地球防衛軍3・SS
望月の…
月が出ている。
薄暮の空、東の地平の彼方。
白く、儚げな満月。
それが見えたのは、皮肉にも『異邦人』たちの攻撃によって、主要な建物が壊されていたから。
それに気づいたのは、西に沈む太陽の輝きがあまりに眩しかったから。
ここは廃墟。かつて都市だった場所。
周囲に居並ぶのは心強き仲間――いや、先輩たち。
その腕に構えるは狙撃用の長射程ライフル。
敵はいまだ姿を見せず、ただ埃っぽい夕風が頬をなぶる。
そして、月が見つめている。戦いに臨む戦士たちを。
(……彼女も、あの月を見ているだろうか。どこかで……)
全員が北を向いて敵を待ち構えている中、レンジャー42(フォーツー)は一人、東の空に思いを馳せた。
数ヶ月前。
異邦人−フォーリナー−の地球侵攻が始まって一月ほどした頃。
久々に会った彼女は、入院患者だった。
EDFの軍病院。その一室に彼女はいた。記憶の中の彼女とは大きく変わった姿で。
顔の右半分から頭部全体が包帯に覆われ、右腕は肘から先がなくなっていた。右足も――布団で隠されてはっきりとはわからなかったが、膨らみが妙に低かったところを見ると……。
人づてに聞いて仕事の合間に見舞いに来たものの、これほどひどいとは聞いていなかったため、思わず病室の入り口で立ち尽くした。
彼女はこちらに気づくと、初め驚き、次に悲しそうに顔を伏せ、そっぽを向いてしまった。
「……あの……怪我をしたって聞いたものだから……」
返事もせず、顔の右側を見せまいとうつむき、そむける彼女の肩が震えた。
彼女とは大学からの付き合いだった。
初対面からなんだか妙に気が合って、気づいたら周囲から付き合っていると認識されていた。思春期に思い描いていたような男女の付き合いではなかったけれど、お互いに妙に惹かれていた。一応男女の関係にもなったし、このまま将来一緒になるのかな、などと考えていたのだが――大学卒業とともに、彼女はEDFに入った。
理由は――
「出来たばっかりの組織なんだよ? 今入っておけば、第一期の人間てことで、のちのち大切にされると思うわけよ。形はどうあれ、軍隊ってそういうとこだしね」
そう。彼女は大学では空手部に入部していたが、その理由が『体育会系のノリが好きなので』という変わり者だった。
この時、さもありなんと思って笑っていたのに――
「……ごめん」
持ってきた花束を花瓶に生けているとき、ふと聞こえた彼女の小さな声に、眉をひそめる。
「ごめんって……なにが?」
「こんな姿……君には見られたくなかったよ……こんな姿見せて……ごめんね」
「なに言ってんの」
そこまでは言ったものの、続く言葉が見当たらない。慰める言葉がない。
椅子に腰を下ろし、彼女の左手を握った。
「何はともあれ、生きていてくれて嬉しいよ」
「うん…………ありがとう」
彼女は握った手を握り返してきた。強く、すがるみたいに。
それから少し話をして、帰ろうと腰を上げたとき――彼女は再びごめんね、と謝った。
「……だから、なんで謝るの?」
「だって、あたし……こんな体じゃ、もう君の…………」
「僕の、なに?」
「……………………」
うつむいて黙り込む。頬が赤く染まっているように見えるのは、窓から差し込む残照のせいだろうか。
「まあいいや。当分、時間を見つけて通うことにするから。何か欲しいものあったら言って。買ってきてあげるし」
「うん……………………ありがとう」
「じゃあ、また」
努めて陽気に振る舞い、手を振りながら病室を出た。
ナースステーションの前で、女性のナースに呼び止められた。
「305号室にお見舞いに来られてた方ですよね? 縁者さん?」
変な聞き方に、少し警戒しつつ――
「縁者っていうか、大学時代からの友人です」
「そうですか……。あの……あの方の縁者さん、どなたかご存知ありませんか?」
