私はこう考える

香田証生さんがイラクで拉致・殺害された事件にかんして、私の考えをある会員制のブログに書き込みました。
書いたのは10月29日午前7時24分ごろです。その段階では香田さん殺害がはっきりする前なので、そういう意味で古い情報での判断があるのと、個人の日 記として備忘録的に書いたものなので、一般公開を前提としていない文章構成になっていますが、そのまま掲載します。

私はこう考える1/人質

誘拐・人質という手段は、どう言い訳しても許されない卑劣な行為である。その対象が無関係の民間人であるならなおさらだ。
しかし、その行為を生み出した背景・経過、そして実行者の要求・意図を、きちんと見極める必要がある。

犯人側は、自らの要求を通そうと考え、誘拐・人質事件を起こす。私怨であれ、金銭目的であれ、政治的意図であれ、この発想と行動はほぼ共通である。誘拐・ 人質には、自らが要求をつきつける相手にとって無視できない対象を選ぶ。例えば、A国人を人質にとって、B国軍の撤退を要求するようなことはしない。B国 軍の撤退を要求するなら、B国人を狙うはずである。身代金を要求する場合でも、この筋道は同様と考えられる。(もっといやらしい作戦も考えられるが、さす がにそれを書くのは遠慮したい。)

イラク人による「暫定政府」ができた現在でも、米軍は「テロ勢力の一掃」を理由にイラク国内で自由に軍事作戦を展開し、多数の一般市民をまきこんで犠牲に している。フセイン政権に批判的だったイラク国民のなかにも、アメリカとその同盟国にたいする批判が高まっているのが現実だ。理不尽にも家族を殺されて米 軍に怨みを抱く人が増えれば増えるほど、そのなかからテロに走る人も増えると考えられるだろう。そうした人々は、アメリカはもちろん、その要請に応えて軍 隊を派遣している同盟国も同罪であると考えるだろう。そしていま、イラクで誘拐・人質の対象となっているのは、こうした国の人々である。

このことをきちんと理解し、いまの時点で安易にイラクに行くべきではない。その点では日本政府が出している退避勧告は正当性がある。
しかし、退避勧告を出すような危険な状況が、どうしてイラクで起こっているのか、その認識は日本政府にはほとんどなさそうだ。
原因の多くはアメリカ政府の対イラク政策と米軍による無差別な軍事作戦によるものであること、そして米軍を頭とする多国籍軍に参加している自衛隊も同列に 見られることを、日本政府は認識するべきなのだ。軽率にイラク入りした青年にも非はあるが、そういう危険な状況を生み出す外交政策を展開している日本政府 にこそ、もっと大きな非がある。



私はこう考える2/テロに屈す る?

「テロに屈する」とは、そもそもどういうことなのだろうか? いわゆるテロ勢力がなんらかの行動を起こしたとする。そのターゲットになった相手(≒国) が、どういうリアクションをすれば「テロに屈した」ことになるのだろうか?

それは、テロ勢力にいつまでたってもテロをくり返させる、あるいはエスカレートさせるような動機と口実を与えるリアクションを起こすことである。なぜな ら、テロをなくす道を遠ざけてしまうわけだから、これはもう「テロに屈した」といわざるをえない。
アメリカのブッシュ大統領のように「力でテロを撲滅すればよい」という発想もある。テロ(≒暴力)を上回る軍事力(≒暴力)でテロを封じ込めようというわ けだが、これこそ暴力の連鎖を拡大再生産するだけの最悪の選択でしかない。

