『美城、心の母子手帳』


 こんにちは、市川市役所都市開発課の美城です。こう見えて扶養家族持ちです。妻と、二人の子供がいます。妻とは学生結婚でした。
 それはさておき、今日は同期の大真の彼女・ももかさんと僕のある日の出来事をお話したいと思います。


 その日は朝から降ったりやんだりの変な天気でした。どんよりとした曇り空の下、僕は終業時間を少し早めに切り上げて、市役所本庁から、駅を挟んだ反対側にある保育園に子供たちを迎えに行きました。さすがに僕の収入だけでは家族四人食べていくことは出来ないので、妻はパートに出ています。それで、妻のパートのシフトが合わない時は、こうやって僕が子供たちを迎えに行きます。延長保育も可能なんですが、それはそれでお金がかかりますから。そんな訳で週に1、2回は僕が「お迎え当番」になります。
 市役所を出てから数分で、いきなりまた雨が降り出しました。慌てて本庁を後にしたので、傘を持っていませんでした。とりあえず急いで駅に入ろうとしたら
「あれー!美城君じゃないー?」
 北口の駅の階段で呼び止められました。見るとOL風の女の人。一瞬誰だかわからなかったのですが
「ああ!」
 すぐに思い出しました。市役所の同期の大真の彼女、ももかさんです。
 ももかさんと僕は、いや僕たち同期は一度だけ会った事があります。まあその時の話をすると長くなるので省きますが、それでなくてもももかさんの事は大真からしょっちゅう聞かされています。というかノロケられています。まあ、かなり困惑する類の話なのでそれも省略します。
 そう言えば一度大真がしきりに、僕の家の家計を色々聞いてきた事がありました。「家族4人の生活費ってどれぐらい?」「出産って保健がきかないってホント?」「市役所から、育児補助とか出るの?」と事細かに色々と。まあ、なんとなく察しはついていたので、特に理由は問いただしませんでしたが、それからしばらくして大真が仕事中に受け取った電話に「やった!今夜は赤飯ですね!」といっていたのをたまたま聞いて、ああ、やっぱりももかさんに妊娠疑惑があったんだなぁと確信した訳ですが。
 すみません、少し話が逸れましたね。そんな感じですので、まあももかさんに対しての僕の印象はそんな断片的な情報と、ラフレシア……いやいや、とにかく色々聞いている割には実態はよくわからないなぁと言ったところです。
 それはさておき。

「どうしたのー?まだ終業時間じゃないよね?」
「いや、あの、子供を迎えに」
「そっかー、お父さんは大変だー」
 そう言いながら、ももかさんはカバンから出したハンカチで僕の濡れた身体を拭いてくれました。それがあんまりにも自然だったもので、僕はそのままそれを受けていたんですが、途中で気づいて慌ててすみません、とその手を外しました。
「も、ももかさんこそどうしたんです?こんな時間に?」
「うん、今日は仕事が早くあがったの。だからたまにはアタシがお迎えに」
 そう言って屈託無く笑うももかさんに、ああ、ももかさんも大真の事がちゃんと好きなんだなぁとしみじみと感じました。いえ、いつも聞いている話だと、どうも大真の方が一方的で、正直大真みたいな子供を、良く7つも年上のももかさんが相手にしてくれるな、とも思ったりしていたので。
 「お迎え」の言葉に、自分も「お迎え」に行く途中だったのを思い出して、慌ててももかさんの前を去ろうとすると、ももかさんが「持っていきなよー」と自分の持っていた傘を僕に渡そうとしてくれました。
「あ、でもももかさんだって傘無かったら困るじゃないですか」
「アタシは大丈夫、大真くん持っているだろうし」
「でも」
「大黒柱のお父さんが風邪引いたら大変じゃないー。それにあの子達も濡れたらかわいそうだもの」
 そう、そう言えば以前、僕と妻が急な法事で出かけなくてはならなくなった時、子供たちを大真に預けた事がありました。後で聞いたらその時、ももかさんも一緒にいたとの事。大真に預けた後、上の3歳の子供が「マジサイコーチョーうけるー」という訳のわからない言葉を覚えてきて、これまた困惑した記憶があります。
 ああ、また逸れました。とにかく僕の中のももかさんの印象というのは、なんだか良くわからないものばかりだったのですが、こうやって傘を貸してくれようとするももかさんは「いい人」以外の形容する言葉を思いつきません。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 僕はお礼を言いながらももかさんに傘を借りました。ももかさんはお父さんがんばって、と僕を送り出してくれました。
 雨は激しくは無かったのですが、小糠雨で、傘が無かったらかなり濡れてしまった事だと思います。ももかさんには本当に感謝の気持ちで一杯でした。
 百聞は一見に如かずとは良く言ったものです。いえ、一見はしていたのですがその一見がラフレシア……いやいや、とにかく僕は、初めて直接ももかさんの人柄に触れて、ももかさんの「いい人」ぶりに触れる事が良かったなあと思ったわけです。


 次の日、僕はももかさんに借りた傘を大真に返しました。大真がきょとんとした顔をしていたので、昨日のいきさつを話したら、ああ、と納得した顔をして
「いや、朝から雨だったのに傘持ってなかったからどうしたの?って聞いたら置いてきちゃったって言うから変だなぁって思ってたんだ」
 ももかさんは僕に傘を貸した話を大真にしなかったようです。しなかったというより、言う必要が無いから敢えて言わなかった、ような気がしました。そんな話をわざわざ誇示する事はないというか。ももかさんにとって困っていた人に傘を貸すのはごく自然な、あたりまえの事だから……多分、ももかさんはそう言う人なんだと思います。きっと。
「大真」
「なに?」
「ももかさんって、いい人だな」
「……うん」
 「僕に傘を貸したことを敢えて言わなかった」ももかさんの「いい人」ぶりに、大真も改めて感じ入っているようでした。
「お前、ももかさん大事にしろよ」
「言われなくても、わかっているよ」
 大真が少し照れたように笑いました。少し子供なところもありますが、こんな大真も、割と素直な「いい奴」です。
 僕は老婆心ながら、もう一言追加しました。
「それから、ちゃんと避妊はしろよ。ももかさんにそういう心配させるな。子供はかわいいけれど、生半可な気持ちじゃ、ダメなんだからな」
「ええ!なんでそんな事まで知っているの?!」
 大真の普段のノロケと、あけっぴろげな言動から、そんな事は誰にでもわかる事なのに、大真は心底驚いた顔をしていました。
 ……やっぱり子供だ。というか……いえ、それは言わないでおきます。
 まあ、大真はともかくももかさんはいい人です。


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補足説明

「ももかさんの妊娠疑惑」のくだりは、美波里ねえさんの小芝居帳『大真君の生まれた日』をご参照ください。ちゃんと繋がっているんですよー(笑)。
 ついでにこのネタは「ももかさん、王家千秋楽に美城君(?)に傘を貸してあげようとしたちょっとイイ話」から生まれました。ええ、フィクションと言いつつ実際の出来事にも繋がっているんですよー(半笑)。
 言い忘れましたが、美城君の奥さんはまりぃです。

2004.01.02