「縁者さんて……家族じゃいけないんですか?」
途端にナースはあっという顔をした。
「ごめんなさい、ご存知なかったんですか。すみませんが、今の話は――」
「そこで切られたら余計に気になるじゃないですか。彼女、家族がどうかしたんですか? あそこの家族とは付き合いもあったし、何か知ってるんなら教えてください」
ナースは後ろの職員たちと顔を見合わせた後、声を低めて続けた。
「家族さんは皆、お亡くなりになったんです。フォーリナーの最初の攻撃のあったあの日に……」
家に帰って一番にしたのは、まず実家に電話をかけることだった。
幸いうちの実家は田舎にあるせいか、父も母も兄弟もみんな無事だった。
ただ、フォーリナーの侵略をまだテレビの向こうの他人事のように捉えていて、しきりに帰省を勧める母の言葉に苛ついた。
母が悪いわけじゃない。けれど、僕の中では彼女のことと重なって……。
電話を置き、静まり返った部屋に心が戻ってくると、ナースとのやり取りが蘇った。
『彼女自身も、戦闘で巨大生物の体液を至近で浴びてしまったんです。運良く命は取り留めたけれど、体の右側半分はひどい有様で……腕は溶け落ち、足も……原形は保っていたんですけれど、服や装備と融合してしまっていて、切るしかなかったんです。そもそも、つい1週間前まではICUに入っていたんですよ』
それで、なぜ縁者と連絡を取る必要があるのか尋ねると、ナースはステーションを出て僕の袖をつまんで隅っこの方に引き寄せた。
『……今、患者さんが激増しています。はっきり言うと、病室が足りないんです。ですから、在宅で看られる方は在宅で、という方針なんです。リハビリのお手伝いぐらいならできますけど……それに、彼女はもう原隊復帰できません。あの体では……。原隊復帰できる可能性のある方を優先的に治療する、というのもEDFの方針としてあるんですよ』
「つまり……彼女はもう、使い物にならない、と判断されたわけですね」
告げた皮肉を、ナースはしっかり理解したらしく。一瞬口元を真一文字に引き締めたが、そこは職業柄すぐに顔を取り繕ってみせた。
『私たちとしても歯がゆい思いは同じです。ですが、状況的にそれが許されなくなってきているんです。憎んでいただいてもかまいません。転院の可能性も探っていますが、今はどこもいっぱいで……縁者の方をご存知であれば、連絡を取って引き取っていただけるよう伝えていただけませんか。お願いします』
頭を下げるナースに、それ以上のことは言えなかった。今が戦時中なのだということを、こんな形で思い知らされるなんて。
返事はできなかった。彼女の縁者なんて知らない。彼女に聞いても教えてはくれないだろう。教えてくれるぐらいなら、彼女はナースに先に話している。それに、天下のEDFなら僕が動く前に、すでに何か調査を始めているかもしれない。
ただナースに頭を下げ、彼女をよろしくとだけ言って病院を後にした。
それから、時間を見つけては見舞いに訪れた。
世の中の状況を伝えたり、新聞を届けたり。時々甘いものなんかを。
シュークリームを持っていった時のはしゃぎっぷりは凄かった。四つ入りのものを持っていったんだけど、こっちが一つを食べていた間に三つを平らげてしまっていた。口の周りをクリームだらけにして。
容態は大して変わらなかったけれど、日に日に彼女の精神状態は回復しつつあった。少しずつではあるが、包帯の量も減ってきた気がする。今では短く刈り込んだ髪もおおかた見えている。顔の右側は相変わらずシークレットゾーンだったが。
彼女の先行きに不安はあったけれど、なにはともあれ元気になってゆくのがただ嬉しかった。
ある時、彼女は胸の前の虚空を見ながらふと呟いた。
「時々、感覚はあるんだけどなー……」
一瞬、何のことかわからなかったけれど、すぐに理解できた。彼女はそこに自分の右手の掌を見ていたのだ。
