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 『静寂の戦線』

「ほらよ、レイヴン。あんたの分だ」
 四十がらみのヒゲ男、ハジムが差し出したマグカップに、俺は少し片眉を上げた。
 湯気とともにコーヒーの香ばしい匂いが辺りに漂っている。
 ハジムはミラージュの迎撃部隊小隊長だ。
 俺は雇われレイヴン。
 ワタリガラスの名が表わす通り、依頼次第でミラージュにもクレストにも、あるいは落ち目のキサラギにも手を貸し、非合法な活動を続けてきた。そういう自由気ままな姿勢がレイヴンのレイヴンたる所以ではあるが、企業側の人間にとって不快なことは間違いがない。
 だからどこの現場でも疎まれ、恐れられこそすれ、仲間のように扱われることはない。ハジムの態度は俺にとっても珍しいものといえた。
 ともあれ、断わる理由はない。軽く礼を言ってマグカップを受け取ると、ハジムは続けた。
「あんた、アリーナでトップを取ったんだって?」
 俺の機体を見上げる目が輝いていた。
 鬱蒼と茂る木々の間、ブルーとブラックを基調にした深い海を思わせる色の機体がそびえ立っている。武装は右手のKARASAWAと左手のブレード2551。両肩には高速ターン用の瞬間ブースター、背中に追加弾倉を背負っている。
「すげえなぁ……ああ、そういえば上位ランカーがみんなつけてるって噂の強化オプション、あんたはつけてないって聞いたけど、あれ本当なのか?」
「ああ。…………必要ない」
「必要ない、か」
 嬉しそうに言って、コーヒーをすする。
 ほめられてまんざらでもなかった俺も、わずかに唇の端を持ち上げてマグカップに口をつけた。
 少し離れたところに建てられたテントの中で人の気配がする。ハジムの部下達だろう。MTとパワードスーツで構成された機動小隊だが、ACと比べると猫とネズミみたいなものだ。実際、火力も耐久力もまるで違う。そういえば、少なくとも機動性だけはACに負けず劣らず速いようだから、逃げをうつにはいい機体なのかもしれない。
「実際、おかしなものだな」
 不意にハジムがひとりごちた。
「昨日までいがみ合ってたクレストやキサラギの連中と手を組んで共同戦線とは」
「…………共同戦線だと思ってる奴は誰もいないさ」
「だな。俺たちも正体不明の勢力とやらより、クレストの方に網広げてるしな」
 かっかっか、と笑う声が森のしじまに吸い込まれて消えていった。
「……それにしても静かな森だな。サイレント・ラインつっても、ここまで静かでなくてもよかろーによ」
 薄気味悪そうなハジムの呟きに、俺は地下世界の森を思い出した。少なくとも、あそこには生き物の息吹があった。人工的に管理され、調整された環境ではあったが。それがここにはない。
 虫の音、鳥のさえずり、獣の息遣い――そんな命の息吹は何も聞こえない。あるのはただ木々のざわめきだけ。
 サイレント・ラインの向こうに潜む何者かによって駆逐されたのか、それとも逃げ出したのか――いずれにせよ、管理されていない地上の森の方が死んだようになっているとは思いもしなかった。
「確かにこの森はおかしい。南のディム・フォレストでは、結構鳥の鳴き声なんかが聞こえたものだが――」
 俺は口をつぐんだ。空気に電気のようなものが走っている――戦場特有の緊迫感が。
 ハジムの部下の一人が慌てて駆けて来た。同時に俺が首に掛けていたヘッドセットから、聞きなれた女オペレーターの声が流れてきた。二人は同じ台詞を叫んだ。
「W2658ポイントで『フォグシャドウ』が所属不明勢力のMT部隊と交戦開始! クレストの連中、あわくってます!!」
