□ ……… > ― ―――――――― . ――――― < ……… □
>……… プラトー 〜差異から始める哲学〜 ………<
PLATEAU "Philosophy begin with a difference"
SIGEYOSI ......................>
□ ._._._.NO.16_._._._._._.塀の中と知性._._._.99 11
16._._._□
□実力がありながらアクシデントによって落ちて行った者を<悲劇>と
呼び 実力がなくて当然落ちて行った者を人は<喜劇>と呼びます 前
者は 源義経や織田信長で 後者は前回見たとおりです
動物の世界では巣をこしらえたりするのも 求愛も 遺伝子のプロ
グラムどおりに行われていると考えられています 人間界では<表現>
の過剰と 絶えず増殖している<内容>の世界があります それらを結
び付けているのは何でしょうか? どのような関係になっているので
しょうか?
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□ミッシェル・フーコーの<『監獄の誕生』新潮社> をふまえつつ
<MILLE PLATEAUX> ではこのように書かれています
監獄という物がある。監獄とは、一つの形式、「監獄−形式」、
一地層上の内容の一形式であり、他のもろもろの内容の形式(学校、
兵舎、病院、工場)と関連している。ところで、この物あるいは形
式は、「監獄」という語にではなく、まったく別の語と概念にかか
わるのである。例えば、犯罪行為を分類し、言表し、翻訳し、実行
しさえする一つの新たな仕方を表現する「犯罪者、犯罪行為」とい
ったものに。「犯罪行為」とは、「監獄」という内容の形式と相互
に前提し合う表現の形式なのである。 <p87>
表現の形式とはもろもろの語に還元されるものではなく、地層と
みなされる社会的領野に出現する言表の集合(それがまさに、記号
の体制である)に還元される。内容の形式は、物に還元されるもの
ではなく、力の形成体としての複雑な物の状態(建築、生命プログ
ラム、等々)に還元される。そこにはいわば、たえず交錯し続ける
二つの多様体が、つまり表現の「言説多様体」と内容の「非言説多
様体」が存在するのだ。そしてそれは、内容の形式としての監獄が
それ自体その相対的表現をそなえ、つまり、監獄に固有のものであ
り、犯罪の言表とは必ずしも一致しないあらゆる種類の言表をそな
えているために、それだけいっそう複雑なのである。逆に、表現の
形式としての《犯罪行為》はそれ自体、その自立的内容をそなえて
いる、というのも、それはただ単にもろもろの犯罪を評価する新た
な仕方を表現しているだけでなく、犯罪を実行する新たな仕方をも
表現しているからである。内容の形式と表現の形式、監獄と犯罪行
為は、おのおのその物語、ミクロな物語、その切片をそなえている
のだ。 <p87>
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□監獄を学校に置き換えてみますと 対応する<表現の形式>は教育理
念から 生徒の偏差値や進学率・就職率に変化しているでしょう
TV局では放送倫理やジャーナリズム論から おそらく個別には今は女
子アナが局の顔として認知されているのでしょう
TBSは残念ながら犯罪社員が局の顔でしょうか
「内容の形式は、物に還元されるものではなく……」 もし物に限定
されるとしたら <表現の形式>も物で出来ていますから(例えば絵の具
と紙 音声やフィルムなど……)すべてが<内容>になってしまいます
そうではなくて 力を伴って複雑に動いている物の状態が<内容>です
多様体はnのことで 政治の言説 文芸の言説etcなど 差異のある
錯綜体です 記号の体制は言表が基ではありますけど 絵画や音楽な
どもその延長と考えて下さい
女子アナの言語表現が何故TV局社員としてのものと タレントの領域
のものと区別できたのか その答えがここに記されています 放送局
という建物<内容>の地層にも固有の言語表現が付随していたからです
業界用語での会話がそうです 野猿がその労働者として仕事中に話し
ているのは明らかに<内容>の領野の言表(言語表現)です ドラマのNG
集で役者がNGを出した後に見せる表情や言動(スタッフに対する言表)
は 実は放送局内の一労働者の業界用の言表だったのです その落差
が面白かったり新鮮だったりします ドラマや映画の製作過程をド
