「あひるの造船所」             by Oliveyz    Date: 13 Jul 1996 


 ”我が愛する造船所”  船橋のミクロネシア!!の話しをしませう。



 船橋港の西外れに、くだんの造船所はある。

 余りにも良心的なオーナーに要らぬお節介をし、ご迷惑を掛けぬ様、匿名 での紹
介をお許し願いたい。



 全国的に、木造りの和船を作る造船所は少なくなった。

この造船所も同様で、「とらさん」で有名な葛飾柴又の近くにある
水元公園のへら鮒池での釣宿に欠かせぬ

和船を作っている船大工さんがこの造船所のオーナーでありこの話の主である。


 主は、豊かな奉仕心と、きさくな人柄で、海好きの若者(主 より若い人は60歳でも若者!)を応援してい

信じらられぬ話しだが、数10艇係留させている船から係留料の話題を聞いたことがないばかりか、 電気、

水道、工具類は使い放題、造船所前のポンツーン代わりに係留している
老朽船に部屋 を作り八年間もただ

で住まわせ、
朽ち果てた木造ヨットをレストアの為上架させているものに、「出来あがりは10年先だろう」と、

「アッツハッハ!」 と実にノンビリと追い出しもせずに七年間も見守っている。


クレーン(最大5トン)を使い上下架する時は上架料を受け取るのだが、船台使用料とか、保管料、保管期間

なんて話しはここには無いのだ。

読者のみなさんにはこれだけで、主の人柄をお判り頂けたと思います。



 当然、主を慕い船好きな人達がここに集まり、自然発生的にクラブ様、同好会様なものが出 来ている。

彼らは、大方、無口ではあるが、オーナーの仁徳に染まってか中々人柄の善い人達が集まっている。

彼らは、中々の技術者で、自分の得意な分野での技を提供し合う。
 ある者は電気関係、ある者は機械修理

FRP技術、アルミ技術、ステンレ ス加工、ペイント、塗装、木工等、そして技の無いものは汗を提供し協力し

合いこの造船所の運営を応援する。 
金では動かぬ素晴らしいコミニティーが出来上がっている。

信頼できる、嘘を付かぬ、権力志向で無く、金は無くても汗を出せるもの・・・ここクラブの入会条件の様だ。


 メンバー全員が認める会長格の人はいるのだが、 ご当人も至って「欲」が無く、まるで無頓着なのだ。

やってみたい奇抜なアイデアが出るとみんなで考え実行に移す、トムソーヤ、ハックルベリーの世界を実現さ

せている。




 プラタナスの大木の下、木陰のテーブルは彼らのクラブガーデンだ。夏は日差しを遮り、冬は大西を遮る。

時間が来ると、誰かがお茶を入れ、誰かが持ってきた菓子を並べ、誰かが作業に没頭している人達に


を掛け、テーブルを囲み昼食時間となる。


そよ風の吹く涼しいプラタナスの木 陰で持参した弁当を広げ、しばし昼食タイムは3時間ほどもたっぷりと掛

け、話しに花が咲く、おかげで仕事がまるで進まぬ!


そう!時間と言う観念がここには無い! まさしく、南太平洋の、ミクロネシアの如くである。



 さて、本題の話だが、木陰談義で、目の前の水面に 「アヒルがいると絵になる〜!」 と提案した者 がい

全員が一致して 「いいな〜!、それは善い考えだ〜!」 と言う事になった。

早速、先出の会長格のH氏があひるを12 羽購入し、小屋をつくり、念願のあひるの泳ぐ風景を手に入れた。


ここで、始め て「餌は誰がやるの? クラブ員は土日しか来ない 平日は毎日くる俺がやるは めになった」と

ぼやくオーナーには、可愛く育った
アヒルたちと、集まってく るメンバーをこよなく愛する目があった。



 その、造船所も、昭和の初期に建造されたクレーンが寄る年波に勝てず、ついに廃棄と決まりメンバーの

涙の内に撤去された。  周辺一帯の船の上架が出来なくなってしまったのはとても残念な事だ。 

 しかし、あのプラタナスの木陰のクラブガーデンには、今もそよ風が通りすぎ、あのアヒルの2世も生まれて

お茶のみタイムも今だ健全であるのがとても嬉しい。
 

 いつまでも、ここ船橋の南太平洋が生き残って欲しいと願うものだ!!             おわり


                                          

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