてそんな気がします 嬉しいことです 読んでいるだけで力が
つくとこともあります……
<超限的>は辞書にありませんが限定を超えたという意味でしょう <流
れ>を強調するのは実は切断のない流れを視野に入れて述べているから
です 切断のない――永遠に連続した流れ これが<平滑空間>の根源
的なイメージです
□<横断的結合>はまた<登録の離接>でもあります 充実した身体とし
ての<資本>は その身体にさまざまの登録を行なっています 多国籍
企業であれば海外の支店も登録されています 離接とはそういうこと
です 私もほぼリンク集だけのホームページを持っています この直
リンク集はさらに進んで<離接>の登録をやすやすと実現しています
<離接的登録>も<横断的結合>にほぼ重なって行なわれている生産活動
なのです 服やアクセサリーを人体に身に付けることも<登録の離接>
に入るでしょう 服の流れを考えると服の部分は世界中から集められ
て成り立っていますし 法的な所有権と必ずしも一致しませんが 様々
な用品・製品が登録されて人の日常が遂行されています
通常<流通>は生産と分けられていますが <流通>もこうして見てくる
とまさに生産です <流れ>の生産です 東京湾横断道路 アクアライ
ンを考え出した人達や作ったひとびとは その工事過程で<横断的結合>
を実現し 生産の欲望を十分に満たしていたはずです 完成直後は利
用者も満喫していましたが その後は……
□ゲームなども製作者サイドの方が歓びは大きいのではないかと思われ
ます 篠原ともえのファッションも……

  自然に反しての融即、自然に反しての婚礼こそ、あらゆる界を横断
 する真の大自然である。……発生的でも構成的でもない組み合わせ、
 界と界のあいだ、そして反自然の融即。ところが大自然というものは、
 こうして自己に反する形をとるしかないのである。 <p279>
  『千のプラトー』

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…

□ <融即> これも『国語大辞典』にありません 婚礼と同義語と理解
して下さい <横断的結合>は人間界での限定されたものでは決してなく
て自然科学の分野でも起こっています ビッグバン以来ずっと起こって
きたはずです
 <差異哲学>はその対象を人間界と限定しないところも特徴的です 
<差異>は人文 自然を横断している考え方だからです 知性の横断は
<知の遊牧性>と呼ばれています
<反自然の融即>は人間においても大自然的な特徴(本性)でしょう
むしろその自然性が文明の名において押え込まれているのが現状なの
では……
現代人の欲求不満もそこにあるのかもしれません
つづきます


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 次回は 最小のアレンジメント を予定しています



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□ ._._._.NO.27 ._._.最小のアレンジメント._._.2000 2 13_._._□



□前回立体交差について書きました traffic 交通 ということです
intercourse も交通と訳されています traffic がただのすれ違いで
intercourse には交わりという意味もあり 柄谷行人(からたにこう
じん 法政大学教授)はかつて <交通> intercourse をコミュニケイ
ションの上位キーワードにしていました(『隠喩としての建築』や
『探求』シリーズ) しかし私は単なる駅や道路の通過であってもそこ
で何かしら感じられるものがあれば<差異のある連絡>になりうるのだ
と思っています 初めて上京し 渋谷などの繁華街を通行人として歩
いただけであっても感動するのが人でしょう 例え一言も会話を交わ
すことがなくても……

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□アレンジメントという述語(ターム)を使うと本当の孤独はありうる
のだろうかと疑問に思えてきます 生活品や自然は絶えず人を機械的
な仕組みの中に置きます 会話する人が居ないから<差異のある連絡>
が無いわけでもないし……例えばTVと人という<娯楽機械>のアレンジ
メントが考えられます 私はTVは害の無い罵倒の対象だと思っていた
時期がありました ミスをすれば笑い 実年齢より老けて見えればそ
れを指摘し……そういう役割の対象だと TVの音声を消すと良く分か
るのですが TVは望遠鏡に盗聴音声を加えたものです 望遠鏡から見
えるもの 対岸の火事 です こちらで何を云っていても向うには知
れません 害の無いストレス発散の場を提供していました 批評や罵
倒は家族の間のコミュニケーションでもあったわけです 今はその罵
倒や批評をTVの中で行なっています タモリやたけしやさんまがその
先鞭をつけました TVの中で団欒?が自己完結しています 良く云え
ば一人でTVを見ていてもたくさんで団欒して見ているような印象を与
えます 笑い声がTVから聞こえてきます……このスタジオ内の笑い声
がこちらにも笑いを強要してイヤな気分になることもたびたびですが
□TVから<差異のある連絡>が消えたのはこの辺りからだと思います
自発的な批評や罵倒をTVが横領してしまい そこから触発される感情
を視聴者は持ちますが 番組に対する独自の批評眼とか そういう個
性が奪われているでしょう 強制された感情の派生物はのちに何も残
しません 一過性です <考え><思考>もずらりと並んだコメンテーター
がすべて与えてくれます まさに<娯楽機械>なのかもしれません

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..