キュメンタリーで紹介する番組(作品以上に興味深い)がありますが
文楽を見ているようでなかなか面白く鑑賞でき 出来上がった作品よ
り上質なことさえあります
<表現>と<内容>の境界線は日々移行しつづけています 押したり引
いたり紛れたりを繰り返しています すでに局アナの一部はタレント
活動を含めてその労働としていることは 上層部も認めていることで
しょう
iMac iBook
のデザインがファッション化し 実質の形式が記号化し
<表現>の領野を侵食して(PCの工業デザインがアップル社の企業の生き
残り戦略に導入されていること) それは工業デザインの<形式‐表現>
が今や<内容>の地層に吸収されていることをも示しています 境界線
近辺では両方の領野に含まれていても矛盾ではないのです アクティブ
な状態の境界線とはそういうものです 購買者は<表現>のデザインと
<内容>の充実(性能) 両者を吟味して購入している筈ですから……
iMac iBookは すでに現時点で両義的存在といえるでしょう
我々にとって 葉書のやり取りは プライベートな人間関係を 表
現の領野で交わしていると言えるでしょうが 郵便配達人にとっては
少し特殊な紙の(物の)運搬労働に過ぎないのかもしれません このよ
うなズレがあっても不思議ではないのです
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□分節の境界線がはっきり見て取れるのが 会話や議論で互いに通じ
ているかどうか――です 一応の判断の目安になります
政治言論の領野と永田町の論理のギャップは誰でもが感じることです
永田町 政党という領土(建物)からなる力の集団の生き残り論理は
<内容>に付随しているものだからこそ 政治言論<表現の領野>とは噛
み合わないのです 大蔵省でも派閥でも神奈川県警
JCOや商工ローン
などの企業論理も同様です 族議員というのも省庁の論理に染まって
言動が拘束されている情けない存在でしょう パリーグMVP男
工藤
公康投手に対するダイエー球団首脳の態度は 企業生き残り丸だし
だったようで スポーツエンターテインメント=<表現>からは その
目を見張る活躍の価値を剥奪されて 気の毒なくらいでした
□思想とは<あるべき姿>を追求することです 一国の政治の議論の場で
ある<国会>は 政治思想を絡めて論戦が始められるべきところを 狭い
自分たちの領土の中での集団生活に付属した言表(党の決定などミクロ
な物語)が飛び交っています 議論以前の地層の齟齬が国民をシラケさ
せています ○○○連立や 家庭での介護が「美風」と言う およそ
美意識とかけ離れた党幹部議員の物言い しかも別の議員が批評家の
ように登場し<表現>領野の政治思想の立場から自らの党を批判し 本来
外部がやるべきことを内部でまかなってしまって 矛盾の矛先をかわす
上手い方法をとったりしています……
前都知事はまったく都庁という建物の物語に染まってものを言ってい
ましたが 新都知事は自分の言葉で発言しています つまり政治思想
という<表現>の地層でものを言っているわけで 発言の中身うんぬん
よりもその言語記号の体制は 国会より上等でしょう
□塀の中は監獄だけではなく 永田町や霞ヶ関 丸の内でも同じこと
です ミニサイズの領土である各自のアットホームでの基本言表 メ
シ 風呂 寝る もそうです 人工の領土であるマイHome
pageでも
雑誌でも油断すると地層に捕獲され(それは化石だけではなく) 生き
ている人間も挟まれて凝固してしまうのです
□マンハイム(20世紀前半の知識社会学者)は 思考の<存在拘束性>
を定義していました <知>が領土に捕獲された状況は 見え透いた言
動しか生み出しません
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□《犯罪行為》の表現 小説やビデオやゲームからヒントを得て新しく
実行された犯罪は確かに増えています フライトシュミレーターから
ハイジャックが……しかしここで見たとおり ゲームなどのバーチャル
リアリティーがいくら現実に近づいたとしても(同形性を示したとしても)
その領野・地層は別なのです 写真のように同形であっても……
つづきます
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
次回は 区別と力と科学 を予定しています
