今回のレポートは、個人向けの日記に終始する気がするので、別途個人向けの日記は書かない。

 セイジ・オザワ松本フェスティバルに行こうと決めたその日から、それがとんでもない日になるのは判っていた。 それは、2016年の4月頃から始まった原因不明の病気、今となっては、自分の家近くの公園を散歩するのさえ困難だ。体重は異様に増え歩くのさえも少し辛い。 こんな状態で、果たして松本まで行けるのか?
 それでも、とりあえず当日行くと決めて宿をとった。しかしながら、病気による体の痛みは日々増しているように思えた。何度、宿をキャンセルしようと思ったろう。

 それでも、リハビリを続け何とか松本まで持つだろうと思えたのが3日前くらい、 ふと体の痛みが和らいできたのだ。だが口を利くのさえ億劫な状況、時にはろれつが回らなくなった。 勿論、脳神経は大丈夫、MRIもとったが何処にも異常はない。

 当日は、とにかく朝が早い。寝て起きてから体が動くようになるまで時間がかかるから5時起きで、とにかく体をほぐす。家を6時に出発、 普通なら9時55分には松本着だが、途中の乗り換えを考えると昔のように体が動かないのだから十分に時間に余裕を持たせあずさを一本遅らせた。

 それが幸いしたのか、スーパーあずさ3号の指定席がとれた、もしとれなかったら甲府までは座れなかったかもしれない。 また、雨の心配も杞憂に終わった。あずさは、大月をすんなりと通り抜け気付けは甲府、人が大量に降りて、がら空きの状態となった。

 幸いなことに、体の痛みは殆どなかった。だた、時より押し寄せる顔をねじるような、顔の中で骨が動くような不快感は、続いていいた。 茅野・上諏訪・下諏訪、ようやく松本に近づいてきたと実感する。岡谷・塩尻、次が松本だ。安堵の気持ちと、降りた直後、体が大丈夫が心配になる。 急激な刺激は、時に歩く事さえ困難にするからだ。

しかし、不思議なことに意外とすんなりと立てた。勝手知ったる松本の駅、最後に来たのはおととしの夏だが、状況はほとんど変わっていない。

 駅を出ると松本城本丸にむかう。パレードのコースを避けてパルコの通りを抜け旧鶴林堂の交差点まで何とか来た。緊張しているせいか体の痛みもさほどではない。 足も痛みなくすんなりと動いていくれている。蟻ケ崎のパレードを横目で見ながら松本城へ到着。

 本丸へ入り、いつものところを探すが誰もいない。メールを確認すると場所を移動したという事、行ってみると、無事ok家一家と合流、ホッと一息

 折角楽器を吹かないので正面から演奏を聴いてやろうという事で、指揮者の真裏あたりに回り込む。

 そろそろ合同演奏というところで、リハーサル(やる意味あるかなあ・・・・)そして本番となりましたが、星条旗でチューバが走る走る。 まあ。簡単な楽譜だから仕方ないか(小学生・中学生も演奏するので本家スーザの楽譜より簡単になってるのです) そして、「信濃の国」これは無難に終わったかな。

 全体写真を撮って解散となり、信州ウィンドの仲間のもとに、皆で写真を撮っていつものそば屋さんで昼食後解散しました。 体の事でいっぱいいっぱいで、誰と何を話したかもろくに覚えてないけど、今回はこれで良しとしましょう。行っただけでも意味がある。 そんなOMFでした。

 最後になりましたが、いつも幹事をしてくれるOKさんと、車にのせていただくNさんに謝辞申し上げます 写真など信州ウィンドのメンバー向けコンテンツは、こちらから