  存立平面は、多様体の次元数を二に切り詰めるようなことはせず、
 すべての次元を交差させ、次元の交差を実現する。こうして任意の
 次元数をもつ多様体をすべて共存させようというのだ。存立平面と
 は、あらゆる具体的形態が交差したものなのである。
<p290> 『千のプラトー』

<存立平面>は身体でいうと組織・器官である有機的な日常的な身体と
<器官なき身体>というすべてが溶けた状態(二次元の平滑空間)との中
間にあるといわれています だから交差して流動的ではあるけれど究
極なものではありません が 重要です 半溶解の塊のあるスープを
思い描いて下さい 先日朝日新聞にクォークがすべて単体に分離でき
たと載っていました 陽子は3つのクォークから成り立っている 今
のところこれが最小のアレンジメント(多様体)の要素・部分です

  <一>なるものについて言われることがまったく同じ意味で<多>なる
 ものにも当てはまり、<存在>について言われることがまったく同じ意
 味で<差異>を示すものにも当てはまる。……
  こうしたアレンジメントや<個体>は、いずれもさまざまな度合で構
 成された無限に多様な関係のもとで、無限個の微粒子が集合して成り
 たっているのである <p293>

地球は微粒子のレベルまで分解すれば 海も山も都会も数種のクォーク
がほぼ同じ間隔で存在しているだけでしょう <差異>はすべてそれらの
組み合わせ アレンジメントが作り出していることになります
<一様>と<多様>は見方の違いだけでイコールで結ばれてしまうわけです
<存在>と<差異>も……
要素の数が多い程<差異>も当然増えてゆきます 最小の微粒子まで分解
した状態が<差異>のもっとも生まれやすい環境と云えるでしょう
身体の中に中間的な集合があればある程 差異は差し引かれてゆきます
例えばホットコーヒーに砂糖を入れ スプーンでかき混ぜた後に ミル
クを垂らすと 初めは一本線が描かれます スプーンを再び入れて か
き混ぜますと だんだん複雑な模様が現れてきます 更にかき混ぜると
一様に濁ってしまいます 人間の目には一様ですが 微細な視座からは
その時がもっとも<差異>が増産されて複雑な模様が果てしなく描かれて
いるはずです

  無限小の部分は、それが関与する速さの度合や、運動と静止の関係
 に応じて、なんらかの<個体>に帰属し、この<個体>自身もさらに複雑
 な関係のもとで別の<個体>の部分となりうる。そしてこれが無限に続
 いていくわけだ。 <p293>

部分や要素や微粒子などを<経度> 度合とか<強度>を<緯度>と定義して
います 温度が続く限りコーヒーカップに対流が起こりミルクとコーヒー
は無限の組み合わせ模様を生産し続けます 煮込みカレーは最初は素材
が剥き出しに見えています それら数十個の要素の組み合わせのデザ
インしか創造出来なかったものが 溶け出し始めると部分の絶対数が飛
躍的に増え 新たな模様が次々に現れ出てきます 一夜明けてカレー鍋
を覗くと 微細だった各要素どうしが 今度は塊になって新たに結合し
ていたりして また別の様相を呈していたりします その諸項・準項
(セリー)の組み合わせを掬うスプーンの偶然の動きが 微細で複雑な味
を生産し続けます
 --> パウル・クレーやカンディンスキーの絵画

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…

要素と要素の組み合わせで文章も成り立っていることを証明したのが
Roland Barthes(1915―80)ロラン・バルトの<テクスト論>です
『物語の構造分析』(みすず書房 花輪光訳)に「作品からテクストへ」
という章があります 文章を<織物>として作者から切り離して分析して
います <織物> 模様の組み合わせ 文章を更に<音素>まで分解して
その組み合わせとしても解析できるでしょう アルファベット26文字か
ら一文字をn−1として置きつつ配列を作って行く 26文字という少な
い数がその考えを助長したのでしょうか タイプライターの動きはまさ
に26−1の順列組み合わせ(配分 配合)の織物に見えます

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…

□以上の論旨と関係深い キーボード操作 キーボードの練習 につい
ての興味深い文章を紹介しておきます(プラトーの読者の方です)
http://www.tamuranaomi.com/eml/read2.asp?No=290&apNow=1
http://www.tamuranaomi.com/eml/read2.asp?No=291&apNow=1

*お知らせですが 前回<登録>について書きました このメールマガ
ジンも登録によって成り立っています 私は直にやりとりするだけが
コミュニケーションと思っていませんが ですから通過でもよいので
すがどのような方達が本誌を御愛読していただいているのか 私のみ
でなく皆さんも興味あるかもしれません ということで読者の方たち
のHPを増刊号という形式でサクラの咲く頃に御紹介してみたいと考え
ております 新規に御希望の方はご連絡下さい これから作ってみよ
うという方が居られますと嬉しい限りです 今まで連絡いただいた
方々のページも もしかしたらもう登録を解除している方もいるかも
しれませんのでお手数ですが再度メールをこちらまで送信して下さい
ますよう よろしくお願い申し上げます
HP紹介は都合がよくないとか お持ちでない方でも コメントのみで
も結構です 「私は地球の裏側から購読しています A」というような
ことでも 標語でも 詩歌でも アフォリズムでも……匿名メールア
ドレスでも GOO検索などのページから送っていただいても……