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20_._._□
□もう少し二重分節の区別を見てみましょう 注意すべきことは<内
容>に付帯した言表がみな悪で <表現>の領野の言表がすべて正しい
ということではありません フジTVも(かつてのテレ朝も)<やらせ>番
組で問題を起こしました ドラマはみな<やらせ>と言えないこともあ
りません その辺はどのように考えたら良いのか……
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□ストイック(厳格主義)の語源となったストア派についてこう書かれ
ています
彼らは、身体の行動および受動(「身体」という言葉には、最大
の広がり、つまり、すべての形成された内容という意味が与えられ
る)と、非身体的行為(言語による「被表現」である)とを区別す
る。内容の形式が身体の組み合わせによって成立するように、表現
の形式は被表現の連鎖によって成立するのだ。ナイフが肉体の中に
入り、食物や魚が身体に入り、葡萄酒の滴が水の中に注がれるとき
には、身体の混合が起きる。しかし、「ナイフが肉を切る」、「私
は食べる」、「水が赤くなる」といった表現は、まったく異なる性
質の非身体的変形(事件)を表わしている。 <p106 〜p107>
身体の行動を描写するよりも むしろシナリオなどの言語表現が 実
際の身体の組み合わせなどをどのように作りだしているのか という
流れの方を注目すべきでしょう (表象は描写のことです)
身体的でない属性を表現しながら、また同時にこれを身体に帰属
させながら、人は表象するのでもなく、指示するのでもなく、いわ
ば介入するのであり、これはまさに言語の行為なのだ。表現と内容
という、二つの形式の独立性は、これによって反駁されるのではな
く、逆に確認される。もろもろの表現、または被表現は、もろもろ
の内容を表象するのではなく、それらを予感し、それらに逆行し、
それらを緩慢にしたり、また加速したり、分離したり、または結合
したり、あるいは切断したりするために、内容の中に挿入され、介
入する。瞬時的な変形の鎖は、つねに連続的な変容の組み合わせの
中に挿入される。 <p107>
『監獄の誕生』で権力は国家や軍隊・警察からごく身近な家や学校や
監獄や工場などに拡大されました 規律訓練の<ミクロ物理学>や<ミク
ロ政治学>(ミクロ・ファシズム)です 規律訓練を教育・管理・矯正な
どと置き換えてみても結構です(行政指導も) 規律訓練は身体を攻囲
し 身体を遂行(発話内行為=命令を言いながら実行すること)させる
のが目的ですが そのミクロへの眼差しは 言葉の暴力とも密接な
セクハラや校内暴力・家庭内暴力・児童虐待への人々の関心と無関係
ではないでしょう 少年野球などのスポーツ選手とコーチの関係も
役者の身体行為・言語行為へと介入し 監督(ディレクター)はドラマ
を作り上げています 勿論過剰でない限り必要でしょう <やらせ>は
視聴者から見て過剰な演出です マックス・ウェーバー(社会学者)は
自らが自由意思で契約したとしても その組織での支配は消えるもの
ではないと書きました(『権力と支配』) 少年野球にすすんで入った
からと云って不当な<しごき>に耐えろ という発想は除外すべきです
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□
表現の形式と内容の形式の独立性は、二つのあいだにいかなる平
行関係も、一方の他方による表象も成立させることはないが、逆に、
二つのものの細分化、表現が内容に挿入され、一つの特徴から、他
の特徴へと人がたえまなく跳躍し、記号が物自身に働きかけると同
時に、物が記号を通じて拡張し、展開していく仕方を確立するのだ。
<p107>
<表現と内容>の分節ばかり考えて来ましたが
両者の相互関係の把握が
肝腎です CM CF
などのコマーシャリズムやブランド神話は 記号表
現をつうじて物が拡張してゆく典型です 一つの法令や条例が小学生
の傘の色を黄色へと買い替えさせたり……その境界線は 非常に複雑
ですが互いに食い込んで作用し合っています
科学的世界は、……十全に脱領土化された記号体系への翻訳として、
つまり言語に固有の超コード化への翻訳として出現する。こうした超
コード化ないし超線形性の特性こそが、言語には単に内容に対する表
現の自立性があるだけでなく、実質に対する表現形式の自立性もまた
