+ Driving Mrs. Y


 本来ならば「若旦那様」「若奥様」とお呼びせねばならないのですが、やはり昔のように「若様」「ヤツカ様」と呼ばせていただくことをお断りして、このお話を始めさせていただきたいと思います。


 初めて若様がヤツカ様をお連れになった時、正直驚いたのを覚えております。
 若様付きの運転手として長年、いえ、若様が生まれた時からお仕えしておりますが、それまで、若様がお連れになる女性の方……若様がプライベートでお連れになる女性の方というのは、しかるべき御家のお嬢様であったり、あるいは若様のきまぐれのお相手と察する事ができる方と、その二種類の方しかおられませんでした。もちろんそれに関してはわたくしが何を言う立場でもございません。それは若様のプライベートでありますから。それでもつい若様のお連れになる女性に興味を持ってしまうのは、心配という気持ちが強かったという事にしておきます。
 そんなわたくしから見て、ヤツカ様は普通のお嬢さんでありました。初めてこのリムジンを目にした時、唖然と驚いた顔をし、そしてこの車に乗る時に遠慮しすぎるぐらい遠慮していたことも……ごくごく普通の、お嬢さんでした。明らかに若様とは違う世界の方でした。
 とはいえ、いえそれゆえにでしょうか、ヤツカ様は初めてお会いした時に感じたように、非常に気持ちのよい方でありました。うちの息子がもう少し若ければ、是非息子の嫁に迎えたいような感じのよいお嬢さん。それだけに若様がこのお嬢さんに興味を示されているのが、不思議でならなかったのです。それもまた、きまぐれであるのかと、やはりわたくしは何も言わずにただ若様のお命じになる通り、車を走らせておりました。
 ですが、しばらくして気付きました。これはきまぐれではないのだと。若様がヤツカ様に強く惹かれておられるのはよくわかりました。それは若様にとって本気の恋であったのでしょう。やがてヤツカ様も若様に惹かれてゆかれて。そんな風に若い二人が惹かれあうのを、微笑ましく思えども、何も反対することはございません。
 ただ、やはりお二人の世界の違いは如何せんともしがいたいものであると、そればかりを心配しておりました。ヤツカ様と同じ世界にいつつ、若様の世界にお仕えするわたくしには、お二人の先に幸せがあるようには思えなかったのです。


 わたくしは何度もお二人を乗せて車を走らせました。お二人で出かけて行く先へ、お二人のいる場所への出迎え、若様をヤツカ様の元へ、ヤツカ様を若様の元へ。
 ヤツカ様がおひとりで乗られる時、なかなかこの車に慣れなかったのでしょう。よくわたくしに話しかけておいでになりました。もちろん、わたくしも仕事上のことですから、必要最低の会話しか交わさない、のつもりが、ついヤツカ様と親しくお話をさせていただくこともしばしばで。話すことと言えば他愛のない雑談ばかりではありましたが、ヤツカ様とわたくしとの間には、友情にも似た何か温かいつながりがあったように思われます。
 それでもわたくしは、やはりお二人は上手くゆかないだろうと思っておりました。ですから、いずれ来るであろう別れの日に、ヤツカ様ができるだけ傷つかないであってほしいと、そう密かに願っておりました。後から考えれば、わたくしが先に心配するのは若様の方であるべきなのですが。ヤツカ様はわたくしの危惧どおり、その世界の違いに困惑し、戸惑い、ためらい、時には傷ついておいででした。それに健気にもむかってゆくヤツカ様を贔屓してしまうのは、仕方のないことと言えましょう。


 お二人の間に何があったのかはわたくしの知る由ではございません。
 ただ、お二人が本当にお互いを想いあっているのは、よくわかりました。
 そういえば、こんなことがございました。
 ある晩、お二人を乗せてヤツカ様のお住まいにお送りする途中、急に後部座席が慌しくなりました。パーティション越しにも伝わってくる声は何か言い争っている模様でした。
「ますみさん、どこか止めてください!」
 若様の声がインターフォンで聞こえてきました。止めると言っても、渋滞を避けての裏通りの住宅街を走っておりました。やむをえず近くにあった公園の駐車場に入れました。それからしばらく、お二人の声、いえ怒鳴り声が続いて。これはルール違反なのですが、やはり何事かと聞き耳を立ててしまいます。お二人が喧嘩をされているのは明らかです。
「もう!」
 ヤツカ様の声、そしてドアを荒々しく開けて出て行くのがわかりました。