ふと僕の顔を見た彼女は、笑いながら言った。
「そういや君、どっかの研究所に勤めてたんだっけ。電気製品とかの。そういうのって、そろそろ造れない?」
「そういうのって……義肢のこと?」
「うん。ほら、漫画とかでよくあるさぁ、サイボーグみたいなやつ。無理?」
「……君のことだから、パワーは百万馬力で、うっかり缶コーラを握り潰したりしたいんだろう」
「わかる?」
いたずらのばれた子供のような笑顔。ついこちらもにんまり笑ってしまう。
「わかるって。第一、それ、もううっかりじゃないし。故意犯だよ」
「いいじゃん、お約束なんだし。そういうことにしといてよ。でないと、懐の広さを疑われるぞ?」
「どうせ僕の懐は狭くて寒いよ」
「またまたぁ」
ひとしきり笑った後、彼女は再び真顔になった。
「で、どうなの? 無理かな?」
「結論から言うと、無理。……各国とも戦時体制でその手の厚生関連の研究は凍結されがちだしね」
「ちぇー」
ベッドに倒れこんだ彼女は、右手を天井にかざすかのように右腕を差し上げた。
「人並みの力なんてもういらないんだけどなー……フォーリナーどもを捻れる力さえあればさー」
悔しそうな横顔に、ふと不安を覚えた。彼女はどこへ行こうとしているのか。
「……そんなに戦いたいの? 家族と右半身を失ったのに……まだ? 戦場に出たことのない僕が言うのもなんだけど、君は十分闘ったんじゃないの? もう、いいじゃないか」
「そうだね……」
ふっと疲れたように目を細める彼女。
「でも、これは戦わなきゃいけないことなんだよ」
「どうして?」
答えは数瞬、滞った。
「……理由はいくつもあるよ。家族のこと、この身体のこと。それに、EDFの仲間のこと。それだけじゃない。敵は地球侵略が目的なんだ。この戦いに、戦わなくていい人間は誰もいない。そして……今のあたしに出来ることはもう、それだけだから」
人は絶望の最中に笑みを浮かべる時がある。おのれに起きるであろう避けられぬ未来を受け入れた時。その時、彼女が浮かべた笑みはまさしくそれのように思われた。
彼女はその笑みを浮かべたまま、またごめんね、と謝った。天井に眼差しを向けたまま。
「あたしさぁ……EDFをそれなりに勤め上げたらさ、君にプロポーズするつもりだったんだぁ」
「ふぅん」
僕の生返事に、彼女は身を起こした。ここ最近、左腕一本でも上手に起きられるようになってきた。
「……驚かないね」
「別に、わかれたつもりもなかったし。君のことだから、別れるつもりならきっちり落とし前つけるはずだし。もしそちらから言い出さなければ、こっちからいずれ行くつもりだったよ」
「おおー、自信満々だね。さすが、あたしの見込んだ男」
「変な褒め方だね」
お互いにくすっと笑う。
彼女は続けた。
「それでー……予定ではさぁ……君と一緒になって、子供を作って……んで、君や子供がピンチのときに颯爽と現れてさぁ。EDFで鍛えた腕前でぱぱっと解決して、こう言うんだよ――見ろ、これがほんとの母は強しだ、って。そしたら、君も子供も拍手喝采でさぁ…………でも……」
彼女の顔が崩れてゆく。左の目尻からきらめく雫が溢れ落ちる。それを隠そうとするように顔を伏せ、左手と無い右手で顔を覆う。
「……でも……あたし…………子供も作れなくなっちゃったし……君と一緒に暮らすことも……できなく……なっちゃって……だから…………せめて戦って……君を……君だけでも……守り、たくて……」
「――子供はともかく、一緒には暮らせるだろ」
そう口走ったのは、彼女の境遇に同情してではない。まして彼女の涙にほだされたわけでもない。ここしばらく考えていたことだ。
ぽろぽろと涙をこぼしていた彼女は、きょとんとした顔で僕を見た。
「一緒に暮らそう。それで万事解決だ」
「な…………なに言ってんの? あたし、こんなだよ? 右手だって、足だって……それに、顔も……お化けみたいに……」
