Sweets3

『half time』


 いつもどおりの朝、いつも通りの涼さんの「いってきます」のキス。
 たまたまなのか、わざとなのか、いつもどおりではない小さな音のするキスだった。
 その音が昨夜のキスの音とまったく同じで。まぶたに、ほほに、みみに、くびに。あちこちに散らされたあのキスの音と全く同じで。
 一気に昨夜を思い出してしまった。けれどもそんな夜が何事もなかったかのように「いってきます」「いってらっしゃい」。
 不思議な気分だった、ちょっとさびしいような気も、少しだけ、した。
 目の前の現実の確かさに、そんな一夜が夢のようで幻のようで。
 そんな想いがちらりと駆け抜けて、それでもやっぱりいつもの朝のように涼さんを送り出した。と思ったら、再びドアが開いた。
「涼さん?」
 忘れ物?と思ったけれど、目の前の涼さんはなぜか神妙な複雑な顔をして。そしてその目にぐっと力がこもった。
「うわわ」
 いきなり涼さんに抱き上げられた。やだ、何?
「涼さん!」
 涼さんは何も言わずにわたしをベッドまで運ぶ。何?どういうこと?それよりも涼さん遅刻しちゃいますよ、と思ったら涼さんが携帯を取り出して会社にかける。
「すみません、妻の体調が思わしくないので、今日は午後から行きます」
 はぁ?な、何を言っているんですか?
 とりあえず起き上がろうとしたら、涼さんに片手であしらわれた。そして涼さんはまた別のところに電話。
「あ?ますみさん?今日は午後から行きますよ。ヤツカが僕を離してくれないので」
 ええええ?何を?何をこの人は言っているんだ。
 何がなんだかわからないまま、やっぱり起き上がろうとしたら、今度は涼さんがわたしの上に、・・・・・・ええ?いやベッドに運ばれたというのはそういう事だけれど、でもいくらなんでもまさか。
「な、何なんですか?何するんですか!」
「ヤツカがいけないんですよ」
「はあ?」
「出かけ際にヤツカがあんな顔するから」
「はい?」
「置いていけなくなるじゃないですか」
 ど、どんな顔をしていたっていうんですか・・・・・・まさか、その顔は、わたしの中をふっとよぎった「昨夜の反芻」と「さびしい」気持ちの顔の事なのだろうか、ど、どんな顔だったんだ。
「ヤツカのせいですからね。僕を、その気にさせて」
 涼さんがネクタイを解いた。
 そういうことだ、そういう気になっている。目が笑っていない。本気だ。
「な……何朝から発情しているんですか!」
「人間は一年中発情期ですよ」
 いやそんな切り返し方をされても!
「だ、だってまだ洗濯も掃除も」
 抵抗しつつも脱がされていく。
「それは、あとで」
 抵抗を抑えつつ器用に自分の服を脱いでいく涼さん。
「で、でも今日は天気がいいからお布団干すつもりで」
 抵抗する腕に妙に力が入らないのは、未だにこの状況が信じられないからだ。
「それも、あとで」
 わたしの抵抗を抑える涼さんの腕にぐっと力が入る。信じられないだなんて、言っていられない。貞操の危機、いやいや倫理観の危機だ、というか常識はずれすぎます涼さん!
「だって、今日はスーパーの特売で・・・・・・」
 唇をふさがれる。そして恐ろしく低い声が耳元でした。
「あきらめなさい」
 その有無を言わせない物言いに、身体中の血液がぞわっと音を立てる。
「・・・・・・ヤツカ」
 抵抗をあきらめたわたしに、今度は甘い声でささやく。なんてひとだ、なんてことだ、なんて・・・・・・。
 窓からはさんさんと、朝の強い光が差し込んでいた。
 ありえない、何もかもありえない。