 こんな夜にこんな人通りの少ないところで、ヤツカ様は車を降りられてしまいました。わたくしはてっきり若様がすぐにヤツカ様を追いかけると思ったのですが、その気配はありませんでした。若様は何もおっしゃられませんでした。
 わたくしは気が気ではありませんでした。しかしこれはお二人の間の話です。わたくしが口を挟むことではありません。ですが、ヤツカ様は出て行かれてしまいました……差し出がましいと思いつつ、わたくしはヤツカ様を探しに外へ出ました。
 夜の住宅街はとても静かでした。ここから最寄の駅に出るには、かなり歩かなくてはならないはずです。もとよりヤツカ様はこの辺りの地理には不案内でしょう。
 さて、ヤツカ様はどちらへ。ただなんとなく、わたくしはヤツカ様がまだ近くにいるような気がしていました。
 そのまま公園に足を踏み入れました。勝手わからぬ園内を探していると、砂場の脇のベンチにひとり寂しそうに腰掛けているヤツカ様がおられました。ヤツカ様はすぐにわたくしに気付きぱっと顔をあげられました。その顔が泣かれていたら、あるいはひどく怒られていたらどう反応すればよいのかと慌てそうになりましたが、ヤツカ様は落ち着いた表情で、そしてはにかんだように少し笑われました。
「ごめんなさい、ますみさん。……ご迷惑をかけて」
「いえ、迷惑などと……」
 わたくしは、それ以上何を言ってよいかわかりませんでした。目の前のヤツカ様が落ち込んでおられるのを見て、何とかかして差し上げたいと思う反面、お二人のプライベートに入り込む結果になってはしまわないかと、迷いました。いや、やはり何を言ってよいかわからないだけにすぎなかったのかもしれません。
「わかっているんです、わたし」
「はい?」
「いえ、わかっているつもりなんです。ううん、わかってあげたいと思っているんです。そしてわかりあえると……思っているんです」
 ヤツカ様は独り言のように続けていました。
「それでも、わかってあげられないことがあるんです……」
「ヤツカ様……」
「あー、わたし、ダメですねぇ」
 そう言って、おどけたように笑われました。
 わたくしは、胸がつまりました。お二人の喧嘩の原因はわかりません。けれども、そのすれ違いに対して、ヤツカ様は真摯に向き合っておられました。そんなヤツカ様の想い、ヤツカ様の若様への想いに、胸がつまりました。
「駄目じゃありません」
「ますみさん」
「決して、駄目じゃありません」
 思わず、そんな言葉が口をついて出ました。果たしてそれが適切な言葉であったのかはわかりません。けれどもヤツカ様がそんな風にご自分を否定なさる事は、何ひとつ無いと思いました。ヤツカ様とお付き合いを始められて、若様がどのように変わられたか、それは若様ご本人も、ヤツカ様もお気づきでないところでわたくしは感じておりました。幼い頃より若様を見守ってきたわたくしが目を瞠る思いで、そして嬉しい思いで見てきたこと。若様にそうさせたのはヤツカ様に他ならないのです。そんな事をお伝えして差し上げたかったのですが、それは言葉にはならず……。
「ヤツカ!」
 わたくしが言葉を探していると、突然若様の声が。振り返った時にはもう若様はわたくしの脇をすり抜けて、ヤツカ様の元へ。そしてヤツカ様を抱きしめられました。
「ヤツカ……ごめん」
「涼さん……」
「急にヤツカがどこへ行ったか、心配になって。心配になる僕なのに」
「……涼さん」
 どうやら、わたくしの出番はもうないようです。もう何も心配することはないと、わたくしはそっとその場を離れました。
 それから一時間ぐらいして、お二人は戻ってこられました。夜露が寒かったのでしょう、若様のジャケットを羽織ったヤツカ様、その肩をそっと抱き寄せている若様。ちゃんとお二人でお話を、仲直りをされたのでしょう。
「ごめんなさい、ますみさん」
「ごめんなさい」
 お二人に謝られてわたくしは慌てました。
 そんな事はどうでも良いのです。ただわたくしは今目の前にいるお二人の寄り添う姿だけで、不思議と泣きそうなぐらいに嬉しいのです。
 非力な身ではありますが、お二人の味方でありたいと思いました。お二人のお力になれればと思ったのです。


 それからも、わたくしはお二人をお乗せして色々なところへ行きました。ヤツカ様とも色々なお話をさせていただきました。
 突然、若様が車を買うと言い出しました。ご自分で運転されるとの事。やはり、運転手付きのデートは何かと心苦しいのでしょうか。少し寂しくもありましたが、自然な流れであるのかもしれません。