「じゃ、仮面を被ればいいさ。おしゃれなの作ってあげるよ。人に自慢したくなるようなやつ。それとも赤い人みたいなのがいい? それに、右腕の代わりはリハビリをして左腕にさせればいいし、足は義足のいいのを見つけてあげる。お望みのサイボーグ脚は無理だけど。それでも足りなければ、僕が君の腕になる。足になる」
「どう……して?」
新たな涙を溢れさせながら、ゆっくり首を振る彼女。
「あたしは……そんなことされても、君にお返しできないのに」
「何を今さら」
思わず鼻で笑うように言っていた。
「僕ら、初めっからお互いに気を遣ってお返しするような関係じゃなかったろ? それに、人が人の支えになれるかどうかは、身体機能の有無じゃない。僕は君をお嫁さんにするつもりだった。君は僕をお婿さんにするつもりだった。君が五体満足だったからじゃないし、僕が五体満足だったからじゃない。どうせ結婚式では『お互いがどういう姿になろうとも続く永遠の愛』を誓うことになるんだ。誓いと現実が前後するのも、僕ららしいといえば僕ららしいじゃないか」
「でも……今は戦時中だよ? 絶対あたし、君のお荷物になっちゃうよ?」
「うそつきなさい」
手刀で軽く彼女の額を小突くと、彼女は首をすくめた。
「そんな殊勝な人間か、君が。そんな境遇に甘えるよりは、地獄のようなリハビリを選ぶくせに。だから僕は……君を地獄に突き落とす。そこから必ず這い上がってくる人だもの、君は」
「……………………」
「そして、地獄でもがく君の傍で、いつもと変わらず悪態がつけるのは僕だけだ。それだけには自信がある。その代わり、君が見せたくないその姿を見据え、悪態をつき、応援し続けるのが……僕にとっての地獄だ」
じっと僕を見ていた彼女は、左袖で目元をぐいっと拭うとにんまり笑った。
「相変わらず、理屈こねるのが好きだね、君は。でも……君も嘘つきだ」
「……なんで?」
嘘をついたつもりはない。全部偽らざる心境だ。しかし、彼女はたくらみ笑みを頬に貼り付けたまま舌を出した。
「へっへーん。それは内緒。自分で考えることだね」
ばったりと背中からベッドに倒れ込む。その顔は心底嬉しそうだった。笑っているというよりにやけている。久々に見た表情だ。その表情が見られたことが、まず嬉しい。
「でも、ありがと。……一緒に地獄へ落ちよう、か。考えてみれば、凄いプロポーズの言葉だねぇ、それ」
「プロポーズの言葉っていうより、スポ根アニメかドラマの特訓口説き文句だね。好きでしょ?」
「わかってんじゃん」
その時、ナースが扉をノックして病室を覗き込んだ。
「すみませーん。そろそろ面会時間終了ですのでー」
「はーい。――じゃ、僕はそろそろ。今度来るまでに二人で暮らす部屋とか考えておくからさ、そっちも覚悟決めといてよ」
言いたいことは言った。軽い昂揚感と満足感を覚えながら腰を浮かしたとき、彼女がふと声を漏らした。
「あ……見て、月だよ」
彼女がなぜそのとき、腰を浮かせた僕ではなく、窓の外を見ていたのかはわからない。けれど、彼女の左目の見つめる先、薄暮の薄群青色に染まる東の地平線近くには確かに、ポツリと白く儚げな満月が浮いていた。
「そっか……今夜は満月なんだね」
「そうだね。――それじゃ、僕はこれで」
すっかり挨拶代わりになった左手での握手。それに今日は軽い口づけ。
「ありがと。……またね」
「うん、また」
軽く手を振って、僕は大学時代に戻ったようなうきうきした気分で、病室を後にした。
その後、数日僕は見舞いに訪れることが出来なかった。
新種のクモに似た巨大生物が職場の近くに投下され、大騒ぎになったからだ。
幸い巨大生物はEDFの手によって殲滅されたが、そこで生じた被害に公的機関の対応だけでは手が足りず、僕らもボランティアと言う形で参加せざるをえなかった。