メールマガジンは一人平均6〜7誌を購読してる と聴いたことがあり
ます 発行者だけがクリエーターではありません 7誌の組み合わせが
その購読者の独自の(時間差・ジャンル差の内包された)メールマガジ
ンです この特異なアレンジメントは<欲望の生産>活動そのものです
創造行為です 勿論<プラトー>はその部分ですし「不調和的調和」を
生産する要素としての役割を担っているでしょう 感謝!
1万(誌)の7乗の組み合わせ 天文学的!です

 **コミユニカシオン「連絡 communication」とは、齟齬する諸項、
 あるいは諸セリーのあいだに成立する、「不調和的調和」の関係を
 意味している。 <p483> 『差異と反復』財津 理 訳注


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 次回は 消費 消尽 蕩尽 を予定しています




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□ ._._._.NO.28 ._._._._.消費 消尽 蕩尽._._.2000 2 19_._._□



□商品が売れた時点で消費が行なわれた と考えるのがおそらく一般
的な<消費>に対するイメージだと思います 企業では原価償却として
長期に渡って費用に計上しますが それはさておき栗本慎一郎の提唱
した経済人類学では<消費>を<消尽><蕩尽> 商品の価値が無くなるま
での過程として その範囲を拡大しました 所有してからどのように
使われ 壊れて行ったのか をテーマにしていた分けです 現在は無
価値としての 蕩尽後のゴミがむしろ広範囲の消費の大きな問題 中
心的課題になりつつあると云えるでしょう PC OA機器もそうですね

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□<差異哲学>では<消費>は物や対象の一般等価物(貨幣)との交換に付
随していません むしろ<消費>は身体に即した体験として考えられて
います

  《私は感ずる》……この真に一次的な感動がまず体験するものは、
 強度〔内包〕や生成〔何かになること〕や移行だけなのである。
       <p32>  『アンチ・オイディプス』

生成はのちに取り上げます ここでは<強度>と移行について考えてみ
ましょう <消費の連接>がキーワードです 移行 連続変化する<強度>
の消費がテーマです 一般的な消費は自己と物との<差異> 距離を埋
める 解消することで完了します 欲望の消尽です しかしここでは
物や対象によって触発された身体 その状態が<消費>になります 物
や財やサービスの代価活動が問題なのではなく あくまで身体が触発
されて<強度>的な状態に移行し そこから享ける感覚・感動がどうな
のかが <消費>と云われるものになります <消費>とは自己の身体か
ら享ける諸感覚のことを云います 身体を触発するものなら 語でも
絵でも運動でもゲームでもなんでも良く 序列はありません バー
チャルや虚構文学だから感動の質が落ちる とは考えません TVドラ
マだってアニメでも良いのです 初めから見てみましょう

  この主体は、固定した一定の自己同一性〔身元〕をもたない奇妙
 な主体である。この主体は、器官なき身体の上をさまよい、常に欲
 望する諸機械の傍にあって、生産されたものからいかなる取り分を
 吸収するかによって自分が誰であるかを明確にしてゆくものなのだ。
 この主体は、いたるところで、自分が生成し転身することからその
 報償を享受し、みずから消費を終える時点において主体として生ま
 れてくるのだ。だから、新たに消費を終えるたびごとに、主体はそ
 の時点において生まれかわって現われる。「だから、これは私なの
 である。だから、これは私のものなのだ……。」……
  恐らく、欲望する生産はすべて、既に直接的に消費であり消尽で
 あり、したがって「享楽」なのである。………
  主体は、登録の表面の種々の離接を介して、それぞれの地区の残
 余の中にしか姿を現さないからである。 <p30>

開放されて流動的な<器官なき身体>の上に 有機的な種々の<器官機械>
は<抑圧のパラノイア機械>として貼りついていると考えます それだ
けでなく――

  パラノイア機械は、<器官なき身体に対して欲望する諸機械が侵入
 してゆく作用>と、<これらの欲望する諸機械に対して器官なき身体
 が反撥する反作用>とを意味しているからである。器官なき身体は、
 これらの欲望する諸機械を全体として迫害装置と感ずるのである。
 ……
  パラノイア機械の発生は、欲望する諸機械の生産の進行と器官な
 き身体の非生産的停止とが対立するとき即座に起こることなのであ
 る。……
  パラノイア機械は、それ自体においては、欲望する諸機械の転身
 した姿なのである。……器官なき身体がもはや欲望する諸機械に耐
 えられなくなる場合に生起してくるものなのである。 <p22>
  両者の反撥の関係は、奇蹟を行なう機械においては、吸引の関係
 に代わった。しかし、吸引と反撥との関係には、依然として対立が
 存続する。 <p30>