 ヤツカ様のご自宅の前まで入れる、小さな軽自動車。若様は免許は持っておられますが、国内での運転は殆どされていません。それゆえに、購入後しばらくはわたくしを隣に乗せて、運転の練習をされておられました。これは多少難儀されたようです。日本の細い道、不慣れな右ハンドル。それでもヤツカを怪我させるわけにはいかないから、と、そんな奇妙なドライブがひと月ほど続けられました。
「本当は一番最初にヤツカを乗せたかったんですよ?」
 そうわたくしに文句を言う若様は、どこか楽しそうでもありました。自分で運転する車にヤツカ様をお乗せするその日を、とても楽しみにされていたようです。
 そんなドライブのある日、随分運転にも慣れ、わたくしと会話する余裕の出てきた若様が、急にこんなことを言い出しました。
「ますみさん」
「なんでしょうか?」
「ますみさん……ヤツカをどう思いますか?」
 一瞬、意味がわかりませんでした。若様の顔を見ると、ひどく真面目な顔でこちらを見ていたかと思うと、すぐに視線を前に戻しました。その横顔はいたって平静ですが、一瞬こちらを見ていた時の、試すような伺うような、そして不安げな表情がはっきりと脳裏にやきつきました。
 その言葉には、今、若様が抱えられている苦悩がこめられているように思いました。最初にわたくしが危惧したように、ヤツカ様と若様の世界はあまりにも違いすぎました。しかしそんな違いですら、恋するお二人にとって超えられない壁ではありませんでした。ですが、お二人をとりまく環境はどうでしょうか?お二人を取り巻く人々はどうでしょうか?……若様がお尋ねになられた「どう?」はそういう事を指しているように思われました。
 おそらく、若様のこのお付き合いに、お家の方々は良い顔をされないでしょう。若様がどこまでヤツカ様の事をお話しているのかはわかりません。ただ、若様は最初から、そして今も真剣にヤツカ様と一緒になることを考えていられるのでしょう。だからこそ、真剣にこれからの事を憂えているのでしょう。
 わたくしの口から言うのもなんですが、若様は立派に成人されました。涼家の跡取としてふさわしく。その若様がわたくしにそれを訪ねた時、若様が昔の、いえ幼い若様にもどったように思われたのです。お父上、お母上に言うことのできなかったわがままを、ただわたくしにだけには無邪気に残酷に伝えていた若様。そして少しだけ見せていた甘え、子供らしからぬ寂しさ……。
 わたくしはしばらく考え込んでしまいました。何かを言おうとしました。けれども若様はわたくしに何か答えを求めているのでは無いと思いました。若様の中では若様なりに答えも、これからの思いもあるのでしょう。それでもわたくしに、わたくしごときに「どう?」と聞いてしまう若様、それを弱さと若様は自嘲なされるでしょう。ですがわたくしにはそれがとても若様らしく、またいとおしくも思えたのです。
「……すばらしい方だと、思います」
 わたくしは、長い時間をかけて、そう答えました。
「何言っているんですか、そんなの、あたりまえじゃないですか」
 だって、僕のヤツカなんですよ?とおどけとものろけともつかない言葉で若様は笑い飛ばしました。わたくしも笑いました。若様がその後に、小さな声で少し恥ずかしそうに言いました。
「……ありがとう」


 それから、お二人の間には様々な事があったことでしょう。そんな風に推測になってしまうのは、あの車をお買いになられて以来、わたくしはヤツカ様をお乗せしておらず、お目にかかってもおりません。寂しくはありましたが、若様の口からヤツカ様がお元気な事は度々聞かされておりました。その一方、お二人を取り巻く状況も、耳にしており密かに心を痛めておりました。。
 再びヤツカ様にお目にかかったのは、創立記念パーティの日でした。そのパーティに若様はヤツカ様を正式に招待されました。会社の創立記念パーティと言いつつも、一族の主だった方たちは顔を揃えますし、会社の取締役やら、重鎮やらも集まります。若様はヤツカ様を皆様にお披露目するつもりだったのでしょう。正式に、ヤツカ様をお迎えする為の第一歩。ヤツカ様もそれは重々承知だった模様で、わたくしがお迎えにあがった時から、ひどく緊張されていました。パーティに列席するらしく、華やかに着飾ったヤツカ様はとてもお綺麗でしたが、そんな言葉をかけられないほど、ヤツカ様は緊張されていました。
 ヤツカ様を乗せて、若様の待つパーティ会場となっているホテルへ向かいました。