加えて親会社が被害を受けた職場の解散を決めたため、その対応でまたひと混乱とひと騒動があり、結局家に帰っている時間さえなかったのだ。
そして――
久々に訪れた305号室はすっかり片づけられていた。
真新しいシーツ、真新しい布団、真新しい枕ケースに包まれた枕。ベッドの上には、そこにいるはずの彼女の姿はなかった。
慌ててナースステーションに行くと、いつもの女性ナースが困惑げに言った。
「え……? ご存知だったんじゃないんですか?」
「知りませんよっ!」
後にして思えばいささか興奮しすぎだったが、その時の僕はもう完全に冷静さを欠いていた。
「彼女、一体どうしたんですかっ!?」
「どうしたって……退院なさったんですよ。ほら、前にあなたが来られた日。あなたが帰った後に、彼女から縁者さんに連絡を取ってくれるよう申し出があったんです。……あなたが探してきてくれたって聞きましたけど」
「そんなバカな! 僕は彼女の家族は知ってたけど、縁者なんて知らないですよ!」
「遠縁の……母方の祖母の兄弟さんだとか言ってました。それで、翌日には連絡が取れて、すぐにその縁者さんが来られて……そのまま夕方には退院なさったんです。一応お聞きしたんですよ? 退院の時に。いつものお見舞いに来てくれる彼は来ないんですか、って。そしたら――あ、そうだ」
何を思い出したのか、胸の前で手を合わせたナースはステーションに小走りで戻っていった。
僕はナースの後ろ姿を見ている余裕もなく、その場にへたり込んだ。
世界の底が抜けたような感覚。どこまでもどこまでも落ちてゆく。
呆然と虚空を見詰めている僕の目の前に、差し出されたものがあった。
「……封筒?」
「あなたは来ないんですか、って聞いたら、彼女がこれを、と。向こうで合流する予定だけど、道に迷って来るかもしれないからって」
僕はナースの手からその封筒をひったくり、即座に封を切った。
中から数枚の紙を取り出す。そこには、左手で書いたのであろう、崩れた文字が並んでいた。
ごめん。こんなことをして。
君の気もちはうれしかった。君があのころとかわらずやさしい人でほんとに安心した。
君の気もちをうたがってなんていないよ。君ならほんとにいっしょにじごくへおちてくれる。それがたまらなくうれしい。君とくぐるしゅらばをそうぞうするだけで、あたしはもえられたし、しあわせな気分にさえなれたんだよ。ほんとだよ。
でも、君はあたしなんかをえらんじゃダメだ。
フォーリナーのしんりゃくは日、一日はげしさをましてる。このさき、たくさんの人がしぬ。やつらの力はあっとうてきだ。じんるいはめつぼうのふちにまでおいつめられるかもしれない。でも、さいごにしょうりしたあと、君をふくめて生きのこった人には、こどもを作りそだてて、ふたたび社会を、文明をふっこうさせるやくわりがある。こどもをうめない体になったあたしとそいとげるようではいけない。
これが、あたしの、ちきゅうを守るEDFたいいんとしてのさいごのプライド。
だから、ごめん。ほんとにごめんね。
めおとにはなれなかったけど、君のことはほんとに、しんそこ、せかいでいちばん、だいだいだいだいだいすきだ。君のことはけっしてわすれない。君のしらないとおいまちで、さいごに見たあの月のようにひっそりと君のしあわせをいのっているよ。
慣れない左手で必死に書いてくれたのだろう。書き慣れた文字と悪戦苦闘し、書けるはずなのに書けない漢字に涙する彼女の姿が目に浮かぶ。
二枚目は追伸だった。
ついしん。
あたしのことをおもってくれるなら、おねがいだからさがさないで。
これいじょう、君にこのすがたを見せたくないから。むかしのあたしをしってる君に、今のあたしを見られつづけるのは、ほんとにつらいんだよ。あたしもおんなのこなの。わかって。
これ、かなり本気の本音だから。
最後もまた追伸。
ついしんその2。