あるということを説明してくれるのである。つまり翻訳が可能なのは、
……同じ一つの形態がある実質から別の実質へ移行しうるからだ。
<p82〜83>
コピー文化 知も複製されますし ここでは紙とインクという実質から
磁気記録へ また映像へと……それは生命の遺伝情報が塩基という素材
から離れられない状況と対比してみると解りやすいでしょう 遺伝子情
報さえ印刷やディスプレイに知は翻訳してしまうのです 科学的な知の
形態とはそういうことです 実質から浮いて存在している自由 固有の
<超コード化> だからといって科学はおごるなと釘を刺していますが…
…(近年のデジタル化は言語記号以上に映像記号も音楽記号も超コード
化に向かわせています) このような知の在り方はHIV訴訟で明らかなよ
うに(最近では一部の生産地での あきたこまち のカドミウム含量
データの隠蔽工作) 情報の独占は知の権力への奉仕を意味しています
<知は権力>とはフーコーの著名な言葉ですが その意味は 知は権力の
周辺に纏わりついているということです(CIA中央情報局や政策ブレーン
がアメリカ大統領にとって不可欠なように)
自然科学は中世の証拠調べから 人文科学は監獄での人間の矯正から
始まったと言います……その後自然科学は自立しましたが 人文科学は
相変わらず権力の回りで権力に奉仕したままだ とも……
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□<表現の形式>をいかに脱コード化するかが表現の課題です 新しい表
現 新しい様式とは脱コード化を意味します 例えば私的公的なメール
を工夫して書いている人 などはみな奮闘していることでしょう
「見えるものを口で言ってみても無駄である、見えるものは言われ
ることのうちには決して宿りはしないのだ。」……すなわち、読み書
きの学習における表現の形式化(それに固有の相対的内容がある)、
および事物の学習における内容の形式化(それに固有の相対的表現が
ある)。 <p88>
小説は他の小説に対して相対的に違った<内容>を持っているのだと云い
ます 事物は他の事物に対して<表現>として存在しているのだとも バー
チャル・リアリティーは事物と似ているからリアルなのではなく 他の
表現より 相対的にリアルであるに過ぎません また富士山は他の山々
に対して比べ物いならないくらい美しいのです PCは今までテレビやワ
ープロと区別出来る形式の特徴で十分でした しかしPCメーカー間で相
対的に美しさを競うようになりつつあります ある時点からデザインが
それ自体で他のPCに対して相対的<内容>(性能としての内容では在りま
せん)を持ってしまうのです (iMacのように)デザインだけで価値が出
てしまうのです マニュアルの味気なさはその文章が<事物>に従属して
いるからでしょう こちらも相対的に<内容>を持つくらいに洗練して欲
しいものです
□脱領土化は 家やその他のテリトリーの中に居ながらにしても可能で
す 例えば思考はいつでも<領土>や<コード>を超え出ることが出来ます
ロラン・バルト(『テクストの快楽』)は 読書での楽しみは意味の裂け
目・意味の喪失との出遭いであると書いています 記号の体制 言語の
コードからの逸脱(脱コード化 記号の無意味化) 快楽を感じるくらい
の……
彼はまた <意味の喪失>は<禅の悟り>であるとも……<空>の思想
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□JCOやトピック その外 ニュースそのものの詳細は やがては風化し
てしまうでしょう 騒ぎが大きければ大きいほど 虚しさや寂しさを感
じることもあります <内容と表現>は見方に過ぎません が <超コード
化>故に生き延びるのかもしれません 思い上がらなければ……
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
次回は ランナーと味噌汁 を予定しています
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□ ._._._.NO.18._._._._.ランナーと味噌汁._._._.99 11
24_._._□
□今回は速度と温度を取り上げてみます ミル・プラトーでは並足な
ど馬の走りが具体例ですが 人の走りに変えて考えてみます 題名の
ランナーと味噌汁 は味噌汁を飲むとランナーが活躍する という意