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□奇蹟の機械とは偶然調和がとれてしまうことを指しているようです
例えば鍋料理 初め素材は生のままで鍋からはみ出た状態です これ
が反撥です ところが偶然 具が上手く隙間を埋めてすんなりと煮え
ていることがあります 煮えたぎるつゆが具を溶解させようとし、素
材は最後まで体裁を保とうとします 欲望が様々な具を入れ込みます
 <すき焼>もそうでしょう 常に具を追加してゆきます <つゆ>が器
官なき身体 火が<強度>です

  パラノイア機械と奇蹟を行なう機械に続いてその後に、新しい機
 械が現れてくるのだ。この機械は、欲望する諸機械と器官なき身体
 との間に新しい縁組を実現し、新たに人間を、つまり輝かしい有機
 体を誕生させるのであるが、この新しい機械を示すために、「独身
 機械」という名前を借りることにしよう。主体は、欲望する諸機械
 の傍に残余として生みだされるのだと語ることも、あるいは、主体
 それ自身は、生産するものとしての第三の機械と一体をなしている
 のだと語ることも、同じことをいっているにすぎない。ここにある
 のは、生産するものとしての第三の機械がもたらす残余としての和
 解なのだ。すなわち、あの消費の連接的綜合《つまり、「だから、
 これはあれであったのだ」という驚嘆すべき形態をとるあの消費の
 連接的綜合》なのである。 <p31>

あの<存立平面> 具体物が現れている中間の状態 鍋料理の完成とは
その中間の状態です 素材が完全に溶けてる分けではなく しかし調
和がとれている <不調和的調和> 何故「独身機械」と云われるのか
?ですが 完全に溶けたスープでもなく 素材ごろごろのサラダでも
なく 中間状態なのだけれど一応安定している という意味であろう
と推察します 普通は縁組すると独身ではなくなるのに……ここでは
そういう疑問は素通りしましょう 消費は主体と密接にかかわってき
ます しかし主体は身体の消費の残余としてしか現れません

□料理が生産で食事が消費と分けられるのではありません 生産の生
産 消費の生産 とは生産と同時に登録も生産され(例えば鍋の中の
深谷の葱 練馬の大根というように) 消費も生産されるということ
です 料理を作っただけでお腹が一杯になってしまったという経験は
よく耳にすることです 料理番組が作るだけで成り立つのもそうです
生産過程が消費でもあるのです また食事が<口‐機械>から始まって
の生産の機械であったのは先に見たとおりです
主体にかんしては思いのほかに不安定・流動的であるのが見て取れる
でしょう 主体は安定しなくてもいいのです <悟り>も主体が安定す
るのではありません 自在になるというイメージの方が当たっていま
す 間寛平 とか バカボンのパパ のような自在性 <不安定の調
和>と云いかえられるでしょうか 自分用の棺桶を担いで町を歩き
回ったという破天荒な『臨済録』など読むとよくわかります
生成における主体の転身については後日詳しく……

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□今回は 本題の手前までしか進めませんでした ロラン・バルトは
すきやき鍋をパレットに例えています 絵の具をたくさん載せた色と
りどりの派手なパレットです 刻々変化する鍋の創作模様は絵描きの
創作活動に見えるのでしょう 芸術的な活動 料理として…… 
 ――このように消費は連接として 次々起こる連続変化として 残
りものの主体の変化として消尽されてゆきます また料理を初め生産
活動は具や素材を入れる順番 段取りが重要で したがって消費は
連接によって時間的に配列されていると云えます――
変化の連続してゆく 動くパレット上の絵の具たち こちらこそ無作
為が作り出す絵そのものでしょう(その場面場面に鍋料理という身体
の残りものの主体が次々に生まれて行きます) もちろん<具>はキャ
ンバスへではなく 人間の口の中に運ばれて消えてゆくのですが……
  <<『表徴の帝国』(1974)新潮社>>

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…

 次回は 強度的感動 を予定しています





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□ ._._._.NO.29 ._._._._._.強度的感動._._._._.2000 2 25_._._□



□独身機械 Machine celibataire この celibataire は英語の single,
unmarried, bachelor に置き換えられ 独身機械は直訳のようです
天婦羅やギョーザも初め反撥機械だったものが やがては頃良く出来
上がり 独身機械となって消費されます 料理との差異 例えば机(な
めらかな身体)上の作業では火力がなく 並べられた物質たちどうし
や机との反発がエネルギー(強度)の発生源になっています
今回の登場人物ニーチェは自滅してしまいますが シュレーバー控訴
院長は正気に戻って回想録を書いた ようです
以下はながいながい引用文ですので 見出しも入れてあります

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□ 〔文学作品にみられる独身機械〕

 ここに起こっていることは、新しい機械によって行なわれている現
 実の消費なのである。つまり、自己色情とも、あるいはむしろ自動
 装置とも名付けられうるような快楽が生起してくるのである。ここ
 では、まるで、機械の色情性が、他の種々の力を無制限にでも解放
 したかのように、新しい縁組による婚礼がいくつも結ばれて、新た
 なる誕生、眼もくらむような恍惚陶酔が起ってくるのである。 