「W2658……近いな。で、戦闘の状況は? 押し止められそうなのか?」
「それは……なんとも」
「奴なら大丈夫だ」
 俺は不思議そうな顔つきのハジムに、マグカップを返した。
「あいつも例の強化オプションをつけてないからな」
「どういう意味だ?」
 ヘッドセットの向こうで状況の判ってない女も聞き返してきたが、無視して続ける。
「例の強化オプションは一種の人工知能――AIだ。各種リミッターを外して、その機体の能力限度ギリギリを引きずり出す。だが、それゆえに行動に制約がかかる」
「制約? なぜだ? 制約がなくなるんじゃないのか?」
 手元のコントローラーを操り、機体に火を入れる。SKYEYEのモノアイが点灯し、微妙な振動が全身に走ってACの目覚めを教える――女オペレーターはACの起動を確認して慌てているらしい。
「あらゆるリミッターを切ったACなんぞ、人間に扱えるモンじゃない。振り回された挙句、擱座するか自爆するか――別にACに限ったことじゃないがな」
 俺は、ハジム達のMTに目をやった。
「最適な攻撃をするための最適な操作をAIが指示する。人間はそれに従うだけ。そのために一見無駄な動きは全て抑制される。行動はパターン化するものの、それで勝てるものだから操縦者はそれが正しいと思い込む……だが、実際はAIに踊らされてるだけだ。【管理者】を崇め奉って、結局のところ体よく使われていただけのどこぞの企業みたいにな」
 ハジムたちは顔を見合わせて失笑した。
「生きるも死ぬも、勝利も敗北も、希望も絶望も……全ては己自身の意思と腕で逆境の中から奪い取るものだ。……そう、死や敗北、絶望さえもな」
 ACが膝をつく。コクピットハッチが開き、俺を待つ。
「――フォグシャドウはそれを知っている」
「隊長!! こちらにも所属不明機が接近中!! 速度、移動パターン、機体の質量からみて例のカスタムACと思われます!! 戦力は一!!」
 テントから届いた別の部下の叫びにハジムはさっと顔色を変え、俺を見た。俺もちょうど同じ情報をヘッドセットから受け取ったところだった。
「……いつもの奴か。了解。迎撃、殲滅する」
 初めてオペレーターに返事らしい返事を返して、ACに乗り込む。
 機体の状況は――ジェネレーター、ラジエーター、バランサー、FCS、ブースター、レーダー、機体各部の装甲、駆動系、電装系……オールグリーン。コンピュータの女声がそれを伝える。
 不意にサイドパネルにハジムの顔が映った。テントに戻ったのか、ヘッドセットをつけている。
『レイヴン……あんたの言うことは、正直企業仕えの俺にはよくわからん。だが、あんたが信念を持ってACに乗っていることはよくわかった。そんなあんたに、伝えておきたいことがある』
「後にしろ。あと1分で接敵するぞ」
 ハジムたちの使う広域レーダーに連結したパネルには、刻一刻接近してくる光点が映っている。画面の端の方で絡み合ういくつもの光点は、フォグシャドウと無人MT部隊のものだろう。
『いや。今でないとダメだ』
 ハジムは一瞬左右に目を配り、声をひそめて続けた。
『……実はミラージュは今、キサラギと組んで無人MTや無人ACを作っている。例のAI技術を応用したものだ。名目はサイレントラインからの侵攻防衛だが、それがいずれ企業間戦争に使われるだろうということは俺にもわかる』
「出るぞ」
 フットペダルを踏みつける。ブースターが轟炎を発し、機体がふわっと浮き上がる。
『レイヴンが――いや、人が要らなくなる時代が来るかもしれないぞ』
 機体が滑るように前へ進む。
 俺はハジム小隊とのデータ連動・通信を打ち切った。