ほんとにおねがい。さがさないでね。しつこいかもしれないけど、君はしゅうねんでさがしにきそうだから……。ほんと、じょうだんぬきで、おねがい。
繰り返す追伸の内容に、僕は彼女の平謝りを見て取った。思わず口許が緩む。
一枚目を書いたときは平静だったのだろうけど、書いた後でふと僕の性格を思い返して、どう書いたらもっとも効果的に諦めさせられるか、悩んでいる姿が目蓋に浮かぶようだ。
「こういうところは妙に子供っぽいんだよな……。大学出てるくせに、さ」
だから可愛いんだけど、という言葉は飲み込んだ。それよりも……
「……本当にバカなんだからさ。君と一緒に戦えないのなら、僕がするべきことは一つしかないじゃないか……」
手紙を封筒に戻し、スーツの内ポケットにしまい込む。
そして、再びナースステーションに歩み寄った。
「あ、どうでした? 行き先、わかりました?」
「いえ、もういいんです」
にっこり笑う僕に、ナースは怪訝そうな顔をした。
僕は構わず続けた。
「すみません、ここってEDFの病院ですよね? じゃあ、EDFの入隊手続きはどこでやってるか、ご存知ですか?」
目が点になっているナースの返答を待ちつつ、僕は胸の内で呟く。
(――君の傍で君を守れないなら、君の生きているこの世界を僕が守る。君が僕を守るためにEDFを選んだように、僕もまた。……そして、平和が来たら……必ず君を探し出す。草の根分けても)
一月後、基礎訓練のさわりだけを一通り受けた僕は、唐突に前線に配置された。
相次ぐ戦闘で次々と隊員が戦死するため、その補充が間に合わないための措置らしい。
配置先はレンジャー部隊。与えられたコールナンバーは42(フォーツー)。
レンジャー42が、EDFでの僕の名前。仲間や先輩には『死に』で不吉極まりない、と散々悪態をつかれたけれど。
アーマーをクリームみたいに溶かす酸を放ってくる蟻、瓦礫を貫く強酸性の糸を噴くクモ、骸骨を思わせるガンシップ、怪獣じみた超巨大生物、ロボット兵器、赤い蟻、巨大生物やロボット兵器を投下する空母、四足の要塞……街で、山で、海辺で、地下で、戦い続けた。
三ヶ月ほどがすぎたのだろうか。いや、四ヶ月か。ひょっとするともっとかもしれない。
入隊してから何日、なんて無駄な計算や記憶は戦場では何の力も持たない。幾人もの仲間を失い、何度もの恐怖の瞬間をくぐり抜けて戦い続けた日々の間に身に染みたのは、今日を生き抜くことだけに全てを注ぎ込まなければならないということ。さもなくば、死がその非情な刃を僕の喉笛に突き立てる。
死にたくなければ戦え。その言葉が、何の飾りも解釈も必要とせず僕の――僕らの前にある。
過去も、未来も、ここにはない。あるのは今だけ。
とはいえ、最初こそひ弱だなんだと言われていた僕も、出撃を繰り返しているうちに、曲りなりのEDF隊員らしく立ち回れるようになってきた。
初めての出撃の時、隊長の背中を撃ちそうになって、思いっきり殴り飛ばされたのも今はいい思い出だ。
己を奮い立たせる叫びをわめき、仲間と銃の筒先をうち揃え、隊長の命令に従って物陰から飛び出し、我が物顔で世界を脅かす巨大生物をぶっ潰す。
それが、僕の仕事。僕の使命。
僕は死にたくない。理由なんかどうでもいい。ただ死にたくないんだ。
邪魔をする奴は、みんなぶち殺してやる。フォーリナーがなんだ。蟻が何だ。クモが何だ。ヴァラクが、ガンシップが、キャリアーが、マザーシップがなんだ。
僕は、絶対に生き残る。生き残ってやる。腕を失い、足を失っても、たとえ首だけになったって。必ず。
そして、昨日。
「――敵の一団がこの地区に迫ってきている」
司令はホワイトボードに貼り付けた地図の一点を指揮棒で示した。数日前の戦闘で廃墟と化した街。それはいい。だが、その進路の先には被災民のキャンプがある。