テロは、どんな理由があっても無関係な市民を犠牲を強いる犯罪行為であり、絶対に正当化はできない。
しかし、テロを起こす人たちの背景を偏見抜きにながめてみると、追い詰められているという側面をみてとれる場合が多い。追い詰めているのは誰かといえば、 テロ以上の暴力(軍事力、政治的覇権、経済的支配…)をふるってきた国・政府である。テロを非道だと非難するなら、そうした国・政府による暴力にたいして も同様の批判をしないとフェアではない。フェアでない社会状況が恒常化し、固定化すれば、自分たちは抑圧されている、理不尽な扱いを受けていると感じる人 々の中から、過激な行動に走る者も出てくる。「正義」の本質は、軍事力(≒暴力)でテロ(≒暴力)を抑えることではなく、フェアな条件を保障できる状況を 非暴力で作り出そうとする姿勢のなかにこそにある。これが、テロに屈しない道ではないのか。

アメリカ政府などが呼ぶ「テロ勢力」から見れば、アメリカ政府こそ最悪のテロ勢力に映っていることだろう。実際、対テロ戦争を口実に、アフガンやイラクで 大量の一般市民を殺しているのは、他ならぬアメリカ政府・米軍なのだから。そのアメリカ政府に無条件で従っている国・政府も共犯なのだから。
全体状況を客観的にながめられず、理性的な判断を下せない人物が国家の指導的立場にいる国は不幸である。



私はこう考える3/交渉

交渉とは、どれだけ利害関係が対立している相手であっても、いちおう対等の地平で話し合うことをいう。

誘拐され、要求をつきつけられた側には、おもに2つの選択肢がある。
(1)要求を受け入れる
(2)要求を拒否する
交渉は、このどちらかの結論を出すプロセスで行なう。
はじめから、どちらかの結論を明言すれば、事実上、交渉の余地はなくなる。
誘拐犯が非常手段を承知でその行為を行なっている場合には相当の覚悟があると想定したほうがよく、要求をつきつけられたからといって、脊椎反射的に安易な 諾否を明言すべきではない。
交渉の過程で、上記の2つ以外に
(3)両者の妥協点を見いだす
――という第3の結論に至ることもある。あくまで交渉によって生み出される結果であり、与件的なものではない。
もちろん、犯人の要求を簡単に飲めない場合もあるから、まずは形式的に拒否することはあるかもしれないが、もっと上手な言い回しや根回しはある。
イラクでの人質事件では、アメリカとその同盟国の軍隊撤退を要求することがほとんどなので、いきなり撤退拒否を断言すれば交渉の余地は非常に狭くなる。そ のうえ、当のアメリカ政府や同盟国に協力を依頼したり、それらの国が犯人の要求拒否を礼賛などすれば、日本がいかにアメリカと一体であるかをますます公に さらすようなもので、誘拐犯にどういう決意を抱かせるか、もっと冷静に考えるべきであろう。

もっとも、政府が最初から人質を見捨てる腹でいるなら、それはそれで筋の通る態度ではある。ただし、そういう政府に国民の安全を委ねることは、テロや誘拐 事件の発生を危惧する以上に極めて危険である。



私はこう考える4/見殺し

いわゆるテロ勢力によって拉致・誘拐された人質を日本政府がどう扱うか、いくつかの考え方がある。被害家族の心情を考えると心苦しいが、非常に残酷な考え 方も成り立つ。

つまり、人質を見捨てることで、テロの非道さを国民に印象づけ、日本ももっと積極的に対テロ戦争を行なうべきだという世論を誘導する策である。
ただ、これは諸刃の剣で、「日本政府は人質を見捨てた」という印象を国民に与えては逆効果にもなりかねない。そこで、被害者バッシングである。
建前上、政府は救出に努力する姿勢は見せるが、一方で「退避勧告が出ていたのに」「軽率な行動をした」と人質被害者をたたく。そうすることで、政府が人質 を見捨てた、という印象を薄めることができるのだ。被害者家族へのいやがらせ電話も、政府が組織したものではないにせよ、その布石になる。脅迫によって被 害者家族の口をつぐませ、政府批判を抑えるのである。

イラクに派遣されている自衛隊員が被害にあった場合も、類似の手法がとられると想像できる。ただし、この場合は徹底的に英雄扱いするだろう。そして、その 死を無駄にするな、と国民を鼓舞するのである。これは「英霊」の復活を意味する。