味ではありません
21日の東京女子マラソンでは世界歴代6位の好記録が出ました しか
しそれ以上の高橋尚子選手の日本記録がアジア大会の炎天下30度以上
で出されたことに改めて驚きました 東京の坂と暑さとどちらが悪条
件だったのでしょうか
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□引用では<隔たり>という言葉が出てきます 個々の<強度>である温
度や速度(の多様体) あるいはそれらを含む上位概念の多数多様体<強
度>と置き換えて読んでも結構です
(*大きさ は加減乗除可能な数学的・計量的な数量です)
隔たりとは、正確に言えば、分割不能ではない。……しかし、大き
さとは反対に、隔たりは、分割されるたびに性質を変えてしまう。
たとえば、一つの強度は、付け加え、移し変えることが可能な大き
さからなってはいない。ある温度は、それより低い温度の合計では
ないし、ある速度は、それより遅い二つの速度の合計ではない。そ
うではなく、個々の強度はそれ自体一つの差異であるから、分割さ
れる個々の項は他の項と性質を異にするような秩序において、分割
されるのである。だから、隔たりとは、順序づけられた差異の集合、
つまり、ある差異が他の差異に包含されているような集合であり、
正確な大きさとは無関係に、人は最大と最小を判断できるのだ。た
とえば、運動というものは、ギャロップ、速歩、並足と分けられる
だろう。だがこのとき、分けられた一つ一つのものは、分割のたび
に性質を変えるのであって、一つ一つは他のものを合成する要素に
なるわけではない。まさしくこうした意味で、「隔たり」の多様体
は、連続変化と不可分である <p539〜p540>
(*ギャロップ は馬の駆け足のことです)
マラソンや中長距離走者はランナーです 短距離はスプリンターです
もっとも遅い走りはジョギングと言われています 陸上競技経験者は
すぐに分かることでしょうが それぞれの走りはまったく別ものです
走り方自体が違っているのです 短距離は踵を地面に付かずにつま先
だけで引っ掻いて走ります 中長距離やマラソンは踵から着き足の裏
全体を使って走ります ジョギングはリラックスしてゆっくりと時間
を気にせずに 歩くよりも少し速いくらいで走ります 脚の筋肉の使
われ方が違っているのです 人間の走る速度は分割するとその性質を
変えてしまいます 速度自体<差異>が錯綜し 含み 含まれている<多
様体>だからです 分割という意味が常識とは違っていますが n−1
として出てくる一つの<速度>は等質な大きさではなく 足し算や引き
算が出来ません
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□味噌汁は飲む温度によってまるで別の味 別の食べ物のよう感じて
しまったことがあるでしょう 温度によって性質が異なるものになっ
てしまうからです 水は温度によってまったく性質の異なる氷 水
水蒸気に転移します 木や紙は高温では燃えてしまいますし 鉄だっ
て溶けてしまいます 温度を適度に加えることによって<鋼>として性
質を変え強化されたりもします 夏の暑さでビールが売れたり 最低
気温が10度以下になると紅葉が始まり……50度以上の風呂に何分か浸
かれば人間の生命は危機にさらされます 圧力釜を使って高温で炊け
ば ご飯が美味しくなります 年間の平均気温によって別の文化が形
成され 人間の性質まで変えてしまいます
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□走りをもう少し見てみましょう
持続とは多様体の一タイプとして考えられ、……つまり、持続とはま
ったく分割不能なものであり、分割のたびに性質を変えずにはいない
ものである(アキレスの走行はそれぞれの歩に分割されるが、まさし
く、大きさを足していくような仕方でこれらの歩を合成してみても、
走行自体を得ることはできない)。 <p540>
<純粋持続>という考え方を提案したベルグソンについて書いたものです
(ドゥルーズは19〜20世紀のフランスの哲学者ベルグソンの研究家として
も著名です)
『ベルグソン全集1』(白水社)のなかの「時間と自由」で アキレスと
亀の競争について面白い考察をしていました 古代哲学では例えば10メ
ートル先から亀が走り始めたとするとアキレスはその亀を追い抜くこと
は出来ない というのです アキレスが亀の出発時の位置に着くと 亀