EDF極東支部・戦域6578229臨時司令部内ブリーフィングルーム。少し大きめのテントの中には、司令の他に二十人ほどのEDF隊員が揃っていた。僕の所属するレンジャー8小隊他、急遽集められたチームだ。
終わりの見えない、犠牲者ばかりが増える戦闘に、隊員たちの疲労の色は濃い。
司令は続けていた。
「この敵の群れはクモ型巨大生物のみで構成されており、言うまでもなくその殲滅能力は凄まじいものとなる。背後の難民キャンプにおける混乱もいまだ収まっていない以上、避難もままならない。そこで、EDFでは急遽スナイパー部隊を編成し、この群れをこの廃墟で迎え撃つ作戦を立案した」
そこで、うちの小隊長レンジャー8が手を上げた。
「司令、そこはこの間うちの小隊が戦った場所だ。隠れられそうな建物はあらかたなくなっていたと思うんだが」
「そうだ。逆に言えば、見通しがいい。クモ型巨大生物は攻撃力こそ高いものの、その生命力は蟻型巨大生物に比べて弱い傾向がある。接近される前に、スナイパーライフル部隊の弾幕で殲滅できよう」
別の小隊の小隊長が手を上げる。
「とはいえ、連中の機動性は洒落にならんぜ。万が一にでも懐へ入られたりしたら……」
クモの吐き出す強酸性の糸はアーマーをあっという間に貫通する。飛び込まれたらまず死を覚悟しなければならない。
そのためにスナイパー部隊が編成されるときは建物の上や物陰、あるいは前衛部隊を盾としてその陰に身を潜め、撃つことに集中できる状況を作り出すことが肝要なのに。
司令はにんまり頬笑んだ。
「そこは抜かりない。強力な援軍を頼んである。諸君らの護衛として、あのストーム1がついてくれることになっている」
途端に、おおおお、という海鳴りのような声が室内を埋め尽くした。
僕も思わず唸っていた。
ストーム1。数々の戦場で伝説的な戦果を挙げているストームチームのナンバー1。
津川浦防衛線を一人で守り抜き、世界で最初にキャリアーを撃墜した男。身長40mにもなる怪獣をも倒し、絶体絶命の孤立包囲戦を突破し、地底深く巣穴の奥に潜んでいた女王さえもしとめたという。
その彼が、護衛に。
誰もが疲れを忘れて高揚していた。
彼は今――僕の目の前にいる。
僕や他の者のようにそわそわよそ見をすることなく、無駄口を叩くこともなく、ただ敵の来るであろう北の方角をじっと見つめている。そこに声をかけられるような雰囲気はない。
もっとも、話しかけることなど何もないが。
僕は目を閉じ、深呼吸をした。
大丈夫。生き残る。難しい話じゃない。死ななければいいんだ。うまくやれば、彼のように戦えればいいだけの話だ。大丈夫。
そっと目をあけ、再び東の空に瞳を走らせる。
薄群青の空にポツリと浮かぶ白い月。
あの同じ月を見て、彼女が祈ってくれている。僕の無事を、僕の幸せを、僕の平穏を――
(ごめん。僕はここしばらく、すっかり忘れていたよ……僕の戦いは、君の平穏、君の幸せを少しでも守ること……そう、僕が死んだら、君は幸せにはなれない。だから、僕は生き残る。勝つ。今は――それだけだ)
『来たぞっ!』
斥候の叫び声が聞こえた。
すかさず指揮官レンジャー8の命令が響く。
『スナイパー小隊、前へ!』
『まだ撃つなよっ! 射程内に引き寄せてから撃つんだっ!』
『おおおおおおっ早く来やがれっ!』
『E・D・F! E・D・F!』
『お前らさえ来なければっ!』
ヘルメットの内側でガンガン響く仲間たちの声を聞きつつ、僕は北を向き、スナイパーライフルを構え、スコープを覗いた。
拡大された風景の中、スコープに納まりきらない大きさのクモが蠢く。
僕らを嘲笑っているかのような、余裕めいたその動き。
(お前たちなんかにっ! 負けるもんかっ――)
開戦を合図する最初の発砲音が響き――その音が消えやらぬうちに同じ音が立て続けに轟いた。
終
(...To be Continued. "mission32")