「すみません、止めてください」
 あと少しでホテルというところで、ヤツカ様が急におっしゃいました。ご気分でも悪くなったかと慌てて止めると、ヤツカ様はドアを開けて車を降りてしまいました。
「ヤツカ様!」
 慌てて、追いかけようと運転席を出ると、ヤツカ様は車の傍らにじっとただずんでおりました。
「ヤツカ様……」
「ますみさん……」
 その瞳がぐらりと、揺れました。
「……怖いんです」
 そう、つぶやかれました。
「ヤツカ様、何が?」
「なにもかもです、なにもかも、もう……」
 握られた手が小さく震えておりました。
「ヤツカ様」
 思わずその手をわたくしは握りました。
「ヤツカ様、ご自分に自信を持ってください」
 ヤツカ様は、激しく首を振られました。
「ヤツカ様は、とてもすばらしい方です」
 やはりヤツカ様は首を振られます。
「若様が、愛された方です」
「……ますみさん」
「ヤツカ様と出会えた若様は、誰よりも幸運なお方です」
「……」
「わたくしは、あんなに幸せそうな若様を見たことがありません」
「……」
「それはすべて、ヤツカ様ゆえなのです」
「……」
「『間違いない』」
 ヤツカ様がぷ、と笑われました。それはヤツカ様の口癖でした。
「『間違いない?』」
「はい、間違いありません」
 ヤツカ様のお顔から、緊張が少しだけ緩んだように思われました。
 車をホテルのエントランスにつけた時、ドアボーイよりも早く、若様が出てきました。わざわざヤツカ様の到着を待っておられたのでしょう。
「ヤツカ」
 さあ、とヤツカ様に手を差し伸べます。ヤツカ様が差し出した手をうやうやしくとり、そして口づけました。まるで流れるようなしぐさでした。
「ヤツカ、綺麗ですよ」
 その言葉に、ヤツカ様の顔がふわっと明るくなられました。
 そのままヤツカ様をお守りするようにエスコートされていく若様。その背中はやはり少しだけ緊張しておられましたが、それをはね返すように力強くもありました。
 ヤツカ様がふっと振り返られました。入り口でお二人を見守っていたわたくしは、ゆっくりと頷きました。
 ヤツカ様も、しっかりと頷かれました。


 やがて、お二人のご婚約が決まった時、わたくしは年甲斐も無く泣きました。嬉しかったのです。それからご結婚。式を挙げられたばかりのお二人を、お二人の幸せをお乗せしたことは、運転手生活で最高の思い出でした。
 結婚されてからも、お二人は若様の運転する車をお使いになられていましたので、お二人を、ヤツカ様をお乗せする機会はありませんでした。わたくしはお二人の新居へ、出勤する若様をお迎えにあがるのですが、そこでたまにヤツカ様と顔を合わせる程度でした。それでも、若様の様子から、時々お目にかかるヤツカ様の様子から、お二人が幸せなことはよくわかりました。
 そんなある日、珍しくヤツカ様から車を出して欲しいと頼まれました。ご用があれば遠慮なくお呼びください、と事あるごとに申し上げていたのですが、やはりヤツカ様はどこか遠慮されていたのでしょう。そのヤツカ様からのお呼びということで、いつになく浮き立った気持ちでお迎えにあがりました。
 ヤツカ様はお買い物に行かれるとの事でした。すっかり奥様らしくなられたヤツカ様、けれどもお話をすれば昔と変わらぬヤツカ様でした。
 デパートの駐車場で、ヤツカ様のお買い物が終わられるのをお待ちしておりました。二時間ほどして、ヤツカ様が戻られました。お待たせしました、と謝るヤツカ様。いえ、お待ち申し上げるのはわたくしの仕事なのですから。それでもそう言われるヤツカ様はやっぱりお変わりないのだと、なんだかふわりと暖かい気持ちになりました。
「あの、ますみさん、これ」
 ヤツカ様は車に乗る前に、わたくしに包みを渡しました。不思議に思ってヤツカ様を見ると、ヤツカ様はどこかわくわくしたような目で、いいから開けてください、と。
 包みを開けると、中から真っ白い手袋が出てきました。わたくしが普段仕事の際にしているものと同じ。
「ますみさん、今日お誕生日でしたよね」
 言われてみればそうです。
「おめでとうございます」
「ヤツカ様……」
「あ、あのたいしたものじゃないんです。その、いつもお世話になっていますし」
「ヤツカ様……」
「そ、そんな気になさらないで下さい。前にお誕生日を聞いた時、父と同じだなぁと思って、それで覚えていたんです、今日も、父へのプレゼントを買うついでというか、いや、ついでって言うと言葉が悪いんですが」