はすでに先に行っています その亀の位置までアキレスは再び走らなけ
ればなりません そこに着いてみると亀は更に先に進んでいます…とい
うようにアキレスは亀に永久に追いつけないというのです 何千年ぶり
にベルグソンが持続という概念を導入することによって 運動は初めか
ら終わりまで分割できないことを示し 理論的にようやく亀はアキレス
に抜かれることになったのです
速度と走行は密接にかかわっていますがズレてもいます(多様体として共
通) 走行は持続であり 多様体として連続変化しています 走行の質は
絶えず変化しつづけています マラソンの初めの5キロと最後の5キロでは
同じ速度で走ったとしても 走りの質はかなり違ってきます
(余裕があるかどうか 脚の蹴りは軽いかどうか etc )
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□
平滑空間を満たすものは、単に分割されるなら性質を変える多様体
であるばかりでなく、――たとえば砂漠の部族、つまりたえず変化す
る隔たり、変身を止めない群れ――平滑空間そのもの、砂漠、草原、
海、氷原が、このタイプの多様体であり、非計量的で、中心をもたず、
方向性なのだ。 <p540>
平滑空間そのもの―― サッカーのグラウンド(草原)がそうです 中
田英寿がアウエーで活躍した中央アジアのグラウンドの悪さはボールの
転がる速度と方向をかなり変えていました しかし流石に一流選手は戦
術をコンディションに適応させゴールに結びつけました
気温によるスケートリンクの滑りにくさもそうですし 長野五輪での
屋外のクロスカントリースキーでは風速が平滑空間の性質を変えてしま
いました ジャンプ団体で原田選手の時に雪が激しくなり 急に助走速
度が落ちたことは記憶に新しいかもしれません(日本チームが逆転できて
良かったですけど) カーリングで氷面を刷毛で滑らかにし 速度を上げ
下げするのは平滑空間そのものの競技だからでしょう 風速と風向が左
右する海でのヨットレースetc スポーツはみな方向性を持って戦ってい
ます
高温高湿度のレースコンディションであれだけの速度を維持した高橋尚
子選手はやはりたいしたものです
東京女子マラソンや千葉駅伝のアップダウンのコースでの走る速度の質
の連続変化も……
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
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□ ._._._.NO.19._._._.強度 その捕獲と開放._._.99
11 28_._._□
□地質学のところで地層が出来る以前の地球CsOでは <強度>は自由
状態にあった と引用しました 私たちが普通に使っている強度は橋
や建築物の耐性の意味でしょう しかしそれは捕獲された<強度>に過
ぎないと主張しています それはどういうことでしょうか
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□このように書かれています
質のものでかつ延長のなかではじめて、強度はさかさまになって
現われる <『差異と反復』ドゥルーズ 河出書房新社 p355>
カントの理論によれば、強度〔内包〕量は、種々の度合において、
空隙なき質量を満たしてその内容をなすものとされている」
<『アンチ・オイディプス』 ドゥルーズ=ガタリ 河出書
房新社 p33>
……〔強度〕の広がりが、強度を延長に関係づけ、強度は、その
延長〔空間〕のなかではじめて、それ自身の外で質にくるまれて現
われるのである <『差異と反復』p343>
アインシュタインの相対性理論そのもの と考えてもいいでしょう
<強度>=エネルギー としてみれば質量はエネルギーとの等式として
現わされます(マッチ箱くらいの大きさの物質をすべて消し去れば富
士山が持ち上がると聴いたことがあります) すべての物質はエネル
ギーの凝固したもの その名残が素材の強さ 材質の強度としての耐
久性=力になっているのです
<強度>は取消されて現われるのですが しかし内包されて巻き込まれ
ています 何処かに潜在していることになります
<<取り消されて現われる>>? この微妙な言い方はしかし正確な言
い方だと思います
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..