  質量〔物質〕。卵胞。強度〔内包〕。<私は感ずる>

 問題はこういうことになる。独身機械は何を生産するのか。独身機
 械を通じて何が生産されるのか。この答えは、強度〔内包〕量の生
 産ということになるように思われる。ほとんど耐えられない事態に
 至るまで、純粋状態において強度〔内包〕量を経験する分裂症的経
 験といったものが存在するのである。――生と死との間に吊り下げ
 られた阿鼻叫喚、感情の激しい移動、あるいは形象も形態もはぎと
 られた純粋でむきだしの強度〔内包〕状態、つまり、最高度に体験
 される独身機械の悲惨と栄光がそれである。……
 錯乱や幻覚は、真に一次的なものである感動に比べれば、二次的な
 ものである。この真に一次的な感動がまず体験するものは、強度
 〔内包〕や生成〔何かになること〕や移行だけなのである。では、
 これらの純粋なる強度はどこからくるのか。これらの強度は、反撥
 と吸引という先にあげた二つの力に由来し、この二つの力が対立す
 るところから生まれてくるのだ。……
 それらの諸強度は、器官なき充実身体を示す<強度=ゼロ>の状態
 を起点として、すべて正の値をもっている。ただし、その値は、強
 度自身の相互の複雑な関係に応じて、また強度の原因をなす吸引と
 反撥との力の比率の変化に応じて、相対的に上下する。要するに、
 吸引と反撥との力の対立は、
    <p32>『アンチ・オイディプス』
 すべて正なる値をもった、一連の開かれた諸強度の境域を生みだす
 のである。これらの強度の境域は、決してひとつの体系の最終的な
 均衡状態を表現しているものではなくて、むしろ無数の準安定的な
 個々の停止状態を表現しているものなのである。ひとりの主体は、
 次々とこの個々の状態を体験し通過してゆくのである。カントの理
 論によれば、強度〔内包〕量は、種々の度合において、空隙なき質
 量を満たしてその内容をなすものとされているが、この理論は深く
 分裂気質を捉えたものなのだ。……
 吸引と反撥はさまざまに強力な強度をもった神経状態を生みだし、
 これらの神経状態がそれぞれの度合において器官なき身体を満たし
 てその内容を形成するのだ。……女性になったり、種々に多くの別
 のものになったりする。シュレーバー院長の裸の上半身にある乳房
 は、錯乱でもなければ幻覚でもない。この乳房は、何よりも、器官
 なき身体の上の強度の一群の地帯を示しているのだ。器官なき身体
 はひとつの卵胞である。そこには、軸線と閾線が、緯度、経度、測
 地線が縦横に走っている。また生成や移行を印づけるグラジェンド
 が縦横に走っている。ここにあるものは、何ひとつなにかを表象し
 ているものではない。ここでは、一切が生きており、また一切が生
 きられ体験されている。じっさいに乳房が生きられ体験される感動
 は、乳房には似てもいないし、乳房を表象することもない。それは、
 ちょうど、後になってある器官になると予め定められている卵胞の
 中のある地帯が、この地帯において最後に生成してくるその器官と
 は何ら似ていないのと同じである。ここには、強度のさまざまの群
 状地帯、もろもろの潜在的な力、種々の閾線やグラジェンド、と
 いったもの以外の何ものも存在しないのである。分裂者が質量〔物
 質〕に最も近づく《すなわち、質量の強力な強度の生きている中心
 に最も近づく》ことになる経験が存在するだけなのである。つまり、
 悲痛な余りにも感動的な、あの経験が存在するだけなのである。
 