 機体のレーダーが敵を捉えた。
 真正面から真っ直ぐ――光点が増える。警告音が鳴り響く。
 ミサイル!!
(相手高度が高い――空中か)
 見通しのきかない森の中では、頭上からの攻撃をかわしきれない。
 フットペダルを踏み込んで機体を上昇させ、木々の上に出る。
 飛んできた2発のミサイルを、寸前で機体をひねってやり過ごし、サイトを地上に向ける。――赤い光点、ロックオン。
 トリガーを引きかけた指が凍りついた。急速ターンブースターを発動すると同時に機体を右へスライドさせる。今の今、自分がいた空間をグレネードがかすめてすぎた。
 後方に爆音を聞きながらブースターを噴かして軟着地――即、左へ跳ぶ。
 正確な狙いのグレネードが爆発し、周囲の木々を文字通り根こそぎ吹き飛ばした。
「可愛くねえな!! 機械の分際で!!」
 数年前にも叫んだ言葉を再び吐き捨て、トリガーを引く。
 名銃KARASAWAが唸りを上げ、薄青いレーザーブラスターが画面上のロックオンマーク目がけて発される。燐光を思わせる爆光が広がる。
(……!?)
 手応えが違う。
(木か!! ええい、うざったい!!)
 すぐさま左へ跳んだ。木々を薙ぎ倒し、地面をブースターで焼き、時折着地する場所に明確な足型を残して、左へ左へ、敵の右側面から背後へ回り込むように旋回してゆく。
 KARASAWAに似たレーザーブラスターの連射が機体の後を追ってきた。
 この間、相手は動けない。俺はトリガーハッピー状態でKARASAWAの燐光を叩き込み続けた。
 俺と奴の戦いで森の中にぽっかりと空間が空いた。視界が開け、ようやく奴の姿を目視で捉えた。
 重量二脚型の白いAC。右肩にデュアルミサイル、左肩にグレネードキャノンを装備し、右手にエネルギーキャノンを持った特徴的な姿はお馴染みの無人カスタムAC――『奴』だ。
 奴は、肩のグレネードを伸張し、空中に舞い上がっている。
 二脚の分際で姿勢保持なしにグレネードを撃つ――普通なら反動で機体が損傷するか、中の人間が潰れかねない。だが、例の特殊パーツに使われているAI技術を使って制御すれば可能だ。いや、より効率的な選択をするならば操縦者など廃してしまった方が――
『レイヴンは――いや、人が要らなくなる時代が来るかもしれないぞ』
 ハジムの声が意識の隅をよぎる――時代・場所が変われど誰しも考えることは同じなのか。
 だが、かつて【管理者】を作った連中は、それでも【人間】の可能性を信じていたのではないのか。だからあんな――
 言いようのない怒りが胸を満たす。
「ざけんなあぁぁっ!!」
 ブースターをふかして地面を滑るように動きつつ、ターンブースターを発動させ、機体の向きを反転させる。相手の右脇の下を通るイメージで背後を――
「ぐおぁっっ!!」
 凄まじい振動が機体を揺らした。グレネードを食らってしまったとわかるまでに数瞬のタイムラグ。
 機体操作不能に陥った俺をサポートすべく、コンピューターが最低限の機体姿勢保持を行う。同時に機体各部の損傷をサイドパネルに映し出す――しかし、俺はそれらの表示を一切を無視した。
 グレネード一発で受ける損傷の程度はよく知っている。それに、一発で沈む機体ではない。
「んなろぉぉぉっっ!!」
 空中に浮いたまま機体を旋回させる奴に合わせて、こちらも再び奴の右へ右へと回り込む。奴のグレネードは左肩についている。そのため、右の照準がわずかに合わせ辛い。
 その不利を悟ったのか、あるいはこちらが思わず距離を離してしまったか――おそらく後者だろう――奴は突然デュアルミサイルをぶっ放してきた。
 鳴り響く意味のない警告音に毒づきつつ、機体に絶望的な回避行動をとらせる。
 コアのアンチミサイルレーザーが、二撃四発までは墜としたものの、最後の一撃二発が命中した。
 激しい振動。
 ミサイルとは別の警告音が鳴り響く。次弾に備えて回避行動をとりつつ、パネルに目を走らせる。
 KARASAWAが赤い。このままでは破壊される。
 ミサイルの警告音。
 アンチミサイルレーザー。今度は一発だけ。もう一発が外れ――俺は直感的に左手のトリガーを引いていた――エネルギーが左腕の回路を走り、目覚めた光芒が空を一閃する。
 左手のブレード2551が次撃二発のミサイルを切り裂いていた。
「機械にゃ考えつかねえ芸当だろうがぁっ!!」
 爆炎をかきわけ、肩を預けるようにして体当たりをかます。奴が体勢を崩したところで跳び退りながらKARASAWA連射。燐光の輝きが画面を埋め尽くす。
 だが。
 その燐光をぶち抜いて、グレネードが放たれた。
 AIと人の違い。圧倒的不利に立たされていながら、保身ではなく敵の殲滅を優先する。
 まるで限度を知らない子供だ。生き延びようという意志が感じられない。かといって死を覚悟した気迫もない。あまりにも『AだからB』という条件反射的なその戦い方は、【人間】とは全く異質で、吐き気がするほどの不快感を催させる。
 画面がグレネードの閃光で埋め尽くされ、妙に軽快な警告音が鳴り響く。今の一撃でKARASAWAは砕け散っていた――そのおかげで機体自体の損傷は軽微だったが。
 さらに追い討ちをかけるように鈍い警告音が鳴り響く。KARASAWAの連射にブースターという二重の負荷で、コンデンサのパワーが底をつきかけている。
 一旦離れて回復を待つか。いや――奴はレーザーブラスターを構えていた――好機!!
 ペダルを深く踏み込んだ。同時に背中の追加弾倉をパージする。
 迫る画面でその砲口が光り出す。
 俺は右手のKARASAWAの残骸をその砲口に投げつける。
 そしてそれが当たったか確認する前に、迷わず左のトリガーを引いた――