幸いにも無事に解放された場合は、4月の人質事件のときと同じく、日本政府の手腕を誇り、政府の政策の正当性をアピールする材料に使うだろう。

できればこのようなシナリオは想像したくもないが、きれいごとだけでは権力者のウソに対抗できない。ヤツらの考えそうな理屈を先取りし、だまされないよう にしなければ……。



私はこう考える5/撤退

2004年7月、イラクの武装勢力に誘拐された1人のフィリピン人男性が解放された。これは、フィリピン政府が自国軍を撤退させることを決定し、実行した からであった。このフィリピン政府の決定を、アメリカ政府やオーストラリア政府などは「テロに屈した」と激しく非難したが、フィリピンのアロヨ大統領は、 「危機にある同胞の生命を救うために部隊撤退を決断した。後悔はない」「フィリピンは人命の犠牲を要求する政策を持ち得ない」と述べた。

フィリピンのある新聞は社説で、「米・豪や他のいくつかの国は、撤退の決断でフィリピンが世界の敵になったと叫ぶ。しかし、大多数の国がどう感じるかも重 要だ。フィリピンがイラクに行ったのは、アロヨ大統領が有志連合に加わったからだが、この連合自体が世界の多数派を形成していないことを考えるべきだ。世 界から孤立しているグループがあるとすれば、それは連合のほうだ。アロヨ政権は、撤退の判断をすることで、過去の誤った外交政策を正していると言えなくも ない」と述べている。

フィリピン政府が、誘拐犯の要求をのんだからといって、その後にイラクで拉致・誘拐事件が劇的に増えたようには見えない。それ以前から、同様の事件が多数 発生しており、無事解放された人質もいれば、犯人に殺害された人質もいる。
しかし、おもに拉致・誘拐事件を起こしているイラクの反米武装勢力(複数の個別グループと思われる)からみて、軍隊を撤退させたフィリピン人を拉致・誘拐 しても、そのメリットはなにもない。事件後、フィリピン政府はイラクへの渡航を禁止しているが、何人ものフィリピン人がイラクに渡っており、しかもフィリ ピン人が誘拐される事件はいまのところ発生していない。

こういう教訓もある。日本政府は学ぶべきだろう。



私はこう考える6/正当性

米ブッシュ政権が、対イラク戦争の理由としたことは、大きくいって次の3つであった。
(1)大量破壊兵器を保有していて危険だから
(2)テロ支援国家で危険だから
(3)独裁政権の国で民主化が必要だから
――である。
しかし米ブッシュ政権は、これら3つを筋道立て、一貫性を持って説明したことがあっただろうか? むしろブッシュ政権は、ときには(1)を、ときには (2)を……というふうに、その時々の国際情勢や米国民の関心によって正当化するのに都合のよい開戦理由をばらばらに主張してきており、これら3つの理由 を戦略的一貫性を持って説明したことはなかったようにみえる。

(1)については、2004年10月に米政府イラク調査団(ISG)の最終報告が公表され、大量破壊兵器(核・化学・生物兵器)の保有も、開発の具体的計 画も、なかったことが明らかにされた。これで、米ブッシュ政権が主張した対イラク攻撃の「正当性」のひとつが崩れた。パウエル国務長官が国連で様々な資料 を示して延々と説明した「核保有の証拠」は何だったのか。
(2)については、同10月にラムズフェルド米国防長官が、フセイン政権と国際テロ組織・アルカイダとの関係について「両者を結びつける強力で十分な証拠 は見ていない」と発言した。同長官はその後ただちにこの発言を訂正したが、フセイン政権とアルカイダの密接な関係を強行に主張し、「対テロ戦争」政策の一 環として先のアフガン攻撃の延長線上にイラク攻撃を位置づけていた人物だ。このような発言のいいかげんさに、「フセイン政権が独裁だったとしても、ほんと うにイラクとアルカイダは密接な関係があったのか?」という不信感が生まれている。両者の関係はいまだにはっきりしていない。
(3)については、フセイン独裁政権は倒れたが、替わりにアメリカ傀儡政権ができ、イラク国内で米軍の行動は野放しで、いまだにイラク国民は安全とはいい がたい状況に置かれている。アルグレイブ刑務所でのイラク人虐待は、イラク国民をして「フセイン政権以上」と言わしめている状況がある。本気でイラクの民 主化を援助する気なら、劣化ウラン弾などを含む大規模な無差別攻撃で多数のイラク国民を殺し苦しめるという反民主的な方法を実行するのは、自己矛盾であ る。