  歴史上のさまざまの名前

  
 ――分裂者こそ、精神が質量〔物質〕にふれ、その強度〔内包〕を
 生き、これを消費する耐え難い地点に定住しえた存在ではなかった
 のか。  <p33>

 <「だから、これはあれであったのだ」、「だから、これは私である」
 といったあの連接的綜合>が、<「だから、これは私の父だ。だから、
 これは私の母だ」といったあのオイディプス的発見>に還元されえ
 たのか。われわれは、ここではまだこれらの問いに答えることはで
 きない。われわれがここで明らかにするのは、次のことだけである。
 純粋諸強度の消費は、いかなる点で家庭的形態とは無縁なるもので
 あるのか。また「だから、これは……である」という連接的な織物
 状組織は、どれほどオイディプス的な織物状組織と無縁なるもので
 あるのか、といったことだけである。いったい生きた生命の運動の
 全体は、どのように要約されるのか。第一の道(簡単な路線)に従え
 ば、こうである。器官なき身体の上の種々の離接点は、欲望する諸
 機械を中心としてその周囲にいくつかの収斂する円環を形成してい
 る。この場合、主体は、欲望する機械の傍の残りものとして《すな
 わち、その機械の付属物、あるいはその機械の隣接部品として》生
 みだされ、離接点が形成する円環のあらゆる状態を通過して、ひと
 つの円環から次の円環へと移ってゆく。主体自身は中心にいるので
 はない。中心は機械によって占められている。主体は周縁に存在し、
 固定した一定の自己同一性〔身元〕をもたない。それは、常に中心
 からずらされ、自分が通過する諸状態から引き出されてくるもので
 しかない。……
 いまひとつの道……
 すなわち、パラノイア機械と奇蹟を行う機械とによって、器官なき
 身体の上に反撥と吸引とがさまざまの割合で生ずると、この割合が
 独身機械の中にゼロから始まる一連の諸状態を生み出す。主体は、
 この一連のそれぞれの状態から生まれ、そしてたえずその次の状態
 において再び生まれ変わるのだ。この次の状態は、次の瞬間におけ
 る主体の姿を決定するものなのである。主体はこうして、自分をた
 えず誕生させ生まれ変わらせてゆくこれらの状態をすべて消費して
 ゆくのである(この意味では、生きられる状態の方が、この状態を
 生きる主体よりも、いっそう根源的なるものなのである)。吸引と
 反撥、高揚と衰退の二つの力は、強度がゼロなる段階《これは器官
 なき身体を指示する》を起点として、さまざまの強度の一連の系列
 を生みだしてゆく。(「ところが、奇妙なことは、たんにこの強度
 の不在〔ゼロ〕を明示するためにも、ここでさらに新たな<合流>
 〔流入充溢〕が必要とされるということである」)。文献学の教授
 であるあの<ニーチェの自我>といったものは、もともと存在しては
 いないのだ。つまり、この自我が全く唐突に理性を失うとともに、
 いくたりかの奇妙な人物に一体化することになるのだ、などという
 ことではないのだ。存在するといえるのは、一連の諸状態を通過し
 てゆく<ニーチェの主体>だけなのである。この主体が、歴史上のさ
 まざまの名をこれらの諸状態に一体化させてゆくのである。歴史上
 のすべての名前、それはすべて私なのである……。自我は円環の中
 心を放棄したが、いまや主体がこの円環の円周上に拡がることにな
 る。中心にあるのは、欲望の機械であり、永劫回帰の独身機械であ
 る。
 この機械の残りものの主体である<ニーチェの主体>は、この機械が
 回転させていた一切のものから、読者がニーチェの断片作品にすぎ
 ないと思っていた一切のものから、幸福感に満ちた報償(《ヴォル
 プタス》)を引きだしてくるのである。……<p33−p34>
 ここでは、さまざまの歴史上の人物にみずから一体化することがで
 はなく、歴史上の名前を器官なき身体の上の種々の強度地帯に一体
 化させることが問題になっているのである。だから、そのたびに、
 主体は「これは私だ、だから、これは私だ」と叫ぶのだ。これまで
 に分裂者と同じ仕方で分裂者と同じほど深く歴史を学んだものはひ
 とりもいない。分裂者は、いっきょに世界史を消費するのである。
 われわれは、分裂者を《自然人》Home nature として規定すること
 から出発したが、最後にくるのは《歴史人》Home historia なので
 ある。  <p35>

 ニーチェの世界観は、むしろひとつの出来事の回想パロディである。
 ただひとりの俳優が、このパロディを荘厳に一日の間にパントマイ
 ムで演ずることなのだ。――なぜなら、一切は、ただ一日の間に語
 りつくされ再び消えてゆくからである。――もっとも、この一日は、
 十二月三十一日から一月六日まで続かなければならなかったのであ
 るが――ここで、ただ一日といわれているのは、普通のカレンダー
 が超越されているからである  <p36>


  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□これくらいの文章を スラスラでなくても 何となく(解った振り
でも良いのです)理解できると哲学が面白くなってくると思います
主体の理解はおそらく誰もが興味を抱いている問題でしょうからなが
く引用してみました ここでがんばってパーフェクトに理解しなくて
も差し支えは有りません
多少の補足などを……
――<強度>がゼロから始まって 例えば正の値 1〜6までとして数値
部分は耐性の強度と同じです が ゼロは<器官なき身体>を現してい
て特別な値です <死>への欲望もゼロには含まれるし 生への欲望も
また内包しているからです ゼロは<究極>の強度でもあり 自滅でも
あります 今回の分裂症的な事例は特殊ではなく私たちも接している
ことですが 上手く折り合いをつけないと破滅への道となってしまい
ます 娯楽機械も必要です <器官なき身体>を理想化してストイック
に追求すると多分 宗教になってしまうでしょう その必要はありま
せん 非常に重要ですが ほどほどに 適当に ということです

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…

□次回からはミルプラトーで最も分量 質ともに大きな章 生成変化に
ついて考えてゆきます ようやくここまで辿り着いたというのが実感
です 生成変化<なること>によってどれだけ強度・差異が生産され 
一次的な感動と身元が保証されるうるのか ここらあたりが差異哲学
のクライマックス 私見ではそうみています


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 次回は アンレオンサラダ を予定しています



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  >………  プラトー 〜差異から始める哲学〜   ………<

     PLATEAU "Philosophy begin with a difference"

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□ ._._._.NO.30 ._._._._.アンレオンサラダ._._.2000 3 02_._._□



□今回は<生成変化>の第1回目です 少女がテーマとなっています 少
年も含めて少女は未熟な存在ではありません むしろ大人が<少女>を
目指すようなそんな 魅力的な<少女>をドゥルーズ=ガタリは余すと
ころなく語っています

 まず女性への生成変化と子供への生成変化 『千のプラトー』<p313>

から始めましょう

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..