 ふと目が覚めた。ああ、寝入ってしまっていたんだ。時計を見ると11時半。日がずいぶん高くなっている。なんだかどっと疲労が襲う。結局、涼さんに押し切られる形で朝から、その、いたしてしまったわけで。激しく自己嫌悪、いや悪いのはわたしじゃない。
 涼さんはもう隣にいなかった。と思ったらカチャリとドアが開く音がして
「ヤツカ?」
 わたしが起きているかを確かめるように声をかける。わたしは慌てて涼さんに背を向けた。ちらりと視界にはいった涼さんは、朝送り出した時と寸分たがわぬ姿だった。そうか、もう行かないと午後からは間に合わない。午前半休だったのだから、その「妻を看病するための」午前半休・・・・・・なんて看病だ、まったく。
 怒っている事をちゃんと伝えたくて「起きた?」「シャワーは?」の涼さんの声をまるきり無視した。それぐらいしなくちゃ、わたしの気持ちは治まらない。
「ヤツカ・・・・・・」
 涼さんがなだめるように毛布の上からわたしの頭をなでる。そんなことしたって、機嫌なんて直してあげないんだから。
「ヤツカ・・・・・・怒ったの?」
 当たり前じゃないですか。
 うんともすんとも答えないわたしに涼さんはあきらめて、じゃあ行ってきます、と言ってそして
「ねぇ、いってきますの、キス」
 そう言って毛布をめくろうとしたから、わたしは何を言っているんですかと本気で怒った。
「いってきますのキスはもうしました!」
 涼さんが面くらっていた。こんなに怒ったのは、久しぶりかもしれない。涼さんがしゅんとしおれた。わたしはそれを無視するようにまた涼さんに背を向けてベッドにもぐりこんだ。
「ヤツカ・・・・・・」
 そんなわたしにあきらめて、涼さんはもう一度、いってきますと言って部屋を出て行った。
 パタンとドアが閉じられて、ぱたぱたと涼さんの足音が遠ざかる……そうしたら、途端にさびしくなってしまった。夜になればまた帰ってくるのにさびしいと思った。いや、夜になるまで会えないのだと……。
 わたしは起き上がると、慌てて毛布を身体にひっかけて玄関まで飛び出した。ちょうど涼さんが靴をはいているところだった。顔をあげた涼さんが驚いて、そしてうれしそうに笑った。
「……いってらっしゃい」
「いってきます」
 そしていつものように交されるキス。いつものお見送り。今日二度目の「いってらっしゃい」……パタンと閉まったドアを前に、きっとわたし、にやけた顔をしているんだろうなぁと、両手で頬を押さえた。どこかにやってしまいたい恥ずかしさ、でもどこにもやりたくないこの気持ち……。
 と、その時突然ドアが開いた。もちろんそこには
「涼さん?」
 と問うよりも早くわたしは抱き上げられた。
「ひゃあ!」
 これって、これってもしかして?まさか?
 予想するまでもなく、わたしはベッドに降ろされた。涼さんは片手で携帯を操作しながら
「すみません、やはり妻の病気が思わしくないので今日は休みます」
 ええええええ?
 後は全く同じ展開。もう、何が妻が病気ですか、そんな涼さんの方がよっぽどビョウキです、っていうか
「ヘンタイ!」
 涼さんは笑った。
「ヤツカがいけないんですよ?あんな顔をされたら、もう置いていけないじゃないですか」
 だから!あんな顔って!
 涼さんが「あんな顔」をしていたというわたしの両頬を両手で挟み、ぐしゃぐしゃっと頬をなでる。
「ああヤツカ、カワイイ」
「ふにゃ」
 顔をぐしゃぐしゃにされているから、変な声しかでない。
「もうカワイイ」
「涼さ、」
「カワイクてしょうがない」
「……」
「カワイクて、どうしよう?ねえ?ヤツカ」
「……」
「どうしたらいい?」
 どうしたらいいと言いつつ、またしてもわたしを脱がせていく涼さん。その合い間に、キスの嵐……………………これも、涼さんの愛情表現なのだから、仕方、な、い?
「ヤツカ……ゆっくり看病しますからね」
 もう何も言う事はない。言っても、結果は同じだもの。呆れとも諦めとも納得ともつかない顔をして、わたしは自分から涼さんに抱きついた。
 涼さんが耳元でうれしそうに笑った。
 窓からは午後のやわらかいひかりが、さんさんと、ふりそそいで、いた。


2006.02.05
 気付いた方も多いかと思いますが、これビバテラ四十八手の「第四手:おまけ」の元ネタです(……)。いや、さすがにコレを出すのはあんまりかなぁと思ったので、口当たりソフトにしたのが四十八手ネタなのですが、結局出しちゃっているんじゃ同じだよなぁ!(笑)



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