AQUAREGIA Live!

行って来ました岳さん出演ライブ

 翌朝9時から富山でのお仕事をひかえつつ、2003年6月21日 Ginzにて 行われたAQUAREGIAのライブに行ってきました。 電車の乗り換えを間違ってしまい演奏を最初から聞くことはできませんでしたが、 そのために彷徨えるモトはせちゃんを救う事ができたので、これも神様の思し召しに 違いないと、勝手に解釈しております。


ギターの軽やかな動きと共鳴する張りの有る鮮やかな輪郭
響を保持し太く長く伸びつづけるしなやかさ
客席を満たす豊富な声量

あるときは、華やかなトランペットのように
あるときは繊細な弦のように
響は会場を貫き包容した

純粋に音とリズムを楽しむ

ただただヒュアな陽気さの中に隠されたシニカルな自由律に
何時しか衆人は同調する

同期し絡みあい拮抗する旋律にならない叫びは
主役になることを望みつつ、自らを脇へと誘導する

疎と密が波動となり音を形成するように
対立と信頼が、音楽を生成する

やがて、迎える絶頂の時
全ては、その瞬間のためにある


 さて、このバンドのライブに行くのは、これが3回目となりますが、今回は、 強力なVoice(Vocalではなく)が参加していて、 何だかとっても新鮮でした。

 声というのは、本当に不思議な楽器です。自分のもののはずなのに、 御するには相当の技術が必要ですよね。 ただ、肺活量があればよいというものでもないですし、・・・
 肉声に近いといわれている低音金管楽器を吹く私としても、 歌うのはトテモ勉強になりますし、声を楽器にするというイメージは、共感できます。 (単にカラオケ好きという噂も・・・)

 楽器が体の一部になれば、それは弦楽器でもピアノでもギターでも、 表現したいことを思い通りに歌い上げるという世界は同じなのでしょうが、 全ての人が共有できる楽器としての肉声という存在は、 また特別なのものなように思えます。

 歌詞が無くなると、それは純粋に音という表現、高低と強弱とリズムに還元され、 一層の生命感(動物味?)を撒き散らします。
 それは、人間であれば、感ずるであろう本能的な何かなのかもしれません。


 岳さんは、相変わらず元気で、バンドの演奏もバッチリ
 はせちゃんもノリノリで、とても楽しいライブでした。
 次の機会も、是非行きたいと思っています。


 調布発22:20分の急行新宿行きに間に合い、上野発23:33 (富山着05:42)の急行「能登」に余裕で乗車できました。 (結構混んでいて驚きです。)
仕事を終えて自宅についたのは翌日(22日)の0:00で、 さすがに少し疲れました。
 おやすみなさい (-o-) Zzzz

2003.06.22 文責 ハセサン