   少女とは何か、そして少女の集団とは何か?……
 「逃れゆく存在」。少女とは純粋な速さと遅さの関係であって、そ
 れ以外の何ものでもない。少女は速さによって遅れる。彼女を待つ
 者の相対的時間に比べると、少女はあまりのも多くのことをおこな
 い、あまりにも多くの空間を横切ってしまったからだ。そこで少女
 が示す見かけ上の遅さは、待つ側に特有の途方もない速さに変化す
 る。  <p312>

少女はのろのろと道を歩いて来るように見えます しかし見かけとは
違い その速度は途方もなく速く 少女を生き生きとさせています
寄り道が実は少女を横断的に変化させているからです 少女と遊ぶと
大人はすぐに疲れてしまいます Anne of Green Gables 『赤毛のア
ン』(村岡花子訳・新潮文庫) マリラはアンの仕事ののろさにいつも
いらだっていますが アンはマリラの手から逃れて マリラやマシュー
の思いもよらぬ程 高速に生きています 集中力を欠いているように
見えますが 変わり身の速さがアンそのものの存在です

 生成変化とは、みずからが保持する形態、みずからがそれであると
 ころの主体、みずからが所有する器官、またみずからが果たす機能
 をもとにして、そこから微粒子を抽出し、抽出した微粒子のあいだ
 に運動と静止、速さと遅さの関係を確立することなのである。そう
 した関係は、自分がいま<なろう>としているものに最も近いもので
 あり、これによってこそ生成変化が達成されるのである。またその
 意味でこそ、生成変化は欲望のプロセスだといえるのだ。<p314>

最小のアレンジメント 微粒子の必要性は以前に書きました 器官な
き身体の最小の構成物である分子・微粒子は 生成変化においても必
要不可欠な条件であったわけです

 少女は、運動と静止の、速さと遅さの関係によって、また原子の結
 合や微粒子の放出によって規定されるのである。つまり<此性>であ
 る。少女は器官なき身体を駆けめぐる。少女は抽象線、あるいは逃
 走線なのだ。したがって少女たちは特定の年齢や性別に、あるいは
 特定の秩序や領界に帰属することがない。むしろあらゆる秩序や行
 為、あらゆる年齢や性別のはざまに滑り込むというべきだろう。……
 少女が女性になるのではなく、女性への生成変化が普遍的な少女を
 作り出すのだ。子供が大人になるのではなく、子供への生成変化が
 普遍的な少年を作り出すのだ。……  <p319>
 少女と子供は、彼らすべての性と年齢のあいだにいきわたらせる分
 子状の生成変化から、つまり大人にも子供にも当てはまる子供への
 生成変化や、男性にも女性にも当てはまる女性への生成変化から、
 その力のすべてを引き出してくるのだ。少女や子供が生成変化をと
 げるのではない。生成変化そのものが少女や少年なのである。……
 少女とは男女両性に当てはまる女性への生成変化であり、同様にし
 て子供とは、あらゆる年齢に当てはまる未成熟への生成変化である。
 「うまく年をとる」ということは若いままでいることではなく、各
 個人の年齢から、その年齢に固有の若さを構成する微粒子、速さと
 遅さ、そして流れを抽出することだ。……<年齢>そのものが子供へ
 の生成変化なのだし、性一般も、さらには個々の性も、すべて女性
 への生成変化、つまり少女たりうるのである。  <p319−p320>

ロリータとは無縁の少女への生成変化について述べています もちろ
ん この地点からロリータを説明出来るかもしれませんし アニメや
宝塚歌劇団などで顕著な両性具有への指向もまた理解可能かもしれま
せん 男のピアスやカラーヘアー アクセサリーも
抽象線は見えにくいという意味です 器官的な人間とは別の分子的な
身体の存在は 実感として 例えばワクワクしている状態 感覚が身
体中を組織体とは別に駆けめぐるといった感動の体験は誰でもが忘れ
得ぬ分子状の経験として持っているものだと思います
『サラダ記念日』を連作として読むとそのスピードは格別に高速です
作風はたやすく模擬されてしまいますが 彼女の速度を凌ぐ作品は他
には見当たりません 女子大生 として 初めからすでに大人の作品
と言えるのですが 上手く未成熟への生成変化を実現し 固有の若さ
を十分に発揮しています
宮崎駿作品の少女を思い浮かべてもいいです シティハンターの槇村
香 やブラックジャックのピノコ ジャンヌ セーラームーン etc

