二月に入って、そろそろバレンタインだなぁと思ったら、ちょっと憂鬱になってしまった。
いや憂鬱になるのはバレンタインだけじゃなくてクリスマスも涼さんのお誕生日も。そう、何か「贈り物」をするとき、わたしはちょっと憂鬱になる。だって、涼さんに何をあげたらいいかわからないから。
涼さんが喜ぶ贈り物がしたいのだけれど、涼さんはたいていのものについては「事足りて」しまっているひとだから。そして「事足りて」いるということは、欲がないということだ。
いつも、なかなかいいものが思い付かない。涼さんに聞くとヤツカにもらうものならなんでも嬉しいと言ってくれるけれど、わたしはわたしがあげたから嬉しいものをじゃなくて、そのものが嬉しいと思ってくれるものをあげたいのだ。涼さんはいつだって、わたしが嬉しいものをくれるのに。わたしはいつになっても涼さんに「嬉しいもの」をあげられない、ような気がする。これは付き合い始めた頃からずっと抱いている小さな悩み。
でもまあ、憂鬱になっていてもしょうがない。今回こそ涼さんを喜ばせる……ううん、できればあっといわせるぐらいの何か。そう考え始めたらなんとなく気持ちが盛り上がってきた。そうだ、今度こそ何か考えよう。好きな人を思いながら何かする、のは結局楽しく、幸せなことなのかもしれない。
バレンタイン、チョコレート。
とはいえ涼さんは会社がらみで、鬼のようにチョコレートをもらってくる。そういえば、去年はわたしの部屋にそれを全部置いていった。文句を言いつつも、それを食べてしまったわたし……うう、その結末は思い出したくもない。だから普通にチョコレートでは芸が無いし、涼さんもきっと飽きてしまっているだろう。じゃあ何か他にプレゼントと思っても、結局「もの」はやっぱり涼さんには「足りて」いるものだろうし、そう思うと「消えもの」の方がいいのかなぁ……。
バレンタイン、チョコレート、甘いもの。
何か甘いもの、チョコレートじゃない、甘いもの。
「……」
その考えが浮かんだ時、すぐにそれはあんまりかなぁと思って打ち消したのだけれど、もうそれ以上の考えは思いつかなくなってしまった。
チョコレートじゃない、甘いもの。
それは、確かに甘いものだ。
2月14日、バレンタインデー。
その日、思ったとおり涼さんは大きな紙袋を抱えて帰ってきた。今年はまた更に増えたのかもしれない。
「これ、全部?」
「ええ、でも義理ですよ?」
紙袋からちらりとのぞく、綺麗にラッピングされたチョコレート、そのどれもが有名ブランドのものなのだから、この袋ひとつで一体いくら分入っているのだろうと、ちょっと下世話な事を考えてしまったり。
「毎年、あんまり華美にするなとは言っているんですがねぇ」
とはいえ、義理とはいえ「涼さん」へのチョコレートだ。そこには多少なりとも取り引きやら駆け引きやらが含まれているのだろう。
涼さんは居間のソファーに腰掛けて、ネクタイを解きながら
「ヤツカ、全部食べていいですからね」
「いいです!いいですから!」
「だって、ヤツカ甘いもの好きでしょう?」
「だって去年の事覚えていますよね?」
「でもちゃんと戻ったじゃないですか、体重」
「大変だったんですからね、それに涼さんがもらってきたものなんですから、涼さんが食べてくださいよ」
「……そんな、他の女の人からもらったもの食べるとヤツカ妬くくせに」
「妬きません!」
「僕はヤツカからもらったものを食べるからいいんです」
そして涼さんは両手を差し出した。
「はい」
「はい?」
「ヤツカは?ヤツカからは?」
「……あの、わたしからは、ないんです、チョコレートは」
「ないんですか?」
「そ、そんな大きな声出さなくても」
「そんな、僕楽しみにして帰ってきたのに」
「だって、涼さんチョコレート沢山もらっているじゃないですか」
「それとこれとは話が別です!」
珍しく怒りそうな勢いだ。慌ててとりなすように
「だ、だから、チョコレート「は」ないんです、チョコじゃないんです」
「……じゃあ、何?」
「チョコレートじゃ、飽きちゃっていると思ったんです。だから、チョコレートじゃない、甘い、何か……」
ソファーに座ったままの涼さんが不思議そうな顔でわたしを見上げる。どうしよう、やっぱりこれはあんまりかなぁ、でもやっぱりそれ以上のものを思いつかなかったから。涼さんが喜んでくれるかもしれないから。……わたしは深呼吸をして言った。
「じゃあ、涼さん、目を瞑ってもらえますか?」
「え?何ですか?」
「わたしがいいというまで、開けないでくださいね?」
涼さんはこれから何が起こるのかと、ちょっとわくわくした顔を見せた。そして目を閉じる。その前に立つわたしは、ちょうどそれを見下ろす形になって。
甘いもの、チョコレートより甘いもの。
わたしはその涼さんの唇にそっと口づけた。いつものキスとはちょっと違う、いつも涼さんがわたしにしてくれるように。触れた唇で、ゆっくりと涼さんの上唇を挟む。唇の重なる、薄い皮膚の部分をなぞるように……そうやって、いつも涼さんがわたしにしてくれる、甘いキス。だって涼さんのキスは本当に甘いんだもの、それ以外に甘いものを思いつかなかったんだもの……。