□物質よりも生物のモデルの方が分かりやすいかもしれません
クローン羊ドリーは胸の一つの細包の遺伝子から身体全体を再構成し
ました つまり部分である一つの細胞に 個体を構成可能な全遺伝子
情報がそなわっているということです さらに不思議なことは全体を
構成出来る遺伝子からどうやって部分を組成する情報だけを取り出し
それ以外の情報を眠らせてしまえるのか――です 今も謎だそうです
<卵>―らん―が<強度>です 前回みたとおり多数多様体である<強
度>は分割されると性質を変えます <卵>の細包分裂がそうです 遺
伝子情報は<強度>の分割によって全遺伝子情報から最終的に一つの情
報を取り出し<n−1> 部分を作り出してゆくのです
『差異と反復』は1968年に書かれました 不必要な情報を何故このよ
うに眠らさせることが出来るのか その仕組みを哲学として解いてい
るところが注目すべき点でしょう <強度>=卵胞を分裂させてゆく過
程で(分割によって)細胞の性質が部分へと変化してゆくのです その
全容が科学として解明され 人工的に操作可能になったとしたら 自
身の任意の1個の細胞遺伝子から どんな臓器も再生させられること
になります 他人からの臓器移植がいらなくなる日が来るのかもしれ
ません
<強度>は分割の過程で最終的に組織や器官となり その延長のなかで
取り消されて現れます
有機体は遺伝子情報がそのすべての決定因と思われるかもしれません
が 遺伝子情報は<卵>の中=<強度>多様体の中でなければ働きません
<表現>と<内容> 遺伝子と有機体 両者の領野を 社会では権力が
<表現>から<内容>への介入行為(指令語の働き)で実現していましたが
生命体では<強度>=多様体の働きがそれを担っていたのです
一次的な感動 <強度的>な感動とは身体に巻き込まれていた<強度>の
――質として 器官として 組織として取り消されていた<強度>の―
―繰り広げ <強度>の開放を意味していたのです CsO
..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…..…
□<強度>の開放 CsO それは<卵>の状態を現出させることでもありま
す このような<差異>の哲学は <逆行>であると云われます そのとお
りでしょう しかし<逆行>は退行とは違います <逆行>でしか確かめら
れないことがあるのです
つづきます
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次回は 多様体と不二 を予定しています
発行部数691
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>……… プラトー 〜差異から始める哲学〜 ………<
PLATEAU "Philosophy begin with a difference"
SIGEYOSI ......................>
□ ._._._.NO.20._._._._._.多様体と不二._._._._.99 12 3._._._□
□<多様体> をここで整理してみましょう かつて原子は原子核と電
子から出来ていると思われていました やがて原始核は陽子と中性子
に分解されました 次々に下位の区分が認識を新たにさせていき 今
では陽子は3つのクウォーク(素粒子)から成り立っていると説明され
ています 下位の要素が在るか無いかはエネルギー(X線など)を当て
てみると解るそうです 要素が複数あると その要素と要素が振動し
エネルギーの反射の仕方が特異性を示すからです
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□クウォークは果たして究極の素粒子なのでしょうか……
<多様体>も下位区分を持っていると考えられています
宇宙の始まり――最大<強度>であるビッグバンは区分のない<一>の世
界だったのでしょうか? それともすでに<多>だったのでしょうか?