 戦士の女性性という現象は、生成変化の問題として理解されるべき
 なのである。われわれは、戦士がその狂乱furorと迅速性ゆえに、
 どうしょうもなく動物への生成変化にとらえられるのを見た。動物
 への生成変化は、戦士をとらえる女性への生成変化に、あるいは少
 女と戦士の同盟に、少女との伝染関係にその条件を見出すのである。
 戦士はアマゾネスと不可分の関係にある。少女と戦士の結合によっ
 てもたらされるのは動物ではなく、戦士をとらえる女性への生成変
 化と、少女をとらえる動物への生成変化であり、この二つが同じ一
 つの「ブロック」に組み込まれていく。しかもこのブロックのなか
 では戦士が少女に感染して動物に<なる>だけでなく、それと同時に
 少女の方も動物に感染して女戦士に<なる>のだ。つまり非対称的な
 生成変化のブロックの中で、また瞬間的なジグザグ運動のなかで、
 すべてが一つに結ばれるのである。 <p320>

  ..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..

□昨年の12月5日に地上波で『レオン』という映画が放映されました
レオン(ジャン・レノ)は裏の道に生きるスナイパーです 少女マチル
ダ(ナタリー・ポートマン)に初めて出遭った時 彼は清潔な豚を飼っ
ていると言います 動物への生成変化を意識していたことが解ります

 動物への生成変化の現実性は近傍の状態や識別不可能性に求められ
 る。それが動物から引き出すものは、訓化や利用や模倣をはるかに
 超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり「野獣」である。
  <p321>

動物の外見はみな保護色で守られています 戦士の迷彩服とまったく
同じにその毛並みは外界の環境の近傍でその色にまみれて 識別不能
になるべく遺伝子によってプログラムされているからです……かの猿
飛佐助は猿に模して<猿飛の術>を身に付けました ジェームス・ボン
ドは目立ちすぎですが 動物もスパイも通常何かの近傍でそれに紛れ
て識別不能性を求めて生きています 動物は野生では戦わずして生き
られません 生まれながらにして戦士と云えるでしょう
□『レオン』での圧巻は少女がレオンに弟子入りし 戦争機械を目指
して訓練を受けていたある日 ふと飽きてしまい リクレーションを
始めるシーンです 少女マチルダは前回の分裂者分析で見てきた歴史
上の人物を踏破します
 芸能人ですけど マドンナ モンロー ジーン・ケリー キートン
(あるいはチャップリン? 私には識別不能でした) この変わり身の
速さはレオンを圧倒します レオンの目を逃れてゆきます

 コロンブスが自分の乗組員の反乱を鎮め、再び提督に返り咲くのは、
 踊る娼婦を真似る(偽の)提督の真似をすることによってでしかな
 い。 『アンチ・オイディプス』 <p111>

このリクレーションの効果は絶大でした もしはぶかれていたら二人
の同盟関係は崩れていたかもしれません 二人は同盟・共犯関係を深
め レオンは初めて識別不能な野獣に 本物の戦士に生成変化してゆ
きます これをきっかけに弟子と師の関係も逆転していったと言って
も過言ではありません マチルダはレオンからも 女戦士としてさら
に逃れて行動します レオンはもはや 裏街道のそこそこの仕事を請
け負うのではなく 堂々と敵の正面から戦士として挑んでゆきます
彼は野獣として戦士として 相手から識別不能に 逃れつつ戦います
この同盟関係によって 本物の野獣戦士に生成変化した彼はこの上な
く幸せだったことでしょう
( ロバート・デ・ニーロと子役のジョディー・フォスター共演の『タ
クシー・ドライバー』 高倉健と薬師丸ひろ子の『野生の証明』
同じく薬師丸と渡瀬恒彦の『セーラー服と機関銃』なども同じテーマ
でしょう)

□少女 それは「赤毛のアン」や「サラダ記念日」だけでなく 優香
やモーニング娘やスピードを思い浮かべても結構です 少女を前面に
押し出したアイドルの存在は人を惹きつけます 近傍域に近づいてみ
たくなるのは アイドル 少女になりたいからではなかったのか
ファンとして近づきたいという小さな願望が素因なのではなく 自身
が少女になり変わりたいという <未成熟への生成変化> への欲望か
らではなかったのか――

..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…


  女性への生成変化が第一の量子、あるいは第一の分子状切片であ
 り、やがてそこに動物への生成変化が連鎖するのだとしたら、これ
 らすべての生成変化が邁進する先にはいったい何があるのだろう。
 そう、そこには知覚しえぬものへの生成変化がある。これには疑い
 の余地がない。知覚しえぬものこそ、生成変化の内在的帰結であり、
 生成変化の宇宙的な定式なのである。 『千のプラトー』 <p321>

 <感覚されるもの> しかし <知覚しえぬもの> つづきます

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 次回は 秘密とスポーツ を予定しています




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