だからわたしは涼さんに、わたしから甘いキスをあげようと思ったのだ。チョコレートより、甘いものより、甘いもの。心を込めて、ありったけの想いをこめて。あまりうまくないかもしれないけれど、わたしにできる甘い甘い贈り物。
すごく長い時間が過ぎたように思えた。もう目を開けていいですよ、と言おうと唇を離したら、涼さんはもう目を開けていて、というか驚きで見開いていて。
「……何?」
「……甘いもの、です」
沈黙。
ああ!なんだかわたしすごく恥ずかしくなってきた、というかなんでこんな事したんだろう?いくらなんでも、やっぱりいくらなんでもあんまりだ。こんなの。涼さんは何がなんだかさっぱりわからないだろう、もとい、きっと引いている。うわー、やるんじゃなかった。
「あ、あの、ごめんなさい、こんなのナシですよね。いえ、ナシ、今のナシにしてください!」
涼さんはまだ、驚いた顔をしている。
「あの、ちゃんと、一応用意してあるんです、その、甘いもの。そのチョコじゃないんですが、一応チーズケーキなんか焼いてみたりして、一応っていうかわたしが食べたかったからなのもあるんですが」
何を言っているのかわからない、自分でも。じゃあ、持ってきますとそのままキッチンに逃げ込もうとしたら、涼さんがぐいっとわたしの手を引いて、それを引き止めた。
「す、涼さん?」
「ヤツカ、もっと」
「も、もっと?」
涼さんがまた目を閉じる。わたしはそれに促されるようにもういちど、甘いキスを……。
唇が離れた時、涼さんが言った。
「……嬉しい」
ぽつりと漏れたその言葉が本当に嬉しそうだったから
「……喜んで、くれます?」
「うん。なんか、ちょっと感動した」
そしてはにかんだように、笑った。ああ、よかった、外してはいないんだ。
そしてそんな風に笑う涼さんは珍しくて、わたしもなんだか照れて笑ってしまった。思わず聞いてしまった。
「ちゃんと、甘かったですか?」
「うん、溶けそうだった」
うわ……でもそれはわたしがいつも涼さんにその「甘いキス」をされたときの感想と一緒なのだ。
わたしは口に出したことはないけれど。
「ヤツカ……」
涼さんがもういちど、とねだる。喜んでもらえるのは、何よりも嬉しい。恥ずかしさとか色々な物を乗り越えて、わたしはもういちどキスをした。
「ありがとう」
涼さんがわたしを抱き寄せた。そして今度はわたしにキスをしようとするから、わたしはそれをそっと遮った。
「何で?お返ししたいのに」
「だって、お返しは今日じゃないでしょう?」
「ああ、そうですね。じゃあホワイトデーには、たくさんお返ししますからね」
涼さんがにっこりと、いや、ニヤリと笑った。え?
「こんなに嬉しいものもらったんだもの」
え?ええ?
「もう、すごい「お返し」しますから」
しまった、そういう風に切り返してくるとは思ってもいなかった。っていうか涼さんはいつだって「すごい」のに、それ以上にすごいのって、そんなに気合を入れられるのって……考えるだけで気が遠くなりそうだった、一ヵ月後に自分がされるであろう「すごいお返し」とその「値段」に。
「普通の「お返し」じゃないですからね、ヤツカがこれだけの事をしてくれたんだから、僕だってそれ相応のことをしますからね」
宣戦布告みたいだ。涼さんはまるで、鬼の首でも取ったような顔をしている。
普段涼さんのキザでゴージャスで甘い甘すぎるいろいろな「贈り物」を、恥ずかしさから逃げてしまうことの多いわたしだ。そのわたしに言わば合法的に「贈り物」できるのだ、何でもできるのだと言わんばかりの顔をしている、絶対受け取ってもらいますから、と言っている。……墓穴と言うか、因果応報というか。そう、涼さんはこう見えて負けず嫌いだから、わたしがこんなことをすれば、それ以上のことをしたくなる……どうしてこんなことに気付かなかったんだろう。うわ、うわー。
「ヤツカ、期待していてくださいね」
するのは期待ではなくて、覚悟かもしれない……。
それでも涼さんが喜んでくれたのは、やっぱり嬉しかった。それに、そんな覚悟をするのも満更じゃないかも……いやいやいや。とりあえず、先の事を考えるのはやめておこう。今はただ、涼さんが喜んでくれる贈り物ができたしあわせを噛み締めよう。
「ヤツカ」
涼さんがわたしを呼んだ。そして、いつもの言葉を言おうとすると気付いたから、それをさえぎるように、わたしがその言葉を言った。
甘い言葉。
甘い甘い贈り物。
そしてもう一度、甘いキス。
--------------------
とめどなく甘くしてみました。……嘘です、無意識に甘くなってしまいました。というわけで、わたしに「甘いもの」を要求するとここまで甘くなると言う例です。メモっおいてください(で、どうしろと?)(さあ?)。(2004.02.16)
|