 稜線の彼方に血の色をした夕陽が滴り落ちる。
 カラスの鳴き声も聞こえない静寂の森の中――薙ぎ倒された木々といまだ白煙たなびく焦土の中心で、一機のACが片膝をついて静止していた。
 グレネードの超高熱で熔けた装甲と塗装が、無数の涙滴状になって巨体の表面を這っている。夕映えに染め上げられたその姿は、全身血まみれで息絶えた巨人だった。

 ヘッドセットのレシーバーから音声が漏れている。
『ザ……ザザッ……イヴン…………えますか、レイ……ザザザザッ……応答……ザザッ』
『ザザッ……こちらフォッグシャドウ。すまん、こちらの撃ち漏らしたAC二機を処理してもらったようだな。……ザッ……としたことが見落としていた』
『ザザッ……こちら【サイレントライン防衛部隊M-265小隊】小隊長ハジム。少々被害が……ザッ……ちらのレイヴンが二機とも処理してくれた。安心してくれ。そっちの様子はどうだ?』
『……レイヴン……ザザザッ…………応答してくだ……ザザッ』
『M……ミラージュの部隊か。ザザッ……ちらは……けだ。クレストの連中は逃げたようだ』
『逃げた? ザザッ』
『レイ……ン……ザザザ…………聞こえますザザーッ……お願い、応答……』
『衛星砲がザザッ……おかげでこちらも助かっ……ザザザッ』
『おい、そっちの出力が落ちてないか? ザザッ……きとりにく……ザーッ』
『……アリーナトッ……ザ、ザ、ザ……あなたがこんな……ザザ……なんて……』
『機体もザザッ……ガタだ。オペ……とも連絡が……ザザザッ……できれば……ザザッ……のレイヴンと一緒に引き上…ザザッザザザッ…ーテックスに連絡……ザザッ嬉しザッザザザザ――……』
『ザザッ……それは構わんが……ザザッ……こっちのレイヴンが応答せんので……広域レーダーも襲撃の際に壊されちまって……』
『……私がもう一機を見落と……からザザザッ…………私は……レイヴ……ザザザザ』
『ザザザッ奴が……死んだとザザッ……』
「……生きてるよ。勝手に殺すな」
 朦朧とした頭で聞いていた俺は、思わず吐き捨て――胸に走った痛みに顔をしかめた。
 声を出すだけでも折れたアバラに激痛が走る。右目は凝固した血糊で塞がり、口の中にも血の味が広がっている。半分塞がりかかった左目に映るのは――ひび割れた夕陽。
 メインパネルさえこの有様。よくは見えないが、コクピットのあちこちでショートの火花が散り、キナ臭い匂いが漂っている。通信以外のほとんどの機能がダウンしているはずだ。
 よく生きていたものだ、と自分でも思う。
「そうとも……俺はまだ……死んじゃいない」
『……無事だザザッ……か……』
 フォグシャドウの深い声に、ハジムとオペレーターの声がぴたりとやむ。
『……………………――レイヴン!?』
 俺の吐き捨てた台詞を、首に引っかかっていたヘッドセットのマイクが拾っていたらしい。
 俺は苦笑して、もう一人のレイヴンに応えた。
「ああ……お互い、AIごときに遅れはとるまい……?」
 微笑む気配を残して、フォグシャドウの通信が切れた。
 入れ替わりに無事を確認するオペレーターの涙声と、ハジムの歓喜のわめき声が交錯する。
 それを聞きながら、俺は深く息を吐いた。
 ひとまずはこれで終わりだ。
 あちこちで火花の弾け飛ぶ暗くキナ臭いコクピット――俺はゆっくり左目を閉じた。
 今ごろ目覚めたコンピュータが軽やかに告げた。
『――作戦目標クリア。システム通常モードに移行します』

『静寂の戦線・了』

※この作品はAC3SLを題材に作られたものですが、舞台と状況設定はオリジナルです。
※時期的にはレイブンランクAに上がった頃を想定しています。


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