このように、アメリカのイラク攻撃とその後の占領には正当性がない。一方的かつ性急に戦争を仕掛け、他国の政権を武力で倒し、その後も軍隊を駐留させ、そ の国で自由な軍事行動をとっているアメリカの要請に応えて、イラクに軍隊を派遣することは、はたして正当な外交政策といえるのだろうか?



私はこう考える7/復興支援

自然災害であれ、戦災であれ、被害に苦しむ権力を持たない大多数の人々に対して、積極的に援助の手を差し伸べることは正しい行為だと思う。
だがそれは、中立的な立場での非軍事の対応であることが前提である。
アメリカによる対イラク戦争の場合、正当な根拠がないまま、ブッシュ政権の勝手な都合で戦争が遂行された。そのアメリカ政府の要請でイラクに軍隊を派遣す ることは、客観的にはアメリカの仲間とみなされることを意味する。

フセイン政権を倒した当初、米政府はウォルフォウィッツ国防副長官の名前で、イラク復興事業の受注はアメリカとその要請に応えて軍隊を出した国など米政府 の指定した国に限定し、イラク戦争に反対した仏独露などの企業を排除する方針を打ち出した。ブッシュ大統領は「命を危険にさらして(軍隊を派遣して)いる 国の権利」とも主張した。受注した米企業とブッシュ大統領、チェイニー副大統領らとの癒着疑惑がいまだにくすぶっている。

ようするに自分で破壊しておいて、自分の都合のいいように復興する――という筋書きにもみえる。まるでアメリカ政府(≒ブッシュ政権支持企業)の自作自演 の戦争という疑いが非常に目につくのである。日本政府は、アメリカのイラク攻撃を真っ先に支持し、戦場になった国に武装した自衛隊を戦後はじめて派遣し た。諸外国からは、石油などの権益目当てに自作自演の片棒を担いだ、と見られているようでもあり、米ブッシュ政権と一部の同盟国政権以外の国際的信用をお おいに落としている。これは日本の国益を損なう間違った外交政策ではないのか?

イラクでの自衛隊の位置づけは非常にあいまいだ。派遣当初、“米軍を主体とする連合軍の指揮下には入らない”と日本政府は説明したが、米軍は自衛隊が指揮 下に入るという認識でいた。日米政府間に認識のずれがあったのである。イラクの主権委譲後、日本政府は自衛隊の多国籍軍参加を決定したが、指揮下ではない という難解な解釈を打ち出した。多国籍軍(≒米軍)の側は、やはり指揮下だと考えていたようである。

自衛隊は現在、ムサンナ州サマワというイラクの限られた地域で、同州・市などイラクの行政機関と協力して復興支援に取り組んでいるというが、その行政機関 が“自衛隊は役に立っていない”“期待はずれだ”と述べはじめている。なぜなら、非常にねじれた理屈で派遣された自衛隊は、行動に制約をうけるのが当然だ からである。

その制約を解き放つ方法は2つある。
ひとつは、自衛隊の軍事行動を解禁し、米軍との一体化(≒下請化)をいっそう推進する道。
もうひとつは、日本国憲法の規定を遵守し、自衛隊をただちに撤退させ、非軍事の外交的支援をめざす道。
いま、日本はどちらの道に踏み込もうとしているのか?

(2004/10/29 07:24現在)

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