 わたくしはこういう仕事柄、お仕えする皆様方の基本的な情報はちゃんとおさえております。ヤツカ様のお父上のお誕生日は今日ではありません。
 けれども、ヤツカ様はわたくしが必要以上に気を遣われないように、そんな嘘をつかれておいでなのでしょう。多少の照れもあったのでしょう。
「ありがとうございます」
 ヤツカ様からの、心づくしの誕生日祝い。早速その手袋をはめてみました。ぴったりと馴染むその絹が、ヤツカ様のお心のままに暖かでした。
 ご自宅にお送りする途中、ヤツカ様の携帯が鳴りました。
「すみません。ますみさん、会社の方に寄ってもらえますか?」
「本社、でよろしいでしょうか?」
「はい、主人から今仕事が終わったと連絡が入ったんです、だから」
「『お迎え』ですね」
「……はい」
 本社のロビーで若様はお待ちでした。
「嬉しいですね、奥様自らお迎えです」
 若様はそんな風におどける、というか本当に嬉しそうでした。そして
「ヤツカ、お帰りなさいのキスは?」
「そんな、ますみさんが見ている前で」
「気にしませんよ、ねぇ?」
「……ええ、気にしません」
 というか慣れたと言いましょうか。
 久しぶりに外でお会いになっていることで、ご気分も変わられたのでしょう。そのまま戻らずに、お食事をされてから帰るとの事。いつものレストランに予約を入れて、お二人をお連れしました。まるでお二人の独身時代のようで、当時を懐かしく思い出しました。お二人もきっとそんな気分なのでしょう。
 レストランに着いて、お二人が降りられるのを見送ろうとした時、若様がおっしゃいました。
「ますみさん、今日お誕生日なんだそうですね、おめでとうごさいます」
 若様にまでお祝いを言われて、なんだかこそばゆくなってしまいました。
「どうですか?お祝いも兼ねて僕たちと食事しませんか?」
 思いがけないお申し出でしたが、やはりそれはわたくしの仕事の領分を越えています。丁寧にお断りしたところ
「涼さん、ますみさんはちゃんとお祝いしてくださるご家族がいるんですから」
「ああ、それもそうですね。じゃあますみさん、今日はもうここで結構です。ご家族の元に早く帰ってあげてください」
「ですが、お帰りは」
「適当に車を拾って帰りますよ」
「でも、それでは、あまり……」
 申し訳なくて色々言い訳をしようとしたら、若様がちょっと不機嫌になられました。
「まったく、ますみさんは強情なんですから」
「ですが……」
「僕たちのことはいいんですよ、年寄りは若い者の言う事を聞かないと」
「としよ……」
 まったくもって、口の悪い。わたくしの前ではこんな面もお見せになる若様です。
「それに今日はこのまま泊まっていくかもしれないし、ねえヤツカ?」
 ヤツカ様が真っ赤になっておられました。そんな口の悪さも、わたくしを気遣ってのこと、でもあるのでしょう。わたくしは、お二人のお申し出をありがたく受ける事にしました。
「それじゃあ、ますみさん、また明日」
「お疲れ様でした」
 レストランのエントランスに入っていく寄り添うお二人の後姿をお見送りしておりました。そう言えばこんな光景を前にも見たことがありました。あの時と同じようにヤツカ様がふっとわたくしを振り返られました。そしてそれに気付いた若様も振り返られました。そして、お二人でわたくしに微笑まれました。わたくしも微笑み返しました。わたくしの目に涙が浮かんでいたのは、お二人からは見えなかったでしょう。確かに、年寄りには違いありません。歳を取ると、涙もろくなると言いますから。
 お二人の仲睦まじい姿をにじませながら、わたくしは再び誓ったのです。いつまでもお二人のお味方でいようと、お二人がいつまでも幸せでいられるように、願いつづけようと。


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 ネタは早くからあったのですが、リムジンの構造がまったくわからずにずっと保留していました。調べたのですが、今でもよくわかっていません。やっぱり自分で乗らないと駄目かなぁ(どうやって)。というか美波里の方で「完全防音のリムジン後部座席(でヤル涼さん)」というネタを出したのですが、未だにそれが可能なのかはわかっていません(笑)。
 という訳で新キャラ登場でますみ教授です、割と即決でした。でも多分ここしか出てこないだろうなぁ。
 またしてもタイトルの英語化を後悔しています(大笑)。(2004.11.07)