答えはどちらを選んでも不正解ではありません 両義的です
差異の哲学は <多即一> <一即多> の智を実践する印度哲学と親和
性があります 実存やドイツ観念哲学よりむしろ東洋哲学 仏教の思
考パターンと似ているのです かつて私は印度哲学を専攻していたの
ですが その下地はミル・プラトーなどを読む上でかなり役に立って
いると思います
DIFFERENCE ET REPETION by Gilles Deleuze 1968
(G.ドゥルーズ『差異と反復』河出書房新社 1992
11/25 \5900 525頁)
訳者交代はあったものの翻訳に24年必要だったという本です
諸《理念》は多様体である。 <p278>
この《理念》はミル・プラトーでの二重分節の<表現>のことです
どのような事物をとってみても、それが《理念》を具現しているか
ぎり、ひとつの多様体である。その場合、<多>さえも多様体であり、
<一>すらも多様体である。<一>はひとつの多様体であるということ、
そこには、<多くの‐一つの>ものと<一つの‐多くの>ものというタ
イプの形容詞からなる命題を対等にさせるに十分なものがある。い
たるところで、多様体という諸差異が、そして多様体としての差異
そのものが、図式的で粗雑な<対立>にとってかわるのだ。<一>と<多>
の御大層な対立のかわりになるものは、多様体という変化性、すな
わち差異しかない。「一切は多様体である、<一>すらも、<多>すら
も」 という言い方は、おそらくひとつのイロニーであろう。しか
し、イロニーというのはそれ自体一つの多様体なのである。
<p279>
<多くの‐一つの>もの は<n−1>のこと <一つの‐多くの>もの は
<1=n>のことでしょう
<多即一> <一即多> を対立としていますがそれほど違ったことを
言っているのではありません
<不二の法門> は『維摩経』の中心的な教えです <ふに>と読みます
富士山の別表記 不二山<ふじさん>は またと無い という意味でし
たが それとは少し違っていて <別物ではない>という考えを現して
います 裏表 善悪などあらゆる対立は別物ではない と説きます
ビッグバンは1として始まりました その1は=nでもありました
多様体の概念を導入すれば宇宙はその始まりから両義的だったことに
なります 現在の多様な雑多な世界はn−1の累積です その<1>も
多くのものから出てきたと考えるなら常にnと関連していることにな
ります 独立して見える小説作品であっても 小説の言説多様体とか
かわっていて n−1として成り立っている と二重分節のところで
指摘しました 考えてみれば 個体は身体の部分(遺伝子情報=《理念
多様体》=n−1)の集積ですから 一個体も《理念》=nと常にかか
わっていて(細胞の新陳代謝など) 個体自体も多様体と考えられてい
ます 一つの運動は筋肉の何パーセントかを使用しています これも
n−1です 思考は脳細胞のある部分を使用して行われています 自己
は<複数の自己>の一つの表れでした
n個を一つの多様体としてまとめて考えれば nが錯綜体・差異の
集まりだとしても統一体としてみなせるでしょう
1個の<卵>は多様体として1個であり また<多様体>としてn個の要
素を潜在的に持っていることになります
n−1 このnから1への過程で<強度>多様体がかかわっていました
n−1 自体が分離出来ないワンセット 一つの多様体と考えても良
いわけでしょう
こういう概念の両義性への接近は 合理的な論理からの逸脱を意味し
ています それはまた必然ではありませんが 東洋哲学への接近も意
味しています
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□差異の哲学は神秘も取り上げて扱うのですが それは<表現>=理念
としての遺伝子 <数学的な配列的な関係=比>と 有機体存在のその
実体とのまるっきり似ていないものどうしの関係 2次元情報が3次元
の有機身体を何故形作れるのか の謎 (染色体が螺旋であり3次元で
あるとしても似ていません) 人間の描く設計図のほとんどが実物の
ミニチュアであるのと比較すると別世界です(人間の表現と内容の同
形性指向)
有機身体の<表現>と<内容>はその間に大きな差が横たわっているこ
とになります 大きい程神秘的と云えるでしょう その間に<数学的>
な差異を展開し身体へと運ぶ <強度>の働きがあるわけです その
<強度>もまた多様体であり差異の集合ですから ことは複雑になりま
す 論理的な合理性をどんどんすり抜けてゆく気がします
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□先程のイロニーは文脈から云うと技術のことで 《理念》を具現す
る技術 ほとんど<強度>と同じ意味で使われていました
つづきます
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次回は <非-存在>は問い を予定しています
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